教科書定番教材シリーズの「こころ」です。夏目漱石の名作を、学校で扱うところを中心に膨らませて、「明治の精神」に迫ります。学校よりは深い解説を目指します。
教科書定番教材シリーズは、「舞姫」森鴎外とともに、「こころ」夏目漱石を同時にすすめるという荒技を考えております。というわけで「こころ」。
なぜかというと、自分が同時に教えようとしているからですね。違う学年を担当しておりまして、この季節になると両方を教えることになるので、やっぱりこの際両方まとめてしまおう、と思っております。
この二人、同じ問題に対して違う選択を行い、結果として、どちらに進んでも地獄だということを示してくれるわけです。近代とは何か、そんなことに迫れればな、と思います。
作品はこちらから。
遺書としての物語
教科書では残念ながら、「先生の遺書」の、特にKが自殺する場面ばかりがとりあげられています。そうすると、下手をすれば、「三角関係の物語」として、非常に現代的に読み替えられて理解されてしまうわけです。でも、もし「遺書」であるなら、遺書であるからこそ、「遺書」だけを読んでもだめなんです。
漱石は、こころの自序で次のように書いています。
当時の予告には数種の短篇を合してそれに『心』といふ標題を冠らせる積 だと読者に断わつたのであるが、其短篇の第一に当る『先生の遺書』を書き込んで行くうちに、予想通り早く片が付かない事を発見したので、とう/\その一篇丈 を単行本に纏めて公けにする方針に模様がへをした。
然し此『先生の遺書』も自から独立したやうな又関係の深いやうな三個の姉妹篇から組み立てられてゐる以上、私はそれを『先生と私』、『両親と私』、『先生と遺書』とに区別して、全体に『心』といふ見出しを付けても差支 ないやうに思つたので、題は元の儘にして置いた。たゞ中味を上中下に仕切つた丈が、新聞に出た時との相違である。
これ、要するに、最初のタイトルは「先生の遺書」で、その他の短編を合わせて、「こころ」というタイトルにするつもりだったけど、長くなったから、最初の「先生の遺書」だけで終わりにして、タイトルを「こころ」に変えて発表しました、ということなんですね。
つまり、当時の新聞連載で読んでいた読者は、「先生の遺書」というタイトルで読んでいたわけで、最初から先生が死んでいることを知っているわけです。
もちろん、「こころ」として読み始める現代の私たちも、冒頭の1ページを読めば、十分、先生が死んでいることはわかります。だって、そう書いているんだから。
私 はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚 かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執 っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字 などはとても使う気にならない。
そして、最後まで読んでいるとするなら、冒頭から、先生の遺書で使われる「K」ということが念頭にあって、書かれていることがわかります。
「私が先生と知り合いになったのは
この言葉の裏には、「今の私は若々しい書生ではない」というニュアンスが存在しています。ところが、実際に流れている時間は、そんなに経っていません。ものすごい過去の回想ではない。あくまでも、「両親と私」のラストで、先生からの長い手紙を受け取って、汽車にかけこんだところが、「私」が回想している現在である、という前提は必要ですが、その間はわずか数年です。
にも関わらず、「私」はすでに若くない。この間にあるものが、「遺書」ですね。
つまり、この作品を理解するためには、「私」と「先生」の関係を見る必要がありますし、「遺書」によって「私が何を知ったのか」「変わったのか」を考えなければいけないと思うんです。
なので、教科書の切り取り方と特に、三角関係読解をするなら、たぶん、「こころ」なんてやらなくていいんじゃないか、と思います。
若かった「私」はどんな人間なのか?「個人」と「自由」
いつもの通り、長めの引用を使いながら、読み解いておきましょう。
ところが私が鎌倉に着いて三日と
経 たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに勧 まない結婚を強 いられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心 の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固 より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
これが、先生と出会うきっかけになる出来事です。このあと、海岸で、外人といる先生を見て、興味を持つわけですね。
ちなみにですが、大丈夫だとは思いますが、「先生」というのは、「私」がそう呼んでいた、というそれだけの話で、何も仕事はしていません。財産は十分にあって、何もしないで、生きている、まあ、漱石だと高等遊民なんて言葉で語られますが、要は勉強をして、学んで、働かずに生きていくわけですね。先生のこのあたりの背景はしっかりとは語られていません。(どうして金があるのか、どうして下宿するのかはしっかりと書いてありますが、なぜ働かないのかまでは丁寧に叙述していません。)これは、働く、ということは金を得るということで、金を得るために、やりたくないことをしたり、金もうけに走ったりすることを下品でよくないこと、ととらえているからです。魂を売らない、とでもいいましょうか、要はやるべきことをやっていく、ということです。まあ、働かずに生きていくだけの金があり、しかも使命感に燃えて何か学問に取り組むとすれば、それは幸せなことかもしれません。
話がそれました。
さきほどの引用に、「私」のキャラクターが描かれています。それは、「好きな人と自分の意志で結婚するのが当然だ」ということです。このことは、先生の遺書の中で、先生の過去としても語られていきます。
すごいことなんです。時代は明治時代ですから。でも、すごいこと、といっても、当時の読者もきっとみなさんと同じように、受け止めたことでしょう。つまり、そういう時代になっているんだから。それは、「こころ」を読んでいけば、奥さんや御嬢さんのふるまい、「私」の両親や兄のふるまいを見てもわかります。そして、先生やKだって、それが当たり前だと思っていたわけですから。
でも、「私」にとって、「個人の意志で好きな人と結婚すること」は常識となっているはずなんです。
「若い私」は「先生に何を求めたか?」
冒頭でもう少し、つめておきましょう。
鎌倉で出会ったあと、「私」は先生の家を訪ねる約束をするんですが、実際に尋ねるまで、こんな感じで展開していきます。
私 は月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々お宅 へ伺っても宜 ござんすか」と聞いた。先生は単簡 にただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少し濃 かな言葉を予期して掛 ったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信を傷 めた。
私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に揺 かされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解 らなかった。それが先生の亡くなった今日 になって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気 ない挨拶 や冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。傷 ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止 せという警告を与えたのである。他 の懐かしみに応じない先生は、他 を軽蔑 する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。
「私」は、先生に何を求めていたのか?
「私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安に
「予期するあるもの」。先生には何かがある。先生と会うときに感じる「不安」の中に、何かがきっと現れる。これは最終的に「遺書」という形で実現するわけですが、この段階では何を期待していたかはわかりません。
でも、ここではこう書かれています。続きです。
私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の
日数 があるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日と経 つうちに、鎌倉 にいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上に彩 られる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟 と共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。
授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛 みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室 の中を見廻 した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。
大学が始まると、先生のことを忘れる。「大都会の空気」「強い刺戟」「新しい学年に対する希望と緊張」。
ところが「弛み」が生まれてくる。「不足な顔」「物欲しそうに」なる。
これが、先生に求めていたものでしょう。
つまり、「若い私」は、「大都会の刺戟」のような何か新しいものに飢えていたわけです。外人と一緒にいる先生に、興味を持つ、なんていうところからも、この「新しいもの」としての「刺戟」が、先生に対する興味関心であったといえるでしょう。
私は、まず、そういう存在として書かれている。私の知らない何か、周りとは違う刺戟、そして、それは、新しい何か。
そして、そういう新しいものを欲する存在として、私はいるわけです。両親や兄には理解できない、新しいものを求める「私」。
でも、その新しい、刺激的な何かを遺書によって、得ることで、「私」はもはや若くなくなる…。
どう考えてみても、この作品のテーマは、「私」が「先生」から何を得たか、「先生」はどんなバトンを「私」に渡したのか、にあると思います。
だからこそ、「こころ」を読む時には、かいつまむにしても、最初から授業で扱う必要があると思うんですね。
というわけで、教科書とはずれますが、まずは、その前提にしばらくおつきあいください。