これから、高校生以上を対象に、古典(古文)の学習についても書いていきたいと思います。これは、少しずつ進めて、文法の解説や単語の理解、読解の練習まで、最終的には、古文学習がきちんと自分でできるところまで、書いていくつもりです。
で、一応最後の方に、小学生のお子さんをもっている人向けのお願いがありますので、省略したい人は目次からぽんととんでください。お付き合いいただけるなら、どうして、古典を小学生で必要なのかにつながる話も読んでみてください。
まず、今日は古文を学習する上で、文法や読解とはどういうものなのか、ということを中心に書きたいと思います。
だいぶ、最近の古文学習は進化してきたような気がする一方で、昔よりもさらに学習方法がマニュアル化してしまい、文法の学習に特化してしまっている気がするからです。
何のために、「文法」を学ぶのか?
これは文法を学ぶ前に、ぜひとも知っておいてほしいと思うのです。
どうして、模試で点数がとれないのか?
模試で得点がとれない理由は何なのか?
たいていの場合、それは「読めないから」だと思っています。
では、なぜ、古文が読めないのか?
ここで、急に学校の先生や塾の先生が
「基本的な文法事項が欠如しているから、読めないんだよ」
とささやいてくるわけです。
かくして、
「ぼくは読めないから、まず文法をやろう」
となるわけです。
さて、文法をやったところで、はたして本文が読めるようになるのか?
まあ、その是非はおいておくとして、なかなか読めるようにはなりません。時間がかかりますからね。
そうすると、
「まだ読めない。まだぼくは入試問題に取り組む実力がない。もう少し、基礎=文法を徹底しよう」
なんていう発想になります。
私のいる学校はそこそこの進学校ですが、英語もふくめて、本当にこういう生徒がたくさんいます。
「塾の先生が、まず文法、夏までは文法といったから、夏までは文法だけをやります」
なんて面談で発覚したりするんです。
塾の先生だって、「まず文法」といったのであって、読解をするな、なんて言ったつもりはないと思うのですが、読解より文法の方が学習しやすい、というか、学習するものがはっきりして、覚えるか覚えないかですから、とにかくこんなことになるのです。
よく考えればわかりますよね?
文章を読まなければ、読解力はつきません。当たり前です。
現代文のところでもしつこく書いてきたので、だんだん理解していただけると思いますが、そもそも、言語を獲得するのには、シャワーのようにあびることが大事で、「文法がわかったら話せる」ようなものではないのです。
話がわかるようになりたい=読解力をつけたいなら、まずは読まなければいけません。
この話はまた、後で説明するとして、
では、たくさん文章を読んで、(文法力はあまりついていないとしましょう)話が読めるようになってきたとして、では、問題は解けるでしょうか?
実は、得点は上がってきますが、満点にはなりません。つまり、話がわかっても、得点できるとは限らないのです。
問題に答えること~問題文の意味
模試や入試の問題パターンは大きく分けて次の三つです。(実際は、物語と評論で出題の仕方が大きく変わるのですが、これはまた別の機会に。古典では多くが物語前提で指導されています。)
- 傍線部についてどういうことか説明しなさい(または、現代語訳しなさい)
- 傍線部について理由を説明しなさい
- 本文と照らし合わせて、正しいもの(まちがっているもの)を選びなさい
もちろん、細かくいえば、違うパターンの問題(たいていは文法題です)もたくさん出ますが、大きくはこんなところです。
よく、塾などの受験指導では、
「選択肢が本文と照らし合わせたときにあるかないか、正しいか正しくないか照合するんだ」
というようなことがいわれますが、非常に危険です。
なぜなら問題は「選択肢は本文にありますか」ではなく、「傍線部の正しいものを選べ」だからです。これは現代文にも共通する大事なことです。
もう少し説明します。
選択肢を本文と照合する場合、選択肢ごとに本文を読みます。そして、本文にあるかどうかを探します。
実際の指示は、「傍線部の解釈として正しいもの」ですから、「傍線部→選択肢」だけでよいのです。
たとえば、次のような本文を考えて見ましょう。
このブログは、国語の勉強法について語っている。おもしろく、生徒を引きつける。ただし、内容が難しく、理解しにくい。決して多くの人がこの存在をしらない。だから、このブログの有用性は低い。
この傍線部について、次の中から正しいものを選びなさい。
- このブログの内容は、現代文や古典の学習方法だ。
- このブログは興味深い内容で、魅力的だ。
- このブログはわかりにくく、あまり役に立たない。
- このブログはまだ多くの人に知られていない。
- この国語のブログは存在価値がない。
さて、どれが正解ですか?本文にあるかないか、なら、全部ありますよね。正解は1です。なぜなら傍線は「国語の勉強法について語っている」だからです。
つまり、答えを選ぶのに、極端な言い方をするなら、
「本文はいらない」のです。
ちょっと言い過ぎですね。実際には、答えをしぼるときに、
- 内容としてただしいもの=本文が読めているかどうか
- 形式としてただしいもの=傍線部がきちんと訳せたかどうか
のふたつの観点から決まります。
たとえば、五択あるとすれば、1の要素が○、2の要素が○で正解で、残りはどちらかが×。そして、1の要素が二つ以上、2の要素が二つ以上あるなら、これで、5択できあがり、です。
よく、「最後の二つまで絞れるけど…」なんて人がいますが、これはたいてい、1だけか、2だけかしかやっていなくて、どちらかの作業が抜け落ちているから、決めきれないケースが多いんです。これはこれでまたの機会に詳しく説明しましょう。
というわけで、答えを選ぶためには、
「なんとなく全体として話がわかる」
ではなく、
「傍線部が完璧にわかる」
という必要があるんです。
わからないところ自体を考え続ける
では、傍線部がかりにわからなかったら、どうすればよいでしょうか。
これは、わからないところそのものを考えるしかありません。
たとえば、次のような場合はどうでしょう
私は○○○だから、ふられた
○○○に入る言葉は何でしょうか?
わかるわけがありません。何でも入ります。
仮に、直前に「財布の中はからっぽだ」とあったとします。ここで推測していいでしょうか。
貧乏だから、おごらないから、レストランの食事をけちったから、タクシーを呼ばなかったから…
まだまだ何でも入ります。
そもそも、
ブサイクだから、性格がわるいから、運が悪いから…
など、財布が空であることと関係ない言葉も入るでしょう。
わかりましたか?
こうなってくると、わからないそのものをがんばって訳す、しか方法がない。
その時に使うのが文法と単語なのです。
直訳と意訳 意訳ってなに?
さきほど書いたような作業を生徒はよく意訳と呼びます。
「わからないから、意訳するしかない」
なんていうように生徒は使うわけです。しかし、これは意訳ではなく、推測、いえ、あてずっぽうであることがわかります。
意訳とは、直訳ができたときにはじめてするものです。
たとえば、次のようなものはどうでしょう。
昔、世心づける女いかで情けあらむ男に会ひ得てしがなと思へど…(伊勢物語)
世は恋愛ですから、恋愛の心がついた女、まあ、恋心を忘れない女ぐらいの感じですね。(これも意訳)
さあ、問題は「情け」です。どうですか?
「情けは情けですよ」と生徒はいいます。
「情け容赦ないの「情け」です」
「あ、だから「思いやり」か」
いえ、これではまだだめですよ。
私が、彼女に「思いやりのあるような男」を紹介します。そうですね。たとえば、おじいちゃんとか。思いやりありますよ。
「情けには「風情」という意味があります。思いやりがあって風情がある男で…」
じゃあ、俳句がうまく詠めるやさしいおじいちゃん?
「若くないからだめです」
じゃあ、俳句がうまく詠めてやさしい、太ったブサイクの青年だったら…
「だめです。つきあう対象なんだから」
そうですね。ここでは「いい男」ってことですよね。
これが意訳です。風情=おしゃれでファッショナブルと理解しておけば、正解には行きやすくなりますが、それでも意訳は「いい男」。
つまり、
訳せるけどわからない=直訳したけど通じない
その時は「意訳」です。ここに単語や文法力は関係ない。
逆に、
訳せない=直訳できない
その時は、がんばるしかないのです。
直訳をするために
そろそろ今回は終わります。その直訳をするために必要なことが、
品詞分解です。
- 訳せない
- だから、どんな語があるか分解する
- 丁寧に訳す
ということなんです。
逆にいえば、訳せるところは品詞分解しなくてよい。だって、訳せるということは、どんな語が入っているかわかっているに決まっているんです。
生徒たちは品詞分解を、「いやがらせ」のように思っています。
一方、国語の先生も、国語という科目の中で、「唯一の正解」を示せる便利な道具として、文法=品詞分解を使っていく傾向があります。
つまり、古典を教えるとき、品詞分解をして、文法説明をしていけば、なんとなく「教える」ことができてしまうわけですね。でも、これは「真似び」ではありません。鞭をもってこどもを縛る「教え」です。
これでは、古典が嫌いになるのも当たり前。
そうです。
「わからないときこそ品詞分解」
なんです。
じゃあ、どうしろっていうの?わからないのに、どうやって品詞分解ができるの?
もちろん、そのためには、文法の知識が必要になりますが、問題は知識の入れ方です。
簡単に書くと、点数をとるためには
- 知識をつめこむ
- 知識を引き出す=知識の使い方、使う練習
という作業が必要ですよね。
だから、最初の話に戻ると、いくら文法が基本であっても、文法を詰め込むだけではだめで、文法を使う練習をしなければいけないわけです。
それはひとつは、読解をすること。
もうひとつは入試問題を解いて問に答えていくこと。
でも、冷静に考えてみれば、
詰め込む段階から、引き出すように知識をいれておけばよいと思いませんか?
何も全部教科書の順番に理解しないで、品詞分解で文法を使うところをまず理解すればよい。
ということでいうと、品詞分解で使うことは、
- 動詞を探して、活用させる
- 助動詞の接続の分類を理解して、言える
- 助動詞がわかったら、その意味=訳が言える
というたったこれだけです。なのでまずは、この順番で文法を理解すればよいわけです。でも、ここはこのあと少しずつ説明します。
読解と単語~名作を読もう、暗唱しよう
最後に、今回のまとめとして読解の話をします。
簡単にいうと、読解力をつけたければ、いっぱい文章を読もうね、ということです。そして、これはとにかくたくさんやっておきたい。
だから、文法が先ではなくて、読解が先なんです。とにかく、古典をいっぱい読もう。多少訳がわからなくても、暗唱してしまおう。
日本の古典の名文、冒頭文、百人一首‥
とにかくいっぱい読もう。究極いえば、意味なんてわからなくていいから。
まず、古典的なものの言い方が少しでも、身につくと、文法がぐっとわかりやすくなります。小学生以下のお子さんをお持ちなら、あとは唱歌を聞かせてください。
「仰げば尊し」
「夏は来ぬ」
「浜辺の歌」あした、はまべをさまよへば‥
「ふるさと」うさぎおひしかのやま‥
ちょっとひっぱるだけでも、古典のなんとなくの意味がすっと入ってますよね。
こういうのが入っていると、古典はぐっと楽になる。
さて、高校生以上にもどります。
高校生以上でも、こういう作業から入ってほしいのですが、余裕がないなら、
まず、毎日古典を読む。
でも、意味がわからないとつらいから、先に訳を読む。そしたら音読する。文の対応なんて気にしない。
日本語吹き替えの映画を見て、頭に入れてから、英語を聞く、という手法ですね。
そして、本当の最後に、どうしても早く古典を自力で読めるようになりたいなら、文法よりは単語です。
単語がわからなければ、わかるわけがない。赤ちゃんは、ものと単語を対象させて、すこしずつ話せるようになっていく。
だから、まずは、単語さえ覚えてしまえば、文法なんてわからなくてもなんとかなります。逆に文法がかなりわかっても、単語がわからないと、ほとんど読めません。
当たり前ですね。
というわけで、古典の話も少しずつ前にすすめていきます。具体的な文法の話もしていきますよ。