国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

小論文にどう取り組むか?自分のことを書くのか?本文に寄り添う(反論)するのか?

大学受験を意識すると、AOや推薦など「小論文」というものにぶつかると思います。今日はその小論文にどのように取り組むかという話です。

小論文についてはすでに以下のように進めてきました。

www.kokugo-manebi.tokyo

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基本方針は、小論文の「論」は知識であるということなんですが、小論文の指導は、ふたつの両極端な指導になっているということもあり、そのあたりを取り上げて、小論文の準備に役立ててもらえないかというのが今回の趣旨です。

 

小論文は「自分の意見」を書くのか?それとも「本文に寄りそう」のか?

そもそも私が思う「問題のある小論文指導」は次の2つのパターンです。

  1. とにかく自分の意見を作り上げておき、どんな問題が来てもできるだけ、自分の言いたいことが書けるようにひっぱっていく。たとえば、看護に携わりたい理由や理想とする看護師像を決めておき、どんな問題がきてもそれを書けるようにする。
  2. とにかく筆者の意見をまとめて、それに「賛成」「反対」という立場を決めて、その理由をひたすら書いて終わる。

両方とも非常にシンプルで、生徒がとっつきやすいことは間違いないと思うんですが、これは両方ともダメだと私は思います。もちろん、しっかりとした論文指導をされている先生方もたくさんいらっしゃるとは思いますが、世の中には、こういうシンプルでわかりやすい指導が好まれることもあり、この二つがはびこっているように感じています。

ちなみに私の基本的な立場は、小論文の「論」は知識、というものですから、1の方だと誤解されやすいです。実際に指導仕立ての頃は、生徒から「要するに、何が来ても志望動機や理想を書けばいいんですよね?」と言われることもあります。

でも、これは両方ともダメ、です。

なぜそれがだめなのか説明していきましょう。

「自分の意見」を書いてもダメなパターン。

どうして、自分の意見を書いてはいけないのでしょうか。たとえば、次のような問題文を考えてみましょう。

「以下の文章を読み、本文の内容をふまえて、あなたの意見を書きなさい」

たとえば、「意見」にあたるところは、

「あなたの考える」「教育」「医療」「環境問題に必要なこと」など、あなたの志望学科にふさわしいような、そういうキーワードだと思ってくれればいいと思います。

だとすると、自分が志望理由をまとめたり、理想の〇〇とか、将来実現したいことなどを考えていれば、こじつけられるというか、そもそも「私の意見を書いて何がいけないの?」ぐらいの感覚でいるのかもしれませんね。

さて、何がいけないんでしょう?わかります?

これの一番の問題点は「本文をふまえて」とあることです。これをしなくていい問題パターンは、本文資料なしで、いきなり「〇〇について自由に書きなさい」という時だけ。それ以外は、必ず、本文や資料があるわけですよね。なぜ?

それは、まず、本文や資料を読み取らせたいからです。それを「ふまえる」とはどういうことですか?

そうですね。書くポイントが決まっている、ということです。たとえば「教育」と書いてあったとしても、本文に「いじめと多様性」が書いてあったのか、「学びの主体性」が書いてあったのか、「親と子の関わり」が書いてあったのかで、書くべきテーマが決まりますよね。さらに、その筆者が、必ずある主張をしているわけで、「ふまえて」書く以上、必ず、筆者の意見に寄り添いながら書くしかないわけです。

たとえば、私が「教育っていうのは主体性が大事で、自分から学ぶ経験をさせることが大切なんだ」と書いたときに、それをふまえて、理想の教育を「私はクラブ活動や学校行事の大切さを生徒に教えたい」なんて書かれると、「君、私の話聞いてた?」ってことにもなりませんか?もちとん、私の「主体性」がそもそも、多様な経験とかダイバーシティとかそういう論点なら、クラブ活動や行事も多少の摺合せがあるかもしれませんが、たとえば、「宿題なんていらないんだ、宿題がなくても学ぶ意味を知って、学び方を工夫するような、学び方を学ぶことが大切なんだ」というような、普段の授業のあり方の改善を叫んでいるとすれば、クラブや行事では、まったくちがうことになりますよね?

つまり、まず相手の意見を聞いて、それについて意見を戦わせる、議論のような展開にならないと、話にならなくないですか?

 

「本文」をまとめてもダメなパターン。

となると、もうひとつのダメパターン、筆者の意見に賛成、反対パターンが急に復活してきます。

そうですね。まさに、今、私が書いたことは、「筆者の意見を踏まえなさい」ということで、だとすれば、最初に「賛成・反対」を書けば、当然「ふまえた」ことになるではないですか。

これがダメになるのはふたつのパターンです。

その1 問題に細かい指定がある。

一つ目は実は、さっきのことと同じ理由です。問題文がさきほどのように「本文をふまえてあなたの意見を書きなさい」なら、賛成、反対からはじめることは、必ずしもいけないわけではないのですが、たとえば、次のようなものならどうでしょうか。

「本文をふまえて、筆者が提起する問題を解決する具体案を提示しなさい。どうして、その案が効果的なのか理由も書くこと」

「本文をふまえて、現代社会の様々な問題から同様の問題があるものをひとつ選び、その問題に対してどのように行動することが必要だと考えるかのべなさい」

「課題文に共通する部分、異なる部分をあげ、あなたならこの二つの対立をどのように乗り越えるか。具体例をあげて説明しなさい」

などという問題の場合、もし「私は筆者の意見に賛成です」などと書き出したら、驚いてしまいませんか?

つまり、まずは、問題文の指示に従う必要があるわけです。賛成・反対と書いていいような指示ならいいのですが、そうでない時に、「決められた型」でしのごうとすると、事態は深刻になってしまいます。

その2 自分の意見が浅くなる。

では、問題文が「本文をふまえてあなたの意見を書け」となっていたなら、賛成・反対を書いてもいいのでしょうか。

型としてはもちろん、問題はありません。

しかし、「そう書けばいいんでしょ?」と思っているなら、それは間違いです。なぜなら、合否は、「ふまえた」かどうかだけでなく、「あなたの意見」で決まるからです。

たとえば、クラスの話し合いを考えてみてください。「あなたの意見」が求められています。そのときに「筆者と同じです。筆者の言うとおりです。もっともです」と、本文に書いてあることをなぞっただけの意見があったとするなら、その意見は大事にされるでしょうか。

クラスでは、その意見に沿いながらも、もっと違う角度とか、説得力があるとか、みんなが「なるほどなあ」と思うかどうかで決まるわけですよね。

反対だってそうです。反対したって、「だからあ…」とすぐ反論を招くような意見だとするなら、みんなからすごいとは思ってもらえません。上げ足をとるようなものではだめだし、とにかく反対だから反対ではだめだし、結局同じで、説得力があったり、みんなが「なるほどなあ」と思ってくれないとダメなわけです。

つまり、ふまえただけではだめで、意見の質が問われるわけですね。

 

小論文は、「本文を読み」「指示に従い」「自分の意見」を書く。

実は、これは、言葉にするまでもない当たり前のことです。小論文のあまりに、型にはまった指導がのさばってしまったために、こんな当たり前のことを改めて書かなくてはいけなくなってしまったのです。

やることは次の3つ。

  1. 本文を正しく読み取り、資料や本文が示している論点をきちんと理解すること。
  2. 指示に従うこと。問題に答える以上、何をしろと言われているのかをきちんと理解して従うこと。
  3. 1・2の上で、他人よりもすごいと思われるような意見を書くこと。それは当然、もともと持っている知識や考えであること。

このようになるわけです。

では、ひとつずつもう少し詳しく書いておきましょう。

1 本文を正しく読み取ること

本文の場合は要約する、ということなんですが、ここでいう要約とは言葉をつなぐことではありません。「要はこういうことだよね」という本質的なことをちゃんとつかむ、「わかる」ということが求められます。過去問題を見たとき、たとえば、難しくてよくわからない、ということがあるかもしれません。その時点で「終わり」です。

だから、ふまえない意見を平気で書いちゃうんですけど、だからそれは「終わり」です。

まずは、読めるようにすること。何が問題なのか。筆者は何を主張しているのかわからないといけないんです。

資料だったら、ただしく読み取ること。そこから、問題点や対策がはじめて見えてくるわけです。

まずは、この練習が必須。

だとすると、単純に「小論文」の練習をするのではなく、受ける大学の問題のレベルをきちんと見据えて、そのレベルの文章や資料を読み取る練習が必要になってくるんですね。

2 指示にしたがって答えること

これは、「箱を作る」という作業になります。問題文の指示で、やることの数が決まるというか、箱の数が決まってくるんですね。

たとえば、さっきの私の問題例をもってきましょう。

「本文をふまえて、筆者が提起する問題を解決する具体案を提示しなさい。どうして、その案が効果的なのか理由も書くこと」

やることは、

  1. 本文の内容、特に筆者が提起する問題
  2. 解決のための具体案
  3. 効果的な理由。第一、第二、第三…という形。

「本文をふまえて、現代社会の様々な問題から同様の問題があるものをひとつ選び、その問題に対してどのように行動することが必要だと考えるかのべなさい」

  1. 本文の内容
  2. あなたがとりあげる現代社会の問題
  3. その問題にひそむ本文で指摘された原因
  4. とるべき行動
  5. その理由

「課題文に共通する部分、異なる部分をあげ、あなたならこの二つの対立をどのように乗り越えるか。具体例をあげて説明しなさい」

  1. 課題文に共通する部分
  2. 課題文で異なっている部分
  3. 意見が対立したときの乗り越え方
  4. その具体例
  5. そうする理由

このような形になるはずなんです。これは書かなくても、練習できます。いろいろな問題を見て、それこそ本文を読まなくても、箱だけは作れます。こういうことが苦手な人は、箱を作る練習をしていきましょう。

これ、わかると思いますが、国語の記述問題の練習にもなります。国語の記述の型はこちらで説明しましたよ。

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3 自分の意見をしっかりと持っておくこと

そのうえで、自分の意見がしっかりしていないといけません。そのためには、日ごろから問題意識を持たなければいけない。本を読む、テレビを見る…などですね。

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そして、実は書くこともとても大事。そもそも、筆者の意見をきちんと読み解くためには、ある程度の知識が必要です。じゃあ、どうやってその知識をつけるかといったら、読むしかない。

読めないから、知らない、読めないことを読むしかない。

だとすると、書けないから、書いて考えてみるしかない。

それが小論文の一番の効果なんですね。書くことは考えること、書かないことは考えていないこと、です。

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というわけで、今日書いてきたことにしっかり向き合うことが考えることであり、そういう単純な、当たり前のことをできる生徒を大学は欲しているわけです。

簡単そうで、意外と難しい。

どうしてかというと、今、あなたができないのはやっていないから。

どうして、やらないかというと、できなくて難しいことだから。

その難しいことに向かっていき、できないことを何度もやってできるようにしていく人を大学は欲しているわけです。

小論文の対策でも、それができるのか、そうではなくて、「とにかくどうすればいいか教えてください!」となるのかで変わるんですね。

とにかく自分のことだけ書いたり、とにかく教えられた型で書いたりするのは、結局、できないことに向き合いたくないからだと思います。

でもね、このできないことをきちんとやっていくとできるようになる。これを成長とよぶわけで、だから、やってみると、本当に楽しいですよ。

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