おもしろい古文の世界シリーズは、そろそろやりたかった、古文の常識をお話で紹介していくシリーズに入っていきます。最初は「夢」のお話です。
古文のおもしろい話を持ってきつつ、古文の常識を知ってもらおうというシリーズも、ようやくやりたかったことに入れる雰囲気になってきました。
というわけで、その最初は「夢」のお話です。
この夢の話、おもしろいっていうだけじゃなくて、結構大事な古文常識なんです。
これがわからないと、いろいろなところで支障が出るかもしれません。そんなこともあるので、まず、夢に関わる古文の常識を、楽しく理解しましょう。
古文の感覚は、「あくがる魂」~六条御息所
夢の話をする前に、大事な古文の感覚は、「思いが強いと体から魂が抜けだして何かをしてしまう」ということです。
「あくがる魂」ですね。
私は、「あくがる」は現代語の「あこがれる」のイメージ。そして、「憧れる」と魂は体から「あくがる=離る」んだという風に教えています。
要するに、体から思いだけが抜け出して、何かをしてしまうんですね。
たとえば、
- 好きな人に会いに行く
- 大事なことを教えに、伝えに行く
- ライバルを苦しめる
- 大事な人を助ける
なんていう風に。
なんといっても、これは、源氏物語の葵の巻、六条御息所のお話が有名ですね。
大殿には、御物の怪いたう起こりていみじうわづらひたまふ。この御生霊、故父大臣の御霊など言ふものありと聞きたまふにつけて、思しつづくれば、身ひとつのうき嘆きよりほかに人をあしかれなど思ふ心もなけれど、もの思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむと思し知らるることもあり。年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれどかうしも砕けぬを、はかなきことのをりに、人の思ひ消ち、無きものにもてなすさまなりし御禊の後、一ふしに思し浮かれにし心鎮まりがたう思さるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、かの姫君と思しき人のいときよらにてある所に行きて、とかくひきまさぐり、現にも似ず、猛くいかきひたぶる心出で来て、うちかなぐるなど見えたまふこと度重なりにけり。あな心憂や、げに身を棄ててや往にけむと、うつし心ならずおぼえたまふをりをりもあれば、さならぬことだに、人の御ためには、よさまのことをしも言ひ出でぬ世なれば、ましてこれはいとよう言ひなしつべきたよりなりと思すに、いと名立たしう、「ひたすら世に亡くなりて後に恨み残すは世の常のことなり、それだに人の上にては、罪深うゆゆしきを、現のわが身ながらさる疎ましきことを言ひつけらるる、宿世のうきこと。すべてつれなき人にいかで心もかけきこえじ」と思し返せど、「思ふもものを」なり。
「物を思う」というのは、古文ではほぼ「好きな人のことを思うこと」。そうすると「離れるという魂」です。ここは伝聞推定ですよね。見ているわけないから。
だから、彼女は夢で「かの姫君」がいると思われる美しいところにいって、ひきまさぐっている…そんな夢を見るわけです。だから、「心もかけ聞こえじ」と、「もう気に市しない、考えないぞ」って思うわけですが、それは「思わないと思うのも、物を思うことよね」という紫式部のすごい洞察で終わります。
要するに、好きな人考えると会いにいっちゃうんですよね…。魂が体から抜け出して…。それが、生霊なのか、夢なのかは、いろいろあるんですけど、これが古文的な感覚なんですね。
好きな人に夢で会いに行く~会いたいならパジャマを裏返しに?
だから、まず、夢で誰かが出てきた場合、古文では、「あいつ俺のこと好きなんだ…」なんですね。
現代なら「俺、あいつのこと気になっているのかな…」という自意識の問題になるんですけど、個人というものが確立しない古文では逆になる。
高校では1年生によくやる伊勢物語の東下りにありましたよね?
京に、その人の御もとにとて、ふみかきてつく。
駿河なる宇津の山辺のうつゝにも夢にも人に逢はぬなりけり
要するに、「夢で人が会いに来ない」というのは、「私のことなんてもう思ってないんだよね?」ということなんですね。
百人一首だと、
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ
が思い浮かびます。
「~さへ」は「~だけでなく~までも」ですから「昼だけでなく、夜まで」ですね。
最後の「人目よくらむ」は、「人目よ、くらむ」だと思っている人がいるんですが、文法的に説明できなくないですか?「くらむ」って…。「む」で切るとすれば、「くら・ず、くり・て…」って訳がわからない。
そうなると、「らむ」にして、「来」「らむ」がぎりぎりです。「人目よ、来ているだろう」…。せっかく「らむ」にいきついたなら、「人目」「よく」「らむ」でどうですか?「よく」?そんな動詞知らないんですけど…と悪態つく前に、知らないということは、現代語では「~る」がつくって考えましょうね。つまり、「よく・る」。わかりました?「よける」ですね。古文は「よく」。
つまり、「昼だけでなく、夜、夢でまで人目を避けているんですね」って感じになるわけです。
さて、そう考えてみると、夢で恋しいあの人に会いたい、会いに来てほしくないですか?
そんな歌が小野小町にあります。
いとせめて恋しき時は むばたまの夜の衣をかへしてぞ着る
恋しいあの人に会いたいときは、「夜の衣」つまりパジャマを裏返して着よう…そんな歌ですね。
だから、好きな人を夢に見たいときは、どうもパジャマを裏返して寝るといいということだったようなんですね。
もし、古文のセンスがあるなら、試してみるのもいいかもしれませんね。
夢は「かべ」?「ぬる」間に見るもの…
夢と言えば、夜、そして眠る…ですよね。
現代語では「寝る」ですが、古文では「寝=ぬ」です。一語ですね。
「~る」をとって、u音に変えるわけですから、「ぬ」になります。
活用は、「ね・ず、ね・て、ぬ。ぬる・とき、ぬれ・ど、ねよ」となるわけですね。というわけで、夢を「壁」と呼んだりします。
?
ですよね。
夢は「寝る(ぬる)間」に見るもの、そして、壁も「塗る間」に見るもの、というダジャレです。
御前におはしまして、「われ抱きて障子の絵見せよ」と仰せらるれば、よろづさむる心地すれど、朝餉の御障子の絵御覧ぜさせありくに、夜のおとどの壁に、あけくれ目なれて覚えんとおぼしたりし楽を書きて押付けさせ給へりし笛の譜の押されたるあとの壁にあるを見つけたるぞあはれなる。
笛のねのおされし壁のあと見れば過ぎにし事は夢と覚ゆる
悲しくて袖を顔におしあつるを、怪しげに御覧ずれば、心得させ参らせじとて、さりげなくもてなしつ、「あくびをせられて、かく目に涙のうきたる」と申せば、「みな知りてさぶらふ」と仰せらるるに、あはれにもかたじけなくも覚えさせ給ヘば、「いかに知らせ給ヘるぞ」と申せば、「ほ文字のり文字のこと思ひ出でたるなめり」と仰せらるるは堀河院の御事とよく心得させ給へると思ふも、うつくしくて、あはれにさめぬる心地してぞ笑まるる。かくて九月もはかなく過ぎぬ。
「讃岐典侍日記」ですね。堀河帝がお亡くなりになって、その後出仕し、幼帝鳥羽帝にお仕えしているシーン。
最初に「抱っこして障子の絵を見せて」と言っているのが鳥羽帝です。二重尊敬ね。で、そのあとは過去の助動詞「~し」があると思うので、回想。ここが堀河帝のお話。作者が見つけるのが、「壁」に押された笛の譜です。
これを見て読むのが次の歌。
笛の楽譜が押された壁のあとを見れば、過ぎ去ったことは夢のように感じる
という感じですが、これも、「壁」と「夢」が同じと考えると、より歌の解釈の深みが増しますよね。
夢は「お告げ」~夢解き・夢合はせ
さて、このように、夢の話をしてきましたが、最初に戻ると、夢は、大事なことがあると、夢に現れてお告げのように私たちに教えたりするんです。
つまり、必ずしも恋愛だけでなくて、思いが強いと抜け出して教えてくれる。
たとえば、源氏物語では、須磨で先帝が源氏の夢に現れます。
終日にいりもみつる雷の騒ぎに、さこそいへ、いたう困じたまひにければ、心にもあらずうちまどろみたまふ。かたじけなき御座所なれば、ただ寄りゐたまへるに、故院ただおはしまししさまながら立ちたまひて、「などかくあやしき所にはものするぞ」とて、御手を取りて引き立てたまふ。「住吉の神の導きたまふままに、はや舟出してこの浦を去りね」とのたまはす。いとうれしくて、「かしこき御影に別れたてまつりにしこなた、さまざま悲しきことのみ多くはべれば、今はこの渚に身をや棄てはべりなまし」と聞こえたまへば、「いとあるまじきこと。これはただいささかなる物の報いなり。我は位に在りし時、過つことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪を終ふるほど暇なくて、この世をかへりみざりつれど、いみじき愁へに沈むを見るにたへがたくて、海に入り、渚に上り、いたく困じにたれど、かかるついでに内裏に奏すべきことあるによりなむ急ぎ上りぬる」とて立ち去りたまひぬ。
飽かず悲しくて、御供に参りなんと泣き入りたまひて、見上げたまへれば、人もなく、月の顔のみきらきらとして、夢の心地もせず、御けはひとまれる心地して、空の雲あはれにたなびけり。
源氏がまどろむと、夢に亡くなった帝が現れる。最後の段落が夢から覚めるシーンです。その前が夢の中の話。
帝が明らかに、源氏を救いに来ていることが台詞からわかります。そして、また「内裏に奏すべきこと」があるといって、去っていく…。今の帝にも何かメッセージがあるわけですね。
源氏物語はいたるところで、こうした思いが物語を動かしていくんですね。
というわけで夢はメッセージとして受け取るわけです。
こんな風に、知っている人が出てきて、わかりやすくお告げをくれるといいんですけど、夢ってわけのわからないものもありますよね?そうなると「夢解き」「夢合はせ」が必要になります。どんなメッセージか解釈しないといけない。
では宇治拾遺物語で見てみましょう。
これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。かの国にて善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とを胯げて立ちたりと見て、妻の女にこの由を語る。妻の曰く、そこの股こそ裂かれんずらめと合はするに、善男驚きて、よしなき事を語りてけるかなと恐れ思ひて、主の郡司が家へ行き向ふ所に、郡司きはめたる相人なりけるが、日比はさもせぬに殊の外に饗応して円座取り出で、向ひて召しのぼせければ、善男あやしみをなして、我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうに股など裂かんずるやらんと恐れ思ふ程に、郡司が曰く、汝やんごとなき高相の夢見てけり。それに、よしなき人に語りてけり。必ず大位にはいたるとも、事出で来て罪を蒙らんぞといふ。
然る間、善男縁につきて京上りして、大納言にいたる。されども猶罪を蒙る。郡司が言葉に違はず。
「西大寺と東大寺をまたいで立つ」という夢を見たけれど、なんだかわからない。で妻が「あなたの股が裂かれるんじゃない」って夢合わせをする。後で、仕えている郡司、この人が占いができるわけですが、本当はいい夢を見たのに、変な夢合わせをしたから、出世しても罪がでてきて、それをかぶるぞ、という話で、ここでは実際そうなった、と書かれています。
実は、同じ宇治拾遺物語に後日談があって、この伴大納言善男は、応天門を自分で放火して、大臣を失脚させ、後釜につこうとたくらむんですが、これを目撃されていて、この目撃した舎人と大納言の出納のケンカから、これが発覚することが描かれています。
もっとおもしろいのは、夢を取引したりすることもできたようで、
昔、備中国に郡司ありけり。それが子にひきのまき人といふありけり。若き男にてありける時、夢を見たりければ、あはせさせんとて、夢解の女のもとに行きて、夢あはせて後、物語して居たる程に、人々あまた声して来なり。国守の御子の太郎君のおはするなりけり。年は十七八ばかりの男にておはしけり。心ばヘは知らず、かたちは清げなり。人四五人ばかり具したり。「これや夢解の女のもと」と問ヘば、御供の侍、「これにて候」といひて来れば、まき人は上の方の内に入りて、部屋のあるに入りて、穴より覗きて見れば、この君入り給ひて、「夢をしかじか見つるなり。いかなるぞ」とて語り聞かす。女聞きて、「世にいみじき夢なり。必ず大臣までなり上り給ふべきなり。返す返すめでたく御覧じて候。あなかしこあなかしこ、人に語り給ふな」と申しければ、この君嬉しげにて、衣を脱ぎて、女に取らせて帰りぬ。
その折、まき人部屋より出でて、女にいふやう、「夢は取るといふ事のあるなり。この君の御夢、我らに取らせ給へ。国守は四年過ぎぬれば、帰り上りぬ。我は国人なれば、いつも長らヘてあらんずる上に、郡司の子にてあれば、我をこそ大事に思はめ」といヘば、女、「のたまはんままに侍るべし。さらば、おはしつる君のごとくにして、入り給ひて、その語られつる夢を、露も違はず語り給ヘ」といヘば、まき人悦びて、かの君のありつるやうに入り来て、夢語をしたれば、女同じやうにいふ。まき人いと嬉しく思ひて、衣を脱ぎて取らせて去りぬ。
その後、文を習ひよみたれば、ただ通りに通りて、才ある人になりぬ。おほやけ聞し召して、試みらるるに、まことに才深くありければ、唐へ、「物よくよく習ヘ」とて遺はして、久しく唐にありて、さまざまの事ども習ひ伝ヘて、帰りたりければ、御門かしこき者に思し召して、次第になしあげ給ひて、大臣までになされにけり。
されば夢取る事は、げにかしこき事なり。かの夢取られたりし備中守の子は、司もなき者にてやみにけり。夢を取られざらましかば、大臣までもなりなまし。されば、夢を人に聞かすまじきなりと、言ひ伝ヘける。
吉備のまき人が、夢を見て、夢占いに行きます。終わった後、話をしていると、国守の息子、太郎がやってくる。同じように夢合わせに来たわけです。まき人は隠れて、話を聞く。
この太郎は、とてもいい夢を見て、大臣にまでなると言われます。そして「決して人に語り聞かせてはいけない」と。
これを聞いていたまき人は、「夢は取るということがある」と言っています。つまり、夢を横取りするんですね。彼の言い分は、「国守なんて3年たったらいなくなるんだから、俺を大事にしろ」なんてところ。
そして占い師は彼に夢をとらせる。そして、このまき人は中国に留学もして大臣になる。とられた方は司もなく生涯を終える…。夢は決して人に語ってはいけない、というのが教訓になっています。
これも宇治拾遺物語。
こんな風に、夢って古文の世界では、とても重要な役割があり、そして恐れられているものなんですね。
こんな常識、ちょっと知っているだけで楽しくなりそうですけど、実際にこういう感覚で入試を作ってきたりするので、注意しましょうね。