国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

「こころ」夏目漱石 近代とは何か明治の精神に迫る5 Kによって決断する先生

「こころ」を取り扱った5回目は、先生の決断について考えます。Kの言葉によって、先生はどのような行動をしていくのでしょうか?

前回のところで、Kを居直り強盗のように感じた結果、先生は次の行動が必要になってくることになります。なぜなら、「Kは恋の道に進む」と受け取ったからです。今日はこのあたりの話から進めます。

 

www.kokugo-manebi.tokyoいつものように、本文は青空文庫から。

夏目漱石 こころ

前回はこちら。

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今日のお話です。長い引用になりますが、どうしても今、どこをやっているのかを示さなければいけませんので、こういう形になることを許してくださいね。

 

「私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中であんに待ち受けました。あるいは待ち伏せといった方がまだ適当かも知れません。その時の私はたといKをだまし打ちにしても構わないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私のそばへ来て、お前は卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語ささやいてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私をたしなめるには余りに正直でした。余りに単純でした。余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私よりせいの高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、おおかみのごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話はめよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶あいさつができなかったのです。するとKは、「めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。おおかみすきを見て羊の咽喉笛のどぶえくらい付くように。
めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、せいの高い彼は自然と私の前に萎縮いしゅくして小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通りすこぶ強情ごうじょうな男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然そつぜん「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言ひとりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかはさびしいものでした。ことに霜に打たれて蒼味あおみを失った杉の木立こだち茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、こずえを並べてそびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へかじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うのおかのぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はそのころになって、ようやく外套がいとうの下にたい温味あたたかみを感じ出したぐらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰りみちにはほとんど口を聞きませんでした。うちへ帰って食卓に向った時、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野うえのへ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにといって驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生へいぜいから無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、ろく挨拶あいさつはしませんでした。それからめしみ込むようにき込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分のへやへ引き取りました。

                 四十三


「そのころ覚醒かくせいとか新しい生活とかいう文字もんじのまだない時分でした。しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意いちいに新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。彼には投げ出す事のできないほどたっとい過去があったからです。彼はそのために今日こんにちまで生きて来たといってもいいくらいなのです。だからKが一直線に愛の目的物に向って猛進しないといって、決してその愛の生温なまぬるい事を証拠立てる訳にはゆきません。いくら熾烈しれつな感情が燃えていても、彼はむやみに動けないのです。前後を忘れるほどの衝動が起る機会を彼に与えない以上、Kはどうしてもちょっと踏みとどまって自分の過去を振り返らなければならなかったのです。そうすると過去が指し示すみちを今まで通り歩かなければならなくなるのです。その上彼には現代人のもたない強情ごうじょうと我慢がありました。私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです。
 上野うえのから帰った晩は、私に取って比較的安静なでした。私はKがへやへ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机のそばすわり込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手をかざしたあと、自分の室に帰りました。ほかの事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。
 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間のふすまが二しゃくばかりいて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室にはよいの通りまだ燈火あかりいているのです。急に世界の変った私は、少しのあいだ口をく事もできずに、ぼうっとして、その光景をながめていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師かげぼうしのようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈ランプを背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇くらやみに帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝よくあさになって、昨夕ゆうべの事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それでめしを食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然はっきりした返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょにうちを出ました。今朝けさから昨夕の事が気にかかっている私は、途中でまたKを追窮ついきゅうしました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日きのう上野で「その話はもうめよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭をおさえ始めたのです。

                 四十四


「Kの果断に富んだ性格はわたくしによく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔ゆうじゅうな訳も私にはちゃんとみ込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかりつらまえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍なんべん咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐらうごき始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶はんもん懊悩おうのう、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかにたたみ込んでいるのではなかろうかとうたぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字をながめ返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼めっかちでした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図いちずに思い込んでしまったのです。
 私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らないに、事を運ばなくてはならないと覚悟をめました。私は黙って機会をねらっていました。しかし二日っても三日経っても、私はそれをつらまえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといったふうの日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
 一週間ののち私はとうとう堪え切れなくなって仮病けびょうつかいました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事なまへんじをしただけで、十時ごろまで蒲団ふとんかぶって寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家のなかがひっそり静まった頃を見計みはからって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物たべもの枕元まくらもとへ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体からだに異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間でめしを食いました。その時奥さんは長火鉢ながひばち向側むこうがわから給仕をしてくれたのです。私は朝飯あさめしとも午飯ひるめしとも片付かない茶椀ちゃわんを手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから、外観からは実際気分のくない病人らしく見えただろうと思います。
 私は飯をしまって烟草タバコを吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢のそばを離れる訳にゆきません。下女げじょを呼んでぜんを下げさせた上、鉄瓶てつびんに水をしたり、火鉢のふちいたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
 私は仕方なしに言葉の上で、い加減にうろつきまわった末、Kが近頃ちかごろ何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。 

 

 「居直り強盗」のように感じたら、まだ攻撃が必要。

前回の最後で先生は、「馬鹿だ。僕は馬鹿だ」と答えたKを「居直り強盗」のように感じました。「居直った」つまり、開き直ったということです。それはKが、先生の思惑通り、道に戻るのではなく、「恋の道」に突き進むように感じたということです。

ここには、「本当はどうだったのか」「今の先生はそれをどのようにとらえ直しているか」という問題が隠れています。でも、先生と言いつつ、書いているのは漱石なわけで、読んでいるのは「私」といいつつ、読者であるところの私たちであるわけで、漱石は読者にあまりネタバレしないように、加減しながら伏線をはっているわけですから、私もここでは先取りはしないことにします。

先生は、ともかくも、思惑通りにいっていないと思った。だから次の手をうちます。

 Kはしばらくして、私の名を呼んで私の方を見ました。今度は私の方で自然と足を留めました。するとKも留まりました。私はその時やっとKの眼を真向まむきに見る事ができたのです。Kは私よりせいの高い男でしたから、私は勢い彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、おおかみのごとき心を罪のない羊に向けたのです。
「もうその話はめよう」と彼がいいました。彼の眼にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっと挨拶あいさつができなかったのです。するとKは、「めてくれ」と今度は頼むようにいい直しました。私はその時彼に向って残酷な答を与えたのです。おおかみすきを見て羊の咽喉笛のどぶえくらい付くように。
めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
 私がこういった時、せいの高い彼は自然と私の前に萎縮いしゅくして小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通りすこぶ強情ごうじょうな男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然そつぜん「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言ひとりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。

先生は、「止めよう。止めてくれ。」というKに対して、追い打ちをかけていきます。「めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか

先生は、Kに「止めるだけの覚悟」を要求します。

言い出したのは君だ。こっちは相談されたからアドバイスをしてるんだ。君は前から言っていた。恋の道に進むような、精神的に向上心のない者は馬鹿だと。わかっているなら、話を止めるのは君だ。この話を止める、ということは、恋にうつつを抜かすことを止めるということだ。君は、僕に言ってきた主張、恋に進むやつは馬鹿だ、道に進むべきなのだという主張、それをどう説明するつもりだ。

要するに、お嬢さんをあきらめてほしいんですよね。

「居直り強盗」のように感じたからこそ、オオカミとなった先生は、羊の喉にくらいつくわけです。

Kは言います。

「覚悟?覚悟ならないこともない」

と。

さて、この言葉の意味は?どんな意味が込められているのでしょうか?

もちろん、ここにも、「Kがここに込めた本当の意味」と「当時の先生が受け取った意味」があるはずです。

でも、やっぱり、まずは、当時の先生がどう受け取ったかを考えていきましょう。

 

先生の「こころ」をきちんと追っていく。

Kの返事は、

「覚悟?覚悟ならないこともない」

でした。

この返事には「〇〇の」が抜け落ちています。だから、これをどのように受け取るかが自由に解釈できてしまいます。

先生にとって、大事なのは、Kがお嬢さんをあきらめるかどうか。あきらめるなら、やってきた甲斐がありますし、あきらめないなら、また新たな攻撃が必要かもしれません。「居直り強盗」のように感じて攻撃したように。

さあ、先生は、Kのこの返事をどのように感じたのでしょうか?

あなたがこの返事を、適当に解釈すると、自由に解釈できてしまいます。なぜならさっき書いたように「〇〇の覚悟」と書いていないからです。

だから、これは、ここ以外の部分から、先生がどのように受け取ったか解釈しなければいけません。

実はここが難しいのは、直後がこんな風になっているからです。

彼の調子は独言ひとりごとのようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川こいしかわの宿の方に足を向けました。割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかはさびしいものでした。ことに霜に打たれて蒼味あおみを失った杉の木立こだち茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒い空の中に、こずえを並べてそびえているのを振り返って見た時は、寒さが背中へかじり付いたような心持がしました。我々は夕暮の本郷台ほんごうだいを急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向うのおかのぼるべく小石川の谷へ下りたのです。私はそのころになって、ようやく外套がいとうの下にたい温味あたたかみを感じ出したぐらいです。

問題は、この部分の描写です。ここに使われている言葉は「淋しい」「蒼味を失った」「寒さ」「その頃になって、ようやく外套の下に体の温味を感じ出した」などというように、「寒さ」に象徴される表現が、連なっているわけです。

こうしたところから、「不吉な予兆」を読み取り、それはすなわち、「Kがやはりあきらめずに恋に進む」という解釈がなされてしまう可能性がある部分なんですね。たしかにこの部分では、そう読めなくはありません。

正確に書くなら、攻撃をしない以上、「あきらめていない」と思ったわけではないんですが、「Kの気持ちが読み取れずに不安」ぐらいの感じには読めてしまうということです。

しかし、実際には、このあとの部分を読んでいくとそうでない言葉がならびます。

 上野うえのから帰った晩は、私に取って比較的安静なでした。私はKがへやへ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机のそばすわり込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったのです。私はしばらくKと一つ火鉢に手をかざしたあと、自分の室に帰りました。ほかの事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るるに足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。

「安静な夜」「勝利の色」「得意の響き」「恐るるに足りない」などの表現からすれば、先生は、作戦が成功した、つまり、Kがお嬢さんをあきらめると解釈していることがわかります。

となると、「覚悟?覚悟ならないこともない。」という返事は「お嬢さんをあきらめ、道に進む覚悟ならないこともない」ということになるでしょう。当時の先生は、「勝った」と思ったのです。うまくいったと思ったのです。これでお嬢さんは自分のものだと思ったのです。

であるならば、もう攻撃する必要がない。

さっきの散歩のシーンに戻りましょう。だから、二人は何も話さず、帰ってきたのです。先生からすれば、もう攻撃する必要がなかったんですね。

では、さっきの「寒さ」の描写はどのように解釈できるでしょうか。

先生は、Kがお嬢さんをあきらめたと思っている。そして、勝ったと思っている。「寒さ」とは逆の心情ですね。矛盾せずにここをつなごうとすると…。

そうです。

おそらく、罪悪感に近いものでしょう。勝ったと、上にいる立場だからこそ感じる心は、こう読み取るべきところ。

もちろん、ここに読者であるあなたが、これから起こる不吉なことを予感することは何も間違ってはいません。先生、そしてそれは書き手としての漱石ですが、先生は、当然このあと起こる不吉なことを知っているわけで、この表現にそうした不吉なことが起こる前兆をいれこんでいることも間違いないでしょう。

でも、それだけでは「寒さ」が、当時の私が予兆を感じてるようになってしまいます。そうなると、このあとの先生の行動とは整合性がありません。

「書き手としての漱石」や読者である私たち、という視点でなく、「当時の先生」ということでいうなら、ここは罪悪感ととっておくべきでしょう。

 

「黒い影法師のようなK」

戻ります。

つまり、先生は勝ったと思ったわけです。

「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」

「止めるだけの覚悟があるのか」

という2回の攻撃によって、先生は今、Kがもとの通り道に進む、つまり、お嬢さんをあきらめると思っています。だからこそ、「安静」で「得意」で「勝利」なんですね。

だとすれば、これは解決です。ところが、実際には、この気持ちに水を差すような気味の悪い出来事が起こります。

 私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間のふすまが二しゃくばかりいて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室にはよいの通りまだ燈火あかりいているのです。急に世界の変った私は、少しのあいだ口をく事もできずに、ぼうっとして、その光景をながめていました。
 その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師かげぼうしのようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈ランプを背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
 Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇くらやみに帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝よくあさになって、昨夕ゆうべの事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それでめしを食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然はっきりした返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
 その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょにうちを出ました。今朝けさから昨夕の事が気にかかっている私は、途中でまたKを追窮ついきゅうしました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日きのう上野で「その話はもうめよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。

先生は眠っています。そうするとKが先生を呼んでいるわけです。先生は目を覚まします。先生の部屋と、Kの部屋は襖をはさんでいるだけ。Kがその襖をあけて呼んでいる。先生の部屋は明かりが消え、Kの部屋には灯りがある。だから、Kの姿は黒い影法師のように見えます。

先生は、「何か用か」と聞きます。当たり前です。

Kは言います。「たいしたようではない。寝たかまだ起きてるかと思って、トイレに行ったついでに聞いただけだ」と。

明らかにおかしい返事です。自分から、夜中に名前を呼んで起こしておいて、「用はない」…。

変です。だから、夢のように感じるし、不安になるのか、先生は翌日確かめます。返事は確かに呼んだ。夢ではない。で、「近頃は熟睡ができるのか」。不思議です。なんだかわけがわかりません。…あるとするなら。

先生には、「あのこと」としか思えない。

Kは、またお嬢さんの話をしにきたのではないか。それ以外の理由が先生には思い当たらない。だから、先生はストレートに聞きます。あの話だろって。

Kは、強く言います。「あの話はもうやめようといったではないか」と。

先生は、どんどん不安になります。その時、先生は、あの「覚悟」の意味に思い当たるのです。

 

「覚悟」の意味の問い直しと最後の決断

 先生は、「覚悟」の意味を、「恋をあきらめ道に進む」覚悟ととらえていました。さっき書いたように、あの覚悟は「〇〇の」がないわけで、それは先生がおぎなって解釈していたわけです。

 Kの果断に富んだ性格はわたくしによく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔ゆうじゅうな訳も私にはちゃんとみ込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかりつらまえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍なんべん咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐらうごき始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶はんもん懊悩おうのう、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかにたたみ込んでいるのではなかろうかとうたぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字をながめ返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼めっかちでした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。

 先生は、Kのことを「決断力のある人間」としてとらえています。こうと決めたら、人の意見など聞かずにすすんでいく。あの養家事件でもそうでした。医者になるために養子にもらわれ、大学にいっているのに、平気で勝手なことをする。それがKです。

でも、彼の大切にしている「道」のためには、「女」とか「恋」とかお嬢さんとかは、邪魔なもの以外何物でもない。だから、彼は迷って先生に相談に来ている。先生はちゃんとそのことを知っている。

人の話を聞かずに、どんどん進むK。でも、今回の「恋」に関しては、彼が忌み嫌うものである以上、進むわけにはいかないし、他人の話もききたくなっている。そのことを踏まえて、先生はあの策略を立ててきたわけです。

でも、黒い影法師のようなKの、あの不可解な様子で、先生は思います。

もしかしたら、例外はないのかもしれない。こいつはどこまでも、自分で決めたことは曲げずに突き進むのかもしれない。まだ、相談したいということは、まだ迷っているのかもしれない。でも、自分で決めるのかもしれない。だから、もう私の忠告を聞く耳はもっていないのかもしれない。

そうです。先生には、あの覚悟が「いつもの自分通りこうと決めたら突き進む」「恋の道に進む、道を捨てる覚悟」に聞こえてくるのです。

だって、もともと「居直り強盗」のように感じているわけですから。そのあとも、先生に「あの話はもうやめよう」といっているわけですから。

先生は、あの「黒い影法師のようなK」を見て、急に不安になります。

そりゃ、気持ち悪いです。

そして、あの「覚悟」の意味の間違いに気づきました。

…と、当時の先生は思っています。

でも、書いている先生は違います。

その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返いっぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻みまわしたらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼めっかちでした。 

 書いている先生は、当時の先生が、「公平に見廻す」べきなのだと書きます。「片眼」だと書きます。

片目…そうなんです。確かにこの時の「覚悟」は最初に思っていたような「恋をあきらめて道に進む覚悟」ではなかったんです。でも、決して「道を捨てる覚悟」でもなかったんです。

だから、正解は半分。書いている先生は知っています。

また、思わせぶりですね。なので、またここまで。先に進みます。もちろん、あとで戻りますが…。

当時の先生は、ともかくも、思い直して、Kが恋の道に進む、道を捨てる覚悟だと思い込みます。

となれば、放っておくことはできません。先生には「最後の決断」が必要になるんです。それは、Kより早く「お嬢さんに気持ちを伝えること」です。

それは、仮病を使って、とにかく一人家に残り、奥さんに、お嬢さんへの結婚を申し入れる、という作戦になるわけです。

こうやってみると、先生のお嬢さんへの恋心は、Kという存在によって、決断に導かれていることがわかります。

柄谷行人さんは、これを「おもちゃ」で説明しています。遊んでいないおもちゃを、他人がくれというと、急に惜しくなる。ぼくらは他人が欲しているものを欲する。

大学受験も、恋愛もそうですよね。他人が評価するものを欲する。

誰も行かない大学には行かない。誰もほめてくれない、誰もが嫌う人はなかなか好きになれない。かわいいってみんながいう子をかわいいと思い、かわいくないにしても、みんながいい人ねっていう人を好きになる。持ち物も、食べ物も、ぼくらの「こころ」は他人によってつくられる。

でも、だからこそ、他人は、ライバルに代わる。ライバルがいないものはほしくならない。誰かが評価するから、自分もそれがいいと思い、でもだからこそ、その他人は排除されないといけない。

他人は必要だけど排除されるべき存在。

これが、「自由」の正体ですよね。もし、自由がなければ…。

たとえば、職業を選ぶことができなければ。結婚相手を選ぶことができなければ。

他人を排除する必要はありません。なぜなら、決まっているからです。

でも、自由が与えられれば、他人は排除されることになる。こんな原理がここにはかくれています。現代に生きる私たちは、あまりにそれに慣れていて、自分がほしいものを得るのは当たり前で、その時に排除される他者に思いはいたりません。

恋愛で言うなら、自分が好きになる人は、他者から、ものすごくかどうかは別にして、いい人、うらやましい人であることを求めながら、それを得られない人に思いをはせることはほとんどないわけです。

合格する自分が大事で、不合格な人には思いをはせない。でも不合格の人が出ないような入試には向かいたくない。

ともかくも、先生は結婚を申し込みます。

そのあたりの「こころ」について、次回説明します。

 

 

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