前回に続いて、試験に出るポイントを中心に扱うシリーズです。今日は、「なり」と「に」を扱っていきます。
さて、大学入試古文の出題されるポイント、頻出の部分と言えば「紛らわしい語の識別」と呼ばれる部分です。
それこそ参考書の末尾の方に、見分け方をふくめて必ず載っているし、ネットで検索かけても山ほど出て来るのではないでしょうか。
私としては、できるだけどんな風に出題されるかをセットにしながら、どのように理解すればいいかを考えていきたいと思っています。
前回は、「なむ」の識別で、こちら。
今日も、できるだけ、何に着目するかを考えて説明していきたいと思います。
- 「なり」の識別は、断定と伝聞推定を見分けるのと、断定の助動詞と形容動詞を見分ける二つがポイント
- 断定の助動詞と形容動詞は連用形に「に」がある。「に」の分析を考える。
- 「たり」の識別は、存続(完了)と断定、形容動詞…
「なり」の識別は、断定と伝聞推定を見分けるのと、断定の助動詞と形容動詞を見分ける二つがポイント
「なり」の識別を考えていくと次のような分類になります。もちろん、これが活用したとしても、同じになりますから、そこもポイント。
一応、「なり」として説明しますが、実際はほとんど活用が同じですので、何形であったとしても似たような問題が作れてしまいます。
- 動詞「なる」の連用形 四段活用なので、助動詞・形容動詞との違いは終止形だけ。
- 断定の助動詞「なり」 活用はラ変型。
- 伝聞推定の助動詞「なり」 活用はラ変型。
- 形容動詞「~なり」の活用語尾 活用はラ変型。
形だけみるとこんな感じなんですね。で、まず、動詞の「なる」だけは別格として理解できないとこまります。他は、形容動詞もふくめて、助動詞型ですから、何かについてはじめて言葉をなすわけですが、「なる」は、突然「なる!」と使えるわけで、これは根本的に違います。
で、ここから入試出題の二大ポイントにわかれます。
1 断定の「なり」と形容動詞「~なり」の見分けは、ただの文法のための文法
ひとつめは、断定の助動詞「なり」と形容動詞「~なり」の見分けです。
この問題は、文法題として必要なことで、文法題がなければ意識しなくていいことです。
なぜかというと、両方とも「だ・である」でしかありません。
つまり、形容動詞「静かだ=静かなり」を、形容動詞として理解するか、「静か」という名詞に断定の助動詞「なり」がついたと説明するかの違いであって、これは文法の見方の差でしかないんです。
訳、解釈としては、まったく同じだから、「形容動詞か、名詞+助動詞か」なんて知らなくて構わない。「~だ」と訳せればいいだけ。
でも、入試では、文法の説明として、
- 形容動詞
- 名詞+断定の助動詞
という違いを聞いてくるわけです。だから知らないといけないというそれだけ。
こういう問題出すのやめた方がいいと思うんですけどね…。
まあ、いいです。出るんだから。
これの見分け方はシンプルで、上に「大変」「とても」「すごく」などの副詞をつけることです。
つながれば、形容動詞、つながらなければ名詞+助動詞です。
たとえば、「とても・静かだ」と「とても・鉛筆だ」という感じ。現代人の中で、それが定着してしまえば、名詞+助動詞だって、形容動詞のように聞こえます。
「危険だ」って、この理屈でいえば、形容動詞です。しかし、当初から形容動詞だったかはわかりません。どれだけ定着したかなんじゃないでしょうか。
で、その語によって、「この副詞はあてはまらないけど、違うのなら…」みたいなことがあるので、つけられるような副詞を探すようにはしてください。
2 断定の「なり」と伝聞推定の「なり」の見分け
上に比べると格段に内容理解に絡んでくるのが、この見分けです。
断定の「なり」と伝聞推定の「なり」の見分けは重要で、難関大ほど聞いてきます。別の言い方をすると、つまらない文法題のふりをした解釈の問題です。
形式上、見分け方は以下の通り。
- 連体形・名詞+なり=断定
- 終止形+なり=伝聞推定
という感じ。
有名なのは、土佐日記の冒頭ですね。
「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」
最初の「すなる」が終止形+なり、で伝聞、最後の「するなり」が連体形+なり、で断定。
「男もするという日記とものを女もしてみよういってするのだ」です。
ただ、こんな感じでわかることがわからないとすれば大問題。そもそも、断定の「なり」というのは、「~だ」ですから、上に来るものは、名詞とか体言とか連体形に決まっているわけです。
日本語話せるならわかります。難しく考えなくても。
だから、終止形+なり、が伝聞という感覚はなくても、違和感は感じるはずですからね。
さて、問題は、それでわからないとき。つまり、終止形と連体形が同じような語をどう考えるか、です。
動詞で考えれば、それは四段活用です。
ところがもうひとつあるんですね。それはまとめて書くと「ラ変型」という奴です。
ラ変の動詞はもちろん、助動詞で言うと、「り・たり・なり・けり・めり」がラ変型。
さらには、打ち消しの「ず」は、こうした語につくときは、「ず・あり」がつまった「ざり」ですから、これもラ変型。形容詞は、終止形は「~し」ですが、こうした語につく時には、「~く・あり」がつまった「~かり」につきますから、これもラ変型です。まあ、このあたりは成り立ちがあるので、あとで分けて説明します。
こうした語というのは、終止形接続の助動詞です。
「らむ・まじ・めり・なり・べし」ですね。
ラ変とか、難しい言葉で考えるからわかりにくいんです。終止形接続の助動詞で一番現代語でわかりやすい「べし」で考えてみましょう。
たとえば、ラ変の代表格、「あり」を使います。
つなげたら?
「あるべし」ですよね?「ありべし」なんていうわけがない。
ちゃんと説明すると、ラ変型っていうのは、動詞のくせして終止形が特殊で「~i」で終わるわけです。ぼくらは音で感じているので、本当はu音につきたい。だから終止形なんですね。
連体形じゃだめかって話でいうと、そもそも名詞がベースなんです。だから、音ではない。
というわけで、例外のラ変型、つまり「~り」で終わるところだけ、「~る」にしたくなる。当たり前です。
「あるべし」「あるまじ」「あるなり」「あるらむ」…普通ですね。
「ありべし」「ありまじ」「ありなり」「ありらむ」…変ですね。
というわけで、ラ変型は、連体形につく。
ということは、断定と伝聞の見分けがつかないわけです。
「あるなり」は、果たしてどっちなのか?
こういう時は、意味で判別するということになります。だから、順番が逆で、形から見分けるのでなく、「伝聞で訳すか、断定で訳すかを決めて、文法的な解答を決める」というのが一般的になります。
で、こういうと間違うのが、
「それが断定できるか、できないか」というようなことになって混乱するんですね。「断定」と「推定」という言葉に引っ張られるとそうなります。
そうではなくて、見ているか、見ていないか、で判断します。
- 伝聞=見ていない、あるいは見えない、音で聞いた。どんなに確信できても、見ていないなら伝聞推定
- 断定=あくまでも、自分が見ている
この二つで決めるわけです。
さて、平安貴族の生活を考えてみましょう。
特に作者であるところの女性を中心に考えてみます。たとえば、誰かがやってくると仮定します。彼女たちは、どこにいるんでしょうか?
それは宮中ですね。
で、外に出られましたっけ?
そうなんです。外がわからない。だから、「見ていない」んです。こういうことが非常に多い。
枕草子です。
しばしありて、前駆たかう追ふ声すれば、「殿まゐらせ給ふなり」とて、散りたるものとりやりなどするに
「なり」の前が、「給ふ」ですから四段動詞ですね。形から見分けられません。
考える根拠は二つ。
- ひとつは直前に「声すれば」という音をイメージする語があること。
- 受ける場所が「とりやりなどするに」となっている以上、「 」と言ったのは、中の人。つまり、「見ていない」
「見ていない」けど、確信がある…とかやるから混乱するだけ。「見ていない」=音で聞いた推定、と考えればいいんです。「人から聞いたわけではないから、伝聞じゃないかも…」とかやるからいけない。
「なり」の語源は「音あり」なので。
正直に言うと、こういう問題の場合、答えは「伝聞」である確率が高いです。根拠は次のようなもの。
- その場にいない
- 人から聞いたこと
- 見ていない
というか、断定じゃ、試験問題にならないですよね。
で、聞くときには、必ずしも文法的意味を聞くんじゃなくて、さっきの例だと「給ふ」は何形?ということもあります。当然、終止形ですね。
百人一首でもう一度復習。
世の中よ道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
最後の部分ですね。
「鳴く」は四段活用だから、形ではわかりません。でも、明らかに音で、鹿は見ていない。つまり、伝聞推定で、「鳴く」は終止形です。
3 打ち消しの「ず」と動詞「なる」、断定「なり」、伝聞推定「なり」、形容詞に断定や伝聞がつくとき
さて、今の話の中で、ややずれが起こるのが、打ち消しの「ず」や形容詞につくときです。これ、実は結構、形で見分けられます。
- 動詞「なる」に付くとき=直前は連用形なので、「咲かずなる」。「咲かないようになる」。文末なら「なる」になるのもポイント。
- 断定の助動詞に付くとき=連体形なので、「咲かぬなり」。
- 伝聞推定の助動詞に付くとき=「咲かざるなり」。
打ち消しの助動詞「ず」ですが、連用形は「ず」ですね。
「今日は花が咲かず、悲しい」という時の「ず」といえば、現代語でもイメージできます。まず、慌てずに理解しましょう。
次に、連体形は普通「ぬ」、つまり「咲かぬ時」です。しかし、「ず・あり」のパターンもありますから、「咲かざる時」というのもあるわけです。
まず、伝聞の「なり」なんですが、これはほぼ「~ず・あり」の方につきます。
逆に断定は、普通の連体形、つまり、「咲かぬなり」という形になります。
だから、ほとんど形で見分けることができます。
伝聞の助動詞の方は、「~ざるなり」ですが、これは「~ざなり」と音便化しますよね?これは「ざなり」と「ざめり」とセットにすると、「めり・なり」ですから、こちらが伝聞であることがわかります。
もちろん「~ず」「あり」と表現したいものが詰まって、「~ざる」となることも考えられるので、100%かと言われるとそうではないんですが、ほぼこれで理解していいと思います。
「~ぬなり」が伝聞になるケースは考えられないと思います。
続いて、形容詞がつくとき。
- 動詞「なる」につくとき=直前は連用形なので、「なくなる」
- 断定の助動詞「なり」につくとき=「なきなり」「うつくしきなり」
- 伝聞推定の助動詞「なり」につくとき=「なかるなり」「うつくりかるなり」
という感じ。
「~ず」と同じような感じになりますね。
ただ、「ず」とか「~し」という形がそのままついたのでなく、いったん「あり」について、それを経由したあと断定の助動詞についたと考えることができなくもないんですね。
だから、上記のような形での見分けをベースにしておいて、大原則は「見ている」か「見ていない」かという区分けを考えるといいでしょう。
断定の助動詞と形容動詞は連用形に「に」がある。「に」の分析を考える。
さて、続いて、「に」ですね。
これは、識別としてはすごくたくさんあるんですが、いくつかにわけていかないと間違うポイントがずれますね。なので、そのあたりを踏まえて説明していきたいと思います。
- 格助詞の「に」=上が名詞・体言・連体形。
- 接続助詞の「に」=上が連体形。
- 完了の助動詞「ぬ」の連用形=上が連用形。
- 断定の助動詞「なり」の連用形=上が名詞・体言・連体形。
- 形容動詞「~なり」の連用形
- その他=副詞の一部、ナ変動詞の連用形など…
ざっと見てもわかる通り、このままで理解したような気になっていると、大半が「連体形」ですから、実はこれだけでは何もわかっていないことになります。
なので、ひとつずつ理解してください。
この「に」の識別は、間違いやすい、というよりは、ひとつずつを「理解する」というのが攻略のポイントです。
1 間違えるはずのない、別格の完了の助動詞「ぬ」は形で理解する。
まず、完了の助動詞は間違えてはいけません。
別格です。
第一に、動詞の連用形につくこと。
次に、「に」、つまり連用形になる以上、下に連用形接続の助動詞がつくこと
です。
簡単にいうと、過去完了形と、存続の助動詞との組み合わせしか思いつきません。
「咲きにき」「咲きにけり」「咲きにたり」
だけです。
もちろん、後ろが活用すれば、
「咲きにしを」「咲きにしかど」「咲きにけるが」「咲きにけれど」「咲きにたるに」「咲きにたれど」
という感じにはなりますが。
「にき」「にけり」は「てしまった」、「にたり」は「てしまっている」ですね。
2 格助詞と接続助詞は、現代語で理解すれば大丈夫!
さて、このパートは、助詞の中での見分けです。
訳としては、両方とも「に」のままなので、文法的な理解がないとふたつの違いがわからないと思います。
まず、格助詞の「に」です。
名詞がつくというとわかりやすいのですが、「学校に」とか「程に」とか、このパターンです。
でも、動詞もつくわけで、そうなると「遊ぶに」となります。
接続助詞の「に」は、動詞とか助動詞とかにつきますから、これも「遊ぶに」です。
だから、形では見分けられません。
どう見分けるかというと、間に「時」「こと」「うち」「ため」など、何らかの名詞を補わないといけないのが、格助詞です。
逆に接続助詞は、「逆接」「~なのに…」というイメージです。
現代語にしたときにどうなるかです。
「遊ぶに」を「遊ぶ(時)に」とか「遊ぶ(ため・の)に」と訳したいなら格助詞。
「遊ぶのに雨が降る」のように、逆接でとるのなら、接続助詞です。
でも、意外と難しくて、
「遊ぶに雨降る」を「遊ぶ時に雨が降る」ととるなら、格助詞です。
それから、接続助詞の「に」は逆接とは限りません。順接だったり、単純接続だったりもします。まあ、「接続助詞」である以上、「SVに、SV」ではあるんですけどね…。
判別に難しい時もあるとはいえます。
3 断定の助動詞と形容動詞は、省略語「あり」に着目!
続いて、断定の助動詞と形容動詞の「~なり」です。
この語はもともと「~に・あり」がつまったものなんですね。
なので、実は疑問文になったとき、もとの形に戻ろうとする。
たとえば、「花なり」だとすると、
花にやあらむ
となったりするわけです。つまり、
花にぞある
花にこそあれ
花になむある
なども、つなげると「なり」です。
こうしたものが、断定の助動詞の連用形。連用形であるのは、係助詞をとったら「あり」につながるからです。
で、こいつらが省略されたりすると、
花にや。
花にぞ。
花にこそ。
となったりすると、この「に」が断定の助動詞「なり」ということなんですね。
形容動詞も原則は同じ。二つの見分けは、上で書きましたが、「とても」をつけるかどうか、です。
ただ、じゃあ、係助詞と組み合わさったものは何でも断定の助動詞かといえるわけではありません。
たとえば、
家にや。
とあったとします。
これが、
「家だろうか」と訳すなら、つまり「家にやあらむ」ならば、断定の助動詞です。
しかし、
家にや帰らむ
なんてなっていたら、これは格助詞ですね。
う~ん、難しい。要は、係助詞とって、つないで考えるってことです。断定の助動詞は「である」ですから。
わかります?
たとえば、
家にあらむ
が、「家にいるだろう」と考えるなら、断定の助動詞ではないです。「である」じゃないから。
訳で理解するって大事なんですよ。
4 「にて」は意外と間違える。断定か助詞かは、訳して考える。
最後に意外と間違えるのが「にて」です。
これは場所とか、原因とか、方法とかを表しているなら格助詞です。
京にて生まる 京都で
十二にて元服し給ふ 十二才で
船にて帰る 船で
あるにて知る いることで
僧にておはす 僧で
とか、こんな感じが、格助詞の「にて」です。用法は違いますが、共通するのは、「で」と訳していることですね。
ところが、
同じような「僧にて」でも、そのままつながるのでなく、文が切れるようなイメージになると、断定の「なり」+「て」と解釈します。訳が「であって」となる感じの時です。
彼、僧にて、人を助く。
のような感じになると、「彼は僧であって」「人を助ける」となるわけです。
こういうのを、断定の助動詞とみます。
動詞の連用形は、名詞化します。
なので、さらに難しくなるのが、こんなパターン。
「老いにて」とあった場合、これをどう解釈するか?
「とても・老いなり」とはならないから、
「老いによって」と訳すなら、格助詞。
「老いであって」と訳すなら、断定+助詞ですね。
でも、「連用形+ぬ+て」と見ることは?
そうです。「老いてしまって」と訳すなら、完了の助動詞とみることも可能です。
要は、どう訳すか、ですね。
「たり」の識別は、存続(完了)と断定、形容動詞…
「たり」の識別は、「なり」に比べると楽です。
- 咲きたり 連用形+たり = ている 存続
- 花たり =である 断定
- 堂々たり = 形容動詞
見分けがつきやすい。
形容動詞と断定の助動詞の見分けは、「なり」同様、「とても」などをつけて意味が通じるかどうかです。
それから、「~たり」はもともと「と・あり」であることも忘れずに。
だから、連用形は、
「~とや」とか「~とぞ」とか「~とこそ」などのパターンがありますね。
それから最後に、ですが、動詞の連用形は名詞化しますから、
直前を名詞とみれば「~たり」は、断定の助動詞。これも訳が「である」とならなければだめですから、訳によって決まりますね。
というわけで、今回は断定の「なり」を中心に説明しました。