古文単語を意味分類で整理して覚えるシリーズは14回目です。今日は、仏教に関わる古文単語を解説します。
- 「出家する」意味を持つ古文単語
- 現世と、出家をさまたげるもの「ほだし」
- 「本意」は「ほい」。出家の意味を持つことも…
- 「おこなふ」には注意が必要~念仏をとなえる・祈る
- 「契り」は、いろいろな意味での「約束」
- 「罪」は「罪」と同時に「罰」
「出家する」意味を持つ古文単語
仏教といえば、出家。世をはかなめば、すぐに出家を考えるのが、古文の世界ですね。死と同様というか、死に近い行為なので、隠語が使われやすく、ここには様々な単語があるわけです。
まずは、髪の毛を切るという行為に基づくものですね。
「かしらおろす」とか「御毛(みぐし)おろす」とかです。
姿、形が変わるという意味でいえば、
「様をかふ(変える、は古文では「変ふ」ですよね)」「形を変ふ」というところ。「やつす」もそういう意味を持ちますね。
続いて、現世を捨てて、隠居するというようなイメージ。
「世をそむく」に始まって「捨つ」「離る(かる)」「遁る(のがる)」「厭ふ」といったところ。
隠語というようなことだと思うんですが、死同様、あまりはっきりと書かないということなんだと思います。
一応、病気と死のところもみておいてください。
現世と、出家をさまたげるもの「ほだし」
「夢うつつ」とか「うつつを抜かす」という言葉がありますが、「うつつ」は「現」ですね。「うつし心」で正気ということになります。
出家したいときに、それを妨げるのが「ほだし」ですね。「絆」という漢字があたるんですが、イメージはしにくいかな。でも、意外と出てくる気がします。
「本意」は「ほい」。出家の意味を持つことも…
「本意」は「ほい」。「ん」撥音は書けないので、こうなります。もともとの望みとか、本来の目的ですが、そもそもそれが、「極楽浄土にいくこと」や「出家すること」とという意味になっているケースがあることを覚えておきましょう。
「本意なし」はまさに「不本意」。意に沿わないことや残念なことなどをさします。
「おこなふ」には注意が必要~念仏をとなえる・祈る
「行ふ」は「仏道修行」という訳がつくことが多いのですが、当然正しいんですけど、この言葉のおかげで、ちょっとミスが起こるんですよね。
「修行」というと滝に打たれたり、掃除をしたり、下手すると「活」を入れたりしていいるんですけど、このイメージは正しくない。
平安時代で、しかも貴族の仏道修行といえば、「念仏を唱える」こと。要は、お経をしっかり聞いて、たとえば説経ですね。そういうお話を聞いて、意味をかみしめながら、唱えていくことがほとんどです。その意味では「祈る」なんていうことは、非常にいい訳になることが多いですね。
これがうまくいけば、「往生」。死ぬことでもありますが、死んだだけでなく、極楽浄土に行かなければいきません。だから、死と同時に行いが報われたことをさします。
極楽浄土がある方向が「西」。西に向かっていったり、西にむかって拝んだりしている場合、極楽浄土のある方向をさします。
「しるし」は効験。念仏や加持祈祷の効果が出ることですね。報われることです。
「契り」は、いろいろな意味での「約束」
「ちぎり」は約束です。
恋愛のところでは、「結婚をすること」「関係を持つこと」でした。
恋愛であれば、「添い遂げること」でもあるし、それは「来世でもまた一緒に」というようなことにもなるんですね。
こうなってくると、仏教のところに入ってきます。「来世」を現在にすれば、「前世からの因縁」ということになってきますし、「来世での約束」というケースも出て来ます。
とにかくありとあらゆる「約束」ですから。
「宿世」は「前世からの因縁」という意味が強くなってきますね。「宿命」と書けば、現在でも意味が通じます。
「罪」は「罪」と同時に「罰」
非常に仏教的な意味合いが強い単語です。
「罪」とは仏罰に値するかのような行為のこと。しかし、それは必ず報いを受けます。因果応報ですね。ですから、その報い、つまり「罰」と同義になります。罰という単語は見たことがないです。
仏教だけでなく、道徳的なことについてもそうですね。
「罪す」などいう形で動詞化されたときなど、ほとんど「罰する」という意味になります。
「おこたり」は罪であったり、謝罪であったり。おぼえておきましょう。