授業をもとに古文読解を実践していくシリーズです。今回は土佐日記の「帰京」です。土佐日記のラストにあたる部分ですね。
土佐日記といえば、紀貫之が書いた「日本最古の日記文学」です。このネーミングによって、「日記」に位置づけられていますが、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」という、伝聞の「なり」と断定の「なり」を見分けるために引用されるこの冒頭文の通り、そもそも自分を女と見立てている時点で、非常にフィクション性の高いエンターテイメントとして読むべきだろうと思います。
では、読解をしていきましょう。
- 本文はこちら。まずはざっと読んでわかることをつかもう!
- 第一段落~台詞の部分はどう訳せばいいのか?どういうことなのか?
- 第二段落~どんな状況かわかります?
- 第二段落後半から後~亡くなった女の子を思い出す。
本文はこちら。まずはざっと読んでわかることをつかもう!
本文はこちらです。
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ混じれる。おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ。
いつものことですが、まずは、ざっと全部読んでわかるところだけでもいいから理解しましょう。
コツは、「わからないことをとばす」ことです。わかることだけをつなぐイメージ。
どうでしょうか。
というわけで、さっきのものに色をつけました。
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ混じれる。おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ。
赤く色をつけたところが、比較的わかるところじゃないかと。もちろん、もっとわかってほしいんですけどね、本当は。
つまり、ポイントとしては、
- 京都、家についてうれしい
- でも、家は荒れている
- 亡くなった女の子について思い出して悲しい
というこの程度であることがわかります。
まず、こういう骨格を動かさないこと。これをもとに肉づけをしていけばいいわけですから。
第一段落~台詞の部分はどう訳せばいいのか?どういうことなのか?
たとえば、第一段落です。
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」「今宵、かかること。」と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。
基本は、「家が荒れていて悲しい」のはずですから、これをもとに訳出していきます。そう考えると、「 」の3連発は、どう訳すかというと、「家が荒れている」ことへの「文句」か「悲しみ」か「報告」か、そのぐらいしか思いつきません。
最初の部分。
京に入り立ちてうれし。家に至りて、門に入るに、月明ければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、言ふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。
要は「家が荒れている」。最後が「人の心『も』あれている」ですから、他に何か荒れていないとまずいわけで。
となると、そこにあるのは、「文句」「悲しみ」「現状報告」くらいですよね?
「中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。」
「~なれば」は、「已然形+ば」ですから、「~ので」。「預かれるなり」は訳せますか?
品詞分解は、
この二つで紹介してますが、基本中の基本です。
- 動詞を現代語で見つけて活用させる。
- 活用形から接続の知識を使ってアタリをつける。
- 助動詞がわかったら意味を使って訳す。
というこの3段階が基本。
まず見ると、「預かる」ですよね?もちろん、「預ける」と思った人もいるでしょう。じゃあ、「預ける」でやってみますね。
まず、この「預ける」は「~る」で終わって、「ず・ない」をつけたら「預け・ず」と「eず」となっていますから、下二段。現代語と古語が違う動詞です。
活用させてみても、「預け・ず、預け・て、預く。(「る」をとって、一つ上をu音にします)預くる・こと、預くれ・ど、預けよ。」ですから、「預かれる」には対応しません。つまり、「違う」ということです。
もしかしたら、「預かれる」という動詞、と考えた人もいるかもしれませんね。
「ず・ない」をつけると「預かれ・ず」ですから「eず」でやはり下二段。だとすると、「預かれ・ず、預かれ・て、預かる。預かるる・こと、預かるれ・ど、預かれよ」となってしまいます。あるとするなら、未然形ですね。そうなると、つくのは未然形接続の助動詞ですから「む・ず・むず・す・る・じ・まし・まほし」ですから、「る」になります。
でも、これダメですね。だって、もし下二段なら、つくのは「る」でなく「らる」ですから。ここに気が付かなくても、下が断定の助動詞の「なり」だとするなら、ここは連体形ですから「るる」にならないといけません。だから二重にダメです。
というわけで「預かる」なら、「預から・ず、預かり・て、預かる。預かる・こと、預かれ・ど、預かれ」と活用しますから、已然形であることがわかります。
だとすれば、已然形接続のものは助動詞で「り」だけ。
「り」で決まってしまえば、意味は「進行形=存続」で「ている」、まあ「完了=た」でもいいですけどね。
こういうのが品詞分解です。
そうすると、ここは「預かっている」ですから、主語は、「預かっていた人」です。その人が、「望んで預かった」ということですね。
最初の「中垣こそあれ、」に違和感ありません?
これ、係り結びじゃないですよ。結びは最後、つまり「。」が条件。
「~こそ、~已然形、」の形は、挿入句じゃなければ、「ど」を補う形。
つまり、「間に垣根があるけれど、一つの家のようだから、預からせてほしいといって希望して預かったのだ」というような訳になります。ね、文句になってきたでしょ?
「さるは、たよりごとに、ものも絶えず得させたり。」
「さるは」は「然る」「は」です。「然る」というのは「さる=しかる」で「そう」ですよね。これを順接ととらえるか逆接ととらえるかあるいは「しかも」というように累加ととらえるかはセンス。
「たより」は「頼り」か「便り」が浮かぶはず。古文では「頼り」になることはほとんどないです。なぜかというと「頼み」と使うからですね。「~ごと」は「毎」ですが、書かなくてもいいくらい。「ものも」は「物も」でしょうね。「絶えず」は「絶えず」としかいいようがない。つまり、「手紙ごとに『もの』も絶えず得させた」ですよね。「得させたり」は、品詞分解しない方がわかるんじゃないか、ぐらいです。
というわけで、文句だとするなら、「物」っていうのは贈り物のことじゃないか、ということが推測できます。お礼として、手紙に贈り物をつけていた。それなのに…という文句ですね。
「今宵、かかること。」
これは、今夜、こんな目にあうなんて…というところでしょうか。
でね。これって、「~と声高にものも言はせず。」ですから、「~と大きな声で言わせなかった」と書いてあります。
ここ、ふたつポイント。
ひとつは、「書いてる」ってこと。「文句は言わせない」っていうとかなりいい人っぽいですよね。でも、ここには文句が具体的に書いてある。「そっちが預かりたいっていったのに‥」「つけとどけもしたのに‥」「それなのにこんな‥」と言わせてないよって書きましたよね?
「先生の教え方下手です」「授業意味ないです」「つまらないです」とか、クラスのみんなに言わせませんでした、先生!
みたいなセリフです。
もうひとつは、お前何者?ってこと。これ、誰目線?もちろん作者ですよね?作者が貫之ならね、そりゃ正しいんですけど、実際は「女」設定ですよね。国守についていったね。だから、このあたりの設定忘れちゃったんですかね、筆が滑って。
続きましょう。
第二段落~どんな状況かわかります?
第二段落にいきましょう。どんな状況かわかりますか?
さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。今生ひたるぞ混じれる。おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。
「池めいて」というのは、「池めく」という動詞がイ音便になっていますね。古文ではヤ行ワ行活用でなければ、イとかウにはなりません。ア行の活用は「得」だけだからです。
「~めく」は「~ぽい」というイメージ。擬音なら「ざわめく」とか「どよめく」とか。ざわざわっぽい。どよどよっぽい。名詞なら「春めく」とか。春っぽい。
「水つけるところ」はさっきやったのと一緒。「つける」が現代語なら古文は「つく」で「つけ・ず、つけ・て、つく。つくる・こと、つくれ・ど、つけよ」と活用しますから、だめ。未然形ととるとさっきと同じように受身の「る」ですけど、下二段にはつかないし、「所」につくなら連体形で、「~るる」にならないといけない。
つまり、四段の「つく」で已然形、当然、存続の「り」ですね。
品詞分解の練習、あと2か所しましょう。
千年や過ぎにけむ
「や」だから疑問文ですね。動詞は現代語で「過ぎる」、古文は「る」をとってuに変えて「過ぐ」。活用は、「過ぎ・ず。過ぎ・て…」で未然形か連用形。
未然形なら次は、む・ず・むず・す・る・じ・まし・まほし、のどれか。
連用形なら次は、き・つ・ぬ・けむ・たし・けり・たり、のどれか。
「に」になりそうなのは、「ぬ」ですね。
意味は、「つ・ぬ」で完了。進行形の「ている」に対して、「てしまう」。
下はそうなると、「けむ」。「らむ・けむ」で、過去推量ですね。
したがって、「千年が」「過ぎてしまったのだろう」「か」です。
荒れにたれば
動詞は「荒れる」。古文では「荒る」ですね。活用させると「荒れ・ず、荒れ・て…」で同様に未然形か連用形で…って同じ「に」ですもんね。完了の「ぬ」で「てしまう」で続いているのは「たり」ですから「たり・り」で「ている」。已然形だから、「すでにそうなった」で「~ので」。「荒れてしまっているので」です。
こんな感じ。
でもね、一番大切なのは、結局、何がどうあれているのってことです。
これ質問すると、みんなこんな感じで答えます。
「池があって、松があって、一部はなくなって、新しいのが生えてきている」
これ、どうですか?みなさんいっしょですか?
これ、ちがいますよ。
日本語の機微をとらえてね。
まず、「池めく」って言ってますよ。だから、「池じゃない」んです。池だったら池と言えばいい。先生に向かって「先生っぽいですね」って言っちゃダメですよね?
それから「松もありき」です。何が問題かわかります。
「き」です。
これ、過去の助動詞ですよね。
「松もあっ『た』」って書いているんです。なぜ過去形?
そうです。なくなったからです。
これ、おそらく、あった松がなくなった。そこがえぐれて「くぼまる」んですよ。そこに水がたまる。「水つけるところ=水がついているところ」です。それが「池めいて」いる。つまり、池なんかなくて、そこに松があったはずなのに、なくなって、そこが池っぽくなっている。しかも新しい松が生まれている。
すごい荒れようですよね。
隣の人、何したんでしょう?
まあ、フィクションですからね。
第二段落後半から後~亡くなった女の子を思い出す。
思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞ言へる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ、
見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
忘れがたく、くちをしきこと多かれど、え尽くさず。とまれかうまれ、とく破りてむ。
さて、これで最後です。この部分は、亡くなった女の子のことを思い出すパート。
最初の文法ポイントは、「いかがは悲しき」です。
これは、「いかが」、これも厳密に言えば「いか」+疑問の「か」ですが、これに「は」がついています。
疑問の「や」「か」に強調の「は」がついた「やは」「かは」は、「反語の確率が高い」、ですね。
でも、ここは、反語でとってしまうと、「どんなに悲しいか、いや悲しくない!」となってしまいますから、疑問というより詠嘆というか、そんな感じでとるしかないですね。つまり「どんなに悲しいことか!」という感じでしょう。それを強調していると。
「やは、かは、は反語じゃないんですね」と言われたりするんですが、「やは・かは」は「反語の確率が高い」ということで「逆に言えば100%反語ではない」ということでもあるんですね。
さて、そうなるとあと解釈で不安なのは和歌ぐらいでしょうか。
和歌の解釈についてはこちら。
特におさえておいてほしいのは、
- 歌はメッセージ。訳さなくていいから言いたいことをつかむ。
- 歌は直前の内容を詠む。
- だから、直前の内容が歌の言いたいことになる
というあたりね。
もちろん、実際に訳を作る問題が出れば、それをもとに文法と単語を使いつつ、訳すしかないんですけどね。
今回の場合、歌の方がわかりにくくて、直前の内容はわかりやすいから、この方法が特に効きます。
直前はこんな感じ。
今生ひたるぞ混じれる。おほかたの、みな荒れにたれば、「あはれ。」とぞ人々言ふ。思ひ出でぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女子の、もろともに帰らねば、いかがは悲しき。船人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきに堪へずして、ひそかに心知れる人と言へりける歌、
というわけで、
- あれている庭に、なかったはずの新しい松がある。
- この家で生まれて、一緒に帰ってくることができなかった女の子を思い出す。
- 悲しい。
ですから、これがこの歌の内容。
生まれしも帰らぬものをわが宿に小松のあるを見るが悲しさ
というわけで、最初が女の子。それに対して生まれた松があるのが悲しい、というだけの歌ですね。
文法的に言えば、「~ものを」は逆接です。「ものを・ものの・ものから」は逆接と忘れやすいので注意。
だから、ここは、「帰らないのに」ですね。
次の歌も、直前は同じですから、内容は同じ。
女の子がなくなっていて悲しい、ですね。
見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや
じゃあ、どれが女の子?それは、「見し人」ですね。だって過去の助動詞の「き」ですから。
感情は?「悲し」がありますから簡単。あとは「別れ」もあるし。
で、やっぱり松がありますね。松と言えば千年ですからね。それと比べているんでしょう。
文法でいえば、「~ましかば、~まし」の反実仮想。「もし~だったら、~だろう」で、ありえないことを想定するんですよね。つまり、「亡くなった女の子が松のように千年のように見たならば」という感じでしょうか。もしそうなら、確かに死別はしないですよね。
そんな感じの訳になります。
最後です。
「とまれかうまれ」ですが、「と」「かく」です。「と」「も」「あれ」「かく」「も」「あれ」がつまった感じ。両方とも指示語で「あれ」「これ」。つまり、「ああもあれ、こうもあれ」というところ。「とく」は「はやく」。「やりてむ」ですが、「やる」は「破る」ですね。だとすると、活用させると「やら・ず、やり・て、やる。やる・こと、やれ・ど、やれ」ですから、連用形。となると、連用形接続「き・つ・ぬ・けむ・たし・けり・たり」で、「て」になりそうなのは「つ」。完了で、「てしまう」ですね。で「む」ですから、「破り捨ててしまおう」という感じ。だから、最後は意志ですね。で、文法で言うと、推量系の助動詞の上の完了は「強意」と呼ぶことを忘れずに。いわゆる確述用法ですね。
いろいろあるけど、さっさっと破り捨ててしまおう、こんなつまらない紀行文、そしてこんな悲しい記録‥ということだと思うんですけど、残ってますよね?
この突っ込み、最初と一緒でしょ?「言わせないけど、書かせた」っていうね。
全体として、日記というよりフィクション、という部分わかってもらえますか?厳密には「土左日記」で、だから「それ自体がフィクションを示している」という研究者もいるんですよ。私も大学で、そうは習わなかったけど、「『土左日記』だから間違うな」と教えられた記憶はあります。
以上です。かなり、品詞分解の基本から復習してみましたがどうですか?復習してみてくださいね。