いよいよ「こころ」のまとめです。このタイトルの通り、先生の死と明治の精神に迫っていきます。
ここまで、「先生と私」を読み、そして教科書で広く扱われていると思われる部分を中心に、特にKの死を追ってきました。今日は、教科書では扱っていることが少ないのですが、「先生の死」、そして「明治の精神」について考えます。
いつも通りの青空文庫でテキストを。
今日扱うのはこちら。
「死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟 で躍 り上がりました。しかし私がどの方面かへ切って出ようと思い立つや否 や、恐ろしい力がどこからか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないようにするのです。そうしてその力が私にお前は何をする資格もない男だと抑 え付けるようにいって聞かせます。すると私はその一言 で直 ぐたりと萎 れてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうとすると、また締め付けられます。私は歯を食いしばって、何で他 の邪魔をするのかと怒鳴り付けます。不可思議な力は冷 やかな声で笑います。自分でよく知っているくせにといいます。私はまたぐたりとなります。
波瀾 も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻 が見て歯痒 がる前に、私自身が何層倍 歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋 の中 に凝 としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟 私にとって一番楽な努力で遂行 できるものは自殺より外 にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼をるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
私は今日 に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹 かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲 として、妻の天寿 を奪うなどという手荒 な所作 は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻 り合せがあります、二人を一束 にして火に燻 べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
同時に私だけがいなくなった後 の妻を想像してみるといかにも不憫 でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐 を、私は腸 に沁 み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇 しました。妻の顔を見て、止 してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝 と竦 んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺 められるのです。
記憶して下さい。私はこんな風 にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉 で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括 ッ付 いていました。私は妻 のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘 を吐 いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
すると夏の暑い盛りに明治天皇 が崩御 になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後 に生き残っているのは必竟 時勢遅れだという感じが烈 しく私の胸を打ちました。私は明白 さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死 でもしたらよかろうと調戯 いました。
「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生 使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談 を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
それから約一カ月ほど経 ちました。御大葬 の夜私はいつもの通り書斎に坐 って、相図 の号砲 を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将 の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争 の時敵に旗を奪 られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日 まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月 を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間 死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那 が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解 らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑 み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人 のもって生れた性格の相違といった方が確 かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己 れを尽 したつもりです。
私は妻 を残して行きます。私がいなくなっても妻に衣食住の心配がないのは仕合 せです。私は妻に残酷な驚怖 を与える事を好みません。私は妻に血の色を見せないで死ぬつもりです。妻の知らない間 に、こっそりこの世からいなくなるようにします。私は死んだ後で、妻から頓死 したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです。
私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然 描 き出す事ができたような心持がして嬉 しいのです。私は酔興 に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外 に誰も語り得るものはないのですから、それを偽 りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山 は邯鄲 という画 を描 くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達 て聞きました。他 から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中 にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半 ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃 には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷 の叔母 の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間 に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
私は私の過去を善悪ともに他 の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己 れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一 の希望なのですから、私が死んだ後 でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。」
- 先生はどうして死ぬのか~罪悪感とKの死の理由から。
- 先生が今まで死ななかった理由は何か?
- 遺書から見る、先生が死ぬ理由のポイントは3つ
- この3つを結びつけたとき見えてくるものは?先生やKは古い人間なのか?
- 江戸でも、大正でもない、明治の精神とは?
- 「血」の問題を考える
先生はどうして死ぬのか~罪悪感とKの死の理由から。
前回のところで、Kの死まで考えることができました。
少なくともここで重要なのは、
「先生はKがなぜ死んだのか知っている」ということです。
つまり、先生が裏切ったから死んだわけではない、ということ。まして、失恋したから死んだわけでもない、ということ。そのことを先生は知っているということ。
もちろん、K自身に先生に裏切られたという認識がなかったとは言い切れません。また、失恋のショックがなかったとも言い切れません。遺書の「もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きてきたのだろう」という言葉が、特にそのことをはっきりと表しています。少なくとも先生には、そういう意味に読めてしまいます。
しかし、Kが、お嬢さんと先生の関係について知る以前に死を決意していたという事実は、それが死の直接的な理由ではないということを示しています。
そして、それを私たちが読めるのは、先生がそのことを示唆しているから。つまり、先生は当然そのことを認識しているわけです。
もちろん、そのことによって、先生の「裏切った」という罪の意識がなくなるわけではありませんから、先生が死ぬ理由はここにしかありません。だから、先生が死ぬ理由は「友を裏切った罪悪感」であっているのです。
でも、これは不思議なことです。
先生は、友が自分が裏切ったこと、失恋したことで死んだわけではないと知りながら、その罪悪感で死を選ぶわけです。しかも、ずいぶん時間が経過したあとに。
これはどういうことでしょうか。
現代に置き換えて考えます。
三角関係で人が死ぬとすると、たいていそれはふられた方です。そのことで罪悪感があるとして、人はそのことで死ぬのか?
仮に死ぬとして、でも、その友の死が裏切ったということでなく、ほかの理由、たとえば、受験の失敗とか、いじめとか、そういうことであったとき、果たして、人は自責の念で死ぬのか?
「追い打ちをかける」「とどめをさす」というのは、やはり自分の行動が、友の死の理由になっているということです。先生の場合、そうではありません。しいていうなら、気づかず、とめられなかったということに、裏切ったという自責の念が加わったと考えるべきですね。
しかも、それがずいぶん経って、「私」と出会ってから、選択される。
ここはどうしても、もう少し検討が必要になってきます。
先生が今まで死ななかった理由は何か?
これはどう見るかといえば、やはり、先生の遺書から読み取るべきです。先生の罪悪感については、このあと、ずっと書かれていることで否定する余地がありません。先生は友を裏切った罪悪感で死を選択します。しかもしばらく経った今。
では、どうして先生は、今、死を選択するのか。それを考えるために、まずは先生が今で死ななかった理由を考えてみます。
波瀾 も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻 が見て歯痒 がる前に、私自身が何層倍 歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋 の中 に凝 としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟 私にとって一番楽な努力で遂行 できるものは自殺より外 にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼をるかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
私は今日 に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹 かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲 として、妻の天寿 を奪うなどという手荒 な所作 は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻 り合せがあります、二人を一束 にして火に燻 べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
同時に私だけがいなくなった後 の妻を想像してみるといかにも不憫 でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐 を、私は腸 に沁 み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇 しました。妻の顔を見て、止 してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝 と竦 んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺 められるのです。
記憶して下さい。私はこんな風 にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉 で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括 ッ付 いていました。私は妻 のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘 を吐 いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
これを読む限り、ずっと罪悪感で死ぬしかなかった先生が死ななかった理由は「妻」お嬢さんであることがわかります。妻のために死なずに生きてきた。
たったそれだけ。
だから、たとえば妻、お嬢さんがなくなったとするなら、死の理由は明白です。しかし、そうでないとするなら、先生があえて今、死を選ぶ必要がないはずなんですね。
遺書から見る、先生が死ぬ理由のポイントは3つ
そういう観点でみたとき、また新しい言葉が出てきます。それが「明治の精神」です。
すると夏の暑い盛りに
明治天皇 が崩御 になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後 に生き残っているのは必竟 時勢遅れだという感じが烈 しく私の胸を打ちました。私は明白 さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死 でもしたらよかろうと調戯 いました。
私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生 使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談 を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
それから約一カ月ほど経 ちました。御大葬 の夜私はいつもの通り書斎に坐 って、相図 の号砲 を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将 の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争 の時敵に旗を奪 られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日 まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月 を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間 死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那 が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。
これが先生が自殺を決心するシーンの描写です。
こう考えてみると、なんだか明治時代の終わりが死の理由に大きくかかわっていることに気づきますね。
特に言葉で言うなら、
私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
ここですね。というわけで、まずはこのあたりから検証していきます。
その1 明治の精神に殉死する
先生は、自分がもし殉死するなら、明治の精神に殉死するつもりだ、と答えます。だからこそ、先生は「明治の精神に殉死する」のだという説明がなされるわけです。
でもね、これでは正直言ってなんのことだかわかりません。ちゃんと考えないといけない。学校の先生も、ここをちゃんと説明しないといけない。
先生の話はこんな感じ。
- 明治天皇が崩御する。
- 明治時代が終わり、明治の影響を受けた自分たちが生き残っているのは、「時勢遅れ」だと感じる。
- 妻にこの話をする。
- 殉死したらよかろう、と言われる。
- 明治の精神に殉死すると答える。
- 一カ月後、大葬の礼の号砲がとどろき、乃木大将が殉死する。
- 乃木大将の殉死と自分を重ね合わせ、自殺を決意する。
こんな風になります。
正直にいって、ほとんんどよくわかりませんね。
だから、先生はこんな風に書きます。
私に乃木さんの死んだ理由がよく
解 らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑 み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人 のもって生れた性格の相違といった方が確 かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己 れを尽 したつもりです。
きっとあなたには私が死ぬ理由がよくわからないだろう。
そうです。わたしたちにもわかりません。
でも、ここで、先生はヒントとなる言葉をくれます。「もしそうだとすると、それは時勢の推移からくる人間の相違だから仕方がありません。」と。あるいは、個人のもって生まれた性格の相違だと。
これ、そういえば、さっきもありました。
その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その
後 に生き残っているのは必竟 時勢遅れだという感じが烈 しく私の胸を打ちました。
そうです。「時勢遅れ」「時勢の推移からくる人間の違い」。どうも、この感覚が先生の死の理由になってくるように見えるわけですね。
その2 時勢の推移からくる人間の違い~何が違うのか?
では、「時勢の推移からくる人間の違い」について考察してみましょう。なんなんでしょう?この言葉。
この言葉だけだと考えられるのは、
「自分たちは今の時代の人から遅れている」
ということになりますね。じゃあ、何が遅れているのか?そうやって考えてみると、「先生と私」にも、この雰囲気は漂いますし、遺書の冒頭にもあったと思います。
私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを
凝 と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫 みなさい。私の暗いというのは、固 より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分 違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着 ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。
第3回の「遺書を書く理由」のところで見た部分です。
ここにも、「その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかもしれません」というフレーズがあります。「若い私」にはそれだけの過去がない、ということかもしれませんが、それが違いになります。
だとすると、ここに大きなヒントが。それは「倫理」という言葉。
倫理とは道徳であり、モラル、ですね。
「暗い人世の影」と先生は書きます。この暗さは倫理上の暗さだと。先生は倫理的に生きてきて、倫理的に育てられた。
だからこそ、倫理上の考えが現代の人、あなた=「私」とは違う。
そう先生は書いています。
そう考えてみると、先生のモラル、道徳が、生きることを許さなかった。逆にいえば、あなたなら、それを許すだろうと。現代の人たちは、私とちがって、それを許すのだろう。だから、どうして私が死ぬのかわからないだろうと、先生は書くのです。
そうです。まさにその通り。私たちは先生がなぜ死ぬかわからないのですから。まさに「私」と同様、いえ、「私」よりももっと現代に生きた私たちは、わからないんですね。
その3 伝えるべきことは伝えた
さて、この観点に立つと、先生が死ぬ理由のもうひとつも見えてきます。
私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を
判然 描 き出す事ができたような心持がして嬉 しいのです。私は酔興 に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外 に誰も語り得るものはないのですから、それを偽 りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。渡辺華山 は邯鄲 という画 を描 くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達 て聞きました。他 から見たら余計な事のようにも解釈できましょうが、当人にはまた当人相応の要求が心の中 にあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私の努力も単にあなたに対する約束を果たすためばかりではありません。半 ば以上は自分自身の要求に動かされた結果なのです。
しかし私は今その要求を果たしました。もう何にもする事はありません。この手紙があなたの手に落ちる頃 には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう。妻は十日ばかり前から市ヶ谷 の叔母 の所へ行きました。叔母が病気で手が足りないというから私が勧めてやったのです。私は妻の留守の間 に、この長いものの大部分を書きました。時々妻が帰って来ると、私はすぐそれを隠しました。
私は私の過去を善悪ともに他 の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己 れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一 の希望なのですから、私が死んだ後 でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。
これが、この「こころ」のラストでした。先生が「私」に過去を語る。そして、それはあなたへの約束を果たすだけではなく、私の要求なのだと。でも、この遺書を書くことでもはやその要求も果たしたと。
確かにこれも、先生が死を選ぶ理由です。
遺書の書き出しはこうでした。
その上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても
差支 えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命 と共に葬 った方が好 いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目 だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝 と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫 みなさい。私の暗いというのは、固 より倫理的に暗いのです。私は倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分 違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着 ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。
あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解 っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑 までしなかったけれども、決して尊敬を払い得 る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極 あなたは私の過去を絵巻物 のように、あなたの前に展開してくれと逼 った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮 に私の腹の中から、或 る生きたものを捕 まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜 ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭 であった。それで他日 を約して、あなたの要求を斥 けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴 びせかけようとしているのです。私の鼓動 が停 った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
先生は「私」を選び、そして過去を語るということをするのです。それは、「私」がまじめであるから。まじめに人生の教訓を得たいといったから。それは、先生の腹の中をきりさいて心臓をすすって、ある生きたものをつかまえ、血を啜ろうとするようなことだという。そして語り終えたら、「死」を選ばなければいけない、そんな内容なのだと先生は書いています。
こんなところから、先生は遺書を書いたのでした。この「血」の問題は、最後にもう一度ふれることにして、いったんおいておきます。
さきほどの、倫理上の考えの違いは、伝えたら死を選ぶほどの重大なことで、そして、それを伝える、ということに先生は重きをおいていたということになります。
この3つを結びつけたとき見えてくるものは?先生やKは古い人間なのか?
さて、先生が死を選ぶ理由をまとめてきました。
- 先生は明治の精神に殉死する。
- それは倫理上の考えが現代を生きる人と異なるからで、時勢遅れになったから。
- そのことを、若い現代を生きる「私」に伝える必要があり、それを伝え終わることができたから。
こんな感じになります。まだよくわかりませんね。
単純に1と2を考えると、古い人間が退場する。その「古さ」とは、道徳的に育てられた古さ。つまり、社会や家や国、そういう共同体的なものを尊重する古さ。もっというと、自由や個人を尊重する社会に対して、ついていけないと思って死んでいくというようなイメージが成り立ちます。
どうでしょう?
説明できるかどうかわかりませんが違和感がないですか?
頑張ってその違和感を説明してみます。
- なぜ、それが「明治」なのか?明治こそが自由や個人の時代ではないのか?
- それは「私」に伝えるべき過去なのか?先生の遺書の内容のどこが、社会的で道徳的なのか?先生の遺書のどこに自由や個人の否定があったのか?
実は1も2も同じことです。どんなにこの遺書を「個人を尊重し、自由に生きた反省」と読みとってみても、「私」と過ごしている場面や「私」に対する接し方をみても、どうもそんな風に見えない。むしろ、西洋的な、個人や自由の尊重する生き方をしているように見える。だからこそ、「私」は先生に近づいていったはず。
先生、そんな古風な人でしたっけ?
ここに大きな問題があります。「明治の精神」はそんなに古いものなのか?先生や漱石は、本当に自由や個人をはなから憎んでいるのか?ここでよく考えてみません?
したり顔で、漱石が時代に遅れたと書いて本当にあっているのか?私は単純にそう思います。
まず、Kを考えてみましょう。
確かにKは、「道」という言葉に代表されるように古風な雰囲気が漂います。だから、新しい風がない?いえ、ちがいます。Kは養子に出されて、医者にならなければいけないのに、そんなのまったく無視して、自分の好きなことをやるんです。それがK。自分の信じたものが正しいからこそ、先生に「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」と言葉を投げることさえできます。助けてあげた先生に対して。
先生はどうでしょう?そもそも、おじさんに裏切られたことに気づくのは、おじさんの娘と結婚させられそうになったから。その娘がいやなわけではないけれど、結婚というのはそういうものではない、と思って、そこからすべてが発覚します。
要するに、二人共、まさに明治らしい、新しい生き方を突き進んでいくわけです。
その中で、彼らは不幸になる。いや、新しい生き方の不幸に気づく。
そこまでは、もしかしたら、読んでいるかもしれないですね。その不幸は、ノスタルジーのような、昔への回帰なのでしょうか。
それならば、なぜ、二人は、自由に、個人として生きることに抵抗を感じなかったのでしょうか?
江戸でも、大正でもない、明治の精神とは?
こう考えてくると、わかりませんか?
もし、先生やKが古い考え方をしていたなら…。
そもそも問題を起こさないんです。Kはおとなしく、養子として医者になる。先生はおじさんの娘と結婚し、財産は一緒になって、うやむやになる。あるいは、お嬢さんを好きになる、あるいはそれが結婚につながるなんて発想はもたない。結婚とは家が決めるもので、決められた人とするものだから。
Kと先生がひとりの女性を好きになって駆け引きをするなんてことがそもそも起こらない。
じゃあ、逆に新しい考え方をしていたなら…。
個人を大事にしていけば、そうした欲望が他者によって作られていることも気づかず、それは自分が作り出したと思い込み、それを他者と競っていく生き方をおそらく平気で受け入れていく。
現代の私たちがそうであるように、そんなことは気づかずに傷ついていく。
たとえば、大学に入ること。たとえば、一定の仕事につき、一定の生活をすること。周りに認められること…。そうしたひとつひとつが、実は他者がのぞむものであり、他者がのぞむものを自分がいつの間にか欲していることだと気づかず、さも自分が作り出したものであるかのように感じ取り、他者との競争に敗れ傷つき、退場していく…
ちょうど三角関係で破れた人が、受験で失敗した人が退場していくことがあっても、勝った人が、破れた人のために罪悪感で退場することがないように、現代では、他者を傷つけても気づかず、自分がいつか傷ついて退場していくわけです。
そういえば、先生は言っていました。
「私は
淋 しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打 つかりたいのでしょう……」
「私はちっとも淋 しくはありません」
「若いうちほど淋 しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅 へ来るのですか」
ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋 しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元 から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外 の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
先生はこういって淋しい笑い方をした。
人間は金で人が変わり、先生は恋愛で人が変わった。自由と個人の欲求は、人を変えて傷つける。傷つく私たちは、寂しさをどこかで満たそうとして、また他者に近づく。でも、近づけば近づくほど、他者の欲望に自分が巻き込まれていく…
それでも現代に生きる私たちはそこに疑問を持たずに、自由に個人を生きていく…。
ここに先生との違いがあります。先生は、「倫理上の考え」があるわけです。
先生は決して自由を否定しているのではありません。明治に生まれてしまった先生は、どうしても、個人を尊重し、自由に生きるしかない。その正しさに気づいてしまったから。
でも、道徳的に育てられた先生は、そこで起きる傷に耐えられない。あるいは、未来に起こることが見えてしまったのかもしれません。だからこそ、先生はひっそりと暮らす。決して、自由や個人を否定するのでなく、個人として自由に、奥さんと生きながら、でも他者と交わる中で避けることのできない欲望の摩擦を極力避けようと生きる。
明治の精神というのは、狭間の精神。過渡期の精神。そう読むべきだと思います。
「血」の問題を考える
さて、こうして考えていくと、「私」すなわち当時の読者、そして私たち現代の読者に向けて、投げかけられた物語だということになります。
脳天気に、好きな人と結婚するのが当たり前だと考えていた、先生と鎌倉の海岸で出会った若い「私」に血を投げかける物語。
意識せず、新しいものを求めた「私」が結果として、先生という「過去」にその新しさを見出します。そうです。「過去」を持つから、「私」の気づかない未来の不幸という新しい視点を持っているのです。過去を持つから先生は「私」の先にいる。
「私」は先生の心臓をかち割って、血をすする。先生はその血を浴びせかけようとしています。
当然、先生は、あの夜、Kの血を浴びています。ある意味では直接浴びないというのも象徴的です。直接浴びたなら、Kの死を見たあとの、保身にはしるかのようなあの行動の順番はない。まず、血を浴びた瞬間、先生はKの死に向き合う。
だから、Kの死はどこまでも先生とは切り離されたもので、でも、確実に先生に向かって、先生の部屋のふすまに、血を浴びせかけ、先生は個人として忘れて生きることはなくなるのです。
Kから先生へ。そして私へ。だから、血をあびた私は「若い血」ではなくなるんですね。
ここから除外されたのがお嬢さんですね。先生はお嬢さんには血を見せずにさろうとしている。
果たしてそれは可能なのか…と思ったりはします。
でも、意外と可能なのかもしれません。おそらく当時の読者は、きっと「私」と同じような考えになっているはずで、血をすすろうとしたかどうかの違いですから。
そして、現代の私たちだって、血をすすったのかどうか。
先生は、はっきりと、心臓を破って、血を浴びせかけようとしました。でも、そこにどれだけの人が気づいたか。
もし、先生やKを古い時代の道徳として捉えているなら、おそらく個人や自由との対立の中で、「そうはいっても時代は変わるからね」と片付けているような気がしてなりません。
私(わたしです。わたし)は、漱石が結構、みんなが気がつかないと思って書いているような気がします。誰も気がつかないというのではなく、大半が気がつかないというような意味で。
そういう意味で、自然主義に対立していたところの漱石は、生きているけれど、やはり、何かを終わらせたんだろうなと思います。柄谷行人さんの論文ですけど。
そういう意味で「則天去私」って、本当にどういう意味なのか、もう一度ちゃんと考える必要がある気はします。
ということでおしまい。
本当のラストがあります。それは「舞姫」が終わったあとに書きます。
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というわけでこれが、本当のまとめです。