「うちの子は国語が苦手」という保護者の方に、特に受験のための学校説明会でお会いします。
「国語力」ということが何か素質のように語られてしまっている気がします。あるいは控えめにいって、「読書」で決まる。そうなると「読書が好きかどうか」で決まる。
こんな感じがするんですね。
というわけで今日は、評論・論説文で点をとるためにやることです。
国語苦手の子どもにやってほしいこと
私がそうした保護者の方に、短時間でお願いすることは、
- 毎日、入試問題を1本音読させること
- 一度でもいいから、先に答えを与え、答えの理由を本文から探させること
のふたつにしています。
前者が、いわゆる国語を強くすること。後者が入試問題の仕組みに気づかせることです。小学生や中学生であるなら、テクニックもまずは、この程度でよいと思います。
そして、前者は、実は大学入試まで、ずっと続く大事なことです。センター試験や東洋大や立教大のように、全学共通で入試問題を作っている大学なら、それはテクニック重視でもある程度問題は解けていきますが、早稲田や小論文を課す慶応になってくれば、それはもう「わかっていないと話にならない」という文章になってきます。
そうなんです。わかっているかどうか。これが国語の入試問題で作問者が意識していることなんですよね。
国語の試験は講演会の話の確認
話が飛びました。国語という科目で、どんな試験が行われているか考えてみましょう。
「国語」だと思って待っていると、試験問題=すなわち文章が配られます。
これは、作者という知らない人(本当は知っていてほしいですが、知らない人の可能性が高いですよね)が入ってきて、講演を始めるようなものです。
この間、質問は認められていません。したがって、むずかしいところがあったとしても、聞くことはできません。
ただし、リピートはしてくれます。読み返せば、いいわけですから。
ある程度、講演が終わると作者は去っていきます。もちろん、リピートはしてくれるので、もう一度、同じ話をさせることは可能ですが、作者は語るだけ語った去っていきます。
そうすると、作者とは関係ない人が入ってきて、たとえば学校の講演会だとするなら、担任の先生が入ってきて、いうのです。
「これから、きちんと話を聞いていたか、話を理解していたか確認をします。次の質問に答えてください。きちんと話を聞いて、理解している人はできるはずですよ」
こんな感じでしょうか。
国語の試験に臨む心構えの問題点=国語という科目はない
まずここで、問題になるのが、講演会の話の内容は、やる気と国語力があればわかるのか、ということです。
たとえば、この講演のタイトルが「マルクスの資本論」であったとします。国語力があれば、はたして誰でも理解できるのか?
「バッハの作曲理論」というタイトルの講演だったらどうなるのか?それこそ「iPS細胞の理論的説明」だったらどうでしょう?
もう少し、話を進めましょう。
仮にこの講演「マルクスの資本論」の中身が専門的過ぎて全く理解できなかったとします。あなたは反省して、もっと学ばなくてはいけないと思います。帰りに本屋に立ち寄り、勉強のための本を買うとします。どちらの本を買いますか?
- ぼくは国語力がないので、国語の問題集を買って国語力を鍛えよう
- マルクスなんて知らなかった。わかりやすい解説書を買おう
明らかに後者です。つまり、国語の問題集を買う、というのは、「話の内容はしっかりわかったけれど、うまく答えられない」というレアケースの人に必要なことであって、たいていの人は「話が難しかったからできなかった」というただそれだけの問題点であることがわかってきます。
講演会に行くときに大事なこと
こうしてみると、そもそも「国語」だと思っていることが大問題であることにも気づきませんか?
だって、書いているのは「国語」の先生ではないのだから。
社会科学の先生、経済の先生、メディアの先生、環境問題の先生、都市工学の先生、音楽や美術の先生が自分の専門について書いているのに、聞いている側はそれを「国語」として捉えている。これでは、講演の内容がわからなくなって当たり前です。
国語のテストは、講演会のタイトルを伏せて、講演をはじめるという卑怯なスタイルでできあがっています。
だからまず、本当はこの講演会のタイトルを見つけて、心構えをしなければいけません。
これはテクニックの話なので、また機会をあらためて書いていきますが、
たとえば、
- 出典となる本のタイトルを見る
- 最後の設問の選択肢を見る
- まとめとなる最終段落を見る
- 冒頭段落で何の話かつかむ
などのことでだいぶ解決をしていきます。
「わかる」ために必要なこと
とはいえ、知らない話だったら?そこで使われている単語に聞き覚えがなかったら?
これは厳しいですね。だからこそ、受験までに、ある程度の文章になれなければいけない。「わからない」文章だったら、「わかる」状態に変えなければいけない。あなたが大学受験を志しているなら、そのぐらいできるはずです。読んで難しいと感じたら、先生に質問にいけばいい。「要は何が言いたいんですか?」「わかりやすく説明してください」早慶を受験しようと思っていて、わからない文章を放っておいて、受かると思う人はどうかしていると思います。
では、中学受験ぐらいだとするなら、どうすればいいでしょう?もちろん、わかりやすく、おもしろく、文章の内容を解説してくれる先生に出会っていけばいいのですが、なかなかそうもいきません。そもそも、教えているのは国語の先生で、下手をすれば文学の先生ですから。
だから、一番てっとりばやいのは、「入試問題を読む」ことです。
- 長さがほどほど。苦手な子は一冊の本は読めない。
- 各校の国語の先生のおすすめの文章。小学生に読んでほしい、知っていてほしいことのオンパレード。
- 音読がよい。黙読だとさぼるから。
- 苦手な子には読むだけに徹する。問題を解く、要約をする、辞書をひくなど欲張りたい気持ちはわかるけど、「毎日一本必ず読む」だけにする。
これだけです。
たとえば、こんなの、どうぞ。

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別に、最新版である必要はありませんが、はやりすたりはあるので、あまり古いのはおすすめしません。
あかちゃんは必ず、聞き続けて言語を獲得します。学ぼうと思ったわけではありません。言葉を教え込まれたのではなく、使い続けているうちに、わかってしまったのです。
論説が苦手なのは、そこに出てくる言葉が聞き慣れないから。当然、そこで説明している概念=考え方も、聞き慣れないし、知らないから。
でも、シャワーのように浴び続ければ、なんとなく言葉の意味はわかってくる。それこそ、いくつかの手がかりとなる言葉がわかれば、それに近い考え方もわかってくる。
辞書を引くことの有用性は私も認めた上で、少なくとも辞書を引いて意味を獲得するより、とにかくシャワーのように言葉をあびることが大事なのです。
中学入試なら、小学生でもわかる思想や概念。そんなに山ほどのものは出せません。おんなじような話をいろんな学校で出しているものです。だから、たとえば、六年生だとしても受験まで200日あれば、200本の文章が読める。これだけでもだいぶ違います。きっとお子さんは、今まで問題があっているかどうかは気にしていても、文章のいいたいことなんて考えていなかったはずだから。
あなたが大学受験をするなら、学部ごとの傾向に目を向けなさい。法学部で何が問われるか。それは法学部を受験する者が当然知るべき内容なんですよ。
要約は本を閉じて
要約をする作業についても、いろいろと書きたいことがありますが、ここではとりあえずシンプルにしておきます。
必ず、教科書、問題文を見ないで行いましょう。
えっ。難しい?
どうしてですか?
映画を見終わったあと、漫画をよんだあと、あらすじを説明できますよね?DVDを再生しながらでないと説明できない、なんてことはないですよね?
本文を見ないと、要約ができないというのは、わかっていないことの証明です。
要約ではなく、コピーですね。
うちの学校の生徒ですが、大学入試の小論文のとき、第一問の要約をもってきて、添削してください、と。これが完璧なのです。もしかしたら、満点かというぐらい。
ところが、自分の意見が書けない。聞いてみると、何が書いてあるのか、何が言いたいのかわからないのだそうです。
でも、要約完璧だよ?
彼女の答えは「大事そうなところはわかるから、そこをつなぎました。塾で、キーワードのつかみ方はやっているから、大事なことはわかります」
こうなってくると、要約をすればいいわけではないことがわかります。
「わかる」かどうか
中学受験で国語が苦手なら、写すだけの要約はやめてしまって、量をひたすら読む。しいて内容確認するなら、
「一言で○○が○○だという話」ぐらいからはじめたらどうでしょうか?