国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

読むだけ現代文! 近代の産業と都市が、私を「個人」にする~均質化の時代へ

読むだけで現代文を得意にするシリーズは、現在「都市と自己の関係」について扱っています。今日は、近代における産業化と都市化、そして、グローバリゼイションについて考えていきたいと思います。

前回は、都市と自己の関係について考えました。今日は少し歴史的な変遷を踏まえながら、現代の都市が私たちにとって、どのようなものになっているのかを考えてみたいと思います。

前回はこちらからどうぞ。

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産業化による都市が誕生するまで~交通手段の発達とライフスタイルの変化

スタートは、西谷修さんの評論をベースに考えます。つい最近早稲田の法学部でも出ていましたね。グローバル化が進んでくることによる都市の状況は、やはり大きな問題点になりますから。

私たちは、農耕を覚えてから集落をつくって定住することになります。この定住により、富を蓄積したり、身分ができたり、社会的な階層や役割を作ったりするわけですね。

こと日本に関して言うなら、縄文期の狩猟採集の文化の中でも、栗の木を「植えて」採取したようなあともみつかっているらしく、「農耕によって定住が実現する」という表現がどれだけ正しいかは問題がありますが、生活の術が、農耕にシフトすればするほど、私たちは、その「場所との関わり」を持つことになるわけです。その土地を離れては、生活する手段がない、というような状況ですね。

農業や漁業、あるいは林業を営めば、そこを離れることはできない。その場所とともに生活していくことになるわけです。

しかし、近代に入っていくと、これがふたつの面からくずれていくわけです。

ひとつはなんといっても、産業化です。

人々の生活の手段が農業だけでなく、いわゆる工業などの形になっていきます。そうすると、そこに大量の労働力が必要になり、そこに都市が誕生するわけです。今までは、どんなことがあるにせよ、その場所に意味があり、その場所とともに生活をする必要がありました。しかし、この都市での労働は必ずしも、その場所である必要がないようなものになっていくわけです。もちろん、都市が生まれればさまざまな商業的なサービス業も生まれるでしょう。これが、都市の中でのサービス業であるならば、ある程度、場所との結びつきが存在します。今でもそうですよね。その街とともにある商店街というようなイメージです。

しかし、多くの産業は、そこである必然性はない。本社は移転できるし、引っ越ししたからって大きく変わるわけではない。個人経営の飲食店とか、学校の前とかの商店とは違うんです。

産業化によって、私たちは、そこでなければならない、という場所との結びつきを失っていくわけです。

もうひとつは、なんといっても、交通手段の発達。これによって、瞬時に劇的な距離を移動することができました。特に飛行機がもたらした事態は新たな局面を私たちに与えているのですが、これはあとでまた書きます。

交通手段が発達し、産業化が進むことで、人口は都市に集中することができます。

これは、近代における「個人」の確立に、重要な役割を果たしています。都市に住んでいないということは、私たちは、ある種の集落、共同体の中を生きているわけですね。それは、たいていの場合、農耕などの場所との関わりを中心にして出来上がります。その中では、役割があり、場合によっては身分があるわけです。そこで生きていると、こうした長年の伝統的なしきたりや役割や身分に、私たちは生まれながらにして拘束されてしまうわけです。

ある意味では、自由や平等とは程遠い世界です。土地を持っている人がいて、財産を持っている人がいる。その共同体の中で伝統的に地位を占めている人がいる。

そういう中で、自分のあり方が決められてしまっているわけですね。こうした中で、しがらみを離れ、自由を求める場として、都市ができあがったともいえるわけです。

都市は、そういう意味で、土地や人との結びつきを離れて、人が個人として、自由であろうとする場として、存在するわけです。それを実現したのが、産業化であった、ということです。

 

 国民国家の誕生~難民はどこに行くのか?

現代において、すべてが産業化された、都市化されたとはいえませんが、大きな仕組みに関しては、やはり産業化され、都市化されたと考えていいでしょう。

農業だって、温室や場合によっては工場の中で作ったりすることもできますし、漁業にしても、養殖などの状況は必ずしもその場所でなければならない、という状況から動きつつあります。

また、農業がその場所でならぬ、というのは、生産したものをその地域の人たちでともに食べていたということであり、現代は、農業は流通を使って場合によっては世界中の人をターゲットにしていて、隣の人がその野菜を食べているわけではありませんし、それが加工品、製品となって売られるということも同時に起こっているわけです。

どんなに自分が土地と結びついて暮らしているつもりであったとしても、周りに住む人たちは、産業化された人々であり、隣に住んでいる人との結びつきは失われているし、どんなにその地域でみんな仲良く助けあっているにしても、他の地域で作られたものや他の国から輸入されたものの影響を受けないわけがありません。

民主的で、自由で、平等である前提の枠組みの中を私たちが生きているからです。その枠組みの中で、私たちは自由に住む場所を選び、移動している。そもそも、その場所とつながっていきる必然性をもっていないからですね。

というわけで、こういう枠組みを「国民国家」、「ネイションステイト」といいます。だいぶ社会科学の分野に入ってきました。

これ、覚えてください。近代以前の国家と、近代以降の国家をわけてこういいます。

自由と平等と民主主義を、国は掲げるわけです。誰のためでもなく、国民のために国はある。実際はともかく、建前はこうなるわけですね。

これは、近代以前の、いわゆる「しがらみ」にあふれた「共同体」とは本質が異なります。誰か偉い人や金持ちがいて、人々の役割や身分が固定されて…。

そういう「クニ」と「国民国家」は違うんですね。

近代以降、人々の人権、自由と平等は、建前上は保証され、地球上がこの価値観で埋め尽くされようとしているわけです。

そして、いまや、すべてがどこかの国民国家の領土となり、地球上のすべての場所が自由と平等と人権が保証されるわけです。もちろん、人権侵害や自由がないという問題は起こります。でもそれは「問題」なんです。つまり、「うちの国のことだから関係ないだろ!」と言い放つことはできても、その国も、国民国家的な価値観の他の国との関係の中にいるわけですから、他の国から批判されたり、攻撃されたりすることもあるわけですね。

経済制裁であるとか、国連勧告であるとか、場合によっては武力による介入ということも起こりうるわけですね。

だから、人権は保証され、自由と平等は地球上すべてにあるんです。

「イスラム国」は国を名乗りますが、世界は認めません。なぜなら、世界は自由や平等が保証された国民国家でなければならないからです。ただの独立とはわけがちがうんですね。

そして、地球上は、すべての国民国家の場所になっているということは、この時代、さまざまな問題で、国家を、住む場所を失った人々は、果たしてどうするのかということが起きるわけです。これが難民問題。

たとえば、人権を奪うような状態が起きる。たとえば、内戦が起きる。たとえば自然災害によって住む場所を失う。パレスチナのような問題だって世界の中では起こります。

シリアのような状況になれば、一般市民は住む場所を失います。その人たちはどこかへ行かなければならないけれど、そこはすでに誰かの場所なんですね。

こうした人たちをどう受け入れていくのか、どう保証するのか。EUは基本的にはこれを受け入れてきたわけだし、アメリカだって伝統的に多様性を受け入れる国として存在してきたわけです。しかし、こうした人たちは、「もともとのその国にいた人」ではなく(実はこの部分がまた大きな問題をはらんでいます。これはまた次回)、その人たちが、医療や社会保障を受けつつ、また労働を奪っていくという中で、排除の動きがでてくるわけです。

イギリスはEUを離脱し(今後どうなるんでしょうか?そもそも離脱できるのか?)、アメリカはメキシコとの国境に壁を作り、さらにはイスラム諸国に入国制限をかけたりするわけです。ドイツもフランスも、だいぶ自国民の優遇ということを考えつつあります。

日本に関していえば、この難民の受け入れに関しては、ものすごくハードルが高い状況です。今後、この問題は移民とか外国人労働者の受け入れとかと合わせて、大きな問題になり、入試問題でも問われ続けていくことでしょう。

でも、現代文では表面上の話だけでなく、根本的な原理を理解することが重要です。今書きかけた「原理」は次回のテーマなので、そこは次回深くやりますが、今日の「原理」は簡単。

世界中が国民国家の境界ですでに覆われてしまった。だから、もう新しい土地は残っていない。でも、そういう中でさまざまな事情で、住む場所を失った難民たちはどこに行くのか。どうやって住む場所を作るのか。それが大きな問題となっているということです。

その難民(この場合、移民、場合によっては不法に滞在している人も含むものとして読んでください。)がどこかの国にいけば、その国の文化やしきたりや制度や法律の中にまきこまれます。しかし、多くの国の制度や法律の中では、排除されるべき存在になりますね。どこの国にも、本来いていはいけない人が法律の陰の中で存在しているわけです。

こういう人たちの居場所を真剣に考えなければいけない時代になっているわけです。大きな国家からの独立の動きはいまだにいたるところでくすぶり続けていますし、内戦や政治や経済の動きの中で、そこに住み続けることができない人たちもまだまだ出て来るでしょう。

 

共有されていく価値観~どこに住んでも同じ世界

世界中が、自由と平等と民主主義で覆われていると書きましたが、実は、文化や経済もかなり似たようなものになりつつあります。

たとえば、着ている服。私たちは「洋服」なんていう風に呼びますが、その国の伝統的な服装で暮らしている国家や民族がどれだけあるか…。

いつの間にか、世界中の人たちがいわゆる「洋服」を着ている時代がやってきました。たとえば裸族のような暮らしをいまだに続けている人たちがいたとしても、そうした人たちの暮らしの中にさえ、文明の利器、たとえば、鍋であるとか、そういうものはどんどん入り込んでいます。

私たちが海外旅行にいったところで、すでに知っている飲食店、マクドナルドにKFC、コカコーラの缶やペットボトルを目にすることになるわけですね。

日本で考えたところで、どの町にいっても、同じようなファーストフードに、同じようなファミリーレストランに、同じような書店に、同じような衣料品店。同じようなドラッグストアに、同じようなスーパーがあって、同じようなショッピングモールがあるわけです。

私たちは、都会に出た時点で故郷を失いました。

「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うもの」というのは室生犀星ですが、当時は、故郷を離れて、都会に行き、そして、故郷を思っていたわけです。都会には、故郷にあったものがなく、故郷には都会にないものがあったからです。

現代では、そういう意味での故郷は存在しません。

そもそものルーツさえない可能性が高いんです。

たとえば、私は、新興住宅地に住んでいます。親はこの地に何の関わりもありません。首都圏の新興住宅地に住んでいる人の大多数はそこにルーツを持っていない人たちです。でも、長く暮らせば、一定のコミュティが出来上がります。新興住宅地だからといって、人との関わりがないわけではありませんし、私だってそこで暮らせばいわゆる「幼馴染」やそのお父さんお母さんという地域が生まれるわけです。

しかし、そのお父さんやお母さんは、その地域にルーツがあるわけではありません。だから、私たち子どもが成人すると、ちょっと違う変化が起きるんですね。

私たちは成人すると、また、それぞれの生活に根差した「住宅」を求めます。農業とか自営業とかを営まない限り、私たちは勤めた企業に合わせて、それぞれの住宅を探します。まさに親と一緒です。それでも、親が働いているうちは、親はそこに住みます。たいていは親の会社の都合で選んだ住宅ですから。

しかし、親が定年になると、必ずしもそこに住み続ける必要がなくなります。たとえば、年老いた介護が必要な親がいた場合。生まれ育った故郷があった場合。もともとを違う地域で過ごしていた場合。子どもが巣立っていき、また、自分をそこに縛り付けていた会社がなくなったわけですから、もうそこにいる必要がないんですね。

定年後、のんびりと田舎で暮らそうとか海外に移住しようとかそういうプランもあるかもしれません。

そうすると、当然、私の同級生が戻ってくる「故郷」がなくなるわけです。私たちはすでに大人になっています。小学校、中学校を過ごした地域は、確かに故郷です。しかし、そこが故郷であるのは親が住んでいたからです。もし、その親が引っ越してしまえば…?私たちが帰省するのは、親の住んでいるところになるわけです。

そういえば、私は子供のころ、帰省先は「八王子」だったんですが、それはおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいたからで、決して親が育ったところでも、自分のルーツがあるところでもありません。そして、それでもその思い出のあるおじいちゃん、おばあちゃんの家は、二人がなくなってしまった今は、訪れることができませんし、その家に訪れない以上、八王子に行く動機もないわけです。

というわけで、私はたまたま幼少期を過ごした地域に、独立して家を構えているわけですが、同級生はそうではありません。それどころか、帰省してくることもないんです。引っ越してしまったということですね。

だから、正月とかお盆とかに実家に行ったとしても、会うことがない。同級生が住んでいたところには違う人が住んでいるからです。

なんとなくわかってきましたか?ぼくらは「故郷」を喪失している。どこに住んでもよくなっている。どこに住んでも変わらないし、どこかへの思い入れもない。

たぶん、ぼくらの「故郷」は、自分の幼少期という時間とともに場所が存在しているだけで、明確な場所ではない。なぜなら、ぼくらはその場所とのつながりを失って、ただの土地に生活しているからです。ぼくらの「故郷」的な思い入れは、実際はその土地と切り離された「思い出」というような記憶の場所に存在していて、それは場所を媒介として誰かとつながっているわけではないんですね。

 

 失われる「場所との関わり」「人との関わり」~メディアそのものになる個人

私たちは、「場所との関わり」を失って、ただそこで生活をしている。その「場所」を媒介した「他者とのつながり」も失っていくわけですね。

「場所」というのはおもしろいもので、たとえば、商店を考えてみれば、その商店を訪れるたくさんのお客さんによって、その商店らしさが生まれる。そして、その商店らしさによって、私が影響を受けるわけです。

公園だって、道だってそう。そこには見知らぬ他者がいて、その見知らぬ他者の場所に対する行動とか思いが、場所を媒介して、私に影響を与えるわけですね。

でも、その「場所」が、均質化してどこでも同じ場所になり、どこも変わらないところになる。

そうすると、人と人とがダイレクトにつながり、人自身がメディアのようになっていくんですね。現代的な場所の状況をふたつおさえておきましょう。

ひとつは、空港の話、もうひとつはネットの話です。

「空港」の状況は、非常に現代的です。

「空港」というものが移動の手段だけであるならば、ドラえもんのどこでもドアのようなもので、それ自体に意味があるわけではありません。気が付いたら異世界にいるわけで、異世界は逆に「場所」としての意味をむしろ強く持つでしょう。

しかし、現代は、たとえば「ハブ空港」という言葉に象徴されるように、空港自体が場所として機能するようになっています。トランジットとかハブとかいう言葉がありますが、その媒介をしていく、連結点のような無色透明の、味のないはずの場所で、私たちはその身を置き、時間を過ごすことがあるわけです。

そこには、さまざまな目的地を目指す人が、あるいは帰る人がいるわけですね。そういう雑多な人たちが集合し、ひとときの同じ時間を過ごす。中には空港で過ごすことを目的とする人たちもいるわけです。しかし、その空港という場所は、国としても非常にあやふやで、特にトランジットであったりすると、その国に入国もしていないような「どこでもない場所」ということになるわけです。

それでも、わたしたちは、その無色透明などこでもない場所で、確かに時間を過ごし、多様なひとたちとともにいて、その無色透明でどこでもなく、思い入れもない場所からも、なんらかの影響を受け、あるいはその場所に何らかの影響を与えるわけですね。その場所は、決して私たちの生活のように、固定した誰かの思いが堆積していくわけではなく、けれどそこに思い入れのない、さくさんの誰かの思いによって、その空港という場所のありようは確かに堆積して形成されていくわけです。

むずかしいかな?私たちひとりひとりはその場所に思い入れがなく、通りすぎていくだけだけど、思い入れのないたくさんの思いが堆積して、無色透明である特定の場所が形成され、そこでの体験も私たちに影響を与える、ということです。

こういう極端な状況を想定すると、実は私たちの現代の状況がひとつ見えてくる気がしませんか?

私たちは、今、いる場所にそれほどの思いを持たずに生活し、通り過ぎているけれど、その思い入れのない「思い」が、その場所のありようにそれなりに影響を与え、そうした場所しかない状況が、私たちのありように影響をあたえる、ということです。

これを考えてみると、もうひとつ、その「場所」という概念をどんとなくしてしまったのが、「ネット」という場所であることに気づきませんか?

ノマドワーカーなんて言葉もありますが、仕事と場所の結びつきが薄れるということは現実に起こっています。(だからといって、その人のプライベートが場所との結びつきを欠いているとはかぎりませんが…)少なくとも、場所という概念が、ネットによって、もう一段不必要なものになっていくけです。

それが具体的に見えるのが、トランジットで訪れている空港であるということです。

この間、データダブルの話を書きました。東大で出たやつです。

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私たちは、現実の他者であるとか、場所であるとかの結びつきを軽視します。しかし、その媒介している場所を軽視すればするほど、自分自身が発する言葉、ネットの場合、文字とか画像とかのデータ、ということになるんですが、それがよりその人として他者とつながるようになる。

場所という媒体がなくなった結果、その人自身が媒体となり、その人自身を媒介して、ネットワークができあがっていくわけです。

近代になって、人々は、場所との結びつきを失い、個人として世界を漂流しはじめました。それでも初期は、自分が結びついていた故郷があり、あるいは今、生活をしている場所と自己との交感があったはずです。

しかし、どんどんと都市は無色透明になり、人々はさらに場所での生活をうしなっていきます。その結果、自分自身が情報を媒介する、媒体そのものとなりながら、浮遊するような状況になっているんだといえます。

そのとき、実は「個」の拠り所となるものは何なのか?ということが問われようとしているんですね。

もともとは、場所に根差し、それは場所と関わった他者とつながり、あるいはその場所に刻まれた歴史とつながることでした。それが「故郷」ですね。そのルーツのようなものが、都市化の中での拠り所だったというのが近代でしょう。

しかし、現代では、そうした拠り所を、自ら排除していくわけです。もちろん、その埋めるものとして、国や地方自治体といった行政に、埋めてもらうにしても、生活をしていく上での「孤独」な感覚は埋めようがありません。

ありとあらゆるつながりを排除しながら、個人そのものも情報の連結点のような媒体となっていってしまったとき、私たちはどこで安らぎを求めるのか?

「ネトウヨ」ではありませんが、ネットの中にそうした極端な伝統主義や懐古主義がより強く存在すること、そうした右傾化する人の中の多くが高齢者や自営業などのもともとのつながりが多い人が多いこと、多様化するネットの中でこそ、「テラハ」や「君の名は」といった極端なヒットが生まれること、ネットのつながりが当たり前になった若者たちには、LINEの既読スルーのような小さなコミュニティの絶対性があることなどは、こうした「場所」との関わり、ひいては「他者」との関わりと深くかかわっているような気がするのです。

 

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