国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

源氏物語「桐壺」の授業~まずは「読解」全体の構造を理解しよう!

授業を紹介していくシリーズは、自分の生徒の復習向けとして必要になります。みなさんも、学校の授業をどう理解するかを学ぶ場として、同じように考えてみましょう。まずは「源氏物語」の「桐壺」です。

定番教材シリーズにはどうも一定のニーズがあるようで、山月記や舞姫、こころなどの解説は、どうも検索される回数が多いようです。これがテスト前に慌てて、答えだけを求められているとすると、国語の先生としては困ったものなのですが、しっかり読んで、本質に近づいてくれるなら、授業同様、こんなにありがたいことはありません。

そもそも、古文の場合、教科書の本文に載っているような箇所の場合、検索をかければ、訳や品詞分解などは簡単にみつけられるでしょうから。

なので、試験前にてっとり早く、訳を覚えたり、品詞分解の答えを見たり…っていう人は、他のサイトの方がいいかもしれません。というか、そういうサイトも必要ですよね。

でも、そうではなくて、私自身がどのように授業展開しているかを紹介するような気持ちで、古文でも教科書教材を扱っていきたいと思います。

 

古文で重要な「わかること」と「問いに答えること」は、「まず全体を読んでわかることを探すこと」と「単語や文法の知識で正確に答えること」

さて、まずは私の古文の考え方について、おさらいしていただけるとありがたい。

www.kokugo-manebi.tokyo

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どうも、国語の先生方にもあまり理解というか同意というかしていただけないようで、やっぱり、「単語と文法で正確に訳す練習が基本なんだよ」というような声をいただいております。

私も当然それは必要だと思っています。それをしないと、正解にたどりつけないというか、得点にならないというか、そういう部分からですね。

ただ、私が目の前にいる生徒を見ているかぎり、どうも粘って読む力というか、全体をとらえる力というか、そういうものが落ちている気がして仕方がない。それこそ、現代文であっても、筆者が何を言っているかではなくて、正解はどれかみたいな読み方をしている。要約が正確にできても、言いたいことはわからない、というような生徒が増えている気がするんです。

なので、どうしても練習として、「まずは最後まで読もう」「読解の練習をしよう」というメッセージが、まず入ります。

だから、もしかしたら、目の前にいる生徒のレベルが違うのかもしれません。あるいは何が問題で古文ができなくなっているかの認識が違うか。まあ、このあたりは、いろいろなやり方があるということでご理解いただけると助かる部分です。世の中には、こういうところを説明しないといけない生徒やこういうところを説明しようとする人もいるんだっていうことで、大目に見てください。

逆に試験になると、助動詞や敬語を訳出しないだけで大きく減点するような採点をします。得点になるのは、この部分だからです。

アバウトにだいたい同じ内容を書いている、つまり、「授業でやった現代語訳を全体として覚えて試験に臨む」という生徒が、がっつりと点数を引かれるように採点しています。

まずは「とにかく最後まで読む」ようにしよう!よほどのプロじゃないと古文を1行目から訳せる人なんていない!

というわけで徐々に入っていきましょう。

まず、みなさんに言いたいのは、よほど古文を山ほど読んで蓄積ができあがって、その時代でのその語の使用方法や常識まで頭に入っているのでないかぎり、一行目からドミノ倒しのように理解できるなんていうことはありません。

まだ「源氏」の「桐壺」なら冒頭なのでいいですけど、冒頭でなければ、カットされた部分、本来書いてあるのに実は省略された部分があるわけで、カットされているのにいきなり全部わかるなんてのはない。

物語で言えば、まずは人物や状況がわかるように説明されて物語が動き出すのに、その説明やそこに至るまでの背景がカットされて、何もかもが最初からわかるなんてありえないんですね。

だとすると、どうなるかというと、まずは与えられた本文を、与えられたブロック、全部読んでみる、というのが大前提です。入試問題でいうなら、「全部読んだら、なんとなくここもわかるかな」とか「わかりにくいから注つけようかな」とか「設問でわかるようにしてあげようかな」とか考えているわけです。

というわけで、まずは私は教科書のブロックを全部読んでもらいます。「桐壺」なら教科書の桐壺の部分を全部読む、ということですね。

 

桐壷の本文で、まず「わかること」は?

では桐壷の本文です。読んでみましょう。

 いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。はじめより我はと思ひあがり給へる御方々、めざましきものにおとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ給はず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御覚えなり。唐土にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪しかりけれと、やうやう、天の下にも、あぢきなう人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひ給ふ。
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ古の人の由あるにて、親うち具し、さしあたりて世の覚え華やかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなし給ひけれど、取り立ててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。
 前の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御容貌なり。一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。
 はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべき際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづ参上らせ給ふ、ある時には、大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれ給ひてのちは、いと心異に思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この皇子の居給ふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。人よりさきに参り給ひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞなほわづらはしう、心苦しう思ひ聞こえさせ給ひける。
 かしこき御蔭をば頼み聞こえながら、おとしめ疵を求め給ふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞし給ふ。
 御局は桐壺なり。 

 これが教科書に載っている「桐壺」です。古文単語もありますから、なかなか難しいところもありますよね。当然、単語とかは知っている方がいいわけですが、この段階では、むしろ辞書なんて引かないほうがいい。とにかくわかるところを見つけましょう。

ポイント

  • とにかく最後まで読む
  • 最初は辞書も文法書も使わない
  • 「わからない」ところは「とばす」、気にしない
  • 「わかる」ところを見つける
  • だいたい何があったかだけつかむ
  • できれば、敬語の知識や助詞の知識で、主客は考える
  • 最後まで読んだら、だいたいつかんだわかったことを頭に入れて、もう一度読み直す 
  • その時は、辞書を引いてもいい、ただし、引いた単語は覚える。文法書も使っていい、ただし、説明は覚える

という感じです。

では、何がわかりましたか?

絶対わかるんじゃないか?というところを色で塗ってみます。

  いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。はじめより我はと思ひあがり給へる御方々、めざましきものにおとしめそねみ給ふ。同じほど、それより下﨟の更衣たちは、まして安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよ飽かずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ給はず、世の例にもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人などもあいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御覚えなり。唐土にも、かかることの起こりにこそ、世も乱れ悪しかりけれと、やうやう、天の下にも、あぢきなう人のもて悩みぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにて、交じらひ給ふ。
 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむ古の人の由あるにて、親うち具し、さしあたりて世の覚え華やかなる御方々にもいたう劣らず、何ごとの儀式をももてなし給ひけれど、取り立ててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり
 前の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれ給ひぬ。いつしかと心もとながらせ給ひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御容貌なり。一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。
 はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべき際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづ参上らせ給ふ、ある時には、大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれ給ひてのちは、いと心異に思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この皇子の居給ふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。人よりさきに参り給ひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諫めをのみぞなほわづらはしう、心苦しう思ひ聞こえさせ給ひける。
 かしこき御蔭をば頼み聞こえながら、おとしめ疵を求め給ふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞし給ふ。
 御局は桐壺なり。

 たぶん、みなさんをすごく馬鹿にしているレベルで色をつけました。古文単語と文法なんてまったくわからないよ、というレベルであったとしても、このぐらいは色がつくんじゃないかってことですね。

さて、この中でわかることは、まずは赤の部分。

どうも、登場してきたこの人物に対して、「おとしめ」「そねみ」「安からず」なんて言葉が使われている。だから「恨みを負う」ですね。「心細い」という言葉も出てきます。

そうですね。この登場人物、誰かにそねまれ、恨まれ、心細い状況になっているわけです。

そうでした。そもそも登場人物をつかまなければいけません。冒頭からすれば、この女性、女御更衣の中の誰か。それが、女御更衣に恨まれているわけですね。

本来、ここは「ときめく」とか、そのあとの二重尊敬とかから、帝がいることに気づかなければなりません。当然、こういうことの中には文法や単語的な知識が必要になってきます。

もし、これがつかめているなら、登場人物は帝に愛される人物であり、そのことで女御更衣からそねまれ、恨まれているわけですね。

だからこそ、玉の男御子まで生まれてくるわけです。

しかし、このあとにもまだ何かがあります。

「一の御子の女御」という名前が出て来ます。ここには「一の御子」という名前とともに、その「女御」という表現が入っています。「一の御子」つまり「一番の御子」。そして、その女御です。注がついている可能性もありますね。つまり、皇太子とともにそのお母さんという注がもしあったなら、すでにこれだけでドラマが想像できます。

なんとなくわかりますよね?

そもそもこれは宮中を舞台にした恋愛ものではないかと。

恋愛といえば、うまくいくかどうか、ですが、おそらくこれは、帝に対して、複数の女性が争っている。

で、だからこそ、帝に愛された女性は「そねまれ恨まれる」。

そして、子どもが生まれる。

となれば、嫉妬はまた燃え上がる。

しかも、そこには一の御子の女御がいると…。

だいたいこんな話のはずですね。

これができるかどうかっていうのは、確かに関係ないといえば関係ないかもしれないけれど、そもそも読む時に、「恋愛ものなんだから」とか「このあとの展開は…」とか普通は無意識に考えているはずなんです。どんなにささいな映画でもマンガでもドラマでも。

古典だとどうしてもそういう意識が欠けてしまうんですね。国語の先生は、たぶんそれが欠けるっていう感覚がわからないというか、そもそもそういう感覚がないってことが意識できないというか、苦手な人の思考回路がわからない可能性が高くて、私がこういうことをやると邪道のように感じるんだと思います。

 

難しいところの解釈をがんばってみよう!

 では、同じような日本語の感覚を使って、少し難しいところを考えてみましょう。単語や文法は確かに必要ですが、それがわかったとしても、解釈がうまくとれないところを、日本語の感覚を使って解釈する練習です。

「おほかたのやむごとなき御思ひ」「私物」って何?

まずはここですね。

一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれど、この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。

「おほかたのやむごとなき御思ひ」っていうのがどうもひっかかるんですよね。「やむごとなし」は「高貴な」だから、なんだか褒めているような気がするけど、その前に「この御にほひには並び給ふべくもあらざりければ」とあるから、どうもけなしているようなきもするし…。

で、後をヒントにしようとすると「私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。」ですからね。

「かしづく」は「大切に育てる」だから「褒め」だけど、前にも使われているし…。

こんな感じで、混乱するんですよね。

着目するのは助詞です。

一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれこの御にほひには並び給ふべくもあらざりければ)、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづき給ふこと限りなし。

まず、青からね。

「一の皇子は」と書かれます。「~は」っていうのは、区別です。「ぼくはやってないです」じゃあ、だれがやったんだって感じ。「今日は晴れました」ああ、昨日は雨だったんだなって。

対比は、後半の「この君をば」ですね。当然、文法的なことわかってないと思うけど、「~をば」の「ば」は、やはりこの「は」が濁音化したものです。「ば」じゃないです。

だから対比。

じゃあ、どっちがいいのかっていうのは、読解的な流れで考えれば「この君」のはずです。だから「一の皇子の女御」の「諌め」が始まってくるわけで。

でも、ここもこの部分でしっかり解釈しましょう。

今度は赤です。

一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづき聞こゆれこの御にほひには並び給ふべくもあらざりければ)、おほかたのやむごとなき御思ひにて

赤の部分を見ると、

~ど(~ば)~。

の構文であることがわかります。

これ、

雨降れど、試合近ければ、練習せむ。

みたいなことです。

雨が降るけど、試合が近いので、練習しよう。

ですね。

「~ど」の逆接は、どこが受けるか?「練習せむ」ですよね。その間の(試合近ければ)は、その理由なんですね。

雨が降るけど、練習しよう。試合が近いからね。

ね。

となると、実はわからなかった「おほかたのやむごとなき思ひ」は、かなりネガティヴであることがわかります。

なぜなら、「~ど」の前は、「寄せ重く」「疑ひなきまうけの君」「かしづく」とどれをとっても、重要であるわけだから。

で、(~ば)は理由だから順接のはず。(この君の美しさに並びなさるはずもないので)というのはけなしですから。

どちらから考えても「おほかたのやむごとなき思ひ」は、けなしているはず。「やむごとなし」は高貴、で褒めている。だとすると、「おほかたの」でけなしにしたい。

ああ、「おほかた」って「普通」とか「ありふれている」とかそんな感じか…ということになるわけです。

逆に、「この君」は「特別扱い」になるはず。「私物」とあるので、これが特別扱いだとすると、そうか、「自分だけの特別なもの」みたいな感じか…となっていきます。

 

「おのづから軽き方に見えしを」って?

さて、もうひとつ解釈で苦労するのは、後半でしょう。宮中の常識を知っていればともかく、そうでないと一苦労する場面ですね。

はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべき際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづ参上らせ給ふ、ある時には、大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれ給ひてのちは、いと心異に思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この皇子の居給ふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。 

ここ。最後のところは単語とか文法とかわかっていると意味がとれるかもしれないけど、前半は訳せても「これ何を言っているんだろう?」ってなりがちなところですね。

これも、まずは助詞の「は」に着目しましょう。

はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべき際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづ参上らせ給ふ、ある時には、大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この皇子生まれ給ひてのちは、いと心異に思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この皇子の居給ふべきなめりと、一の皇子の女御は思し疑へり。

 「この皇子生まれ給ひてのち」「は」と書いています。つまり、「この皇子が生まれた後は」と区別したわけです。

となると、赤、つまり前の部分は「この皇子が生まれる前は」であることがわかります。だから、過去の助動詞「き」「し(連体形ですね)」が使われているわけです。

青は、少し読みやすい。一の皇子の女御は「疑った」とあります。「坊」は次期帝の座る場所、皇太子のこと。そこには、「この皇子が座っているかも…」と疑うわけです。

「ようせずは」とありますが、「よう」は「よく」のウ音便。古文ではア行系はかなりあやしいわけで、音便を疑うべきところですね。

「~せずは」とありますが、つい「~は」ととらないように注意。現代語でも使う助詞、「が」「に」「を」「も」「は」などは、名詞が来ますよね?だから、現代語で動詞を持ってくると、「の」を補いたくなりますよね?

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「遊ぶのが」とか「遊ぶのを」とかいうように。つまり、連体形をとるんですね。

だからもし、これが「は」だとするなら、連体形、つまり、「せぬは」となるべきなんです。そうなっていない。ここは、ぱっとみると、終止形ですけど、終止形だと訳がわからないから、他に…って考えると、連用形です。「遊ばず、勉強した」というときの、「ず」ですから。

つまり、これは「連用形+ば」のパターン。さっきの「をば」が「は」の濁音化でしたが、ここは逆に「ば」の清音化です。だから、「よくしないならば」と訳すところ。連用形+ば、と言ってますけど、形容詞とか打消しの「ず」とかに、未然形を認めてやれば、未然形+ば、のパターンに過ぎないんですけどね。

さて、戻りましょう。

「この皇子が生まれた後」「は」「もしかしたらこの皇子が皇太子になるんじゃないか」と一の皇子、つまり現皇太子のお母さんは疑うようになった、と。

逆にいえば、「この皇子が生まれる前」「は」そんなことを「疑っていなかった」。

実はそう書いてあるだけなんじゃないか、ということです。

それが、「おのづから軽き方に見えし」ですね。

つまり、「自分の息子の地位、あるいは自分の立場を脅かすような重要人物だとは思っていなかった」ということです。

でも、ここまでの展開で、帝がこの女性に夢中になっていることは明らかです。そうであっても、「軽き方」であったわけですね。

そこには説明が必要。

だからこの前に長々と説明がある。

直前は、「あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに」です。「ほど」は程度で訳してうまくいかないときは、「時間」で訳す。「時」「間」「うち」などですね。

「あながち」は「強ち」で、無理やり。「御前去らず」ですから、帝の近くから去らせなかった、というところでしょうか。

となると、その直前の「など」が気になってきます。「~などと」とくれば、その例ですね。つまり、「こういう風に」「ああいう風に」「帝が彼女をずっとそばにおいていた」、だから「軽き方」に見えた、というこういう感じです。

もともとが一夫多妻であるということも考えないといけないですけど、正妻が余裕をかましていられるというのは、きっと、所詮最後はこっちという自信があるからです。逆に言えば、「向こうは遊びでしょ?」ということです。ドラマだったら、もうちょっと他の言い方もあるかも。「結局、向こうはカラダ目当てでしょ?こっちには、もっと違う何かがあるんだから」現代ドラマならそれは、お金だったり、父の仕事だったり…ですね。

戻ります。

つまり、その前の部分は「あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに」の例ですよね。

そう思って読み返してみましょう。

はじめよりおしなべての上宮仕へし給ふべき際にはあらざりき。覚えいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせ給ふあまりに、さるべき御遊びの折々、何ごとにもゆゑあることのふしぶしには、まづ参上らせ給ふ、ある時には、大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひなど、あながちに御前去らずもてなさせ給ひしほどに、

最初に、逆接が使われています。「上衆めかしけれど」ですね。「上衆」は、「身分が高い人」のこと。「~めく」は「~ぽい」ですし、そこに「~し」がつけば、形容詞化ですね。「古めかしい」とかね。

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つまり、「上衆」ぽく見えるけれど…といっている以上、本当は違う。それが「軽き方」でもあるわけです。

「さるべき御遊びの折々」は「まづ参上らせ給ふ」。

で、ある時は、「大殿籠り過ぐしてやがて候はせ給ひ」です。

敬語の訳出は、

  1. まず、敬語をないものとし考える
  2. それから付け直す

ですね。

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ですから、「大殿籠る」を戻すと「寝る」ですから、つなげてみると「寝」「過ごす」です。ちゃんと訳すなら、そこに尊敬語訳の「~なさる」を付け直して、「寝過ごしなさる」です。

「やがて」は「すぐにそのまま」だから、寝過ごしてそのまま「候はせ給ふ」。「お仕え」「させ」「なさる」。

う~ん、結構刺激的ですね。

二人一緒に寝過ごして、寝坊しちゃったから、「戻らなくていいから、このままここにいろよ」って感じ。それが「あながちに御前去らずもてなさせ給ふ」なわけです。

そりゃ、「軽き方」にもなります。扱われ方がこれではただの愛人で、ちゃんと扱ってもらっている感じになりませんね。

でも、玉のような男皇子が生まれることで、状況は変わっていくわけです。

 

では、とりあえず、読解はここまで。