国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

近代短歌への道 正岡子規「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」 鑑賞から短歌のコトバを考える

近代短歌シリーズの第2段です。

この間は、近代短歌再生のキーワードは「連作」だなんて書きましたが、今日は、いったんその話はおいておいて、なぜか、正岡子規の「くれなゐの…」の歌を使って短歌の鑑賞の話です。

ここのところ、芸能人の俳句が流行ってくれたおかげで、こういう短詩の中での言葉の使い方や語順、あるいは発想なんていう言葉が山ほど出てきてくれておりまして、だいぶ詳しくなってくれているんじゃないかな、と思っております。

題材は正岡子規。石川啄木や与謝野晶子は近代短歌といっても、生徒がファンになってくれるのですが、正岡子規は一番嫌われるというか、よさがわかってもらえない。まあ、俳句の人なので、「景」なんですよね。啄木や晶子が「情」だとするとね。アララギと明星の違いといってもいいんですけど。

というわけで、これで、短歌のコトバの力を説明しようかな、なんて思うんです。国語の授業で短歌をどう教えるか、文法的な説明でとまってしまう、なんていう先生にも指導案の一例として見てもらえればな、と思います。

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる

というわけで、この歌。

本当はこの歌が連作の中でどのような位置をしめているのか、あるいは、全体としてどのようなことを言っていて、その全体からこの歌がどういう風な意味をとるのか、ということが大事なんですが、今回はあえてその手法をとらずに、この歌だけで解釈をこころみたいと思います。

語順の通りに想像して行こう!

重要なのは、語順の通りに想像すること。

日本語と英語では語順が異なりますから、当然、同じ詩、同じ言葉でも、どのような語順かで、詩のイメージが変わってしまうんです。慶応の文学部が好きな「翻訳の不可能性」です。

話を戻して、要は、言葉の語順通りに想像するといいんです。

くれなゐの

まずは、この歌は「くれなゐの」とはじまります。

ここでぼくらの頭の中には、赤い色がぱっと広がります。ともかくも赤のイメージがここで植えつけられるわけです。

くれなゐの二尺伸びたる薔薇

 二尺は約60cm。この感覚が現代の生徒にないのは仕方がないかもしれません。

でも、もしわかっているとするなら、ここで、想像するのは、真っ赤なバラの花をつけた、バラの全体像ですね。

紅と薔薇とくれば、薔薇は咲いてしまう。そして、60cmだから、薔薇の全体像になるんですね。

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の

ところが、歌は「芽」と続きます。

ここで急に、薔薇の花はしぼんで「芽」になってしまいます。現実の薔薇は咲いていないんですね。

第一のポイントはここ。

写真を見てもらえばわかるように、「薔薇の芽は赤いんだよ」という解説は確かに必要ですが、「くれなゐ」は「芽」だよ、という説明はあまりよろしくない。

読者は薔薇の花を想像した上で、「なんだ。花じゃなくて芽だ。」という回路をたどっています。

子規は、「咲くであろう未来の薔薇の花」を想像しつつ、現実の芽を見ている。

その子規の見ている未来の花も含めて、読者はその動きをたどっているのです。

もちろん、「芽」をつぼみととらえる解釈もあるでしょう。

子規の時代、芽というコトバが何を指すことがおおいのかはわかりませんが、こればかりは、何とも言えませんし、解釈の自由かもしれませんが、いずれにせよ、花はすっと閉じることは間違いありません。

針やはらかに

さらにです。

「芽」と思ったら「針」です。

「針」が何を指すかは明確ではないかもしれませんが、普通に考えれば、「薔薇のトゲ」でしょう。

とすると、さっきまでの薔薇の全体像、そして薔薇の先端から、視点は急にクローズアップするように動いていく。

カメラワーク、といった方が、現代の生徒には通じるんじゃないでしょうか。カットが切り替わるというか、動くというか、ズームアップされて、「トゲ」という薔薇の「部分」だけが頭の中に映るのです。

ここも、「針」という表現が本当にトゲかどうかはわかりません。薔薇のつぼみには針のようなものがある、という解釈も目にしました。

ここも、自分自身が明治の子規の時代のイメージにおいついていけないのですが、ズームアップされて、ある一部分が拡大されるという雰囲気はやはりかわらないと思います。

春雨のふる

と思った瞬間に、「春雨」です。

「やはらかに」がどちらにかかるか、両方にかかるんじゃないか、なんて問題以上に、「春雨」という言葉によって、遠景というか、薔薇全体というか、もっと大きな庭全体というか、そんな風景になります。

いい写真がなかったので、うまく表現できませんが、庭に咲いていない薔薇の芽があって、それも含めて庭全体がその目にうつっている、というイメージです。

図解です。

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言葉の順番に頭に浮かんでいく映像の移り変わりです。

語順がもたらす詩のコトバの力

これが、詩や歌を鑑賞する時に、やるべきことのひとつです。もちろん、こうせねばならぬ、ということではありませんが、詩人、歌人がコトバを選ぶ、語順を考えるというのはこういう作業なんですね。

次回は、では、連作としてこの作品を見たときに、どういうことがわかるのか、ということを考えてみたいと思います。

  

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