「こころ」は3回目に入ります。今日からようやく「先生の遺書」。今日が終わると、教科書でよく扱う範囲に突入します。
ここまで「こころ」は、
と進んできました。
今日からようやく「先生の遺書」に入ります。この間、「私」は父の病気のために、故郷に帰るわけです。この間も就職しろだのいろんなことがあるんですが、いよいよ危ない、となったその時に、先生からの長い手紙が届きます。それを目にした私はとにもかくにも汽車に飛び乗り、その汽車の中で、この遺書を読み始めるわけです。そして、残りは全て、「先生の遺書」となります。
本文はこちら。
先生の遺書~「その上、私は書きたいのです。」
さて、この先生と遺書は、私たち読者に何があったかという先生の過去を明らかにする、というだけでなく、まず、「先生が今から何をしようとしているか」を語るわけです。
なので、どうしても、ここを分析しなければいけません。少々長い引用になりますが、とりあえず引っ張ります。
私はもう少しで、あなたに対する私のこの義務を
放擲 するところでした。しかしいくら止 そうと思って筆を擱 いても、何にもなりませんでした。私は一時間経 たないうちにまた書きたくなりました。あなたから見たら、これが義務の遂行 を重んずる私の性格のように思われるかも知れません。私もそれは否 みません。私はあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を見廻 しても、どの方角にも根を張っておりません。故意か自然か、私はそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。けれども私は義務に冷淡だからこうなったのではありません。むしろ鋭敏 過ぎて刺戟 に堪えるだけの精力がないから、ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。だから一旦 約束した以上、それを果たさないのは、大変厭 な心持です。私はあなたに対してこの厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆をまた取り上げなければならないのです。
その上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支 えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命 と共に葬 った方が好 いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目 だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝 と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫 みなさい。私の暗いというのは、固 より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分 違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着 ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。
あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解 っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑 までしなかったけれども、決して尊敬を払い得 る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極 あなたは私の過去を絵巻物 のように、あなたの前に展開してくれと逼 った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮 に私の腹の中から、或 る生きたものを捕 まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜 ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭 であった。それで他日 を約して、あなたの要求を斥 けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴 びせかけようとしているのです。私の鼓動 が停 った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
なんとなく、読み飛ばしていることも多いのかもしれませんが、あらためて読み返してみると、先生から「私」への手紙と考えるなら、もっともメッセージがあるのはこの部分だと思いませんか?
先生が「私」に対して、何を思ってきて、そして今、何を思い、何をしようとしているのか、はっきりと書いてあるような気がします。もう少し分解していきましょう。
義務の遂行
まず、先生が書くのは、「義務の遂行」ということです。簡単にいえば、「約束をしてしまったから、約束を果たさないで死ぬわけにはいかない」ということでしょう。
先生は、すでに死を決意しています。だったら、死んでしまってもいいわけですが、先生は、しかし、その前に遺書を書く。
それは「私」と約束をしたから、というのがまず、書かれていることです。
しかし、もうひとつ、読んでおきたいのは、先生の普段の様子との差です。先生はこんな風に書いています。
私はあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を
見廻 しても、どの方角にも根を張っておりません。故意か自然か、私はそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。けれども私は義務に冷淡だからこうなったのではありません。むしろ鋭敏 過ぎて刺戟 に堪えるだけの精力がないから、ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。
先生は、ここまで、「私」以外とはほとんど交流がない生活である、ということ。これは「私」自身も書いていたことですね。だとすれば他人に対する「義務」というようなものを嫌っている、そういうものから離れている、というように考えることもできますが、そうではないというんです。
むしろ「義務」に「鋭敏」である…。義務があれば、その義務を果たさなければいけないと自分を縛る。だからこそ、自分は他人から離れるということです。
同じですか?やっぱり他人が嫌い?いやいや、他人に対して、すべての義務に応えなければいけないと考えることと、義務をどうでもいいと思うことは全くの反対の心持ちです。
まず、こんなことが読み取れます。
その上私は書きたい
つづいて、先生は書きます。「その上、私は書きたいのです。」と。
そうなんです。書きたいんです。「義務」というのが他者からの要請でしぶしぶ、というニュアンスがあるとするなら、実はそうではない。先生自身は、他者の要請に応えなければならないと考える資質があるかもしれないけれど、ことこの内容については、こと「あなた」については、「書きたい」と来ています。
先生の主体性、自分の気持ち、ですね。
先生は書きます。
実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。
ここでいうのは、自分の過去が惜しいのではない。自分の過去を残したいのではない。いや、残したくないといえばうそになるが、それは、相手を見てのこと。
だから、先生は「私」を選んで、先生の過去を語る選択をしたんです。
「私」に対する評価
となってくると、先生にとって、私はどういうものであったかが問題となります。
少々検証しておきましょう。
私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは
真面目 だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
まずは、こんな感じ。「真面目」であると。「真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといった」と。先生にとって、それが「私」という人間ということになります。「真面目」が気になりますね。
こんな書き方もしています。
私はあなたの意見を
軽蔑 までしなかったけれども、決して尊敬を払い得 る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極 あなたは私の過去を絵巻物 のように、あなたの前に展開してくれと逼 った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮 に私の腹の中から、或 る生きたものを捕 まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜 ろうとしたからです。
「真面目」「生きた人世の教訓」という表現は、先生の過去、「或る生きたもの」を捕まえようとすることで、それが、「尊敬」ということになります。それが、「私」にだけ、先生の過去を遺書という形で示した理由だということです。
それでも、まだ「謎」は謎のままですね。先生の過去、生きた人世の教訓とははたして何なのでしょうか?
「暗い人世の影」「倫理的」ということの意味
先生の言葉の中で気になるものを探すのなら、「暗い人世の影」や「倫理」でしょう。
私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを
凝 と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫 みなさい。私の暗いというのは、固 より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分 違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。
先生の過去を語る上で、このふたつのキーワードはしっかり理解するべきだと思います。
- 先生は何か、人に言えない過去がある。
- それは友人(K)の死に関わるものである。
- そしてそれは、暗い人世の影である。
- その暗さは「倫理的」な暗さである。
- 先生は倫理的に育てられていて、それは、今の若い人とだいぶ違うところがある。
こんな感じになるでしょうか。
「暗い」は大丈夫でしょう。きっと。
問題は「倫理」ですね。カタカナにすれば、モラルやマナー、ほかの言葉をもってくるなら「道徳」がわかりやすいでしょうか。
先生は道徳的に育てられていて、そしてその道徳に対する考えは、今の若い人、つまり「私」とはだいぶ違う、ということになりますね。
「現代の考え」との違い~血を浴びせる先生
話がもう一段進んでしまいました。
「私」=「今の若い人」であるかのように先生は書きます。先生は、その若い人である私に、過去を語る。きっと道徳的な問題、そして、何か暗い過去、そんなものを語る。
若い人である「私」は、そのことがわかっていない。だからこそ、与える。それを知りたいと迫った「私」を尊敬し、実際にそれを語る。道徳的な面において、理解していなかった「私」は、このことを通じて「知っている私」、それは「若くない私」になる。
「先生と私」で、「若かった私」と書く「私」は、先生の遺書から、当時の「私」が若かったことをつきつけられ、また、そうであったことを知る。なぜなら、先生の過去を、遺書を通じて知ることで、「私」はある生きたものをつかまえ、知ってしまったから。
先生は、
私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に
浴 びせかけようとしているのです。私の鼓動 が停 った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
こう書いて、過去を語り始めます。ここにある「血」のイメージはぜひ覚えておいてください。
先生の過去、それは「血」です。遺書という先生の血を浴びた「私」は新たな血、新たな命として生きているのです。
若くない、知ってしまった「私」として。
それでは、先生の過去とはなんなのか?
ようやく次回から、教科書の展開においついていきます。