国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

読むだけ現代文 都市と自己 関係の中にいる私たち

 読むだけで現代文を得意にするシリーズはメディアまで終わりました。今日は都市と自己のありようを考えます。

 

都市と「私」の関係~「私」が都市を作り、都市が「私」を作る

だんだんと東大の現代文のようになっていきますが、「他者が自己を作り、自己が他者を作る」ということが少しずつわかってきたかと思います。前回は、メディア、すなわり媒介や媒体、中継点の話であったわけですが、何を中継するかが、自己を作るという話になったわけですから。

さて、今回は都市が私を作り、私が都市を作る、という話です。

私たちが住んでいる町、すなわち環境が自分に影響を与えるというのはなんだかわかる気がしませんか?

たとえば、私たちが住んでいるところには、道路があり、駅がありますね。こうした交通網ってどうしてできたんでしょうか?

もちろん、再開発のような形で、いったん全部更地にして、理想的な都市を作り出すというような手法もあるでしょうが、たいていの場合、今、道路がある場所は、昔から道路があったんですよね。

その街道沿いに町ができあがっていく。

だから、私たちの生活が、都市を作っていき、その都市のありようによって私たちの生活が影響を受けていくわけです。

私の家の目の前は、もともと江戸時代に大名行列が参勤交代で通った道になっています。いわゆる「〇〇街道」と名のつくものです。そうすると、意味もなく、道がクランクになっていたり、行き止まりの道がついていたりします。

クランクになっているのは、大名行列が狙われないように姿を見えなくさせる効果があり、行き止まりの道は行列同士がすれちがうときに片方がそこに入って待つのだそうです。

そういう道が出来上がれば、私たちは大名行列がなくなったあとも、その道にしたがって町を作っていくわけです。クランクが意味もなくできたその場所では、自動車が走るようになった私の時代、何度も車が突っ込む事故が起きました。そりゃそうです。まっすぐの道が突然クランクになるわけですから。

家だって、そうですよね。あなたが作った家の区画や、あるいは家そのものに、次の世代の人が住んでいく。

誰かが誘致して駅を呼べば、それにしたがって都市が開発されていく。駅の誘致を断ったところがあれば、それにしたがって、町がまたできていく…。私たちはそういう場所との関わりの中を生きているのです。

 

有機的な都市と、無機的な都市

そう考えてみたとき、私たちの生活は、前の世代の人たちの生活形式によって、縛られているともいえます。たとえば、細い路地が入り組んでいて、とても救急車や消防車がはいってこれなくなった町があったとすれば、それは、その世代の人たちの生活様式が現代にまで、影響を与えているわけです。

そういうときに「再開発」という選択肢があがってくるわけですね。「再開発」だけでなく、たとえば埋立地であったりとか、山林を切り開いて宅地を造成するとかという類のことも、1から、あるいは0から都市開発ができるわけで、それが後の世代に影響を与えるにしても、とりあえずは理想の街づくりができるわけですね。

しかし、それは果たして、どんな街になるのでしょうか。

たとえば、液状化に苦しんだ東日本大震災のときの、新興住宅地を思い出してみましょう。液状化であるとか、放射能汚染であるとか、そんなことが話題になりましたね。放射能に関しては、福島だけでなく、「ホットスポット」というような言葉で、首都圏全域の放射線測定が行われたりしていましたよね。

あなたが、たとえば、そういう新興住宅地に、マンションか何かを買おうとしていて、そういう問題が起きたらどうしましょうか?あるいはすでに買っていて、十分なお金を持っていたとしたら、どういう解決ができるでしょうか。

そうです。実は、違う土地を選ぶとか、引っ越すとか、そういう解決ができるんですね。

それはなぜかというと、「土地」がただ「住む場所」であるからです。だから、危険な場所、よくない場所であれば、代えればいいわけですね。

では、そこにあなたが先祖代々住み続けてきていたとしたら、どうでしょうか。そう簡単にそこを捨てるわけにはいきませんよね。そういう場所には、その場所をなかだちとした人々の関係があり、あるいはそこに住んできた人たちの積み重ねがあるからです。

ちょっと視点を変えましょう。東日本大震災のような大きな災害が起こったとします。しかし、あなたの街には、ずっと暮らしてきた共同体が出来上がっています。近所に誰がいるかもしっているし、そういう関係が、親の世代からできているとします。さあ、どうしましょう?住む場所を代えますか?引っ越して解決しますか?いえ、きっと、その関係があるからこそ、そこにいるはずです。ピンチの時ほど助け合える関係が必要になるはずですね。

逆にいえば、さっき、引っ越すなと思った人は、すでに街との関わり、あるいは街を媒介した人との関わりを失っているということなんですね。

これが無機的な街と有機的な街の違いです。

歴史的な積み重ねの中で、発展してきた街は多少、不自由なこともあるかもしれませんが、そこには人々の生活のあとがあり、その生活の積み重ねが街を作り、その街だからこそ、そこに住む人に何かを与えるわけですね。

ところが、更地にして、新しい街をつくるような作業は、それを0にしてしまう。たとえば、どんなに駅前が路地で入り組んでいるからといって、そこに生活してきた人をみな追い出して、更地にして、新しい人を呼び込むような街づくりをしてしまうと、いざ、災害が起こったときに、その場所との関わりを持たない人たちがみんな逃げ出して終わってしまう。再開発は安全上、必要であるとしても、その人と街との関わりを尊重しないと失敗に終わるわけですね。

象徴的なのは、たとえば、投機と投資の話でしょう。行きつく先は、人が住む場所がただの建物や土地となり、ただの金儲けの対象となってしまうわけですね。中国で作ったマンションがただの「投機」目的となり、買ったはいいけど住んでいる人がいない。そうなると、そこに人のつながり、人と都市のつながりはなくなります。死んでいる街です。

「投資」というのは、信用であり、期待です。よく株の説明をするときに、「安いときに買って高いときに売る」という説明をする人がいますが、それが「投機」です。はっきりいって、その企業や会社がどうなってもいいんですね、自分が儲かれば。そうではなくて、そこにいる人や製品や会社そのものを信用して、期待して、そこにお金を出すのが「投資」。その企業が大きくなることを信じてお金を出して、儲かったときにリターンをもらう。株の言葉でいえば、「配当」ということになりますが、最近だとクラウドファンディングなんかもこれに近いかもしれないですね。

でも、最近は、こういう人とのつながりは軽視される傾向どころか、「しがらみ」としてむしろ敬遠される傾向がありますよね。でも、本当に災害に強いのは、災害に対応して整備されたけれど、人との関係が欠落した街か、それとも多少ごみごみしていても、その場所に愛着のある人たちが関係を築いた街なのかはちょっと立ち止まって考えてみる必要があると思います。

 

仮設住宅と津波対策の話

東日本大震災がらみでふたつの話をしておきましょう。ひとつは仮設住宅の話です。阪神大震災や中越地震などの経験を踏まえて、私たちは仮設住宅を作るにしても、地域を集団で移転するというような方法をとるようになってきました。それは、私たちは関係の中を生きていて、移転した先でもできるだけ、同じような関係の中を生きることの重要性を認識したからだと思います。しかし、実際に事はうまく運びません。

まず、第一に私たちはそもそも場所との関わりの中を生きているからです。たとえば、毎日目の前の風景をながめて神に感謝する。毎日、目の前の街路樹に水をあげる。そうしたひとつひとつの行為の中に、自分が存在しているのです。

ちょっとわかりにくいかもしれませんから、わかりやすくします。たとえば、私が、ある地域の農業の第一人者であったとします。組合か何かでも一目置かれ、イチゴを作るんだったら〇〇さんだね、なんて言われていたとします。私は、そこにアイデンティティがあるわけです。その畑や土地がない中で、周りの人と私だけ違う場所にもっていかれても、私は同じような私ではいられないですよね?

目の前の街路樹に水をあげることも、毎日道路におちた枯葉を掃き掃除することも一緒。その場所の中で、自分というものを作り上げてきたわけです。おじいちゃんやおとうさんとともに暮らした風景の中に自分を作ることも一緒。それがないだけで、本来、私たちは何かが欠落するはずなのです。

それが理解できないのは、私たちがそうしたものに価値をおかない無機的な都市を生きているからです。引っ越せば同じ。どこでも暮らしは同じ。そう思っているからなのです。

津波対策が必要となったところもあります。ものすごく高い防潮堤を作ったり、高台に街を移転したり…。そのひとつひとつは、その住民の選択ですから、私たち、違う土地に住むものがとやかくいうものではありません。

でも、たとえば、高台に移転するという選択をするのはどういう人でしょうか。それは、その場所に思い入れがなく、住む土地がどこかに必要な人ですね。わかりやすくいえば、サラリーマンやサービス業など、住む土地と生活が必ずしも結びついていない人は「安全」が必要なはずです。しかし、農業や漁業、水産業、あるいは自営的な商業を営んでいる場合、本当に新しい場所で同じことができるでしょうか。

「海」と一体になっているからこそ、「海」が起こす災害も受け入れて、今と同じ場所で工夫して生活しようという選択をした街もありますよね?

「景観」という言葉が、どれほど私たちの生活と結びついているか、場所との結びつきを失って都市を浮遊する私たちにはわかりにくいかもしれませんが、本来、それさえも大事なことなのです。

 

「場所」との関わりは「歴史」との関わり

というわけで、私たちは、本来「場所」との結びつきを持っているべきなんです。それを失ってしまって、どこでも同じようになってしまいますが。

そういう「場所」という概念の中には、その「場所」を媒介として、共に生きる人たちが存在します。たとえば、私が道ばたの雑草を抜き、花の種を植える。それを美しいと思って写真をとる人が出てSNSにあがって、そこを訪れる人が出る。それが町にあらたな産業を生み…なんてうまくいくかはわかりませんが、うまくいこうがいくまいが、こういう関係を常に生み出しているわけです。

でも「町」や「場所」を媒介した場合、ここには縦のつながり、つまり、歴史の積み重ねも存在するわけですね。「〇〇の町」なんていうキャッチフレーズがある町もたくさんありますが、そこが「〇〇の町」になるまでには、そこに住んできた人たちの積み重ねがあるわけです。街路樹一本にしても、道を作った人がいて、木を植えた人がいて、世話をした人がいる。そこを通った人たちがいて、その場所を愛した人たちがいる。そうした積み重ねの中に、私たちはいるわけです。

私は「場所」を通じて、その歴史を自分の中に取り込み、自分が歴史の一部になるわけですね。さっき使った「景観」という言葉も、現代文で出てくると、こういう意味を持ってくるわけですね。

そこに住む人たちの生活が景観をなし、暮らしてきた過去の人たちの生活が景観を作るわけですね。

そういう歴史とのつながりを、「場所」や「町」とのを通じて、自分の体の中に蓄積していくわけですね。

 

 

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