国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

国語の入試で答えを選ぶために必要なこと 選択肢を中心に

 さて、いろいろな観点から国語の学習についてすすめているこのページですが、どうしても「受験」をみすえて国語の問題にどう向かっていくかというニーズもきっとあるだろうと思って、とりあえず、少しは書いておかないとな、と思っています。

今日は、国語の入試で答えを選ぶやり方。

 もちろん、こうした「塾」「予備校」的マニュアルは、世の中にあふれていて、学校の先生も、大学入試を意識した学校であるならば、かなりの確率でこうしたマニュアル的な指導を行っている可能性が高いですね。

 私が書いているブログだって、当然「マニュアル」のつもりで、そういう目的をもっているわけですが、個人的には、「マニュアル」が先行しすぎてしまい、本質的なことが見失われ、結果として「マニュアル」がむしろ弊害になっているのではないか、と思っています。

 今日は、特にマニュアル的なところに踏み込んで書きますが、そのあたりがわかってもらえると嬉しいです。

 大きくわけると「わかること」と「答えること」

私は授業で説明する時に、国語の問題を解くときには「わかること」と「問に答えること」のふたつの観点で説明するようにしています。本当に苦手な生徒は、下手をすると両方ともやっていないこともあるのですが、まずは説明しましょう。

「わかること」

内容を把握すること。

評論文なら書いてあることがわかり、言いたいことがわかる。

小説なら、テーマ、伝えたいメッセージがわかる。

古文や漢文なら、話がつかめる。

「問に答えること」

形式にそうこと。

 何が問われているかを理解し、適切に選択肢を選んだり、記述したりする。

もちろん、このふたつは明確に切り離せるものではなく、どこからどこまでがわかることでどこからどこまでが答えることか、という説明はしずらいのですが、大きくこのふたつがあると思ってもらえるとありがたいです。

選択肢がしぼれない理由

選択肢が二つか三つぐらいまでしぼれるんだけど、最後のひとつに決めきれない、というのは、私の経験でいうと、上のふたつのどちらかしか働かせていないことが多いのです。

つまり、正解は、内容でも正しく、形式としてもあっているもの、ということになるのですが、片方しかやっていないと、最後のひとつが選べません。

内容をざっと読んで、「なんとなく違う」「これはないな」というのをはずしていく場合、「内容」としては合っているものを残しています。それをまた「内容」の観点からひとつにするというのは、内容上の読み落としがないかぎり意味がありません。必要なのは、形式上のチェックです。

逆に形式上のチェックができている場合、本当に必要なのは、内容上の確認です。

経験上、本当に国語ができない、読めない生徒は、まず、「内容」の問題をクリアする必要があります。

しかし、ある程度読めているはずなのに、国語の点数に結びつかない生徒の場合は、形式上のチェックをやっていない場合が多いのです。この観点が意外と重要なんですね。

では、ひとつずつ説明しましょう。

「わかること」

内容を把握する力です。読めること。

入試問題になると意外と、この作業がされなくなります。なぜかというと、設問に答えればよいと思ってしまうからです。

試験の復習をしていても、「なぜ問に間違ったのか」「どうしてこれが正解なのか」は考えても、「この文章ってこういうことが言いたいんだよね」とか「この文章って3つの要素でできているよね」ということはしなくなりがちです。

小説なんかになると、テーマなんてまったく意識しなくなったり…。テーマを問う問題は、いたるところにちりばめられているんですが、試験問題が小説の切り抜きだと思ってしまうと、そんなことは考えず、ただ答えおっていくんですね。

このタイプの特徴は、

  • 抜き出し問題が苦手→抜き出し問題は、段落キーワードのことが多く、段落要約から探す場所が決まってくるのですが、それを意識していないから、文章全体から探そうとします。
  • 欠文挿入が苦手→おおよそどこに入るかは前者同様、段落要約のキーワードがわかっていると結構簡単にしぼれます。もちろん、接続詞と指示語といった「答えること」要素もありますが、しぼれるかどうかは大きな違いです。
  • 小説・物語のテーマや表現の問題が苦手→表現の問題の選択肢にはかなりの確率でテーマの理解が求められます。最近は、普通の問でもこうしたテーマの理解とからめる傾向が強まっています。
  • 古文や漢文の場合、「読めないからできるわけがない」とあきらめる→本当は本文がわからなくても解ける問題があります。

「問に答えること」

一般的に苦手としている人が多い、というか、やっているように見えて実はやっていないという部分です。大きく分けると次のふたつになります。

傍線部とはどういうことか説明しなさい。

「傍線部とはどういうことか説明しなさい」ということは、

「傍線部」と「選択肢」を比べる

ということです。

「傍線部自体」「傍線部をふくむ一文」を選択肢と比べます。

つまり、他のところは(極端な言い方をすれば)見る必要がない、ということです。

たとえば、主人公が

「イケメンであり」「性格がよく」「女の子からもて」「成績優秀で」「かくしているコンプレックスがある」という場合、

もし「コンプレックス」が問題になっているなら、

「イケメン」や「性格がいい」「女の子からもてる」「成績優秀」は答えにならない、ということです。

つまり、

×「選択肢ひとつひとつ」→「本文にあるかないか」探す

ということです。なぜなら、傍線部が聞かれているからです。

○「傍線部そのもの、もしくは含む一文」→選択肢

目の動きが違うのはわかりますか?

時間が足りなくなるのも、このやり方である可能性が高い。

○のやり方だと、

本文を読む→傍線部を読む→選択肢を読む

ですから、本文を読むのは一回

ところが、×のやり方だと

本文を読む→選択肢を読む→選択肢の数だけ本文を読む

ということになります。回数は、おそらく5回から6回でしょう。しかも、この作業ゆえに、「言いたいこと」「テーマ」を見落としがちになるわけです。

「含む一文」というのは、

傍線部は短いが、答えの選択肢は長くなっているような場合に多く使います。本文の傍線部を含む一文の主語述語の関係、あるいは指示語などが、選択肢でずれていれば正解にはなりませんね。だから、主語述語を追う作業も必要なんです。

古文や漢文の場合なら、まずは、傍線部に含まれる語をきちんと訳すことが条件です。

よく出る古文の心情問題などでも

「おぼつかなし」とありますが、どのような心情ですか

というような問題に対して、ずいぶん長い選択肢があったりしますよね?だから、当然前後を見てしまいますが、まずは「おぼつかなし」の訳出がないものは×だということです。

だからこそ、本文が読めなくても、点数が入る可能性はあるわけです。

傍線部とあるが、それはなぜか説明しなさい。

理由の問題の場合、傍線部の直前直後が根拠となります。

ポストが赤いのはなぜですか。赤いから。とはならないように、傍線部自体ではなく直前直後。

だから、まず、直前直後の根拠部分を見つけます。そして選択肢と照合するわけです。

○答えの根拠を本文で探す→選択肢と照合する

です。

やっていることは全く一緒ですね。

古文の場合、答えの根拠はほとんど直前

「なぜなら」という表現がないからです

理由をあらわすのは「~ば」

だから、それがあるなら、その訳がない選択肢を○にはできません。

あとよく出るのは、会話文や心話文直後の心情にひっぱって理由を聞くパターン。ほとんどのケースが、直前の会話文、心話文の訳になります。

漢文だと「何則(なんとなればすなわち)」など後のパターンもありますが、ほとんどは直前訳でしょう。

あとは、後出しパターンは当然後に根拠があります。

まず、何かが起こる。みんな理由はわからない。で、誰かが尋ねる。それで、理由を答える…となれば、理由は後ですね。

いずれにせよ、

根拠を見つける→選択肢と照合する

ですから、本文読みは1回、ないし2回です。

こちらをやっていない人のパターンは、

  • 選択肢が本文にあるかないか探す
  • 傍線部に何が書いてあるか意識しないで、傍線部の周辺を探す
  • 選択肢をざっといくつかに絞れるが、そのあとなぜか正解にたどりつけない=答えの違いがよくわからない
  • 古文や漢文を直訳せず(できず)、なんとなく話をつかむ
  • 時間がオーバーすることが多い

なんてところだと思います。

国語の問題が解けなくなるパターン

というわけで、内容(わかる)と形式(問に答えること)なんですが、考えて見れば当たり前のことですよね。

国語の試験というのは、

話がわかる

そして、質問に答える

というこの二つのはずですから。 

manebikokugo.hatenadiary.com

 ところが、特に大学受験を意識するあたりになってくると、

「とにかく答えにたどりつきたい」という気持ちが強くなり、どうしても、この当たり前のことを省略する。

中には「難しい評論なんてわかるはずはない。だけど、答えにはたどりつける」なんていう甘い言葉をささやく人までいるわけです。

そうすると、

テーマや言いたいことを意識しない

そして、

質問に答えず、本文に選択肢があるかどうかひたすら探す

なんていう感じになり、私の説明からかけはなれていくのです。

だから実は両方意識していない、なんて人もいるはずです。

最近の生徒と最近の入試傾向(大学受験を中心に)

 

というわけで、最近の生徒の傾向は、とにかく、本文にあるかないかばかりやっていて、傍線部を見ない。

なので、これを口酸っぱくいう必要があります。

一方で、最近の大学入試は、テーマ的な出題が多くなる。本文のある部分ではなく、全体的な解釈や本文にない具体例や解釈を求めてくる。

これはつまり、

生徒に欠けているのは形式だが、内容理解をより強く求める

ということ。

なので両方がんばれ、両方の視点から攻めろ、としかアドバイスできません。

要は生徒がやっているのは間違い探し、ウォーリーを探せ、で、求められているのは、言いたいことをボンとつかんで、質問に答える力、ということです。傍線部の言い換え、ということになると、語彙力、表現力が必要になってくるわけですね。

中学入試の場合

自分も問題を作り、採点をしますが、中学受験の場合、

たいていざっくりと読んで、なんとなく答えを選ぶ

ということが多いように感じます。

なので、お子さんには、まずは答えの根拠をしっかりと探す癖をつける必要がありますね。その時に傍線部の表現をしっかりわからせることも大事です。

自分自身が最近意識して出題しているのは、

  • 話の全体像をつかませながら、問題とする箇所の意味を考えさせること。
  • 物語では明確な根拠がなくても考えられることまで問う=明確な根拠をもって否定できる選択肢を作ること
  • 自分の言葉で説明させるようにすること
  • 具体例を聞いたり、具体例を選ばせたりすること

という形です。

入試が近いかどうかでだいぶ変わりますが、

  • とにかくたくさん読むこと
  • 自分の言葉ですごく短く説明すること
  • 一度でいいので、答えを先にあげて、答えの根拠を選ぶ練習をすること

などをおすすめしています。入試が近くなると、大学入試同様、具体的なテクニックも説明したくなりますが、それはまたの機会に。

では。