古文単語のシリーズは、逆接などに関わる接続に関わるものや感動詞などをまとめていきます。
逆接の語は、読解で重要!「ものの・ものを・ものから・ながら」
どちらかといえば、文法的な部分ですが、受験生が苦手とするのは、「ものを・ものの・ものから」ですね。全部逆接。www.kokugo-manebi.tokyo
百人一首だと、「ものを」が多いと思います。
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
とか
思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり
とか。
両方とも「~なのに」 と訳すところですね。
「ながら」は、
- 「先生でありながら」
- 「テレビをみながら」
というふたつの用法があります。逆接の用法もしっかり確認しておきましょう。
「さすがに」「なほ」は「そうはいっても、やはり」
続いて、「逆接的」な役割を果たす単語です。
逆接は、その前後が逆の意味になりますから、こうしたものを落としておくと、文意を決定的に間違ってしまう可能性があります。
「さすがに」は「そういってもやはり」です。
ですから、「前の部分」「とはいえ、そうはいってもやはり」「後の部分」になります。したがって、前後が逆になります。
だから、覚えるときにただの「やはり」にしないで、「そうはいってもやはり」としておくことが大事です。
「なほ」も原則としては同じ。「障害があっても、依然として」というのがもともとです。でも、それが、「依然として」だけ残ると、現在の「やっぱりね」という用法になっていくわけで、「なほ」の場合は必ずしも逆接的とはかぎりません。予想通り、やっぱり、という可能性もあります。
「なかなか」は「かえって」。
「なかなか」は、「かえって…」という感じが逆接です。「かえってしない方がよかった」という感じです。
原義は「中」ですから、「中途半端なこと」を指しますから、こういう意味も当然あります。この「中」という感じは評価になりますが、中間を指すのは、「なのめなり」とか「おろかなり」ですね。
「なのめ」は「斜め」で、水平でも垂直でもない、ということが中間のようです。
「おろか」は、不完全、不十分という形。
「なかなか」は、中間、という形です。「なかなか」は、当然現在の意味のように、「あいつなかなかやるね」というような使われ方もするわけですね。
慣用的な表現を覚える。
さあ、これから慣用的な表現です。
語源的な説明をしますが、基本的には、丸暗記してしまった方がいいでしょう。「おはよう」とか「こんにちは」とか「さようなら」とかの語源を説明することに近いので。
さればよ
「されば」は「そうだから」。それに「よ」がついて、感動詞的な用法になって、「やっぱり」。
指示語のところに、「さればこそ」を説明していますが、ほぼ同じ意味です。
さはれ
「さはれ」は感動詞だとすると「然はれ」となりますが、「さはあれ」という感じ。投げやりに「どうなってもいい」という感じ。「ええい、ままよ」という訳が多いですよね。「そうあれ!」つまり、「どうにでもなれ!」という感じでしょう。
接続詞だと「しかし」になるケースもあります。この場合は、「さはあれど」という已然形の形から来ているんでしょうね。「そうではあるが」とさっきのをとるわけです。
さは
「それでは」とか「それなら」とかいった意味です。
「さば」ととらえることもできるんですが、とにかく慣用的な表現になっています。
いで
「さあ」「いや」「どうぞ」というように、誘ったりするときに、頭に使う言葉です。
いざたまへ
「いざ」は感動詞で、「さあ」ですね。「いざ鎌倉」です。そこに「~なふ」という「~の動作をする」の意味の接尾語がつけば「いざなふ」になったりします。この場合、「たまへ」は補助動詞なんでしょうが、動詞が消えてしまっていて、「さあ行こう」とか「さあおいで」とかそんな感じになりますね。
いさ
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
なんて歌がうかびますが、「まあ」「なんというか」というような意味です。
もし
「もしかしたら」というように使われたときだけ注意しましょう。
あなかま~かまし・かまがまし・かまびすし
「あな」は「ああ」です。「あはれ」も感動詞として「ああ」となりますね。
「かま」は、「かまし」「かまがまし」「かまびすし」で「うるさい」。現代の言葉だと「やかましい」のイメージです。
というわけで、「ああうるさい」という感じ。
「うち」はほとんど意味なし
接頭語の「うち」はほとんど意味がありません。場合によって「ちょっと」ぐらいの意味がつくこともありますが。
注意が必要なのは、現代語の「うちとける」です。
「うち」に意味がないので、「解ける」古文では「とく」に、「うちとける」という意味があります。