文学史シリーズの2回目です。
文学史は前回も説明しましたが、とにかく古典から出題されます。
現代文は評論ですから、早稲田政経のような近代の文章を出題したり、各大学の文学部のように文学の名前が出てくる、あるいは作家が書いた文章を出題したりしないかぎり、近代文学史の問題を作れないからです。
代償のように、古典分野の出題が多くなります。センターでもあり得るのは古典分野ですよね。
その中でも、出題が多いのは、成立時期を整理するような問題です。なので、今日はこのあたりも含めて説明していきましょう。
前回はこちら。
源氏物語を中心に、枕草子、土佐日記、蜻蛉日記、更級日記、大鏡などの成立順を把握しました。
八代集を重ねてみる。
平安時代は和歌の時代です。万葉集のあと、勅撰和歌集として、「八代集」と呼ばれるものが成立します。まずは、名前を順番に覚えます。
- 古今和歌集。なんといっても、こいつです。これが最初。
- 後撰和歌集。「古今集」の「後に選ばれた」ので「後撰」ですね。
- 拾遺和歌集。そこからこぼれたものを「拾う」ので、「拾遺」。
- 後拾遺和歌集。さらにその「後」で「後」「拾遺」。ここまでは理屈で覚えたい。
- 金葉和歌集。
- 詞花和歌集。
- 千載和歌集。この3つが名前としては、特徴があるのでつぶやいて覚えたいところ。私は生徒に「金」「詞」「千」とつぶやかせます。「金」の「コトバ」が「千」個ある、というようにイメージ化してもいいですね。
- 新古今和歌集。最後は超有名で、新古今です。これで、鎌倉時代に突入します。
さて、ここに時代を重ねていくんです。そうしないと、大学入試の成立順を問う問題に対応できなくなります。
大学入試の頻出は、
- 源氏物語より前に(後に)成立したもの
- 〇〇時代に成立したもの。
- 江戸時代前期(17世紀)(あるいは後期)に成立したもの
というのがすごく多いんです。だから、話の内容や作者とともに(当然こういう出題も多いですよね)、時代は整理しなければいけません。
ポイントは3つだけ。
- 古今集は、紀貫之。彼が書いた仮名序はあまりに有名です。知らないとだめ。暗記しなくてもいいけど、一度は読みましょう。仮名序は六歌仙をひとりずつ批評していたりもします。紀貫之といえば、土佐日記。土佐日記といえば、「日本最古の日記文学」。ということは、蜻蛉日記より前の成立。蜻蛉日記は道綱母で、兼家が夫。兼家は道隆、道長のお父さんですから、1000年源氏物語より成立はだいぶ前。(だめな人は前回のを読んでね。)わかりやすくすると約100年まえの900年。200年前だと800年で平安時代になったばかりで早すぎます。
- 新古今は鎌倉時代。藤原定家。この人の名前も覚えましょう。本歌取りとか、貴族の時代を懐古するような手法です。
- じゃあ、源氏前は?押さえ方は二つ。ひとつは、拾遺集の勅命は花山帝、出家した花山院であるということ。このお方、大鏡あたりで「花山院の出家」なんていう形で教科書でもとりあげられますが、兼家、道隆、道長、道兼親子にはめられて出家して、権力が藤原家にいく、という主役級の登場人物です。いわゆる摂関政治の完成、ってやつです。だから、こことかぶるのは、兼家と重なる「蜻蛉日記」。もうひとつの押さえ方は、三代集という言葉。古今、後撰、拾遺で三代集。これがまとめて源氏成立時期までとおさえるのも簡単な方法です。拾遺和歌集の成立がほぼ源氏と同じでやや源氏の後…というのが正確なところです。
- そうすると結果的に、後拾遺、金葉、詞花、千載が、1000から1200年の間にちりばめられるのですが、結論からいうと、後拾遺で1100年のちょっと前ぐらいですので、このあたりからまとめて作られます。ちょうどこのあたりに、清少納言の歌がおさめられたりするのですが、この時期に1000年ごろの政争を見聞きした齢200歳のおじいちゃんが登場する大鏡が成立します。1100年ごろを基準に200歳ですから、きちんと、古今のころからを見続けてきたことになるわけですね。
こんな感じです。前回のものに重ねられましたか?
これは近代短歌と近代詩への伏線だったんですが、結果としてものすごく古典分野の文学史の説明をしているので、このあたりも読んでおいてください。
歌物語
歌物語は、「大和物語」「伊勢物語」「平中物語」です。
これが源氏に影響を与えるわけですから、当然源氏より前。
さあ、次は内容です。これらは短編集ですので、あらすじ、というような理解はできません。ポイントは、「恋愛」物、ラブストーリーであること。
だって、「歌」は「ラブレター」ですから。
これが物語の中心だということは、ラブストーリーだということ。伊勢は、在原業平がモデルなんて言われていますが、現代で言えば神格化された「キムタク」的ワードですね。(古いって言わないでね。こういうところにつかえるぐらいの単語ってまだ「キムタク」ぐらいで、「マツジュン」はそこまでいってないし、その他の若手俳優も名前がみんなには通じないですよ。キムタクは歌の歌詞にもなりうるでしょ?)
だから、どんな話が来ても、男と女で、何らかの形で、恋か愛。ふられるか、うまくいくか、くっつくか、別れるか…。
そういう話なんだとわかるわけです。
土佐日記
紀貫之の日本最古の日記文学。
男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり。
というあまりに有名なフレーズで始まりますが、紀貫之は当然、男です。「じゃあ、なんで女のふりをしたの?」という問いかけは当然出てきて、いろんな説明があるわけですが、私の説明は、
「フィクションだから」ということ。
一人称で語った小説の主人公を女性にしたからって、別に不思議はないですよね?随所にダジャレ的なギャグを入れたり、お涙ちょうだい的な部分を作ったり、あきらかに笑わせて感動させる、という物語の典型。
タイトルに「日記」がついているのでだまされますが、物語として読みましょう。正確にいうと「土左日記」で、そこからしてフィクションの匂いがするんですよね。
蜻蛉日記
藤原道綱母の作。夫は兼家ですから、源氏より前。だめな人はとにかく前回の復習をお願いします。今回は内容なんで。
内容は、「夫がやってこない。つらい、さびしい、悲しい」ということ。ひたすらこれが書かれます。出題する側からすると、知っていて当然になるんですが、道綱母からすれば、「来ない」と書いた瞬間に、「あの人」に決まっているし、それは「兼家」に決まってるから、主語を書かない。で、解答の選択肢には平気で、「兼家」とか「道綱」が入ってくる鬼のような出題になります。
だから、この程度のことを知っていてください。
上・中・下とわかれているんですが、だんだんと気持ちに微妙な変化がおきます。
上だと、愛情たっぷりなんで、「来ない。つらい。会いたい。来てほしい。また来ない。悲しい」みたいな感じ。
下になってくると「どうせ来ないよね。ほら来ない。でも、私、来るって期待してた?ばかじゃないの、私。来るわけないのに。ほら、予想通り。やっぱりね」みたいな感じ。
文学的にいうと、下になると、自分をみつめるもうひとりの自分があらわれて物語的になっていくんですね。
これを覚えておくと楽になりますよ。
ちなみに、出典に上中下が書いていない時の見分け方は、道綱が成人しているかいなか。こいつが、がきんちょだと、上。大人になっていると下。大人になっているかどうかは、道綱母が手紙を渡して持っていかせたり、様子を見に行かせたりしているかどうかで判別します。もちろん、お使いができれば、大人ですね。
枕草子
道隆におつかえするので、源氏より前ですね。
随想的章段(春はあけぼのみたいなやつね)、類聚的章段(~もの、~ことみたいなやつ)、で、日記的章段に分類されますが、大学入試ではひたすら日記的章段が問われます。となると、彼女がどんな人生だったか、ということがちょっと大事になります。
枕草子の場合、大きくわけると、道隆=枕草子では「殿」と書かれることが多いんですが、この人が死ぬ前と死んだあとが内容理解に異なりがあります。
殿が生きている時
要は、権力が集まっているということです。娘の定子様、兄の伊周様、こうした人々の素晴らしさが書かれています。目もくらむような素晴らしさ。特に彼女が宮中に入った直後は、恥ずかしいとか、前に出られない、とかそんな感じで、彼らの振る舞いの素晴らしさが語られます。
殿が死んだあと
「殿などのおはしまさで後」とか「職の御曹司におはします頃」とかいう書き出しになったりすることもあるんですが、これが、死んだあと。権力が道長に移り、定子はしいたげられていきます。
「職の御曹司」というのは、「中宮職という中宮の世話をする役人の詰所に、中宮定子様がいらっしゃるころ(二重尊敬ですから主語は宮か帝ですよ)」ということ。
つまり、定子様は、おいやられていくわけです。伊周はながされてますし。(定子はそのとき、ちょうどご懐妊。伊周は流され、実家は壊される。だから出産する場所がなく、大進生昌というわけのわからん門の小さい家で出産させられます。何の話かわかります?)悲惨です。
だけど、直接はそう書けないんですね。だって、権力は同時代を生きる道長にうつっているわけで。
だからこそ、彼女はそういう中で、定子様と自分のこころのつながり、やりとりなんかを書いていく。批判はできないから、「定子様はすばらしい」「定子様は私のことよくわかってくれてるのよ」と書くしかないんです。
枕草子の中にありますが、実際、清少納言はこういう中で、道長からスカウトされていたようで、定子づきの女房から「あなたがたの人」なんて悪口を言われ距離をおくようなシーンもあります。
そういう中で彼女は、それなりの抵抗を見せる。それが、定子様のふるまいをほめ、自分との関係をきちんと描く、という形になっていくわけです。
源氏物語
源氏物語はフィクション。
あらすじはこちらでどうぞ。
更級日記
「源氏物語が読みたい」文学少女の話、としてまかりとおっています。間違っているわけではないのですが、本質が抜け落ちています。
彼女は幼いころ、仏に「源氏物語を読みたい!」と頼むんですね。で、実際、手に入れて読める。それは間違いありません。
彼女はその代償を払うことになるんです。彼女はもともと夢を見て(夢は占いで、お告げですから)自分がお姫様みたいになるんだ、と信じて疑わなかったんです。
でも、彼女は仏道修行=仏様の前で念仏をとなえること、を怠った。
神仏に「彼氏がほしい」「合格させて」「宝くじあてたい」なんていうのは、修行ではありません。5円玉投げて、何を頼んでるのか。
祈る、念仏というのは、神仏の教えをぶつぶつとつぶやき、謙虚に、神仏やみんなのために尽くすような生き方をすると誓い、そして感謝することです。
なのに、彼女は、それをせずに「源氏物語を読みたい」と、現代のあなたたちのような祈りを続けた。
だから、予言がかなわない。それどころか、お父さんは出世しない。身内は死ぬ。よくしてくれた乳母が死ぬ。源氏は読める。姉が死ぬ。だんなも出世しない。あげくのはてに死ぬ。そういえば、あの夢は宮仕えをする夢だった。でもかなってない。なんで?そうだ。仏道修行をしなかったからだ…。
いうのが本質です。
つまり、一言で言えば、「後悔」。なんで私はまじめに仏に祈りをささげなかったんだろう?なんで物語なんかにうつつをぬかしたんだろう?こんな私なんて、一生、こんな風にさまようしかないんだ…。
前半が出題されるとこんな感じがなくて、うつつを抜かしてる、夢を見てる感満載なんですが、後半になると、だんだん「後悔」が顔を出してきて、最後はそれだけで終わります。
讃岐典侍日記
作者が堀河帝に仕えているんですが、亡くなってしまいます。そして、そのあと幼い帝、幼帝鳥羽帝に出仕することになる。この帝の名前の感覚があれば、源氏よりあとだということはわかると思います。
ちなみにですが、前半は、「堀河帝死なないで~!」というシーン。みんな叫んで、僧侶ののしって…というシーンです。作者は比較的、冷めてます。悲しいけど、みんなみたいに大騒ぎしない。
で、そのあとは亡くなった堀河帝を偲ぶというのが基本なんですが、舞台が宮中だと厄介。目の前には幼い「帝」がいる。で、堀河「帝」を思い出す。両方とも帝で、二重尊敬を使って表現します。主語はほとんどなし。
でも、過去の助動詞「き・し・しか」があれば回想で、堀河帝を思い出しているんですね。この練習にはもってこいですよ。
源氏以降の物語の覚え方
今回の最後は源氏以後の平安期の物語の覚え方です。
「サーファーヨットの堤くん」で覚えるのがいいですね。「サーファー」で「ヨットを持ってる」「堤真一」というところでしょうか。
- サ…狭衣物語
- ファ…浜松中納言物語
- ヨ…夜の寝覚
- ト…とりかへばや物語
- 堤…堤中納言物語
です。
だから、ここまでに出ていないものは、ほぼ「鎌倉時代以降の成立」ということで間違いないですね。
一応作品を簡単に解説。
狭衣物語
いとこに対する許されぬ恋、っていう感じですが、源氏の宇治十帖、薫の影響を狭衣の対象はうけまくり、というか、おんなじような話だよね、ってところ。結構ひどい男ですね。
浜松中納言物語
これもやっぱり源氏の影響をうけまくる感じですが、入試に出たときに意外と特徴的なのは、中国が舞台になるということ。中国=唐にわたっちゃって、そっちでまた好きな人作るっていうか、気に入られるっていうか、正確に書くと、お父さんの生まれ変わりの王様と話が通じるけど、好きになるのはその奥さん、すすめられるのは娘、みたいな感じ。で奥さんそっくりな人と関係して子ども作るけど、実はそっくりな人でなくて、本人で、その子供を連れて日本に戻ってくるわけです。
日本に帰ってからも、すすめられた女性がいるんですけど、中納言は拒んでいて、でも、別の男と結婚するってなってから関係もってこどもができるけど、中納言の子ではなく、その男の子として育てるとか、源氏ぽくないですか?
作者は、更級日記の菅原孝標女が有力。
夜の寝覚
愛欲の物語、なんて説明もありますけど、中心は女たちですね。
中の君っていうのが琵琶の秘曲を天からさずけられた感じ。で、男君(中納言)ていうお姉さんの大君の婚約者と、間違いで関係もっちゃうんですね。で、これで子どもができちゃう。男君と大君は結婚して、で、ようやく中の君が大君の妹だって気づき、子供=姫君をひきとるんですけど、大君にばれて破たん、みたいな感じですね。
で、その後、中の君=寝覚の上、ですが、老関白と結婚することになり、でも男君とまた関係もっちゃって…
みたいなイメージです。
作者は、浜松中納言物語の更級日記の菅原孝標女が有力。
こういうのって、文学史で聞きやすいんですよね。あとは鴨長明覚えてね。中世です。方丈記だけじゃなくて、発心集と無名抄です。あとの方は歌論ね。こうやって、同じ作者が何作品か書いていると文学史に出やすくなります。
とりかへばや物語
タイトルの通り、男女入れ替えの話です。
女っぽい男の子と男っぽい女の子、とりかえたいと思った親がとりかえちゃうんです。
大体うまくいくんですけど、当然ばれて…みたいな感じ。
堤中納言物語
短編集です。貝合わせとか、虫愛づる姫君とかを入試問題で見た気がします。
とりあえず、今回はこんなところで。