「こころ」の第二回です。まだ教科書がよく扱う前の部分から、「私」と先生の関係をおさえておきたいと思います。
前回は、「遺書」としての物語、つまり、「私」が遺書によって、変容する物語であるという骨格をおさえました。
今回は、もう少し、この話を続けます。若かった私は、何を考えているのか、そして、現在の、遺書を読んだ私は、何を考えているのか、ということをもう少し検討しておきましょう。
先生の「曇り」
「私」は、先生の家におしかけていきます。旅先であった人の言葉を信じて、平気でおしかけるわけですから、このあたりにも、「私」のキャラクターがにじみ出てくるような気がします。
六でこう書かれれています。
今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影が
射 すように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間 に認めたのは、雑司ヶ谷 の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞 に過ぎなかった。私の心は五分と経 たないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春 の尽きるに間 のない或 る晩の事であった。
その当時の「私」は、すぐに忘れてしまったけれど、書いている「私」がこうしてはっきり思い出せるのは、先生の「曇り」ですね。
ちょうどここが2か所の「曇り」を明示してくれる場所なのですが、書いてある通り、ひとつめの曇りはその前、そして二つ目の曇りはこの直後に書かれています。
一つ目はこの前の五です。
私 は墓地の手前にある苗畠 の左側からはいって、両方に楓 を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端 れに見える茶店 の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡 の縁 が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。
「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍 繰り返した。その言葉は森閑 とした昼の中 に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応 えられなくなった。
「私の後 を跟 けて来たのですか。どうして……」
先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中 には判然 いえないような一種の曇りがあった。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰 の墓へ参りに行ったか、妻 がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」
先生はようやく得心 したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解 らなかった。
このシーンは、鎌倉以来、はじめて二人があった場面。先生の家に訪ねたら、墓参りだというので、来てしまった、そこで出会うという場面ですね。
つづいて、戻って六、さっきの続きです。
「今度お
墓参 りにいらっしゃる時にお伴 をしても宜 ござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」
「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
「しかしついでに散歩をなすったらちょうど好 いじゃありませんか」
先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参 と散歩を切り離そうとする風 に見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。
「じゃお墓参りでも好 いからいっしょに伴 れて行って下さい。私もお墓参りをしますから」
実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生の眉 がちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪 とも畏怖 とも片付けられない微 かな不安らしいものであった。私は忽 ち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。
「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、他 といっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分の妻 さえまだ伴れて行った事がないのです」
これが2回目。両方とも、わかるのは、この雑司ケ谷の墓地(ここには漱石の墓があります。池袋サンシャインシティの裏です。)に関わることだということ。私が無意識に、この墓地で先生と出会ったり、あるいは一緒に行こうとしたりすると、はっきりとした拒絶があるわけです。
この「曇り」は、ここでは、「不安」という言葉で説明されています。一緒に行くことに不安がある…。そんなことが表現されています。
知らない「私」と知っている「先生」~「恋は罪悪」
この話をすすめていくために、この話題をいったん忘れて、違う話題にいきます。「一旦忘れる」というのは、戻ってくるからですので、この「曇り」の話を忘れてはいけません。
「こころ」という作品は、こうした核心に迫る部分をうまくぼかしながら、でも、はっきりとわかる形で書いています。ぼかすのにはっきり、というのは、こうして違う話題をはさみながら、つないでいく、ということです。
違う話題なのか、同じ話題なのか、というのは、「先生にとって同じ話題」ですが、「若い私にとっては違う話題」ということ。だから、知らない「私」、あるいはその視点で読まされる私たち読者にとっては、違う話題に見えますね。
では、読んでおきましょう。十二から十三にかけて、長い引用です。
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
「仲が好 さそうですね」と私が答えた。
先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外 に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。
「君は恋をした事がありますか」
私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
私は答えなかった。
「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評 しましたね。あの冷評 のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交 っていましょう」
「そんな風 に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解 っていますか」
私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。
十三
我々は群集の中にいた。群集はいずれも嬉 しそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」と私 がその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に上 る楷段 なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものが全く性質を異 にしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」
私は変に悲しくなった。
「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」
先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧 としてよく解 らなかった。その上私は少し不愉快になった。
「先生、罪悪という意味をもっと判然 いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」
「悪い事をした。私はあなたに真実 を話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮 していたのだ。私は悪い事をした」
先生と私とは博物館の裏から鶯渓 の方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間 から広い庭の一部に茂る熊笹 が幽邃 に見えた。
「君は私がなぜ毎月 雑司ヶ谷 の墓地に埋 っている友人の墓へ参るのか知っていますか」
先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。
「また悪い事をいった。焦慮 せるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれで止 めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
この議論は、「恋は罪悪だ」と知っている先生と、それを知らない「私」という構造でできあがっています。
恋は罪悪だ、と先生は言います。そして、わからないという私に、「すでにわかっている」といいます。
「あなたは、すでに恋で動いている。目的物がなくて、物足りないから、それを得るために、動いている。それが、私=先生のところへ来る理由だと。その心の動きは、恋と一緒なのだ。でも、そのことに私は応えることができない。与えられないから、あなたは私から離れていく。だから、私のところでは得られないかもしれないが、危険もない。でも、ほかのところでは、何かを得るかわりに何か危険がある」と、こんなことでしょうか。
おそらく、この危険という言葉が「罪悪」ということでしょう。
「私」には、まったくわかりません。先生はこれを説明しようとして、Kの話、当然、ここでは友人ということになりますが、そこまで匂わせてしまいます。
そして、ここで終わりです。
まとめてみましょう。
物足りないから、他人にそれを求める。動く。
…なんとなく、わかります。
それが罪悪である。
…なんだかよくわかりません。私たちは「私」と同じように、ここで足踏みしてしまいます。
「私」が先生に求めるもの
では、「私」は、先生に何を求めているのでしょうか。もとに戻っていきましょう。前回のところになりますが、「私」は、先生に、何か新しいもの、刺激のようなものを求めていたはずです。
まさに「不足のような顔」をして歩いていた私は、その何かを求めるために、先生のもとを訪れています。ここまで合わせてみると、「私」は、何か先生が持っているもので、そして、私の持っていないもの、まさに、こういう思わせぶりなことの積み重ねの中で、先生に迫っていくのです。
「人を裏切る」ということ
話は続いていきます。
「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪 うより外 に仕方がないのです」
「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖 くなったんです」
私はもう少し先まで同じ道を辿 って行きたかった。すると襖 の陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次の間 へ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私には解 らなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺 かれた返報に、残酷な復讐 をするようになるものだから」
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人の膝 の前に跪 いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載 せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥 けたいと思うのです。私は今より一層淋 しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己 れとに充 ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。
結末を知っている私たちからすれば、「自分さえも信用しない」とか「考えたんじゃない。やったんです。」という話も、何をさしているかがわかります。結末を知っていると、確かに、人は信用できないかもしれない、と思います。
でも、少し立ち止まって考えてみませんか。
本当に私たちは、この言葉の意味がわかっているのか?人は確かに裏切る。それはそうです。先生とKの関係を見ても、現代の私たちの行動に関しても、確かに裏切ることになるのだろう、と。
でも、これはどうでしょう?
私は今より一層
淋 しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己 れとに充 ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう
「自由と独立と己れに充ちた現代に生まれた我々」は「犠牲」として「この寂しみ」を味わう…。
もし、現代に生まれていなければ、自由と独立と己の時代でなければ、この寂しみは味わわない、と言っているようにも聞こえます。
この「犠牲」とは、なんでしょうか。おそらく、「私」が求めるものを与えない、というようなことでしょうか。他人は信用できない。自分も信用できない。自分は何かとんでもないことをしてしまうし、何かとんでもないことをされてしまう。だから、きっと、先生はできるだけ、人と関わらないように、離れて離れて生きている。
例外のように「私」だけがそこに飛び込んでくる。
こんな図式になっています。なぞばかりですね。あとで、こうしたものが一気に回収されていくわけですが、今の段階ではやはり、謎です。
さて、もうひとつ問題があります。
それは、「私」が私たちと同じように、わからない、ということです。
それは、「私」が私たちと同じように、「自由と独立と己に充ちた現代」を生きていて、それを当然だと思っているからかもしれません。この当たり前すぎて、意識さえしない、自由と独立と己が、どんな罪悪だというのか。
そこがわからないから、私たちは、そして、「私」は途方に暮れてしまうのです。
知っている先生と、それに迫ろうとしている「私」
でも、「私」は、そこに迫ろうとしています。一気に戻って七です。「私」はこんなふうに書いていました。あの曇りの話のところです。
私 は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅 へ出入 りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊 むべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際 ができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋 ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊 いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たい眼 で研究されるのを絶えず恐れていたのである。
当然、ここから先に進むには、先生の過去を知る必要がでてきます。実際、「先生と私」も終盤にさしせまった三十一ではこんな確信に迫るやりとりがあります。
「頭が鈍くて要領を得ないのは構いませんが、ちゃんと
解 ってるくせに、はっきりいってくれないのは困ります」
「私は何にも隠してやしません」
「隠していらっしゃいます」
「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏 め上げた考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉 くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題になります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
先生はあきれたといった風 に、私の顔を見た。巻烟草 を持っていたその手が少し顫 えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目 なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐 いてもですか」
全部つなげていくとわかります。
先生の思想に迫るためには、先生の過去を知りたい。若い私だからこそ、この意味を考えずに、純粋に単純に、先生の過去を知ろうとしていく。
先生からすれば、それこそが一番人に知られたくない部分であって、だからこそ、先生の過去そのものに興味があったなら、先生は必ず「私」から離れていったはずだと、「私」は書きます。
でも、若い「私」は、先生を研究するつもりではなかった。だからこそ、「恋は罪悪だ」という話になり、「人間は金で変わる」という話になり、そして、「真面目に人生の教訓を得たい」という話になるのです。
では、次回は、一気に、「先生の遺書」から始めたいと思います。