「おもしろい古文の世界」は古文常識について理解を深めるシリーズです。今回は、十二支の話。十二支がわかれば、方角と時間もわかるんですね。
古文常識の中で、知識問題として問われやすいのが、時間と方角。様々な形で出題されてしまう知識問題です。
これ、実は十二支がちゃんといえるだけで、解決してしまいます。
なので、十二支を確認しながら、時間と方角について覚えてしまいましょう。
十二支をちゃんと言えますか?干支って何?
まず、あなたはちゃんと十二支を言えますか?まず、言えるかどうかで、この話は決まるんですよね。
十二支っていうのは、通称「えと」のこと。
ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
というやつです。
ちょっと余計なことから入ると、この「えと」っていう言葉は結構問題がありまして、漢字で書くと「干支」ですよね。
これ、十干と十二支のことを指しているんです。
十二支っていうのが、さっき書いた「ね・うし・とら…」というやつ。
十干というのは、「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」というやつ。
これ、「こう・おつ・へい・てい…」っていうあれですね。
これが十干になると、読み方は、
「きのえ・きのと・ひのえ・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・みずのえ・みずのと」
となります。
なんでこうなるのかというと、五行、つまり「木・火・土・金・水」にあてはめていて、後に続いている「え」と「と」は、「え=兄」、「と=弟」で、「木の兄=きのえ」「木の弟=きのと」という風に10の循環をしていくっていうことなんですね。この世界を支える五つのものと、その陽と陰で10です。
だから、本来、「えと」と読むとするなら、むしろ十干を指す言葉だということになりますし、「干支」と漢字で書くなら、それは、十干と十二支を合わせたものを指すことになるわけですから、いずれにせよ、「ね・うし・とら…」というものを指す言葉ではないんですね。
ちなみに、十干と十二支を合わせるというのは、いわゆる「還暦」、暦を一周還るというあれです。
「あれ?十干と十二支組み合わせたら、120パターンできるんじゃないの?と思う人もいることでしょう。
これはですね。それぞれが順番にスタートしていくんです。ちょっと数字にした方がわかりやすいので、数字にかえますね。
最初は両方1ですから、「1・1」ですね。ちなみに「甲・子」で「きのえね」です。次は「2・2」です。これは「乙・丑」で「きのとうし」。こんな感じ。
10までは「10・10」ですから、いいんですけど、11に入ると、十干は1に戻るのに、十二支はまだ11がありますから、「1・11」になります。これが「甲・戌」で「きのえいぬ」、次が「2・12」で「乙・亥」「きのとい」になるわけです。そして、次は十二支が1に戻って「3・1」、「丙・子」で、「ひのえね」です。
そうなんです。こうやって、数字を回していくと、つまり、「10と12の最小公倍数の60」で、もとに戻ってくるわけです。120の組み合わせでなく、60でもどっちゃう。
だから、60才で還暦、暦を一周するわけですね。
戊辰戦争とか、壬申の乱とか、要はこの名称を用いているわけです。
これ、日とか月とかもこの60でぐるぐる回っているんですね。
古文で山ほどでてくるのが「物忌」というやつ。これのもとになるのが、「陰陽道」ということになってきます。阿倍清明ですね。これが五行「木・火・土・金・水」と陰陽の組み合わせで、占いと呪いをしていくことになるんです。
これが今やった十干とか十二支とかとからんできます。
こうなってくるとわかるんですけど、つまり、いろんな占いって、結局は循環みたいな話をしてくるじゃないですか?今は我慢の時で、もう少ししたら花ひらくみたいな。で、いつまでもいいわけじゃなくて、そのあとには必ず耐える時期がくるという。
まあ、なんでも10とか12とかが区切りになってますよね?で、詳しくしようとすると、プラスとマイナスがあったり、色がついてみたり、もう少し細かく分類するじゃないですか?
陰陽道の場合、細かくやると60になっていく。で、それが占いだとするなら、当然、その60で運命が回っていくわけで、その中でいい時と悪い時が決まってくるんですね。
これが、日であり、月であり、年であり、占いとして機能して、呪い、つまり対策が必要になる。こういうのが様々な物忌です。それこそ、日常の、髪を洗うとか、爪を切るとか、そういうことにいたるまで、凶日があったようなんですね。
たとえば、庚申なんてのが古文で出て来るんですけど、庚申の日は、夜寝ている間に、体から虫が抜け出して、天帝に告げ口をしにいくらしいので、そのために一晩中遊んで、虫が体から出ていけないようにするんですね。
はかなく年もかへりぬ。正月に庚申出で来たれば、東三条殿の院の女御の御方にも、梅壷女御の御方にも、若き人々、「年のはじめの庚申なり。せさせたまへ」と申せば、さはとて御方々みなせさせたまふ。男君達、この女御たちの御はらから三所ぞおはします。「いと興あることなり」「いとよし」「こなたかなたと参らんほどに夜も明けなん」などのたまひて、さまざまの事どもして御覧ぜさせたまふに、歌や何やと、心ばへをかしき御方々の有様よりはじめ、女房たち、碁、双六のほどの挑みもいとをかしくて、「この君達のおはせざらましかば、今宵のねぶりさましはなからまし」など聞こえ思ひて、たびたび鶏も鳴きぬ。院の女御、暁方に御脇息におしかかりておはしますままに、やがて御殿籠り入りにけり。「今さらに」など人々聞こえさすれど、「鶏も鳴きぬれば、今はさはれ、なおどろかしきこえさせそ」など人々聞こえさするに、はかなき歌ども聞こえさせたまはんとて、この男君達、「やや、ものけたまはる。今さらに何かは御殿籠る。起きさせたまはん」と聞こえさするに、すべて御いらへもなくおどろかせたまはねば、寄りて、「やや」と聞こえさせたまふに、ことのほかに見えさせたまへれば、ひきおどろかしたてまつりたまふに、やがて冷えさせたまへれば、あさましうて、御殿油とり寄せて見たてまつらせまたへば、失せさせたまへるなりけり。
あなあさましやとも言ひやらん方なくおぼされて、殿にまづ「かうかうの事さぶらふ」と申させたまふに、すべてものもおぼえさせたまはで、或ひおはしまして見たてまつらせたまふに、あさましくいみじければ、抱へてただ伏しまろびまどはせたまふ。殿の内どよみてののしりたり。さべき僧ども召しののしり、よろづの御誦経ところどころに走らせたまへど、つゆかひなくて、かき伏せたてまつらせたまひつ。白き綾の御衣四つばかりに紅梅の御衣ばかりたてまつりて、御髪長くうつくしうて、かい添へて伏させたまへり。ただ御殿籠りたると見えさせたまふ。殿いみじうかなしきものに思ひきこえさせたまへれば、ただ思ひやるべし。宮たちのいと幼くおはしますなどに、よろづおぼしつづけまどはせたまふ。冷泉院に聞こしめして、あさましうあはれに心憂きことにおぼしめす。 (栄花物語)
栄花物語からもってきました。もちろん、庚申には注がついて説明してくれるとは思います。
このお話では、正月最初の庚申といっていますから、「日」ですね。なので、一晩中遊んでいるわけです。そうすると、明け方になって、院の女御が「大殿籠る」つまり眠る。いまさら、とは思いますが、鶏も鳴いた、つまり朝になったわけだから、寝てもいいから、「なおどろかしきこえさせそ」、「おどろく=起きる」「な~そ=禁止」ですから、「起こし申し上げてはいけません」と思うんですけど、男君達が「はかなき歌」を聞かせようと起こそうとする。そうすると、すでにお亡くなりになっているというお話ですね。
こういうのは極端なお話ではありますが、物忌というのは、こういう陰陽道、それは暦でもあるわけで、そういうところからきているものなんですね。
方角の話~十二支を順番に時計のように並べると…
まずは時計のように十二支を順番に並べていきます。
一番上が「子=ね」
で右がそうなると「卯=う」
一番下が「午=うま」
左が「酉=とり」
となりますね。
それぞれが、北、東、南、西となるわけです。
これで方角の完成…といいたいところですが、方角となると、北東とか、南東とかそういう方角を言い表したくなりますよね?
残念なことに「十二支」ですから、北=子と、東=卯の方角の間には、「丑=うし」と「寅=とら」という二つが入ってしまいますので、その中間には十二支が来ません。したがって、ここは、「うし」と「とら」の間ということで「丑寅=うしとら」というわけです。そういえば、聞いたことのあるフレーズですね。なぜ、よく聞くかというと、これが「鬼門」、つまりあまりよくない方位だからなんですね。
南東は、卯と午の間にはいる「辰=たつ」と「巳=み」ですから、「たつみ」です。
「わが庵は都のたつみ鹿ぞすむ世をうし山と人はいふなり」という百人一首の歌がありますが、要するに「都の南東にある」ということを言っているわけです。辰巳国際水泳場、なんてありますけど、これも東京の南東ということですね。
南西は午と酉の間、「未=ひつじ」と「申=さる」で、「ひつじさる」。裏鬼門でやはりよくない方位。
最後、北西が、酉と子の間、「戌=いぬ」と「亥=い」で、「いぬい」ですね。鬼門になっていない、「たつみ」と「いぬい」は人の名前にもなりますよね。巽さんと乾さんです。この漢字は、易にもとづくもので、北が、坎、北東が艮、東が震、南東が巽…というような字があって、これを十二支で読んだものなんです。
というわけで、これで方角も大丈夫。ちなみに、もし、十二支の順番に迷ったら、逆に、「うしとら」とか「いぬい」とか使って、十二の順番を埋めていく手もありますよ。
方角と五行(木・火・土・金・水)
さて、方角に関して言うと、さっきの十干に関わる五行も方角に関わります。
土が中央を表して、あとは東から順に、木、火、金、水と配置されます。
おそらく東は太陽がのぼるところ。だからここから太陽のコースをたどらせるんですね。
季節をあてはめると、春がスタートですから、春=木、火=夏、金=秋、水=冬となるわけです。土は中央なので、とばされます。
さて、これ、色もあるんですね。なんとなくわかりますかね。
春と言えば…熟語になりますよ。そうです。青春で、青が木の色。
夏は置いといて、秋は、歌人でこの人がいますよね。そうです。白秋。白が金の色。
じゃあ、夏は?火のイメージに近いです。そう、赤=朱ですね。
冬は、なんだか終わりをあらわす色。黒です。というわけで、水が黒。
色だけは中央の土もあって、これは茶色といいたいところですが、黄です。
さて、これ、この色をもとにした、四神がいらっしゃるわけです。なんとなくわかりません?青~、朱~、白~、黒~ということ。まあ、黒は実は玄にしないといけないんですけど…。
青竜、朱雀、白虎、玄武となるんです。青が春で始まりだから東。次が南で、西、北と回していくんでしたよね。
たとえば、平安京の、大内裏の南にあるのが朱雀門です。そこから南にのびていくのが朱雀大路です。そもそも平安京は、北にある山=玄武から川が流れだし、これが鴨川で青竜です。こいつが東を通って、南の池=朱雀に注ぐ、という地形だということなんですね。
時間の話~十二支を順番に時計のように並べると…
同じように十二支を並べてしまえば、時計のできあがり。これで時間は当然わかります。
ただし、注意することがいくつかあります。
まず、24時間の時計であること。現在の時計は、上が12と0で下が6。つまり、12時間の時計で、一日に2周しています。
今、私たちが作った時計は、24時間の時計。なので、一日で1周しかしません。これが大きな違いです。
上が24時で0時。ここが子=ね、ですね。
下が12時。ここが午=うま、ですね。
午より前が午前。
午より後が午後。
「午って牛みたい」という人がいますが、これは漢字に後から動物をあててわかりやすくしたものなので、実はもともとこの漢字「午」が「うま」という動物を表したわけではありません。
他の漢字もそう。たとえば、「酉」は「とり」と読みますが、漢字としては「酒」で酒を入れるつぼからきているものです。だから部首としては「ひよみのとり」なんていったりしますよね。「暦の酉」ということです。
だから、本当はとりではないんですね。
そうすると、「え、寅ってトラじゃないの?」とか「辰ってタツじゃないの?」となることでしょう。そうなんです。言われてみれば、トラは虎だし、タツは龍とか竜がありますね。
戻ります。
そうなれば、横。つまり、東であったところの卯=う、が午前6時。西であったところの、酉=とり、が午後6時ですね。
その間に二つずつ入るわけですから、時間は二時間ずつ進みます。当たり前です。一日は24時間で、十二支ですからね。
で、次の注意点ですが、実は現代の時計は、子が頂点にあるとして、これを針が越えた瞬間に子の刻が始まる感じですよね。つまり、59分までは、亥の刻であると。
ところが古文の時間では、子の刻があるとすると、その頂点を挟むように、「ひとつ・ふたつ・みっつ・よっつ」と前後に二つずつ置くんです。つまり、現代の時間に無理やり合わせると、23時から午前1時までの2時間が子の刻。午前0時は子のふたつと子のみっつの間ということになります。
よく聞く時間が、「草木も眠る丑三つ時」という時間。午前2時過ぎといわれますけど、丑自体が午前二時をはさむ二時間、つまり、午前1時から午前3時までで、午前1時から30分がひとつ、1時30分から2時がふたつ。2時から2時30分がみっつ。2時30分から3時がよっつ、となるわけです。なので、「午前二時過ぎ」ということなんですね。
この時間の読み方を鎌倉時代以降単純に数字で呼ぶようになっていきます。子の刻、0時を頂点として、「九つ」から2時間ごとに「八つ」「七つ」「六つ」「五つ」「四つ」と減らしていくんですね。この数は何かというと、時間を知らせる鐘をうつ回数なんです。で、また午の刻、12時に「九つ」鳴らすという感じ。「暮れ六つ」とかいう言葉、聞いたことありません?18時ごろってことになるんですね。
「おやつ」というのは、「お八つ」で、二時ごろに食べるということです。この鐘を鳴らすという江戸時代の言葉。必ずしもお菓子ではなく、間食というようなところから始まります。
そもそも食事をいつたべていたかというのも、もともとは一日二食が基本です。というのも、特に庶民においては、夜に灯りはありませんから、夜になったら寝るしかないわけです。そうなれば、夕方に食べて、次は朝(貴族は午前中だったようですが)になりますよね。それが、江戸時代になって、灯りが庶民にも普及するようになって3食になっていくということのようです。
というわけで、今日は十二支に関わることを勉強しました。