国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

小論文のトピックと視点 その1 チャットGPTとAIの限界、人間のクリエィティビティ

今日は、小論文のトピックと視点ということで、チャットGPTから人間のクリエイティビティを考えてみたいと思います。

チャットGPTが話題になっている最中、「ああ、これは今年の経済系、文学部系や慶応の環境情報なんかの話題になりそうだな…」と思いました。小論文のトピックもそういえば、書くのを中断してしまっていますし、東大の現代文の中身説明なんかも企画しているだけで止まっています。しかし、やっぱりこういうトピックを、ニュースの視点だけでとらえていると正確な理解にならないのではないかと思います。というわけで、ちょっとこんな企画を立てて、スタートしてみたいと思います。

チャットGPTってすごい!

チャットGPTやBingの検索などが話題になっていますが、まあ、とにかくすごそうです。要は、ある時期までとりこんだデータ、Bingについては最新のインターネットデータをベースにして、検索をかけ、質問に対する答えを用意してくるわけです。

テレビのニュースなんかで見る限り、まあ、結構な精度で、膨大であるはずのデータから、適切であるだろう答えをきっちりと見つけてきて、字数などの条件を踏まえて、適切にまとめてくる。

たいしたものですね。

中には、アイディアであったり、そういうものまで作れるようで、物語やプロットの提案、演劇の台詞の作成、条件を告げてWebデザインなど、一見クリエィティビティに入り込むようなものまでできるわけです。

そうなってくると、人間の役割はどうなるのか、人間はこういうAIとどう付き合うのか、などということを考えたくもなり、そして、こんなものが小論文で課された日には、なんとなく知っている知識から、壮大なファンタジーや未来予想図を作りあげていく…なんていうことが想定できます。

変な話、書けるんですよね。

ある意味でSFの世界なので、膨らませようとすればSF的に未来を勝手に描けるし、さすがにそれは小論文ぽくないだろうということで、現在の人間に、警鐘を鳴らす、端的にまとめると、「勉強しないでいるとAIに負けちゃうからがんばろう」とか「AIに頼っていると主体性がなくなるから、自分で考える力を持とう」とか「知識みたいなものはAIに勝てないから、思考力と創造性こそが大事だ」とか、なんか書いてきそうな方向がいくらでも浮かぶし、なんとか書けてしまうわけですよね。

こんなことが予想されるわけです。

でも、難関大学がこれを小論文のテーマに出す時に、そんな夢物語や主体性やそんななんだか精神論みたいなものを語ってほしいわけではないんです。

もっと、知識とか、常識とか、創造性とか、そういうものの根本の理解が問われるわけです。

そこを考えることで、AIとかロボットとかの可能性と、そのことから逆に人間の知性というものを考えることになるわけです。

AIは何を学習しているのか?

結局、AIは何をしているのでしょうか。

AIは、すでにある情報を、正しいものとして、それを学習しているだけです。おそらく、これから間違った情報などがまぎれこんできたときに、AIは何らかの方法で、どちらが正しいのか、あるいは両方正しいかなどの判断をしていくのでしょうが、その根拠となるものもまた、膨大なデータ、つまり、ネットに上がったデータとなります。

つまり、デマを含めて、間違ったデータがあって、それが流通していれば、おそらくそれを真実として提案してくるはずです。

少なくとも現時点において、AIは本を読んで学習しないし、学習したとしても、全ての情報を間違いと判断して、真実を考えるなどということはできないでしょう。

つまり、AIは「もっとも真実としてみんなが判断しているだろうもの」を学習しているといえるでしょう。

たとえば、ネット上で情報の少ないマイナーなジャンルについては、それを真実として提案するわけです。

自分の話で恐縮ですが、BingさんにYOASOBIの「もう少しだけ」の原作についてお聞きしたところ、一回目はどう読んでもしなのさんの「たぶん」の説明を繰り返され、数日後にもう一度チャレンジしたら、「もう少しだけ」に原作小説はありません、と宣言されました。これは情報が少ない中で、AIが適切に学習していない例だと思うんですが、改善されるのはあくまでも適切に学習するという部分であって、もし、世の中に間違った情報があふれだせば、当然、その間違った情報を学習するのだと思います。

ただ、そうはいっても、膨大なデータを瞬時に扱うということについて、人間を越えることは間違いありません。人間がそれに勝つには膨大なデータを自分自身にインプットするしかありません。どんなに多くの本を並べたとしても、どんなに多くの情報をもったデータベースにアクセスできるにしても、その膨大なデータから必要なデータを見つけ、読みこなし、そしてまとめるということを、AIがやり出した時に、その瞬間的なアウトプットに人間が勝てるはずがありません。

こうやって考えて見ると、人間がそもそもここに勝負を挑んだところで勝ち目はないし、これはこういうものを利用するしかないし、下手をすると知識をインプットする必要はなくて、活用するだけでいいんだ…なんていう言説もでてきそうです。

でも、果たして本当にそうなのでしょうか?

「創造性」の正体は何か?膨大な常識と「ずれ」、感性は知識で作られる。

それでは人間ができる、勝てるという創造性自体を考えていきましょう。

そもそも今、AIは簡単な会話やプロットの作成までしはじめています。実際にいた歴史上の人物や思想がわかるような登場人物であれば、おそらくそこから言いそうなことを考えて、会話を成立させることもできるでしょうし、「おしゃれな」とか「美容室」とかキーワードを入れれば、膨大なデータからWebページを作ることまでするのです。

ここにおいて、「創造性」とは何かを考えていかないと実は人間の強みというものが議論できなくなります。

なぜ、AIは創造性を発揮しているように見えるのでしょうか。

それは膨大なデータから、パターンを学ぶことができるからです。

これがAIというものです。

つまり、「美容室」のWebページを収集すれば、何が必要かがわかる。その中で評価されているもの、たとえばアクセス数であったり、評価をするコメントであったり、こんなものは検索エンジンの表示順をどうするかのような話ですが、とにかく参考にすべきもの、ウケるものも数値化できる。だから、そこからパターンを学び、同じように提案をすればよいわけです。

実は「感性」のように言われるものも、半ば、こうした「常識」で構成されています。

たとえば、グランドキャニオンのような地形に僕らはなぜ感動するのか?そこには少なからず「他では見られない」「見たことがない」という要素が含まれているはずです。つまり、感性として「美しい」「すごい」ということの中には、ある種の知識が混じっています。逆に言えば、グランドキャニオンしか見て生きていない人には、僕らの周りの普通の景色が「すごい」「見たことがない」ものとして、感動を与える可能性があるわけです。

僕らが普通、何気なく見ているものを、誰か見知らぬ人が訪れて、感動して帰っていく。

ありがちな体験です。

このように、「感性」というものが人間だけのもので、AIに難しいのは、「常識」という知識の総体に左右されるからで、もし、「これは絶対に美しい」と定義できるなら、AIには簡単に学習できます。

しかし、この常識も、知識の総体であるとするならば、学習が可能です。

いえ、むしろAIのようなものの方が学習して価値を見出すことができる。歴史的、自然的、文化的、さまざまな希少性を学習し、だからこそ、価値のあるものとして、判断することができる。特にネットで「価値がある」という評価がはっきりしているなら、その写真や映像を価値があるものとして学習することはたやすいのです。

たとえば、人間は知性がないと、貴重な国宝や文化財を平気で傷つけることができる。(この場合、三島由紀夫の「金閣寺」ではありませんが、「価値があるからこそ破壊してやる」というものは除きます。)平気で落書きをしたり、壊したりする。そして、後でそれが取り返しのつかない事だと知る。いえ、そこまでしなくても、小学生の時に、修学旅行で訪れた寺社仏閣がつまらないものでしかなかったように、知識がなければその価値はわからないです。それに比べれば、実は、AIの方が常識をしっかり学べる。つまり、ある種の感性さえ、持ちうる。

だからこそ、おしゃれな美容室のwebサイトさえ提案することが可能なのです。

AIが不得意なことは何か?「ずれ」と常識の移行

ここまで書いてくると、なんだかAIは万能で、人間が勝負しても勝てないような気がしてきます。

実際、司法試験を受けるとトップ10%の答案を書いてくるなどと聞くと、どうすることもできないような気がします。

しかし、AIは現段階において、人間が当たり前のようにやっていることがとても苦手なのです。

さて、それは何でしょうか。

それは、流行のように、変化し続ける常識の把握とそれにともなう「ずれ」の創出、そして何よりジャンプアップ型の「ずれ」の創出です。

AIは学習します。つまり、すでに定まったものが、今後も永久に定まるなら基本的に問題がないのです。

だから、司法試験のように、そもそもの条文とその解釈、そして膨大な判例をもとに、そこに基づいてある事件をその枠にはめていくなどという作業は、得意であるわけです。しかし、たとえば、そのかつての判例に基づいて出した今回の事例に、違和感を覚える庶民感覚をとらえることは、AIは不得手です。もちろん、そのズレた庶民感覚が常識として定まる、つまり、新聞や雑誌や論文で(AIがネットで学習するとするならネット上のデータで)そのズレた感覚が論じられ、常識として共有されるなら、それもふまえることができるでしょうが、そうでない状態で、なんとなく社会が共有する空気のようなものをとらえることはできないのです。

ファッションであったり、流行であったり、笑いであったり、そういうものは非常に繊細な動きの中にあります。

まず、誰か強力なファッションリーダー、インフルエンサーのような人がいて、その人が提案したり、評価をしたりします。それが今だとSNSやメディアを通じて広まって、みんなの評価に変わります。この段階でおそらくAIはついていくことができるでしょう。しかし、こうしたことがずっと続くのか、それともすでに飽きられはじめているかは誰にもわかりません。

ズレたからこそ、ファッションであり、お洒落であった唯一のものは、共有され、繰り返されることで消費され、その「ズレ」を失い、常識と化します。そのスパンがもう終わるのか、あと半年続くのか、いえ常識として君臨するのかは誰にもわからない。鬼滅の刃も、YOASOBIも、からあげブームも、お笑い芸人もそれがいつまで続くかはわからない。仮にブームが去ったとして、永久に沈むのか、一周まわってまたお洒落に見える日がくるのか、いえ、もっと早い段階でまた消費されるのか、予測することは困難です。

僕らはそういう空気のような感覚を、他者と共有しながら生きていて、その空気がありとあらゆることに影響します。スマホの普及が恋愛に影響し、可愛い女子の典型に影響し、流行する映画やアニメに影響し、食にまで影響し、場合によっては犯罪の処罰感情にまで影響する。

ぼくらはその空気の中で、なんとなく同じ感覚を持って、同じように次のおしゃれを見つけていく。でも、この部分はAIは苦手で、つまり、AIはこういう流行さえも、雑誌と新聞とでひたすら勉強して理解していくエリート天才大学生みたいなもので、実は常に「遅れる」わけです。だって、誰かが、いえ、みんなが評価した物をおっかけて評価するわけだから。でも、こんなことが起こったときには、すでに流行は次のところに移ろうとしている。クリエイティビティは、ある意味でこうしたこととは一見離れた個性のようなものに依存する部分もあるからです。

一見、というのは、実際にはその人も他者と共有する空気を感じながら、その空気を踏まえて自分らしさを探っているわけで、だから、他者から完全に切り離されるということはあり得ない。それでも、その「らしさ」の追求がクリエイティビティであり、ジャンプアップであり、流行を生み出す原動力なわけです。

人間でしかできないこととは?

他者と共有していく空気、と書けば、まずそこに知識があることは間違いないでしょう。だから、AIの普及で知識を排除することは、人間の強みの放棄となるに違いない。ありとあらゆる知識を自分の中にとりこむことによって、まず、他者と共有する空気が正確になり、そして、常識がしっかりと把握でき、そのことによりどのぐらいズラすことが適切かが判断できます。

お笑い芸人とは、常識人なのです。

みんなが普通どういう感性をしていて、どのぐらいの知識を常識として共有していて、常識ではないけれど知っていることを把握していて、そしてその上で裏切ってくる。つまり、ズレを作る。場合によってはネタの中で、常識を作り上げ、自分でそれを裏切っていく作業を行うわけですね。

www.kokugo-manebi.tokyo

つまり、こういうものは知識として、本やクラウドやネットという形で所有していても意味がなく、身体の中に感覚として持っていないといけない。

だから、この話題の大事な論点として、知識は要らない、と書いてはいけない。むしろ、自分がその感覚を持ち続けるためにも、知識を身体的に所有することが大切になります。

そうなったとき、AIには不得手な、つまり、「常識はここまでだと思うんですけど、ここからどっちにズレる方に、みんなは行きますかね」みたいな予測ができるようになるのです。

私自身は、単純な視点で書くなら、まずは「知識の他分野への応用」がジャンプアップの第一歩のような気がします。

つまり、ある世界、ある分野で常識となっているものを、まったく違う分野に取り込んでみる、というような発想です。それは、自分の知らない世界を知識として、自分の中に取り込むことによって、自分がいる世界との関連を見出し、変化をもたらすことができるわけです。

異邦人の話(さっきの過去トピックです)に似ています。

というわけで、チャットGPTから始まる小論文のネタの話でした。