さて、秋の足音がどんどんと大きくなりまして、推薦入試を控えると、小論文の書き方のニーズが高まります。
というわけで、小論文の書き方を説明する必要が出てきます。
今回は、小論文の書き方。ただし、ここで説明するのは、誰にでも書けるわけではない「合格する」小論文の書き方です。
えっ。誰にでも書ける合格する小論文がいい?
無理です。そんなこと。
誰にでも書ける小論文は、だからこそ、落ちる小論文。
合格する小論文は、誰にでも書けない小論文。
こんな話に興味を持ってくれたなら、ぜひ読み進めてください。
- 小論文の「論」は「論理」ではない!内容や知識が大事!
- 「論理がきちんとしていれば賛成でも反対でも構わない」は大嘘!正解がある!
- そもそも、賛成、反対を聞いている小論文なんてそんなにない!賛成・反対は立場。意見はあなたの考える根拠。
- 起承転結は最悪!意見と根拠の二本(三本)立てが基本
小論文の「論」は「論理」ではない!内容や知識が大事!
さて、よく言われることですが、小論文は「論理」であり、内容はともかく、筋道が通っていればよい、なんて聞いたことないですか?
はっきり言って大嘘です。
もちろん、論理的でない文章はだめです。論外。
でも、論理的であれば受かるなんて、そんなことあります?
「小論文」の「小」をとってしまえば、これは「論文」。学者は理系も文系も、論文を書くわけですが、そのとき、「論理性」とか「構成」で評価されるなんてことがありますか?
「Aさんの論文は非常に論理的で明快な筋道がある。わかりやすい。だからノーベル賞!」
なんて話になるわけがありません。
評価の対象は常に中身。それは知識とアイディアです。
つまり、あなたが問われたことについて「すでに知っているか」「どこまで知っているか」が問われているだけです。
そんなこと小論文の書き方で指導したら、「ぼく知らないんでどうすればいいですか?」みたいな話になりますよね?そうなると指導しきれないから、「論理」なんて言葉を持ち出すんです。中身になると、国語の先生は指導できないし、生徒も嫌がる。これから余計なこと勉強したくないから。
だから、多くの小論文の書き方本は「論理」「筋道」なんて言葉でごまかすんです。
だいたい、出題して採点するのは、大学の学部学科の専門の方々。
その人たちが国語的な採点をするわけがない。
だからまず第一に、重要なことは、
- 与えられた文章がわからなかったら、不合格
- 何を書いていいかわからなかったら、不合格
- 適当に、文章にある言葉から連想ゲームをしたら不合格
- 筆者の文章を追随するだけで深まらないなら、不合格
という、要は、その文章を読む以前に、あなたの頭にどれだけ知識がつまっていて書くことがある状態にしておくかが勝負だということです。
つまり、小論文の学習とは、
「出題されるであろうテーマについて、すでに知っていて、自分なりの意見を作っておく」
ということなのです。
慶応大学を例にとれば、経済、法、文、環境情報、総合政策と、学部ごとに出題内容はまったく違います。ぎりぎり、法学部と総合政策が内容的にやや似ています。形式は環境情報と総合政策が似ています。
逆に言えば、法と総合政策は内容的には多少似ていても形式が違うので、違う対策が必要ですし、環境情報と総合政策は、形式は似ていても内容が違いますから、別の対策が必要です。
ということは、学部ごとには、だいたいどんな知識と内容が問われるかは決まっていて、対策はじゅうぶん立てられるともいえます。
これを「小論文」とまとめている授業があるなら、あまり意味がないと思いますよ。
「論理がきちんとしていれば賛成でも反対でも構わない」は大嘘!正解がある!
次に、やっつけなければいけないのはこれです。
「問われるのは論理性であり、賛成でも反対でもどちらでもいいのだ」
というやつです。
確かに、絶対に答えがひとつになるわけではないし、両方の立場で書けないこともないとは思いますが、ある程度勉強していけば、書く方向は決まってきます。
いえ、書く方向によっては、「不合格」の意見にもなりかねません。
たとえば、農学系統、生命・生物学系統で、遺伝子組み換え技術、遺伝子操作などのモラルを問う文章が出てきたとしましょう。
あなたはこれから、バイオテクノロジーに関わる者だ、と自覚してください。イメージしましたか?
だとすれば、
- 「神の領域」とか「人間の思い上がり」とか、そんな言葉を使った瞬間に、自分は何を大学に学びにいくのか、考えてほしいですよね?宗教とか文学やれ、って感じです。
- 逆に、テクノロジーをたたえて、何でもやっていいんだ、人間の技術によって、品種改良や医療とかが発展したんだから、多少のリスクなんて仕方ないんだ、と言っている人は怖いですよね?マッドサイエンティストって感じです。
わかりますよね?
だから、「すごく危険な領域に入るからこそどういうモラルを持っているか受験生に確認している」わけですね。
答えはあるんです。
文学部が言語についてだすなら、
「方言は否定しない。言葉は生きたもので変化するものだから。でも、同時に正しい言葉があって、伝統や過去を踏襲することも大事」
ですね。
教育学部が教育についてだすなら、
「子どもには、個性があり、自ら育ち、また自立を目指すものである。でも、同時に教育によって社会が成り立ち、社会に適応する子どもを育てるのが教育である」
ということ。
医療看護が脳死と臓器移植についてだすなら、
「脳死判定を受ける人も患者。だから最大限意思決定含め、慎重に行い、最善をつくさなければいけない。でも、同時に移植によってしか救えない命があることも確かでその人も患者。だから、その両方の患者に最大限配慮しなければいけない」
ぐらいは当たり前の立場です。
こんなのは基本の基本。
実際の入試、難関大学では、もっと深いところで、しっかりとしたテーマで聞いてきます。慶応の法学部なら、「法律は判例主義で過去を踏襲しなくちゃいけないけど、同時に今の時代に合うものしていく、もっといえば法や判例をとびこえることだってありうるよね?さあどうする?」みたいなことです。
だからあなたの学習は、あなたが行こうとしている学部学科でどういうところまで議論がされているか、それを知るためのものであるべきなのです。
(こんなこと書くと、「高校生にそんなこと要求しない」とか「高校生がそこまでする必要がない」とか、受験生が喜ぶ言葉で批判してくるのは知っています。現代文でもそうだから。でも、だったら、「何で、小論文なんて面倒くさい入試をやるんでしょう?」という質問に答えてほしい)
そもそも、賛成、反対を聞いている小論文なんてそんなにない!賛成・反対は立場。意見はあなたの考える根拠。
賛成・反対は立場で、意見ではない。
さて、こういう不合格小論文を喜んで書かせようとする指導の前提となっているのは、
「賛成・反対を決める」
という指導です。
これがまた最悪。この指導を受けた生徒は、第一段落が一行か二行になります。だって、
「私は筆者の意見に賛成です。」「私は筆者の意見に反対です。」が意見なわけですから。(二行になる生徒は「~という筆者の意見に」と書くのでちょっと長くなりますね)
これは意見ではありません。あなたの考えではありません。
そうですね。たとえば、あなたは、成人年齢を18才に引き下げることに賛成ですか、反対ですか?
ここで質問。
賛成だったとして、賛成の人はみんな同じ「意見」ですか?
たとえば、
「早く大人にしてもらえれば、なんでもやりたい放題だよね。お酒も飲めるし、たばこも吸えるし。早く好きなことやりたいな」
という人と、
「選挙権を若い人に与えないと、不公平だよね。責任と義務もしっかり背負って、早くから社会参加させないと」
という人は同じ意見ですか?
どういう観点かによって、同じ意見とはいえないですよね。
たとえば、学校から宿題をなくす案があるとします。
「遊びたい。勉強しなくていい賛成!」という人と「宿題なんて強制をいらない。生徒は自分にあった学習をすべき」という人は、同じ意見といえますか?
仮に多数決をとるとして、後者の人は、前者の「勉強したくない。しなくていい」派と組んでいいのでしょうか?
もしかしたら、「宿題しないと学習しない。だから宿題が必要」という人と組んだ方がうまくいくし、もしかしたら、意見は近いのではないでしょうか。
深いところまで考える=簡単には意見にたどりつけない=だから、「簡単に書ける」は、「浅い小論文」
だから次のような思考回路はだめです。
「賛成か反対か決めよう」
「次にその理由を考えよう」
「最後に逆の立場をやっつけよう」
だから浅くなる。
やるべきことは、
- 自分が正しいと思う「理由や根拠、そのために考慮すべきこと、必要なこと」こそが意見
- 相手をやっつけるのでなく、建設的な提案=意見をきちんと出す。
- その上で、そう考える理由や根拠などを展開していく
ということになります。
こっちの方が大変です。しっかり考えなければ書けません。
だからこそ、簡単なやり方が、世間に出回るわけです。
- 賛成、反対を決める
- その理由を書く
- 反対派の弱点をつく
簡単に書けますが、だからこそ、不合格です。誰にでもできることですから。
そもそも賛成・反対を書け、と書いてある小論文は少ない
そして、大事なことは、そもそも、「賛成・反対を書け」と書いてある小論文は非常に少ない、ということです。
一番、多いパターンは、「この文章を読んで筆者の〇〇についての意見をまとめた上で、あなたの考えを書け」というものであり、「賛成や反対」を聞いているわけではない、ということです。
ここで、やるべきことは、
- 筆者は〇〇について、~と考えている。
- 私は〇〇について、~と考えている。
しかありません。
ここで、2に「私は筆者に賛成です」と書くのは、
授業で誰かが発表した後に、「私も同じです」というのに似ています。もちろん、そういっても、そのあとの理由さえ、しっかりしていればいいのですが、「しっかりしている」というのは、「ある種のオリジナリティがある」ということですよね。それがなければ、「なんだ、二番煎じだよね」ということになります。
もっと書きます。慶応大学の小論文などでは、細かい指定が多い。「〇〇について、説明した上で、どのような〇〇が必要か、日常生活の例をあげて答えよ」みたいなやつです。
覚えているやつでいうと、経済学部の「大学は教養教育から、職業教育にシフトすべきだ」という文章を読ませて、
「あなたが解決すべき日本や世界の課題をひとつあげ、その課題の解決に、大学教育がどのような役割を果たしているか説明せよ」
という問題です。
ここに、賛成、反対が介在する余地はありません。やることは、
- 解決すべき課題をあげる
- そのために大学教育の何が役立つか、何が必要かを書く
ということ。
環境情報や総合政策でも、ほぼ、賛成・反対を書く余地はありませんし、経済学部も指定がつくことが多い。法学部や文学部は「あなたの意見」とざっくりと来ることが多いけれど、でも内容的に賛成・反対で割り切れるような出題ではありません。
なんとなくわかってきましたか?
起承転結は最悪!意見と根拠の二本(三本)立てが基本
というわけで、起承転結型は不合格答案の典型です。
- 自分の意見を書く=賛成・反対
- その理由を書く
- 相手をやっつける
- まとめる
これがだめな理由はわかっていただけたかと思います。
特に問題なのが3です。
相手をやっつける、ということは、たたきのめす、ということです。「正解がある」と書きましたが、たいてい正解は「中間点」です。
つまり、書くべきは、相手への配慮。
たとえば、臓器移植の問題を考えましょう。
提供者=ドナーも、移植を待つ側=レシピエントも両方患者だとするなら、医療者として、賛成に回るしかありません。
そうなった時に、やってはいけないことは、
「ドナー側に「死んでいる」んだから、いいでしょ」
と書くこと。
医者失格です。
書くべきことは、
「ドナー側が納得するような解決策を提案すること」
- 意思確認について、徹底すること。最大限の配慮をすること。
- 家族の気持ちを尊重すること。死を悲しむ時間と場所を作り、そのための体制をつくりあげること。
- 臓器提供の順番について、不正の入り込む余地がないように、しっかりとした体制をつくること。
- 脳死の確認の方法について、理解し、間違いのないように行うこと
などを提案する必要があります。
そして、わかったと思いますが、これこそが「意見」です。
これでもなお、「臓器移植で救える可能性について、あまりに高く語られており、実際に救える可能性が低いにも関わらず、患者を期待させる面が大きいこと」「日本では脳死判定が厳格に行われているために、実際に移植に結びつくケース、特に子どもについては非常に少ないこと」「ドナーカードの普及が、臓器提供を善とみなす考えを含んでおり、選択が強制になりかねないこと」などの現状のリスクに答えていません。
さらに書けば、あなたが法学部や文学部の受験であるならば、こうした臓器提供という側面から脳死を作りだし、人の死を規定することについて、否定的に考えることも必要になっていきます。
ここにたどりつくためには、「起承転結」は禁止。
やるべきは、2ブロックか3ブロック。
- あなたの意見=これから書くことの要約
- 要約したことをひとつずつ詳しく
- まとめ=つまり、最初と同じ内容の繰り返し
2ブロックというのは800字程度なら、字数が少ないので、1か3をカットするのが無難、という話です。
では、どちらをカットするかといえば、3をカットします。
理由は…
次回、小論文の書き方を詳しく説明します。