ようやく「こころ」も教科書にとりあげられやすいところに入ってきました。いよいよ今日からKが死を選ぶまでの流れを読み解いていきましょう。
今日から、Kが登場します。教科書では、Kが死を選ぶまでの流れが載っていることが多いので、ようやくここに入りました。
なぜ、ここまでやってきたかといえば、「こころ」のテーマに迫るには、教科書のところだけではだめだからです。
でも、ようやく教科書のところ。いわゆる三角関係で片づけられてしまうこの部分を読解していきたいと思います。
「先生と遺書」のここまでの展開
まずは、ここまでの展開を説明しなければいけませんね。本当は読んでね。
先生は、両親がなくなったとき、相応の財産を持っていましたが、学生でしたから、その管理を信頼できるおじさんに任せていました。ところが、そのおじさんが簡単にいうと、お金をとってしまったわけですね。おじさんが先生と自分の娘を結婚させようとして、先生がそれを断ろうとするあたりから態度がおかしくなり、で、調べたら、それがわかるわけです。
これが「人は金で変わる」というやつです。
先生は、結婚を断って、自分の財産、たぶん土地とか家とかですが、それを現金に換えて、故郷を捨てます。だいぶお金は減りますが、それでも一生困らないくらいのお金を持っていることになりました。
先生は、当時学生ですが、どうしようか考えていると、未亡人とそのお嬢さん二人でやっている下宿をみつけ、そこで暮らすことにします。それが奥さんとお嬢さんですね。その中で、徐々にまた人を信じるような自分を取り戻していくことになります。
そんな時、先生の友人Kに問題が持ち上がります。Kは医者になるために養子としてもらわれ、大学で医者になるための勉強をしなければいけないのですが、Kは自分の信じた道を突き進むタイプで、まったく医者になるつもりがありません。大学では、宗教的な「道」というような概念で勉強するのみで、医学の勉強はしていません。
これは非常にまずいことで、医者のあととりとなるからこそ、大学のお金が出ているわけで、にも関わらず、Kは医者になる気がないわけです。Kはまったくそんなこと気にもとめず、自分のやりたいことをやるわけです。
はたして、Kの大学の状況は養家にばれて、実家に戻され、そして実家からは勘当。もちろん、Kは気にしないとはいえ、経済的なことは大学もふくめて、すべて行き詰まります。
ここで助け船を出したのが、先生です。自分と同じ下宿に住まわせ、大学に通えるようにしてやる。先生からすると、多少なりとも、このKにやりこめられていることがありました。Kは「道」に向かって邁進しますが、先生はお嬢さんが気になっているわけで、だからどうしてもその純粋さというか徹底さで負けてしまう。
だからこそ、先生は、自分がそうであったように、奥さんとお嬢さんとの生活をしていけば、Kが少しは人間らしくなるのではないかと考えたわけです。
ところが、これは予想以上にうまくいきます。おそらく、お嬢さんは先生が好きで、先生はもちろんそのことがわからないのですが、だからこそ、Kとなかよくすることで、先生の気を引きます。
そして、Kは、今までの彼ならありえないことなのですが、お嬢さんと二人で楽しく話をするようになってしまうのです。
お嬢さんが気になっていた先生は焦ります。その矢先、先生の心配に先んじて、Kが先生に対してお嬢さんが好きになった衝撃の告白をするのです。
…という大体、このあとあたりから教科書は始まります。
図書館でのKの告白~「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
今日は、まずは引用が長くなりますが、テキストがないと話が進みませんから、まずは今日の授業の範囲です。
というわけで、軽くでも目を通してもらえると助かります。番号でいうと、40、41にあたります。
「ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引 っ繰 り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他 の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作 は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物 があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
二人は別に行く所もなかったので、竜岡町 から池 の端 へ出て、上野 の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合 して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引 っ張 り出 したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵 に陥 った彼を、どんな眼で私が眺 めるかという質問なのです。一言 でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生 と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他 の思わくを憚 かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家 事件でその特色を強く胸の裏 に彫 り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
私がKに向って、この際何 んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然 とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外 に仕方がないといいました。私は隙 かさず迷うという意味を聞き糺 しました。彼は進んでいいか退 いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇 き切った顔の上に慈雨 の如く注 いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。
「私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の身体 、すべて私という名の付くものを五分 の隙間 もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞 の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺 める事ができたも同じでした。
Kが理想と現実の間に彷徨 してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打 で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚 に付け込んだのです。私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。無論策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽 だの羞恥 だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のないものは馬鹿 だ」といい放ちました。これは二人で房州 を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐 ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言 でKの前に横たわる恋の行手 を塞 ごうとしたのです。
Kは真宗寺 に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨 に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女 に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進 という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲 という意味も籠 っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲 や禁欲 は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害 になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃 からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑 の方が余計に現われていました。
こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角 積み上げた過去を蹴散 らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
Kはぴたりとそこへ立ち留 まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那 に居直 り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣 いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々 とまた歩き出しました。
実際の二人の会話とそこから読み取る意図
さて、この場面、結構な文章量があるんですけど、あえて、二人の会話だけを取り出してみますね。
「どう思う?」
「この際
何 んで私の批評が必要なのか」「自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい。迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより
外 に仕方がない」「迷う?」
「彼は進んでいいか
退 いていいか、それに迷うのだ」「退こうと思えば退けるのか」
「苦しい」
「精神的に向上心のないものは
馬鹿 だ。精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
「馬鹿だ。僕は馬鹿だ」
こんな感じです。演劇でやったら、たったこれだけ。もちろん、「間」もとりますし、本当の演劇なら、効果音とか、音楽ともいれるから、もうちょっと時間もかかるでしょうけど、たったこれだけ。
いかに「こころ」という小説が、この内面の説明に時間をかけているかがわかります。もちろん、書いているのは、「今の先生」。その視点から、当時が振り返られているわけで、ここには「二人」の「先生」がいるわけです。
「知っている先生」と「知らない先生」。「先生と私」が「知っている私」と「知らない私」であったように、ここでもこの図式が使われるわけです。
ここに対して、当時の先生がKに対してどう考え、どのように行動したか。そして、それを書いている先生はどのように考えているか。書いている先生が、振り返るのは、もちろん、当時のKであり、当時の先生であり、ですね。
たったこれだけのやりとりを、しっかりと振り返ると、これだけの長さになっていくわけです。
こうやって考えると、こういう小説を映画や演劇にすることはとても難しい。「山月記」もそうですけど、一人称の語りを、どうやって三人称というか、神の視点から、見えない心理を映像とかで表現するって難しいですよね。しかも、その心理は必ずしも、現在形でなく、過去形の部分も重ねなければいけない。
ナレーションにしてしまえば、演劇や映画にする意味ないですしね。
さて、ここに実際どういう心理が動いていたのか、読み解いていきましょう。
実際の「こころ」の動き~当時の先生と今の先生
それでは、順番に追っていきましょう。
まず序盤。
先生は、Kの様子がいつもと違うことに気が付きます。
彼の天性は
他 の思わくを憚 かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家 事件でその特色を強く胸の裏 に彫 り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
ある種、先生はKが弱っている、「苦しい」ことに気が付いているわけですね。だからこそ、本来は手をさしのべてやるべきです。
もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その
渇 き切った顔の上に慈雨 の如く注 いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。
でも、これは「お嬢さん」がかかっています。Kの手をさしのべることは、Kにお嬢さんをあげることにもなりかねません。だから、先生は、いくら本来、「美しい同情」を持っていたとしても、そうするわけにはいきません。まさに「人間は突然変わる」ということでしょう。
しかしその時の私は違っていました。
私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。私は、私の眼、私の心、私の
身体 、すべて私という名の付くものを五分 の隙間 もないように用意して、Kに向ったのです。罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞 の地図を受け取って、彼の眼の前でゆっくりそれを眺 める事ができたも同じでした。Kが理想と現実の間に
彷徨 してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打 で彼を倒す事ができるだろうという点にばかり眼を着けました。そうしてすぐ彼の虚 に付け込んだのです。
Kをうちのめすこと。Kをやっつけること。
それは、もちろんKにお嬢さんをあきらめてもらうことです。どうすれば、Kがあきらめてくれるのか。
Kの質問は
「どう思う?」
です。
それに対して、先生はKをよく観察し、そして、どうすればKを倒すことができるか考えるわけです。そして、先生は、「ただ一打」でKを倒すことができる作戦を思いつくわけです。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
その選んだ答えは、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」です。
これは二人で
房州 を旅行している際、Kが私に向って使った言葉です。私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐 ではありません。私は復讐以上に残酷な意味をもっていたという事を自白します。私はその一言 でKの前に横たわる恋の行手 を塞 ごうとしたのです。
Kは真宗寺 に生れた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨 に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんな事をいう資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女 に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進 という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲 という意味も籠 っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲 や禁欲 は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害 になるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。その頃 からお嬢さんを思っていた私は、勢いどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑 の方が余計に現われていました。
こういう過去を二人の間に通り抜けて来ているのですから、精神的に向上心のないものは馬鹿だという言葉は、Kに取って痛いに違いなかったのです。しかし前にもいった通り、私はこの一言で、彼が折角 積み上げた過去を蹴散 らしたつもりではありません。かえってそれを今まで通り積み重ねて行かせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私は構いません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
Kが昔、先生に対して、放った言葉です。Kは「道」のためならすべてを犠牲にすると考えています。禁欲どころか、異性を好きになることさえも、「道」の邪魔だと考えている。すでにお嬢さんを意識している先生からすれば、どうしても反論したくなりますが、それを「侮蔑」する。
今、まさにKは、自分が「侮蔑」される対象になっているわけです。
だからこそ、先生はKに、この言葉を投げかけます。自分がいかに間違ったことをしているか気づいてもらいたいわけです。彼に今まで通りの道に戻ってもらって、自分の利害と対立しないようにしたわけですね。
でも、Kの側からすれば、そんなことは本来当然気づいています。だからこそ、彼は「迷う」わけで、弱弱しいわけです。だからこそ、相談したんですね。
ここは、「先生と遺書」の流れを尊重して、あえて書き込みすぎないようにしていきます。書いている先生は、当時のKが本当は何を考えていたのか知っています。でも、当時の先生は知りません。書いている先生は、作者としての漱石でもありますから、読者の私たちに、ネタバレをしないように、伏線はしっかり貼りますが、肝心なところは踏み込みません。
後で、戻って全部考えたいところです。
戻ります。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
先生は、二度、この言葉をKにぶつけます。
この攻撃はKに効いたのか?~「居直り強盗のごとく」
もう一度、この言葉が何のために発せられたか、確認しましょう。
先生はKに、お嬢さんをあきらめてもらいたい。Kに今まで通り、道に向かってもらいたい。先生はKに対して、戦いを挑んでいるわけで、攻撃をしているわけですね。
では、この攻撃が効いたのか?
これは、当然、「実際に効いていたのかどうか」ということと、「当時の先生は効いたと思っていたのかどうか」というふたつが存在しているわけです。
ここでまず描かれるのは「当時の先生はどう思っていたのか」です。
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
Kはぴたりとそこへ立ち留 まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那 に居直 り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣 いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々 とまた歩き出しました。
Kの答えは、
「馬鹿だ。僕は馬鹿だ。」
です。立ち止まったまま動かず、地面の上を見つめています。
さあ、先生は、どう感じたのでしょうか?「ぎょっとした」。そうですね。もちろん正しいですよ。じゃあ、「ぎょっとする」ってどういう気持ち?
もっと端的に言いましょう。この攻撃は効いたんですか?効いていないんですか?それともわからないんですか?
「わからない」というのは確かに有力ですね。「私は彼の
でもね。
それだけじゃ、だめです。大事なのが抜けています。だいたい、さっき「ぎょっとする」でしたよね。わからなくてぎょっとするってないでしょ、あんまり。ぎょっとするっていうのは、驚きです。あるいは「びびる」という感じでもいいです。
そう。抜けているのは、
「私にはKがその
という一文の解釈。
刹那=一瞬。このぐらいは覚えておこうね。
さあ問題の「居直り強盗」です。
わかりますか?
あなたが家に帰ると、知らない人がいる。「何やってるんですか」と問い詰める。まあ、逃げるとか、言い訳をしてごまかすとかいろいろ選択肢がありますが、居直り強盗というのは、そこで「居直って」「強盗だ!金出せ!」とやるパターンです。開き直る、というのが、言葉としては近いかな。
先生はKが居直り強盗のように感じた。
そうです。決して、先生は、Kの様子がわからなかったのではない。先生はKが「居直った」つまり、「恋の道へ進む」と思った。
それにしては声に力が乏しい。「もしかしたら、違うのか?」だから、確認したかった。でも、確認できなかった。つまり、先生は、今、Kが恋の道に進むと思っていたわけです。
だとすると、先生としてはここで終わりません。先生は、Kに「道」に戻ってもらいたいわけですから。だからこそ、先生は次の手に打ってでるのです。