生徒からの質問が同じようなところで、ふたつあったので、質問に答えるようなシリーズも展開しようと思います。今日の質問は、「現代文の入試問題を解くのに、基礎知識は必要ですか?」という質問です。同じような質問というのは「推薦で模擬講義を受けて試験があるが対策は?」という質問です。
現代文の入試問題を解くのに知識は必要か?
正確にその質問内容を書くと「塾で授業を受けていると、『現代文の入試問題を解くときに、自分の知識はむしろ正解にたどりつくときに邪魔になる。自分の知識ではなく、本文にしたがって問題を解くわけだから、知識はいらない』と言われたのだが、先生はどう思いますか」というものでした。
勘のいい人はわかると思いますが、この質問が出てきている前提は、私が授業で「知識」にこだわっているからです。
国語の先生は、基本的に「知識はいらない」という側に立つことが多いと思います。なぜなら、その試験は「国語」の試験であって「他教科」の試験ではないからです。うがった見方をすると、もし知識が必要になってしまうと国語の先生には手に負えなくなってしまいます。
だから、「国語に知識は必要ない」ということになりますね。
確かに、試験問題で聞かれていることは、「本文にどう書いてあるか」であり、「あなたの考え」ではありません。したがって、試験では「本文をはなれて、自分の考え・常識で書いたり選んだりすること」は間違いになる原因です。
では、本当に知識はいらないのでしょうか?
模擬講義のために準備はいらない?
さて、いったん離れてもうひとつの質問です。
「推薦入試で、模擬講義を受けてそのあと理解しているかどうかのテストをされるんですが、どのような準備が必要ですか?」
この入試の場合、あらかじめ講義のタイトルがもらえましたので、そのタイトルをもとに「どんなことをすればいいか」ということを聞きにきたわけです。
みなさん、どう思いますか?
- 「模擬講義」って授業をしてくれるわけでしょ?ちゃんと聞いてさえいれば、絶対わかるんじゃないの?準備なんていらないよ。普通に授業を聞く力さえあれば…。
- 大学の「模擬講義」なんだから、なんだかとても難しい内容かもしれない。特にタイトルはその学科の内容だし。高校ではそんなことやってないし。多少は予習しておかないと、まずいんじゃないかな…
みなさん、どちらでしたか?
どちらも一理ありますよね?高校の授業だって、予習は必要で、予習してないとおいていかれることもある。だから、準備が不可欠ともいえるし、新しいことを教えるのが講義なんだから、準備してすでにわかっている状態なら、講義の意味がない。講義をきいてはじめてわかるっていうことに何の問題もないよ、というのも一理あります。
この生徒の場合、「経済」というテーマだったんですが、どうでしょうか?
私は単純に、その生徒の基礎知識の問題だと思います。
私は、需要と供給の話、アベノミクス=市場にお金を増やして、賃金をあげて、お金周りをよくしようとすること、でも、グローバル化の中で、そう簡単にいかないこと、人件費の固定費を減らして(非正規労働)利益をあげようとすること、でもそれによって消費が抑制されて企業がもうからないこと、などを簡単に話して、その生徒に説明しました。
その生徒が理解できるなら、準備はほとんどいらない。講義を聞く下準備ができているからです。講義を聴けるだけの知識があるからです。
逆にまったくわからないとすれば、簡単な経済の仕組みや用語ぐらいは理解しておかないと、まずくないですか?だって、講義をきいても、わからない言葉ばかりだったら、たいへんなことになります。
そもそも大学はなぜそんな試験をするのか?
それは、大学でそういう講義をするから。だから、その講義を聞いて理解する力がなければ困るし、入学するまでに「やばい。難しい。ちょっと本でも読もう」って思ってもらったり、「おもしろい。少し本でも読もう」って思ってもらったり、「なるほど。このニュースはあの講義の話だ」って思ってもらうために、やっているんですよね。
だから、答えは「生徒による」。
講義の内容は、大学の先生が用意した、とっておきの、はじめての内容、新しい内容。だから、知らなくて当たり前。
でも、その講義がわかるための最低限の基礎知識はなければいけない。
普通は英語でも数学でも、授業を受ければ、新しい内容でも理解できていくはずですよね?でも、思いっきりさぼってきていると、何カ月かさぼっていると、まったくわからなくなったりしません?そうなったら、みんなに追いつくように勉強し直すしかないですよね?
この場合、学部学科に関わる「常識」が基礎知識なんですが、もし、常識が常識になっていないなら、準備や勉強は必要です。
もう一度「国語の入試に知識は必要か?」
さて、この答えもわかってきましたか?
正解は「生徒による」です。
国語の文章も、「講義」そのものです。
このブログをはじめた最初の説明記事がこちら。
「国語なんて科目はない。講演会の話を聞いて、内容を確認するのが国語の試験」
というのが、この話です。
だから、やっぱり知識は必要です。
特に難しい大学になればなるほど、大学で平気で難しい講義をやりそうですよね?だからこそ、大学入試では、その講義を聞くのに必要なレベルの知識までは聞いてきます。
なんとなくわかってきましたか?
レベルの高い大学ほど、レベルの高い講義をするはず。だとすれば、要求される基礎知識=常識もレベルが高くなる。確認するために、国語の入試問題の文章の中身も高度になる。
少なくとも、そこいらで遊んできた高校生が誰もが解けるレベルの文章ではないし、みんながわからなくてもかまわない。入ってくるやつだけ、わかっていればいいわけだから。
特に早慶上智明治ぐらいまでをイメージするなら、国語の入試問題を読んで内容がさっぱりわからないなら、たぶんその大学が要求する学生レベルでない、ということを意味しています。
つまり、「常識」があなたにない。だったら、わかるようにしないとまずい。
でも、文章がかる~く読めてしまうなら、あまり自分の知識を出さないようにして、塾の先生がいうように、本文に基づいて答えるように注意しないといけない。
あなたは今、どちらの段階ですか?
すごくシンプルにいうと、「文章を読んで訳が分からないなら、わかるように誰かに聞いた方がいいよ」という話でした。
というわけで、また。