国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

大学入試現代文 大学ごとの傾向 大学がまとめて作る大学 立教・青山学院・上智大学の傾向(2020年度入試まで)

大学入試を目前に控え、そろそろ赤本に手を伸ばす人も増えてくる時期だと思います。今日は、立教、青学、上智の現代文入試問題の傾向です。

秋になってくると、入試対策をはじめる人も多くなります。こと国語に関しては、そもそも入試問題をやりこむことが一番の勉強であるので、秋までやらないのもどうかと思いますが、まあ、実際には秋になると、このニーズが増えてくるので、とりあえずまとめていくことにします。

最初に書きますが、これは2020年度入試までです。奇しくも、この3大学は、2021年から新入試に移行する大学となっています。

 

大学入試問題は、大学がまとめて作るところと学部が作るところにわかれる

大学入試問題は、大学そのものが作って学部にまく大学と、学部それぞれが独自に作っているところにわかれます。

見分けるのは比較的簡単で、赤本がどう売られているかです。

前者の大学は、2年分ぐらいで、いろいろな学部が背表紙に書いてあって、中を見ると日程別になっているんですね。後者は、学部がはっきりと書いてあって、過去7年分とか載っていたりします。

前者が立教、上智、東洋、後者が早稲田、慶応、明治、日大です。

青山学院は、基本的には学部型なんですが、国語に関していえば大学型のようです。結構研究して、調査した上での話です。

法政大学は、表紙だけ見ると前者型です。実は、同じ日程ではそこに参加している学部が同じ問題を使っているらしいんですが、同じ日程に参加している学部で同じ傾向にしているので、日程が変わると同じ傾向とはいえない、というよう状況のようです。

なので、法政はここからはずしています。

 

大学がまとめて作る大学ほど、今回の入試改革に敏感になる~2021年以降は、立教以外この記事の意味がありません。(立教は傾向変わらないかどうかわかりません…)

大学がまとめて入試問題を作っている大学ほど、2021年度からおもいっきり変わる、ということになりました。だから、せっかく私がこれを作っても、今年1年で終わり。今まで、うちの生徒にしか出していなかったことですが、この際、ブログに載せてしまおう、どうせ1年だし…という発想になりました。

この傾向は、ある意味では当然です。そもそも大学の入試課が、学部の先生方より、入試の方針を決定できるわけですから、どうしても改革、つまり変えやすくなります。逆に学部で動けば動くほど「今まで通り」という発想から抜け出なくなります。

一方で、なぜ大学で作るかといえば、合理性や効率を考えているからだといえます。入試問題を作るというのは結構な負担です。これで果たして「いい学生」がとれているのか、というのが疑問なわけです。がんばって作っても、結局「いい学生」がとれないとすれば、できるだけ労力を減らして、受験生が受けやすくしたほうがいい。そう考えてしまうわけです。その意味では学部で作る大学はまじめです。だって、ポリシーでこだわりですからね。だから、変えられないんですけど。

今回のような改革に、立教とか上智とかが乗ってくるのは、すごくわかります。多少の問題はあったにせよ、総合的な判定ができるならそこに乗ってしまって、手間を減らした方がいい。減らした手間は、記述や論述などしっかりとこだわった問題にすればいい。非常に合理的です。

そうなると、「論文」みたいなことはさておき、「外部検定でいいよね」「国語なんて共通テストでいいよね」みたいな発想になるわけです。古文とか漢文をいらないとは言わないけど、わざわざ労力かけて自分たちでこだわって作るべき部分じゃないということですね。

というわけで、この記事。立教以外は今年限定です。立教だって傾向変えるかもしれないし。3大学ともやっぱり国語なんて共通テストでいいわけです。やるなら論述とかにするとかね。

 

立教大学~基本的には、内容把握の選択問題と本文抜き出しに近い記述。非常に予備校的な問題。本文把握の1・2問題は、内容把握より、あるなしチェックか。

立教の現代文の特徴は、以下の通りです。

  • 問題文は基本的にセンター同様、自己や学び方、メディアなど、身近な問題が多く読みやすい。
  • 出題される問題は、傍線部の説明の他、抜き出し問題や本文抜き出しに限りなく近い記述問題。
  • 説明として合っていれば1、そうでなければ2をつける「1・2」問題が頻出

というあたりでしょう。

まず、立教大学の現代文の問題について、簡単に言えることは、非常に標準的で、「参考書」的だということ。

ある意味では、評論としての硬質さとか知識とかではなく、非常に塾的なテクニカルな問題を作り続けているということだと思います。

典型は、なんといっても「1・2問題」です。

私自身は現代文については、

  • わかること=キーワードを理解して、感覚的に選択肢をはじくこと
  • 問に答えること=傍線部そのものと選択肢の対応を見て、問いに答えている選択肢を選ぶこと

の二本立てで答えを選ぶように指導しています。

www.kokugo-manebi.tokyo

で、その代わりに「ダメだよ」と言っていることは、見出しの通り、「選択肢と本文の照合」です。

塾や参考書の作りは、基本的に選択肢を本文と照合するように解説されていることが多く、「第〇段落の内容と一致する。」「第〇段落の内容と比べると一致しない」「本文に言及がない」「第〇段落と比べると、内容として不正確な部分がある」などと解説されていることをみたことがあるかと思います。「間違い」「ない」「言い過ぎ」「因果関係が逆」などですね。

早稲田あたりの問題になっていくと、極端な言い方をすると、本文の内容把握の問題でさえ、出題者の言葉で、内容をまとめ直してしまうので、正解選択肢ほど、本文の表現や文と離れていることが多く、むしろひっかけの選択肢に、本文のままの表現が使われていたりします。そうなると、こういうやり方ではむしろ間違います。

ところが、立教の「1・2問題」、特に最後の「本文の趣旨に合うかどうか」では、「全体としては×に見えるけど、譲歩のところで実は言っていた」とか、「〇〇した理由としては×で、でもその内容は、直後に言及していた」とか、ささいなつっこみが多いところ。

つまり、立教大学の現代文に関しては、「必ず本文の該当箇所を探して照合せよ」というのが至上命令になってきます。

間違いさがし。

ウォーリーを探せ。

国語じゃないですね。

注意深く照らし合わせて、違うところを見つけましょう。

また、記述が出ることもありますが、ほぼ抜き出しレベル。抜き出しでないなら、その箇所を形を変えて、書きぬくぐらいのイメージです。つまり、ほぼ見つけるだけ。

これについては、段落わけができれば、どこを探すべきかがしっかりわかると思います。

漢字も書きとりや読みが適度に出ます。標準的。

立教の国語は、古文とかでも、ほぼ単語と文法で乗り切れます。その意味では、非常に予備校、塾的な積み重ねが必要になる大学だといえます。

 

青山学院大学~選択肢の作りが国語的語彙的。内容把握とともに傍線部との照合作業が重要

青山学院は、「現古現(古)」で出題する学部(文学部)、「現古」で出題する学部(経済など)、「現現」で出題する学部(法など)などに分かれます。

ただ、現代文に関しては、問いのつくりや設問数や雰囲気など、基本的に学部による違いは感じません。もちろん、漢字を書かせたり、選ばせたり多少の違いはありますが、漢字の問題が出た場所でひとつずつ聞かれるなど、形式的にはどこもよく似ています。日程が同じだと問題は使いまわしているようですので、「(一)は共通」などのケースもよくあります。したがって、学部の癖があるのではなく、国語に関しては大学での共通性が感じられます。(英語や社会は明らかに学部が変わるとガラッと雰囲気が変わります。)

青山学院の国語は、与えられている文章がどちらかというと社会科学的というか政治的というか、そういう系統の文章が多い気がします。文学部以外は、社会科学系の学部ですから、やはりそういうニーズからも、文章の内容自体はやや偏りがあるような気がします。対策が立てやすい、ということでもありますね。

というわけで、立教に比べると、まずは社会科学系のものの考え方や常識をインプットすることが第一歩になります。

なんですが、早稲田とかに比べると、選択肢の作り方にだいぶ癖があるような気がします。

大きな特徴は、語彙、ボキャブラリーに関わる問題が多いように感じること。選択肢の問題の場合、それぞれが似ていないというか違う観点で書いているような印象です。つまり、選択肢そのもの語彙が読み取れないと本文と同じかどうかが選べなくなるような問題が入っているような気がします。

それは、語彙そのものを聞く問題も、結構な確率で出てきます。空欄に入る語を答えよ、みたいな問題を含めての話ですが。

傍線部と選択肢との緻密な照合が必要になる問題もあります。

したがって、本文の内容を理解するとともに、選択肢の言っていることをきちんと理解することが必要で、それと傍線部の表現に含まれる語彙をきちんと照合させていくような作業が求められます。

青山学院の国語が苦手な人は、おそらくこのあたりの語彙がおおざっぱな理解で止まっている人だと思います。

端的に言うと、「選択肢の意味わかります?」というようなことで、選択肢の言葉をきちんと読み取る練習が必要だと思います。そういう意味では、意外と用語集的な勉強が必要になる可能性もあるかもしれません。

 

上智大学~文章の質が哲学的。言いたいこととか主張ではなく、分析や説明だと考えることが第一歩

上智大学の現代文は、そもそもの文章にやや癖があるような気がします。文学部の国文はそもそも日本文学に関わる文章を読ませてきますが、それ以外の学部の場合、どちらかというと哲学的な文章が多いような気がします。

社会科学的な文章であると、「問題意識」が現れます。つまり、社会に対する批判意識のようなもので、当然裏側に「対策」というような理想が描かれることになるわけですね。

ところが、哲学的な文章になってくると、それは状態の説明というか、現状認識というか、まず分析が始まり、下手をすればそれだけで終わってしまいます。

上智が苦手な人は「結局何が言いたいかわからない」みたいなことをいうことが多い気がしていて、それは「言いたいこと」とか「主張」が、「対策」めいたものを期待しているからです。「~すべき」みたいなことですね。それが上智の文章には、あまり強く出てきません。

「言いたいこと」が「状態の説明」であるからです。

テーマを見てみると、「言語」とか「認識」とかそういう類の文章がおおくなります。要するに哲学的文章が多いんです。コミュニケーションみたいなものがテーマになったとしても、上智が好きそうなのは、「コミュケーションの原理」であって、「現実社会の問題点」ではないんですね。

だから、「改善」とか「反省」とかじゃなくて、要は「説明」であって、「XはAである」という、まずはそれをきちんと理解することが必要になります。

したがって、上智を受ける人は、上智が選んだ文章をしっかり読んで、その原理を頭の中に入れてしまうのが、意外と効果的であるような気がします。つまり、問題文の読書、ですね。

だから、感覚的にいうと、まず、問題文を読み解くので結構疲れます。で、だいたいわかったとして、選択肢で明らかに違うものが意外と切ることができます。わかればね。

でも、一方で選択肢も似たような言葉を織り交ぜながら、つまり、正解にも不正解にも同じ言葉をいれたり、あるいは本文に間違いなく書いてある言葉を選択肢に分散させたりしながら、傍線部の説明の範囲と選択肢との照合も要求されているような問題が多いように感じます。このあたりは、ざっくりと内容がわかればいいんではなくて、設問に関しては緻密に分析をすることが要求されている感じです。大体同じなのに、選択肢のこの言葉からすると関係が違う、みたいなことです。

なんですけど、上智は傍線部を問題にひっぱってこない、つまり、「傍線部について」と始めてしまって、うっかりすると、傍線部が何て書いてあるのか意識しにくいつくりになっているのが曲者。正解を選ぶには、緻密な照合が必要なのに…です。

だから、しっかり、傍線部の表現に戻りながら、選択肢をみつめるようにしましょう。

その雰囲気さえ理解できれば、これらの大学の中では、一番センター試験に近いかもしれません。

とはいえ、問題文の読み取りレベルはセンターとは全然違います。

 

以上です。こうやって分析をはじめると、各大学の癖ってありますよね。これが学部で作られちゃうと、当然分析はできるんですけど、山ほどになるからこちらで書いていくのは大変になります。

早稲田とか明治とかは学部の癖が激しいから、しっかりやらないといけないんですけどね…。

まずは、自分で赤本開いて、やってみる、読んでみることが大事ですよ。