近代短歌シリーズは斎藤茂吉に入ります。「赤光」の中でも「死に給ふ母」が有名です。これはさすがに連作ということはわかることが多いと思います。それでははじめましょう。
近代短歌は連作としてとらえることが重要だ、というのがこのシリーズのポイントです。ただ、さすがに「死に給ふ母」は連作として認識されていることが多いのではないでしょうか。教科書では一首であったとしても、この情報は、先生が与えているケースがあるかもしれません。先生たちもこれだけは連作として認識してくれているようです。
斎藤茂吉 『赤光』 死にたまふ母
いつものように青空文庫から、と思ったら、まだ作業中で載っていませんでしたので、どうぞ。著作権は大丈夫です。問題ありませんので。
もちろん、全部読んでもらいたいのですが、話を追える程度にとばすとなると、★のしるしです。これは私がつけました。このあたりを特にきちんと読んでもらえばいいと思います。
其の一
ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその實の見えそめしかも
★みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる
うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず
ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額のへに汗いでにけり
灯あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
★吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
沼の上にかぎろふ靑き光よりわれの愁の來むと云ふかや 白龍湖
上の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫のおとうとを見たり
其の二
★はるばると藥をもちて來しわれを目守りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば
長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊の我が朝目には見ゆ
山いづる太陽光を拜みたりをだまきの花咲きつづきたり
★死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
桑の香の靑くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか
死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離れ來て目守りたりあな悲しもよ蠺のねむり
★我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
★のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを
ひとり來て蠺のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
其の三
楢若葉てりひるがへるうつつなに山蠺は靑く生れぬ山蠺は
日のひかり斑らに漏りてうら悲し山蠺は未だ小さかりけり
葬り道すかんぼの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも
★わが母を燒かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
★星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
はふり火を守りこよひは更けにけり今夜の天のいつくしきかも
火を守りてさ夜ふけぬれば弟は現身のうたかなしく歌ふ
ひた心目守らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや
★灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり
蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶に入れしまひけり
うらうらと天に雲雀は啼きのぼり雪斑らなる山に雲ゐず
どくだみも薊の花も燒けゐたり人葬所の天明けぬれば
其の四
かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
ほのかなる通草の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ
山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ
酸き湯に身はかなしくも浸りゐて空にかがやく光を見たり
ふるさとのわぎへの里にかへり來て白ふぢの花ひでて食ひけり
山かげに消のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり
★笹原をただかき分けて行き行けど母を尋ねんわれならなくに
★火のやまの麓にいづる酸の湯に一夜ひたりてかなしみにけり
ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも
はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき
山腹にとほく燃ゆる火あかあかと煙はうごくかなしかれども
たらの芽を摘みつつ行けり山かげの道ほそりつつ寂しく行けり
寂しさに堪へて分け入る山かげに黑々と通草の花ちりにけり
見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷の花はほのかなるかも
蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり
しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも
遠天を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
やま峽に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香の深くただよふ
湯どころに二夜ねむりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけり
★山ゆゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ(五月作)
というわけで、母が病気だと聞いてから、帰京し、そして死を看取り、さらに火葬して、またそのあとに旅(?)をして、母を思い出すところまで描かれているわけです。
写生の「アララギ」と浪漫の「明星」
日本の文学は、短歌に限らず、写生・写実・自然主義の流れと浪漫の流れに大きく分けられます。小説でいえば、前者が早稲田文学、後者が三田文学ですね。
こういう流れで文学をおさえることは、むしろ個別の作品の意味を見誤らせるようなことも起きます。要は、ひとつひとつの作品をしっかり読む、ということが大事で、文学史の教科書に書いてあるような、特にこういう説明を信じて先入観で読みだすと結構危ない、ということが多いんです。
そもそも、文学史の授業を聞いて、作品読んでない、なんて、あってはならないことだと思いますし。
まあ、それはそれとしておいて、短歌の流れはここまで言うなら、
写生=アララギの流れ=正岡子規
浪漫=明星の流れ=与謝野晶子、石川啄木
ということになります。
アララギ、明星はそれぞれ雑誌の名前ですね。
では、斎藤茂吉はどっち?みたいな問題が、本文を読んで、歌の内容や質から考えていくならいいんですが、文学史的な知識として、
斎藤茂吉はアララギですね、覚えておきましょう!
なんてなってしまうとおもしろくないと私は思うんです…。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
というわけで教科書にも載っていることが多いこの歌で検討してみませんか?
だいたい教科書に載っているのは、この歌か、
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
あたりだと思うんですが、いかがでしょうか。
そうなんです。両方ともいい歌だと思います。
で、選ぶならこのあたり、という気持ちもわからなくはない。「写生」の歌人である人の作を説明するなら、このあたりはすごくわかります。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
この歌の場合、おそらく臨終の直後、もしくは、弔問が行われているだろう、そういう状況を描いていることは容易に想像できます。
「つばくらめ=つばめ」が「はり」にいる。そして、母は死んだ…
しいていうなら、これだけの歌です。気持ちがバンと出て来るわけでもなく、とにかく情景を描く。
う~ん、やっぱり、アララギだね。みたいな説明するにはいいわけです。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
もうひとつのこちらもやっておきましょう。こちらは、当然死の前ですね。
添い寝をする。「しんしん」という言葉が何なのか、きっと授業では考えさせるんでしょうね。
蛙の泣いている声か。
夜がしんしんと更ける様子か。
それとも母の寝息やあるいは命の様か。
あるいは、茂吉自身の心の様か。
解釈がおもしろいところですよね。ありとあらゆるイメージにつなげるために、あえて説明しなかったりするところが歌のおもしろさですから、逆にいえば限定していくことも、やりすぎてはだめなんでしょう。
でも、やっぱり、茂吉の心情は、ストレートに出るのではなくて、こういうところに託されていく…う~ん、やっぱりこれがアララギ、という感じになるんじゃないでしょうか?
茂吉の写生とは?
今の説明は、まったく問題ないんです。私もそういうことは読み取ってほしいし。
でも、それが茂吉なのか?それがアララギなのか?というのはもうちょっと考える必要がありますよね?
この歌の間の全体の流れを見てみましょう。
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
桑の香の靑くただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか
死に近き母が額を撫りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離れ來て目守りたりあな悲しもよ蠺のねむり
★我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
確かに、情景や特に生命、「かはづ」や「玄鳥」というものを死と対照的に配置しているように、そういった情景や生命を取り出して、心情を託していることは間違いないんですが、でも心情がないか、なんていえば、そんなことはかけらもないですね。
「桑の香」の歌だって、確かに生命との対照という意味では、その通りですけど、「たへがたければ母呼びにけり」なんてあたりは、感情的な歌だと思います。
「死に近き」に関しては、こうやって見ると、合計3首の頭に使われているわけで、これだけ繰り返されると、「客観的な事実」なんてみるより、やっぱり「茂吉の主観」だよね、って思います。
で、★です。
こんなの感情の爆発です。いいか悪いか、この歌で判断するのも難しいくらい。でも、この流れの中にあるから、この感情の吐露も違和感がないわけで、一首だけ取り出したときに、どう評価されるのかというのは非常に難しいというか、あまりしない方がいい気がするんですね。
そのあとが、「のど赤き」です。
そう考えてみると、絶叫のあとに、現実としてこの歌があるだけで、私からすると、これは少なくともこの2首セット、もっというなら流れの中で判断すべきことのような気がします。
だからこそ、写生=アララギは情景だよね、っていうのは、違う。
難しいですね。この言葉は間違っているわけではないけど、「のど赤き」の歌がすべてのように考えるのは違う。
代償として、★の歌をおき、全体としてはきちんと気持ちを詠んでいるわけだから。
実相観入 短歌に於ける写生の説
そうなってきたとき、茂吉の考える写生というものがようやく見えてくる気がします。
茂吉は
実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。
というようなことを書くわけです。
この文章では、まさにこのあと正岡子規の病床六尺の藤の歌をあげて、
解説をしていくわけですが、要は、ここには主観があるんだ、ということ。
描いているのは主観なんだ、ということ。
いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春ゆかんとす
ゆふがほの棚つくらんと思へども秋まちがてぬ我がいのちかもこの二つは竹の里人の作であるが、人事を歌ったり、詞句が主観的であったりするから、ある人々は、これらはもはや写生のうたではないと言うだろう。予の説では、これらも藤の花の歌と同じように、写生の歌である。「我が目には今年ばかりの春ゆかんとす」といい、「秋まちがてぬ我がいのちかも」というような主観の句は、作者の心を、自然に流露させたもので、その間に二次的・三次的のからくりがない。これが写生なのである。実相観入して生を写したものである。それだから根本においては、「みじかければ畳の上にとどかざりけり」の歌と豪もかわるところがない。そこで、藤の花の歌が写生で、これらの二つが写生でないというような論は不徹底である。天然を対象とするばかりが写生ではない。人事を対象とする時でも、動乱の情緒を対象とする時でも、写生の歌は幾らでもあり得る。「秋まちがてぬ我がいのちかも」の歌は、一種の寂しい心を対象とした歌である。それをあるがままに、直接に自然に、真率に流露せしめたのがこの歌で、藤の花を対象とした歌と同様に写生の歌である。
まさに、彼の「死に給ふ母」を読みながら、この文章が頭をよぎります。逆にいえば、「藤の花」のような歌にも、「自己」や「主観」がある。考えてみれば、「死に給ふ母」って、情景だったら怖い。こんなの詠む必要がない。
なんていうことを思ったりするのでした。