国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

古文の読解のコツ4 基本「を・に・ど・ば」で、主客を判別する!会話文の見つけ方。

古文読解シリーズは4回目。今まであえて、問題そのものや歌などに向かってきましたが、ここで、基本中の基本に戻りましょう。有名な「を・に・ど・ば」で主客を決める方法を説明します。

ここまで3回は、

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 こんな感じ。

今日は、あまりにも有名な、そして知らないとすれば、「えっ知らないの?」的な基本中の基本「を・に・ど・ば」について説明します。昔からずっと言われているんですが、最近は結構いろんなところで目にするようになりましたね。

要はこれで、主語とか客語とかが決まっていくわけです。

ただ、大事なことは、これで何かすべてが解決するわけでなく、あくまでも「主客を決める手掛かり」であり、実際には「探す」、「考えて決める」ということになります。

だからこそ、先に「本文を読む前に」とかやってるんですからね。

で、共通テスト対策のページもどうぞ。

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では、行きましょう。

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「を・に・ど・ば」って何?「て・つつ・ながら・、」も大事!

 まずは、簡単に「を・に・ど・ば」について、説明しましょう。これらの助詞を見つけて、主語の変わり目を見つける昔ながらの読解法のことです。

鬼と会ったら切る(を・に、を見つけたら、文を切る)

とか

ドーバー海峡(ど・ば、の間には切れ目がある)

なんていう風に私は教えています。

漢文では、「鬼と会ったら帰る」なんていう風に教わることもあるかもしれません。目的語が下にあるからですね。

さて、この裏側には、「係る所を探す」というものもあります。

それが、

「て・つつ・ながら・「、」」です。

これらは、逆に切れないよ、係るところがあるよ、どこに係るか探してね、っていうサインです。

こうした単純作業をする必要があるんですね。

 

「を・に・ど・ば」主語が変わる「かも?」と思う。

まず、「を・に・ど・ば」です。

これらを見つけたら、

主語が変わるかも?

と思ってください。絶対に変わる、ではないですよ。変わる可能性があるから疑って!です。

たとえば、

我ブサイクなれば、もてず。

とくれば、主語は変わりませんね。

でも、

我「〇〇」といへば、笑ふ。

の場合、笑っているのは、私ではないですよね?こういう時には主語が変わっているわけです。だから、「を・に・ど・ば」を見つけたら、「主語が変わるかも?」と考える必要があるわけですね。

えっ、説明になってない?それじゃあ、変わるか変わらないかわからないじゃないか!もっと、はっきりと教えてほしい!

そりゃそうです。もう少し説明していきますね。

そもそも主語の省略が起こるのは自明だからです。書かなくてもわかるから主語を省略する。よく「古文は主語を省略する」なんてのをみますが、うそです。正しくは、「日本語は」ですね。だから、本来、ぼくらの感覚からすれば、主語は補えるはずなんです。

では実際に注意すべきパターンで勉強しましょう。

言へば笑ふ。 客体をとる動詞の後は、その客体が主語

まずは、このパターンを考えて見ましょう。

言へば、笑ふ。

です。

誰が笑うのでしょうか?

それは「言われた人」です。

なぜ?そう決まるか?

「他にいろいろな可能性があるよね。必ずしも言われた人とは限らないよね。」そう言いたいんですよね?

だったら、書かなくちゃ

「言ったので、笑った」主語がないなら、聞いている人です。

このように、客体をとる動詞+「ば」「ど」が来た場合、次の動詞の主語は、客体が基本です。

まだ納得できない?

抱きつけば、怒る。

そうです。私は「怒る」のは「抱きつかれた人」だと言っています。

たとえば、その子の親とか、先生とか、彼氏とか、怒りそうな人は確かにいっぱいいます。

でも、

「抱きついたので、怒った」という文章で、突然、登場していない「親」とか「彼氏」とか出て来たら、わからなくないですか?その場合、

「抱きついたので、その子の彼氏が怒った」と書かなければ伝わらない。省略したということは、自明だということなんですね。

遊ぶを見る。 「見る・聞く」など客体をとる動詞の前は、別人。

今度はこのパターン。

遊ぶを見る。

です。

この場合は、「遊ぶ」と「見る」の主体・主語は、別人になります。

これは説明した方がわかりやすい。

「見たんです。見たんです。私見たんです。」

「何を?」

「遊んでるのを見たんです。」

「誰が遊んでるの?」

「私が」

「誰が見たの?」

「私です。」

気持ち悪いですよね。なんなの、この人…ってなります。

だから、こういう動詞の前は、別人です。

~に会う。

も同じですね。

ところが、なぜか生徒はこれが苦手。

というのも、

ひとつは古文の場合、「~を」「~に」といくときに、

「の」が入らないんです。このたったひとつの「の」が欠けるだけで、違う文に見えるみたい。

そしてもうひとつは「を」とか「に」の後には「、」がないことが多い。「、」がないだけで、主語が続くような感覚になってしまうようですね。

 

1~ど、2~ば、3~。の構文は、1と3が逆接の関係

続いて、もう一つは、「~ど、~ば、~」のパターン。

たとえば、

雨降れど、試合近ければ、練習せむ。

のような文章です。

こういう文章の場合、

「雨が降るけれど」「試合が近いので」「練習しよう」

となるわけですが、

この逆接関係は、「雨が降るけれど」「試合が近い」ではなく、「雨が降るけれど」「練習しよう」になりますよね?

このように逆接関係がとぶ、というのも生徒が苦手にするひとつです。

さっきの「~を」「~に」もそうですが、間にはさまるというのは、「飛ぶ」ということです。現代語だとふつうにできることが、古文だと、順番につながっていくように主語がそのままのように訳してしまうんですね。

て・つつ・ながら・「、」は係りどころを探す。

さて、ここまで、「主語が変わるかも?」の話をしてきましたが、今度は逆に「主語は続くよ」の話です。

先生がやってきて、踊って、歌い騒ぎ、踊りつつ、ジュースを飲みながら帰った。

という文章は、主語が全部、「先生」ですよね?

つまり、「て・つつ・ながら・、」は主語が変わらないということです。

何でこんな当たり前のことを書くかというと、

係り所は直下(すぐした)とは限らないからです。すぐしたに係ると決まっているなら、こんなことをわざわざ書く必要がありません。

次の文章を見ましょう。

かかる程に、伴大納言の出納の家の幼き子と、舎人が小童といさかひをして、出納ののしれば、出でて取りさへんとするに、この出納同じく出でて、見るに、寄りて引き放ちて、我が子をば家に入れて、この舎人が子の髪を取りて、打ち伏せて、死ぬばかり踏む。舎人思ふやう、我が子も人の子も、共に童部いさかひなり。たださてはあらで、我が子をしも、かく情なく踏むは、いと悪しき事なりと腹立たしうて

まず、「出納ののしれば」は、客語をともないますから、直後の「出でてとりさへん」は、「大騒ぎされた人」となります。だからこそ、その直後に「同じく」出納が出るわけですね。

問題はその後。

直下の流れで読むと

「この出納同じく出でて、見るに、」=つまり、ここが出納。

「寄りて引き放ちて、我が子をば家に入れて、この舎人が子の髪を取りて、打ち伏せて、死ぬばかり踏む。」=出納ではない人なので、舎人。

舎人が自分の子どもを入れて、舎人の子を死ぬばかり踏む???

百歩譲って、「舎人が」「誰かの子の髪をとって」「踏む」として、そのあと「舎人思ふやう」って、自分のやったことをひどいことって意味が通じないですよね。

逆にいえば、「死ぬばかり踏む」のは、出納だとすれば意味が通じていくわけです。

となると、どこが間違っていたかというと、最初。

「この出納同じく出でて」のあとが「見るに」にかかるのではなく、「寄りて」にかかると見れば、すべて話が通じる。「見るに」が間に挟まっていると考えればいいわけですね。

これが、「探す」ということです。

会話文をはさむと係りどころがとぶ

特に多いのが会話文をはさむパターン。

さっきの続きを見てください。

いと悪しき事なりと腹立たしうて、まうとは、いかで情なく、幼き者をかくはするぞといへば、

直下にかかると見てしまうと、

「腹立たしうて~かくはするぞ」となりますが、おかしいですよね?

「腹立たしうて「~」といへば」と「いへば」にかかると見ればいいわけです。これは「  」を省略する(正確にいうともともと「  」なんて記号や決まりはないんです。)文章では、死ぬほどあるパターン。

 

会話文はどうやって見つける?

古文の会話文は、基本的に最後に「と・とて・など」のいずれかが必ずつきます。だから、先に下を見つける。そのあと、上を探すのが基本です。

では、会話文はどういうところでしょうか?今回は結論だけ書きます。また、そのうちこの項目できちんと説明しましょう。

  1. 感動詞「あな・あはれ・いで」などがある。
  2. 終助詞「ばや・なむ・てしがな・かな・よ・な・や」などがある。
  3. 命令形がある。
  4. 丁寧語「侍り・候ふ」がある。
  5. 「めり」がある。
  6. 偉くない人に敬語が使われている。
  7. 直前にあった敬語が、次の結びで消えている。例「笑ひ給ひて、~なる。」のような形。
  8. 下二段「給ふる」が使われている。

こんなところが会話文のサイン。

こういうのがあれば、これらを飛ばして、「と・とて・など」の後にかかるわけですね。

 

実践練習です!

では、実際にやってみましょう。

この間の伊勢物語つくも髪です。

狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、かうゝゝなむ思ふといひければ、あはれがりてきて寝にけり。さてのち、男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て
  百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつけしきを見て、茨からたちにかゝりて、家にきてうちふせり。 

 太字にしたところが、「~に」「~を」のあるところですね。

最初です。

狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、かうゝゝなむ思ふといひければ、あはれがりてきて寝にけり。

とあります。

「~に」「行き会ひて」ですから、ここは完全に別人。で、「といひければ」とありますから、「言われた人」が「来て寝にけり。」です。だとすると、誰に会ったか、といえば、最終的に「来て寝る人」ですね。

次のところです。

女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て

とあります。主語があるので簡単。「女がのぞいているのを」「男が見る」んですね。

最後。続きです。

男ほのかに見て
  百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつけしきを見て、茨からたちにかゝりて、家にきてうちふせり。

男が「見て」ですから、続きます。「~」と歌を詠んで、というのが「~とて」。「て」ですからまだ続きます。

「いでたつけしきを」と来ますから、「見る」のと「いでたつ」は別人。そのあとは、「~て」「~て」「~て」「うちふせり」と続くので、見た人が「うちふせり」が自然。だとすれば、「見る」のはやはり「女」で、いでたつのは「男」ですね。

こういう練習は、単語や文法でなく、読解練習あるのみ!です。

 今までこんなことをやってきましたが、

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 単語が終わらなくても、文法が完璧じゃなくても読解練習しましょう、っていう意味がわかってもらえるとうれしいです。

で、もうひとつ大事なことは「を・に・ど・ば」で主客を決めるだけではないということ。

そもそも、「必ず」じゃなくて「探す」わけだから決まらないわけだし。

共通テスト対策のページも参考にしてくださいね。

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