今日の質問は、「本を読めって言われるんですけど、読んだら国語の成績はあがりますか?」ということです。答えてみたいと思います。
今日は、生徒から「国語が苦手で何とかして成績をあげたい。先生は本を読めっていうけど、読んだら成績はあがりますか」というものです。
私なりの答えを書いてみたいと思います。
あなたがあげたい「国語の成績」は何か?
まず、漠然と国語の成績をあげたい、ということですが、何をあげたいんでしょうか?学校の国語の成績なんでしょうか?それとも模擬試験の国語の偏差値でしょうか?それとも漠然とした国語力でしょうか?
そもそも国語って何を勉強したらいいかわからない…という悩みはよくわかります。他の科目とちがって、何かを覚えるとか、何かを理解するとかっていうのが明確でないですからね。漢字とか古典文法とかかな。
でも、そんなの一部だし、だから、どうやって国語を得意にすればいいかわからないわけですよね。
だからこそ、一度考えてみましょう。あなたがあげたいのは、何?
学校の国語の成績をあげたいとすれば、
- 提出物
- 小テスト
- 授業での取り組み~発言
- 定期試験
といったところではないでしょうか。
だから、国語の成績をあげたいなら、これが一番。テストだって、やった文章だし、先生がした解説を書けばいいわけだし。
「そういうことじゃないんです。そういうことをやっていても国語の成績があがらないんです。」
とすると、それは模試の偏差値の話ですよね?あるいは、学校の成績以外のことを言っていますよね?
ここに成績をあげる大きなヒントがあります。
学校の授業や宿題をまじめに取り組んでいても模試の成績はあがらない。
- なぜなら、模試では読んだことのない文章を読むからです。
- なぜなら、模試では先生が解説してくれないからです。
- なぜなら、模試では正しい選択肢を選ぶからです。
- なぜなら、模試では指示に合わせて答えを書くからです。
- なぜなら、模試では突然一般常識のような知識問題が出るからです。
このように見てくると「本を読む」ことが模試の成績をあげることと簡単に結びつかないことがわかります。
もちろん、これは私を含めた国語の先生の問題でもあります。
確かに国語の授業は模試の偏差値をあげることだけが目標ではありません。だから百人一首もやるし、短歌や俳句も作るし、文学作品も読みます。
でも、それでも、国語の授業を真面目にやって国語の成績が上がらないとすれば授業の責任は重いですよね。
まあ、授業も真面目にやってないとすれば、実は質問以前ですが。
「国語の授業なんて、模試と関係ないからやったって仕方ない」というなら、そもそも自己責任。
「ずっとサボってたんですけど、国語の成績をあげたいんです。どうすればいいですか?」だとすれば、すごい失礼な質問です。だって答えは「まず教えてることちゃんとやろう」のはずですから。
まあ、いろいろおいといて、わかりますか?本を読むことは大事なことですが、模試の成績あげるなら、だいぶ遠回りです。
実力をつけたいものをやる~模試の偏差値なら「問題集」。できないものをやる!
というわけで、一つの答えは見えてきたと思います。
今あなたは何をしたいのか?
それは「模試の偏差値をあげること」だと気付きます。じゃあ、何をすればいいでしょう?
それはできるだけ、模試に近い問題をやる必要があります。
「そんなことわかってるよ…」という声が聞こえてきそうですよね?
「やってもできないんだもん。」なんてことも出てくるかもしれません。
でもね、やったってどのくらいですか?
たとえば、中学受験とか高校受験とかで、10年分ぐらいの過去問にあたる量を解いたとします。10年て結構やったような気がしますよね?
でも、制限時間が45分から60分だとすると、たかだか8時間から10時間にすぎないんですよね。下手すれば1日で解ける量です。
大学受験で考えると、たとえば、年に定期試験が5回あるとすると、これで5年分。さらに模擬試験が3回あったら、これで8回分。こんなんで成績があがるわけがありません。
だから、「やってもできない」人にまず言いたいことは、どれだけやったんだ、ということ。
次に出てきそうな声が
「だって、できないんだもん。どうやっていいかわからないし…」
という言い訳ですね。
これは他の科目もそうですが、「できないことをやる」んです。
特に現代文ができない場合、「読めない」「読んでもわからない」理由は、「読んだことがない」からです。読んだことがあれば、ありふれていればわかる。でも、難しいこと、つまり、あまり目にしていないものは読めない。
じゃあ、どうするかって読むしかない。読んでいればできるようになる。
「できない」「読めない」からこそ、やらないといけないんですね。
でも、できない人に限って、今、できることを探して、難しいことをできるようにしたがる。
わかりやすくいうと、早稲田の難しい問題ができないから、とりあえずセンター対策をやりたがる。センターが難しいと、もっと基礎からやりたがる。
これは無理です。
だから、私がアドバイスしたいのは、第一志望の問題をまずやる。できなければ、その次の志望。それもできなければその次の志望…と下げていくイメージ。で、できるところが出てきたら、もう一段上にあがる。
苦しいかもしれないけれど、やるしかないんです。特に国語、現代文は文章と語彙ですから、数学とか理科みたいに簡単な公式からの積み重ねでなく、もう当たるしかない。
あなたは、たとえば、鉄道の駅名を簡単なものと思ったり、ポケモンのキャラクターを簡単なものと思ったり、アイドルのプロフィールを簡単なものと思ったりしているかもしれませんが、私からすれば、超難問です。簡単か難しいかというのは、どれだけありふれているか、ということにすぎないんです。
だから、とにかくやることが大事なんです。
書く力をあげるには?~書く練習が必要
というわけで、書く力がない、という場合も書く練習が必要だということになります。もちろん、漠然とした書く力という意味では、日記を書いたり、要約を書いたり、感想や意見を書くことも書く力をあげるとは思います。
でも、国語の模試の偏差値をあげるという意味では、その練習をするしかない。記述問題といってもさまざまなパターンがあります。小説で心情を説明したり、表現を説明したり、評論でどういうことか説明したり、具体的に説明したり、まとめてみたり…。
それらの練習は、日記や要約や感想ではできません。
取り組むためには、その問題にあたるしかありません。国語の記述問題は、指示があり、解答の方向を決めていきます。当然、記述力といっても、ふたつの読み取りが必要になりますね。
本文の読み取りと、設問の指示の読み取りです。
そして、それができたところで、わかりやすく、伝わるような記述力が必要になります。
これ、日常でありますかね?
まして、書いて伝える。身振りとか表情とか、泣くとか笑うとか、イントネーションとかを使えず、しかも、これだけ複雑なこと。
となると、やっぱり、問題を通じて練習する必要があるんですね。
記述問題は当然、相手に伝わったかという観点がありますから、自分だけでは練習ができません。読むことと違って。
でも、まずはやること。やった上で、なかなかうまくいかなければ、先生に相談にいきましょう。やった記述の答えがあれば、先生は親身になって添削してくれると思いますよ。