久しぶりの古文読解シリーズは、「殿などのおはしまさで後」、枕草子です。
ようやくコロナから日常的な授業が戻ってきました。さまざまな指導や消毒作業などやらなくちゃいけないことはあるし、フェイスシールドだの、マスクだの、大変なこともあるし、グループワークができないなどの制約もありますが、とりあえずは日常が戻ってきました。
そうなると、授業に合わせてこうしたブログも書き進めていきたいと思います。
今日は枕草子「殿などのおはしまさで後」を読解していきましょう。
枕草子~道隆が死んだあとの定子
まずは文学史的なお話からしましょう。こうした作品を授業や問題集で扱ったときにとても重要なことは、話をある程度理解して、インプットしていく…ということです。もちろん、単語や文法もそうなんですけど、あらすじというか、作品の概要というか、こういうのを理解することは大事どころか、源氏、枕、蜻蛉、更級、讃岐典侍、土佐とかだと、知っている前提で問題を出されたり、知っていると簡単に解けたり…みたいなことが平気で起こります。
なので文学史的な理解というのは、実は作品概要というかあらすじというかそういうのがとても大事です。
これは、歌論とか国学とか演劇論(能楽ですね)、漢文とかだと諸子百家になるんですけど、思想系は知っていたらものすごい楽。現代文と違って、込み入った難しい思想ではないので、本当に全然違う!ぐらい楽になります。
だから授業でやったやつとか、模試でやったやつとか、必ず作品概要的なところを理解しましょうね。
で、枕草子です。
よく、「類聚的章段」「随想的章段」「日記的章段」なんていう3つで説明されて、最初の二つが枕草子っぽいという感じで好んで使われるんですね。類聚的っていうのは、「~もの」とか「~こと」っていう見出し立てて、名詞並べ立てる感じで、随想的章段っていうのは、エッセイですから、「春はあけぼの」っていうあれですね。
ところが、ですね。入試ではほとんど、日記的章段。つまり、清少納言をとりかこむ人々の中でいろんな出来事が起きるという、ほとんどそれが出るんです。
となると、この人間関係は覚えておいた方がいいわけです。だって、どんな人がどんな振る舞いするか知っているだけで読みやすくなりますね。
さて、まずこの清少納言ですが、中宮定子にお仕えしています。このお方は、中宮ですから、一条帝の正妻ですね。この方が男の子を生んで次期帝としての地位を固めれば、定子の父である道隆の権力はゆるぎないものになります。
摂関政治というやつですね。
帝をうらであやつるわけです。おじいちゃんがね。
なんで、おじいちゃん?と思うのは正常な感覚です。でも、帝が帝になっている以上、お父さんである帝は帝でなくなっているわけです。父方のおじいちゃんも同様。うまくできているんですね。もちろん、後には引退しても裏で権力持つっていうやり方も思いつくわけで、これは院政ですね。
もどります。定子のお父さん、藤原道隆は、娘を一条帝の正妻とし、あとは男の子の出産を待つだけの状況で、つまり、権力をもはやその手にしたも同然でした。ところが、残念なことに、病気で亡くなってしまいます。「殿などのおはしまさで後」つまり、「道隆様がこの世からいらっしゃらなくなってその後」という感じです。
普通、この状況でも定子は危うくはなりません。なぜなら中宮であるし、権力は普通、道隆の子であるところの伊周に委譲され、お兄さんである伊周が権力を持てば、後見を持った定子の権力は万全です。
しかし、日本史をちゃんと勉強していないと、道隆も伊周も名前として出てきませんよね。知っているのは、「道長」です。この人は道隆の弟。ここでは左大臣です。
つまり、この道長さんが権力を奪い取ってしまったんですね。大きくやらかしたことはふたつ。ひとつは伊周を追いやるために、彼の家来が帝に弓をひいたという事件をでっちあげて、彼を左遷というか流してしまうんです。これで、要は権力レースからライバルがいなくなりました。おりしも、タイミングは定子が懐妊している時。出産は不浄の行為なので、宮中では行われず、実家に帰ってするんですね。その時にこれが起きて、出産するはずの実家は取り壊されます。だから定子は出産する場所がなくなるんです。
ちなみにこの時出産するのが、大進生昌の家。大臣ではありません。大進。そうですね。門が小さくて車が入らないっていうあの話です。なんで、定子様が、こんな大進ごときの、車が門に入らないような家で出産しなくちゃいけないの?ってやりこめちゃう。で、伊周が流された話が翁丸っていう犬の話だという説もあるんですね。
で、ですね。もうひとつやってくれたことが、道長の娘、彰子を中宮にしたことです。すごいでしょ?正妻は一人なのに、二人にしたんですね。中国には、中宮の他に皇后もいるらしい…的な理屈で、正妻を二人にしたわけです。
こうして、道長は権力を手にしていく。その道長についていたのが、紫式部であり、和泉式部であったわけです。
清少納言は期せずして、没落する側にまわってしまったわけです。
というわけで、これが、枕草子という作品の背景です。
清少納言は、定子を一条帝に愛される女性にすべく、奮闘をする。当初、道隆は健在で、この定子の未来は明るいものとしか考えられません。むしろ、そんなキラキラした世界に入っていく、気後れする作者がそこにいるわけです。
しかし、道隆がなくなって以降、権力は道長にうつっていく。もちろん、その様子は書くことさえできない。それは権力批判になりかねないからです。
だから、そういう中でも、彼女は、中宮定子との信頼関係を描くことで、それに対抗していくわけですね。
「殿などのおはしまさで後」というのは、そんな没落の様子を描いてはいます。もちろん、そんな中でさえ、失うことのない定子との信頼関係という形で。
「職の御曹司におはします頃」とはじまる章段もあります。「中宮様が、中宮職という、中宮様のお世話をする役人の詰所に、お住まいになっていた頃」という書き出しです。中宮定子は中宮でありながら、宮中から追いやられ、そんなところで生活を余儀なくされます。
この枕草子の本質は、知っておくとかなり読みやすくなるでしょう。そしてポイントは、道隆がいるのか、いないのか。兄、伊周が近くにいれば、きっと権勢があるころです。そして、定子だけで、しかも舞台が宮中ではないとなると、今回と同じような状況であると推測されていきます。
枕草子は自慢だ、と書かれることがありますが、没落の運命にある中で、定子の素晴らしさ、そして、その定子との絆を書くことだけが、清少納言に許されたことだと考えるなら、自慢でなく、別の見え方もするような気がします。
まずは、本文の状況と主客をつかむ
さて、前置きはこのぐらいにして、本文を読みましょう。頭から全部わかろうとせず、まずは主客を中心につかんでみましょう。
殿などのおはしまさでのち、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里に居たり。御前渡りのおぼつかなきにこそ、なほ、え絶えてあるまじかりける。
右中将おはして物語し給ふ。「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳、唐衣、折にあひ、たゆまで候ふかな。御簾のそばの開きたりつるより見入れつれば、八、九人ばかり、朽ち葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとしげきを、『などか、かき払はせてこそ。』と言ひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて。』と宰相の君の声にて答へつるが、をかしうもおぼえつるかな。『御里居いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、必ず候ふべきものに思し召されたるに、かひなく。』と、あまた言ひつる、語り聞かせ奉れとなめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。対の前に植ゑられたりける牡丹などの、をかしきこと。」などのたまふ。「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば。」と答へ聞こゆ。「おいらかにも。」とて笑ひ給ふ。
げにいかならむ、と思ひ参らする。御気色にはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿方の人、知る筋にてあり。」とて、さし集ひものなど言ふも、下より参る見ては、ふと言ひやみ、放ち出でたる気色なるが、見ならはずにくければ、「参れ。」などたびたびある仰せ言をも過ぐして、げに久しくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがたに言ひなして、虚言なども出で来べし。
例ならず仰せ言などもなくて日ごろになれば、心細くてうち眺むるほどに、長女、文を持てきたり。「御前より、宰相の君して、忍びて給はせたりつる。」と言ひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれてとく開けたれば、紙にはものもかかせ給はず。山吹の花びら、ただ一重を包ませ給へり。それに、「言はで思ふぞ。」と書かせ給へる、いみじう日ごろの絶え間嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、「御前には、いかが、ものの折ごとに思し出で聞こえさせ給ふなるものを。たれも、あやしき御長居とこそ侍るめれ。などかは参らせ給はぬ。」と言ひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて、参らむ。」と言ひて往ぬるのち、御返り言書きて参らせむとするに、この歌の本、さらに忘れたり。「いとあやし。同じ古ごとと言ひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、いかにぞや。」など言ふを聞きて、前に居たるが、「『下ゆく水』とこそ申せ。」と言ひたる、などかく忘れつるならむ。これに教へらるるもをかし。
御返り参らせて、すこしほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳に、はた隠れて候ふを、「あれは、今参りか。」など笑はせ給ひて、「にくき歌なれど、この折は言ひつべかりけりとなむ思ふを、おほかた見つけでは、しばしも、えこそ慰むまじけれ。」などのたまはせて、変はりたる御気色もなし。
主客をつかむためには、なんといっても敬語です。
言語意識の高い清少納言は、説明してきたように権力争いの中で、微妙な立場に置かれていますから、このあたりの敬語の使い方について、非常に慎重で、間違いを犯さない。
権力の中にいて、しかもフィクションを描き、そのことで登場人物に感情移入して、敬語がはずれていく紫式部とは対照的です。語り手が、一女房である自分という意識があるときは、敬語がしっかり使われながら、勢いに乗って、作者の視点、登場人物の視点と重なっていく中で、敬語を使わなくなっていくのが源氏物語です。これはフィクションであるからこそ、物語であるからこそ、読み手に同じような没入感を与えてくれます。
戻りましょう。とにかく敬語でおさえてしまいたいわけです。
冒頭、こんな風に始まります。
殿などのおはしまさでのち、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮も参らせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里に居たり。御前渡りのおぼつかなきにこそ、なほ、え絶えてあるまじかりける。
「宮」と主語が明示されます。もちろん中宮定子で、だからこそ「せ給ふ」「おはします」と二重尊敬が使われます。
その「宮」は、「参ら」「せ給は」「ず」と、謙譲語で、「参上しない」「参らない」と書かれます。謙譲語ですから、「誰か偉い人のところに」「参上しない」ですね。つまり、「宮中」に行かないと。そこにいずに、「小二条殿といふ所」にいらっしゃるわけです。
さっき書いたようなこと。「事」は事件で、当然、兄伊周の事件。大変な状況です。
その後は、「うたてありしかば」「居たり」「え絶えてあるまじかりける」と尊敬語がなしです。主語が偉い人でなくなりました。ここは自分とみるべきですね。
次に行きましょう。会話文を「 」にして、主客だけを考えます。
右中将おはして物語し給ふ。
「 」などのたまふ。
「 」と答へ聞こゆ。
「 」とて笑ひ給ふ。
こんな感じです。謙譲語と尊敬語が一緒にあることはないですね。
尊敬語だけ=つまり、偉い人から偉くない人へ。
謙譲語だけ=つまり、偉くない人から偉い人へ。
冒頭は簡単。「右中将」と主語が明示されています。誰に話したかといえば、「偉くない人」。「おはす」というのも、謙譲語がないのは「偉くない人の所」に来たからでしょう。その会話が、「「 」などのたまふ。」で示されます。言っている相手が偉くないから、「のたまふ」だけ。
だから「答へ=いらへ」は「~聞こゆ」と謙譲語だけ。主体が偉くない人で、それが右中将に答えるからですね。
となれば、次の「~給ふ」も右中将で、偉くない人を笑ったから謙譲語はない、と。
こんな感じでしょうか。
というか、整理すると、右中将とだれか偉くない人とのやりとりであることがわかります。
というわけで、これは作者のようですね。
続いていきましょう。
げにいかならむ、と思ひ参らする。御気色にはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿方の人、知る筋にてあり。」とて、さし集ひものなど言ふも、下より参る見ては、ふと言ひやみ、放ち出でたる気色なるが、見ならはずにくければ、「参れ。」などたびたびある仰せ言をも過ぐして、げに久しくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがたに言ひなして、虚言なども出で来べし。
最初だけ、謙譲語がありますが、後は一切敬語がありません。厳密に言えば、「御気色」とか「候ふ」とか「参る」とか、「参れ」とか、「仰せ言」とかあるので、偉い人がいる部分もありそうですけど、全般的には、敬語がない。とすると、当然、偉くない人が偉くない人のことを言っている部分である、ということになってくるわけですね。
冒頭こそは、偉い人のことを思っている、ということになりますが、そこから先はえらくない人に関して書いている。もちろん、書いているのは作者ですね。
続いていきましょう。
例ならず仰せ言などもなくて日ごろになれば、心細くてうち眺むるほどに、長女、文を持てきたり。
「 」と言ひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。
人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれてとく開けたれば、紙にはものもかかせ給はず。山吹の花びら、ただ一重を包ませ給へり。それに、「言はで思ふぞ。」と書かせ給へる、いみじう日ごろの絶え間嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、
長女もうちまもりて、「 」と言ひて、「 」と言ひて往ぬるのち、
御返り言書きて参らせむとするに、この歌の本、さらに忘れたり。
「 」など言ふを聞きて、前に居たるが、「 」と言ひたる、などかく忘れつるならむ。これに教へらるるもをかし。
このブロックも、基本的には敬語がありません。つまり、偉くない人ブロックです。「長女」という、偉くない人があらたに出てきますが、おそらく、作者と長女とのやりとりです。
間に尊敬語、それも「~せ給ふ」という二重尊敬が入ってきますから、これは中宮。中宮から手紙が来たわけです。最初の来ない「仰せ言」もそうなると中宮でしょう。
だから、返事を書くところは逆に謙譲語。「参らせむ」となるわけですね。
でも、「忘れたり」となってしまうので、目の前にいる偉くない人とやりとりが始まるわけです。
最後のブロック。
御返り参らせて、すこしほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳に、はた隠れて候ふを、「あれは、今参りか。」など笑はせ給ひて、「 」などのたまはせて、変はりたる御気色もなし。
最後になると、また尊敬語と謙譲語が復活してきました。おそらく、偉い人が出て来たんでしょうね。
赤のところに着目すると、「のたまはす」「~せ給ふ」と二重尊敬が続いていますから、これは中宮でしょう。
となると、謙譲語の対象も、おそらく中宮であろうと。つまり、ここで、「参る」ということが行われているわけですね。「候ふ」なんていうのは、中宮定子以外ありえないだろうし。
こんな感じで、おおよその展開がわかります。
わかるところをざっとつかむ~それから細かい理解へ
それでは、もう少し、省略したところを踏まえて、内容をつかんでみましょう。
まずは、右中将が何しにきたか、それはつまり、何を言ったか、ということでもあるんですが、考えてみましょう。
右中将おはして物語し給ふ。「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳、唐衣、折にあひ、たゆまで候ふかな。御簾のそばの開きたりつるより見入れつれば、八、九人ばかり、朽ち葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとしげきを、『などか、かき払はせてこそ。』と言ひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて。』と宰相の君の声にて答へつるが、をかしうもおぼえつるかな。『御里居いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじきことありとも、必ず候ふべきものに思し召されたるに、かひなく。』と、あまた言ひつる、語り聞かせ奉れとなめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。対の前に植ゑられたりける牡丹などの、をかしきこと。」などのたまふ。「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば。」と答へ聞こゆ。「おいらかにも。」とて笑ひ給ふ。
げにいかならむ、と思ひ参らする。
さて、この長々とした台詞が、さっきの作業で、右中将が作者に語ったものであろうと思われます。
その前提で、要は、何が言いたいんでしょうか?つまり、訳なんか解釈、読解においてはある意味でどうでもよくて、大事なのは「何が言いたいの?」ってことですね。
まず、「今日、宮に参りたりつれば」とはじまります。尊敬語はなくて、「参る」だし、「宮に」ってついてますから問題ないと思いますが、「今日、中宮定子様のところに参上したんだけどね…」ぐらいの入りです。
だから、きっとその報告。
次に、難しいことはさておき、赤です。「あはれなり」が2回、「をかし」が3回出ています。単語のところで勉強してほしいところですが、「美」を表す単語です。要は、「すっごいよかったんだ~」という感じ。ネガティブな単語はないから、「中宮定子様のところに行ったらよかったよ~」ということでしょう。
となると、作者へのメッセージは?
中宮定子のところを離れて里に下がっている作者、というのが読めていれば、「行ったら?」みたいな感じでしょう。
だから「参りて見給へ」と命令文があるんです。
じゃあ、気になるのは作者の返事です。
こんなの二択。「行く」か「行かない」か。もちろん、「考え中」とかもありますけど、それだって行く方の考えるか、行かないから考えるか、ですよね。
作者の答えがわかりにくいのでよくわからないけど、極端なことを言えば、そのあと、行くか、行かないかを見たって、ここでどう答えているかはわかります。
ちなみに、次の段落のはじまりは、「げにいかならんと思ひ参らする」となっていますから、「本当にどうだろうと思い申し上げる」という感じ。「なる」という語からすれば、中宮様がいらっしゃるところは本当にどんな感じなんだろう…というあたりでいいと思います。少なくとも、「~参らする」と謙譲語がありますから、思う内容は中宮定子様のこと。だから、中宮様はどうしていらっしゃるだろうというのもありですが、尊敬語がない感じからすれば、場所のご様子というのが無難でしょう。
いずれにせよ、気になっているという感じ。だから、「本当は行きたいけどいけない」ぐらいの感じですね。
さて次の場面に行きましょう。
げにいかならむ、と思ひ参らする。御気色にはあらで、候ふ人たちなどの、「左の大殿方の人、知る筋にてあり。」とて、さし集ひものなど言ふも、下より参る見ては、ふと言ひやみ、放ち出でたる気色なるが、見ならはずにくければ、「参れ。」などたびたびある仰せ言をも過ぐして、げに久しくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがたに言ひなして、虚言なども出で来べし。
例ならず仰せ言などもなくて日ごろになれば、心細くてうち眺むるほどに、長女、文を持てきたり。「御前より、宰相の君して、忍びて給はせたりつる。」と言ひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれてとく開けたれば、紙にはものもかかせ給はず。山吹の花びら、ただ一重を包ませ給へり。それに、「言はで思ふぞ。」と書かせ給へる、いみじう日ごろの絶え間嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、「御前には、いかが、ものの折ごとに思し出で聞こえさせ給ふなるものを。たれも、あやしき御長居とこそ侍るめれ。などかは参らせ給はぬ。」と言ひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて、参らむ。」と言ひて往ぬるのち、御返り言書きて参らせむとするに、この歌の本、さらに忘れたり。「いとあやし。同じ古ごとと言ひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、いかにぞや。」など言ふを聞きて、前に居たるが、「『下ゆく水』とこそ申せ。」と言ひたる、などかく忘れつるならむ。これに教へらるるもをかし。
最初ですが、「にくし」というのがまた出てきていますが、かなりネガティヴな感情ですね。そして「参れ、などある仰せごとをもたびたび過ぐして」というあたりからすると、やはり行かない感じであることが読み取れます。
このあとの長女(をさめ)が出て来るあたりで混乱しそうですが、骨格だけつかむと意外と簡単。
まず、どうも、中宮からの「参れ」という仰せ言が来なくなったらしい。それは、心細いんだそうです。
そうなると、「文」がくる。二重尊敬からこれは中宮定子からの手紙で間違いない。「うれし」なんて言葉も見つかります。このままいくと、「行く」方に傾きそうですね。
で見つかるのが、「御返り事書きて参らせむ」です。少なくとも返事を書く気になったらしい。
それで、さっきも見た最後に行きましょう。
御返り参らせて、すこしほど経て参りたる、いかがと例よりはつつましくて、御几帳に、はた隠れて候ふを、「あれは、今参りか。」など笑はせ給ひて、「 」などのたまはせて、変はりたる御気色もなし。
ここでは、明らかに中宮定子がいます。だから、ここで「参る」を見つけないといけない。
まずは「御返り参らせて」です。返事をする。その後、「参りたる」で、中宮定子様のところに行く。だから、「笑ふ」中宮定子を見ることができるわけです。
このように、まずはわかるところを中心に、状況を考えていくと、少なくとも骨格がわかるようになってきます。
これで、入試問題が解けるかどうかは別です。
いくらおおよその話が分かっても、設問となるところの単語や文法の解釈が甘いと、そこをひっかけられてしまいます。
たとえば、東洋とか立教のイメージだと、いくら話がわかっても、設問が、単語とか文法の訳問題になっているので、いくら本文に入りそうでも間違っていれば間違いになるし、東大あたりの解釈問題だと、受験生がつめの甘くなるところとか、勘違いして取ってそうなところに限って出題されてきたりするわけで、だから、これで解決するというわけでなく、ここから、細かい文法的単語的な理解に踏み込むわけです。
ただ、大事なことは、この両面が必要で、こういうことは、こういうことを練習する中でできるようになるのであって、単語と文法をやればできるわけではないんですね。
なので、ぜひ、こういうおおざっぱな解釈も練習しましょう。
では、次回は、細かく解釈をしていきます。