「おもしろい古文の世界」シリーズは今回から、和歌に入っていきましょう。和歌っておもしろい!っていのが今回の目標です。
「和歌がおもしろい?」と思う人もきっと多いでしょうね。
多少譲ってもらうにしても、「おもしろい」というよりは、ちょっと文学好きな人が「キュンとする」というぐらいがいいところで、多くの人にとって、和歌がおもしろいなんていうことは感じられないと思うんです。
でもね。
和歌っていうのが、人と人とのコミュニケーションであるとするなら、笑わせようとすることだってあるし、あるいはラブレターであるとするなら、「こんなダサいラブレター書くなんて…」っていう表現もあると思いませんか?
というわけで、今日はそういうお話です。
和歌は、手紙でラブレター
和歌が本文に入っていたりすると、「ああ、和歌が入ってる…」と憂鬱になる人も多いかもしれませんね。
でも、物語としても、恋愛をする当人たちにとっても、それこそが大事。
どういうやりとりをしたか、どんなおしゃれな口説き方をしたか、それこそが大事で、本質なんですね。
恋愛映画がなんでおもしろいかって言われたら、それは恋愛のシチュエーションじゃないですか?
それこそ、男と女がいて、それで恋をするっていうのはありとあらゆるところに転がっているわけで、そういう中から小説にしたり、映画にしたりするのは、お洒落さというか、キュンとするシチュエーションというか、そういう部分ですよね?
それが和歌。
だから、和歌のおもしろさをちょっとでもわかってほしいわけですね。
まあ、そんなことは百も承知で、読み取るのが難しいんですよね?
というわけで、まずはこちら。
読んでほしいのは間違いないんですけど、まとめると、
- 和歌は「メッセージ」。だから、訳すよりは、まず「言いたいこと」をつかむ。
- 和歌は「直前の内容」を詠む。だから、直前の内容とか心情をおさえる。
- ということは、「直前の内容」が「メッセージ」
ということです。
まずは、これを頭においた上で、それをどんな風にお洒落に飾り付けをするかを考えたいわけですね。
本当はこの飾り付けが、和歌の肝で、どうお洒落にするかを競っているんですけど、みなさんからすれば、この部分が余計だということになるのかもしれません。
というわけで今日は「返歌」の話です。
和歌の基本は、男女の贈答
和歌というのは、男女の贈答ですね。
たとえば、後朝の歌。「きぬぎぬ」と読みます。
通い婚の時代、貴族の男は夜に女に会いに行き、朝に別れる。女は男の訪れ、夜になるのを待ち、そして朝が来ないことを望む。
たとえば、鳥の鳴く声、なんていうのが出てきますが、これは鶏の鳴く声で、これが聞こえたら、二人は別れる。そんな悲しい鳴き声なんですね。
男と女の来ている服は、重なっている。それが衣々。朝になる前に、男は家に帰っていきます。そのことの「後」の「朝」。
男は女に歌を贈る。使者が届ける。そして女も男に歌を贈る。
これが和歌の贈答です。
もともとは、筑波山の男女の神様の贈答までさかのぼる。
だから、中世に入って、連歌の時代になると、そうした作品に、「つくば」の名が冠されるわけです。
平安時代の王道は、そういう男女のやりとりに、お洒落さを見出して、そしてキュンキュンしたいわけです。
でも、それは一方で、コメディのネタにもなる。
どうしようもなくださくて、ふざけてて。
普通だったらこうするでしょ!という前提を裏切ったりもするわけです。
さて、そんな予備知識をもとに、笑っちゃう男女の返歌を見ていきましょう!
返歌って、言葉を対応させて詠むものですよね?
まずは「沙石集」。仏教説話集です。
ある女房のもとへ言ひ遣わしける、
君をのみ恋ひ暮らしつる手すさみに外面の小田の根芹をも摘む
この女は、何とも返事せざりけるを、女童の、こざかしきが、「いかに返事は候ふまじきか」と言ふを、「何といふべしとも覚えず」と言ふに、「和歌の返事は、皆、かのことばをあひしらひて候ふべき。やすく候ふものを。御返事とて、さらば、童、申し候はむ。」と言ひければ、「はや、何とも」と言はれて、
我がしらみふなあかしかめ足もむちやう背戸の畑にごぎやうをぞひねる
ことば毎に対句を言ひける、心ききてこそ。
そんなに難しくはないと思うんですけど、和歌が入るとびびっちゃいますね。
なので、一応解説ね。
ある女房のもとに男から歌が届く。
内容なんていいんです。要はラブレターですから。それだけわかれば十分。
歌の中で言えば「君をのみ恋ひ暮らしつる」あたりがわかればいいんじゃないかと思います。「あなただけが好き。そうして毎日過ごしてます」みたいなメッセージですね。
ここまでわかれば十分ですが、一応歌自体を解説すると「手すさみ」は、ひまをもてあまして何かをする。ここでは、外の田んぼに行って、根芹(ねぜり)を摘む…と。芹を摘むとそいう歌です。
で、この女はどう返事していいかわからない。そこにいる子どもが「返事をしないつもりか」と問い詰めます。「まじ」があるから、打ち消しの意志ですよ。
女房は「何と返事していいかわからない」というわけです。
だから、子どもは「そんなの簡単だから私がやる。」と。「和歌の返歌は言葉ごとに対応させればいいんだから」
さあ、その歌です。
みなさんわかりますか?
我がしらみふなあかしかめ足もむちやう背戸の畑にごぎやうをぞひねる
なんだか、訳のわからない歌ですね。がんばって訳してみます。
私のしらみ。フナが明るい。亀。足をもむという、家の中の扉の畑にあるゴギョウをひねります。
いやあ、意味不明です。なんだかわかります?この歌。
そうなんです。意味なんてないんです。元の歌と比べてみましょう。
君をのみ恋ひ暮らしつる手すさみに外面の小田の根芹をも摘む
我がしらみふなあかしかめ足もむちやう背戸の畑にごぎやうをぞひねる
色分けしました。なんと、このがきんちょ、言葉を対応させたのです。
ちょっとクイズです。
それぞれの言葉をどう取ると、あんな返歌になるのでしょう?漢字を忘れて、ちがう漢字を当てたりするとわかります。
それでは正解。
君、だから、我が。
のみ、だから、しらみ。
ね?ひどいでしょう?
鯉=鮒、暗し=明かし、鶴=亀、手=足、すさみ=もむ、外面=背戸、セリ=ゴギョウ、摘む=ひねる
こんな感じです。
もちろん、返歌の意味は不明。なんかこうなってくるともうギャグの世界ですね。
こんなふざけた返歌もあるんです。小学生のギャグみたい。
ちゃんとした恋愛の贈答もあれば、こんな歌もある。
たぶん読者は、返歌を読みながら、語の対応をクイズのように探すんですね。「のみとしらみ」「恋ひと鮒」とか「暮らしと明かし」とか、なんか本当に謎解きで、わかるとちょっとうれしいぐらい。
きっとそんな読者を考えながら、作者も作ったのかもしれませんね。
というわけで、次回は源氏物語から紹介します。