古文単語は10回目です。今日は「場所」に関わる語を紹介します。
単語もだいぶ進んできました。今回の「場所」と「次回」の時間でかなりの部分が網羅できるようになります。
今日は関連がある部分が少ないので、さくさくと進めていきます。
- 「あくがる」と「かる」。「かる」は掛詞でもよく出る!
- 「そばむ」は「側む」。「そばそばし」は違う意味。
- 「やる」は「おもひやる」のイメージで出ることも多い。
- 「ところせし」は漢字で書けるかどうか。精神的なものにも使います。
- 「とふ」は「問ふ」と「訪ふ」。とぶらふ、もセットで。
- 「こなた」と「あなた」
- 「かち」は「徒歩」。「ありく」は違う用法もおさえる。
- 「~がり」は「~へ・~のもとへ」。意外と見ます。
- 「くまなし」は、場所のイメージよりは、明るさのイメージ
- 「まゐる」「まうづ」と「まかる」「まかづ」の対照
「あくがる」と「かる」。「かる」は掛詞でもよく出る!
まずは、なんといっても「あくがる」ですね。「あくがる」といえば、源氏の葵の巻、六条御息所ですね。「あくがる魂」。
源氏を思えば、思うほど、気持ちが強くなって、この体から魂が、思いがふーっと出ていくわけです。
私は、これ、現代語の「あこがれる」だと説明します。「あこがれる」と、そこに向かって魂がすーっと「離れる」。
「離れる」は「離る」と書いて「かる」ですね。「あくがる」はある意味特殊状況ですが、「かる」は普通に「離れる」です。
百人一首の「人目も草もかれぬと思へば」というやつです。
人目は「離る」、草は「枯る」です。掛詞ですね。下二段です。
「そばむ」は「側む」。「そばそばし」は違う意味。
「そばむ」は「側む」で、横を向くこと。試験で出ることが多い単語です。「そばそばし」は「棱々し」で角が立っている感じ。とげとげしい、というようなイメージです。
「やる」は「おもひやる」のイメージで出ることも多い。
次に意外とテストで見るのが「やる」「遣る」ですね。漢字で書かれるとわかりますし、単独だとなんとなくイメージできるんですが、古文では組み合わせで出ることが多くて訳し落とすことが多くなります。
「みやる」みたいな感じです。見遣る、ですから、視線を向ける、といったイメージです。
「おもひやる」なんていうのは、まさに「思い」をその場所に届ける、その立場にもっていく、という感じの言葉ですね。
「ところせし」は漢字で書けるかどうか。精神的なものにも使います。
「ところせし」は「所狭し」という漢字が浮かべばおわりです。その場所が狭いこと。ただし、精神的なことにもつかいますから、気詰まりで窮屈な感じ。
用例としては、これを使うこちらが「きづまり」で「窮屈」に感じるので、相手の描写としては「堂々としている」つまり「圧迫される」感じになることも多いです。「窮屈にこちらが感じるように相手は堂々としている」ということです。
古文は、こちらの気持ちを表すことが多いのでこういうことが起こります。ちょっと注意してくださいね。
「とふ」は「問ふ」と「訪ふ」。とぶらふ、もセットで。
「とふ」も漢字が出てくるかどうかです。訪問という単語がありますが、両方とも「とふ」になります。当然、出てこないのは、「訪ふ」の方なので、しっかり押さえます。「とぶらふ」も同じ意味ですね。
「おとなふ」は「音なふ」で、これもやはり、「おとずれること」。音が強調されると「騒ぐ」という意味にもなります。
「こなた」と「あなた」
こっちとあっちですね。
こちらは近く。
あちらは遠く。彼方とよめば、遠さがわかります。
日本語では場所を、人の呼び方に使うことが多く、近いということは仲間、遠いということは、まだ仲良しではない感じです。
「かち」は「徒歩」。「ありく」は違う用法もおさえる。
「徒歩き」というような単語は今でも使われることもありますが、「徒歩」を「かち」と言ったりします。
「ありく」はまずは「歩く」ですが、まずはニュアンスとして、ただ歩くのではなく、「何かを考えながら歩く」感じがあります。
で、テストで出るのは、他の動詞とセットになって、「~して回る」とか「~し続ける」の感じのときです。
似たようなのが、「たどる」ですね。道をたどる感じでもありますが、同時に思いとしてもたどることになります。
「~がり」は「~へ・~のもとへ」。意外と見ます。
「~がり」は「のもとへ」。「知る人のがり」というような形で出て来ます。結構見かけますので覚えておいた方がいいですね。
「くまなし」は、場所のイメージよりは、明るさのイメージ
「くまなし」は「隈無し」です。隈、つまり陰がないということ。したがって場所ではなく、明るさのイメージです。隠し事がない、というような意味でも使います。
現代語だと、「くまなく探す」というような感じで、場所のイメージがつきます。こういうのも、「すべてを明らかにして」というような意味でとれなくはないですが、場所よりは「かげがない」というのが原義ですね。なので赤くしています。
「まゐる」「まうづ」と「まかる」「まかづ」の対照
最後に、「まゐる」「まうづ」と「まかる」「まかづ」です。
ある場所、囲まれた空間に、行くのが「まゐる」「まうづ」です。初詣でが、「まうづ」の連用形で名詞化ですね。
逆にそこから出て行くのが、「まかる」と「まかづ」です。
で、気をつけてほしいのは、そこを出るとすれば、「まかる」なんですね。
たとえば、「家へまかる」なんて言い方が可能なんです。こういうのを覚えた通りに退出する、とやると意味がわからなくなります。
つまり、「家へ帰る」と訳してほしいところ。
だから、「入る」と「出る」というイメージだけ持ったら、あとは通じるように訳してほしいところです。
「参る」の注意すべき用法
「参る」は基本、参上する、という謙譲語ですが、同じ謙譲語だと、「さしあげる」という意味にもなります。これは、「参る」「参らす」があるんですが、「参らす」は「参上する」という意味はもっていません。
補助動詞としては両方使います。
また、「召す」つまり「お召しになる=着る」「召し上がる=食べる」という、ふたつの「召す」という尊敬語にもなります。
「まかる」の注意すべき用法
「まかる」はそのままの意味で「死ぬ」という意味にもなります。この舞台から出て行く、という感じでしょう。「みまかる」にもなります。
あとは意外と入試で出たり、本文に出たりするのに参考書に載らないのは「まかり~」の用法です。謙譲語というよりは丁寧語的な用法で、動詞に「~ます」とつければOKです。「まかりなる」だったら、「なります」という感じです。