国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

敬語で主客を判別 枕草子「中納言参り給ひて」で実践練習!

今日は、敬語の基本的な知識を使って実践練習をします。題材は枕草子の「中納言参り給ひて」です。

敬語に関しては主客の判別に使うという話をしてきました。

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今日は、実践練習をしてみたいと思います。

題材は「枕草子」の「中納言参り給ひて」です。「枕草子」は敬語の練習をするにはもってこいです。筆者の敬語意識が高いですから。

では、がんばりましょう。

 

「中納言参り給ひて」の本文

では、まずは本文です。

 中納言まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうにかある」と問ひ聞えさせ給ヘば、「すベていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となん人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と、言たかくのたまヘば、「さては、扇のにはあらで、海月のななり」ときこゆれば、「これ隆家が言にしてん」とて、わらひ給ふ。
 かやうの事こそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つなおとしそ」といヘば、いかがはせん。

さあ、こんな感じです。最初こそ「中納言」と、主語が出てくるんですが、そのあとは一切、主語も、客語(誰に)もないですね。まあね、これでも登場人物が二人で、こっちがこうしたら、次がこっちがこうするよね、みたいな感じならなんとかなるんですけど、これ、登場人物としては、

  • 中納言=隆家
  • 中宮定子
  • 作者=清少納言
  • 同僚の女房達

ときますからね。こんなの、訳が分からなくなって当たり前と言えば当たり前です。だから「古文は主語が省略されてわかりにくい」みたいな話になって、きらいになるわけですね。

でも、ここで考えなくてはいけないのは、「どうして主語や客語がなくても、昔の人はわかったのか」ということです。

 

敬語で主客を決める!

それでは、復習をしましょう。 

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敬語を使う、使わないは簡単にいうと、次の3つによります。

  1. 絶対的身分。現代で言うなら「先生は偉い人なんだから、先生に対しては敬語を使わないとだめでしょ!」という感じ。あとで詳しく説明しますが、「偉い人なんだから敬語を使うのが当たり前」ということです。
  2. 書き手などの言語意識。たとえば、敬語をきちんと使える人なら、厳密に適用されますが、言語意識が低ければ、間違ったり、忘れたりすることも増えます。また、敬語は時代とともに徐々にいい加減になっていきますから、書き写す(古文は書き写され書き写され残っているわけで、清少納言の直筆なんて、どこにもないですからね)人の言語意識が変わってしまえば、間違いやすくなるわけです。たとえば、時代が進むにつれて、まずは謙譲語が忘れやすくなっていく、なんていうことです。また、江戸時代の擬古文的な作品になると、身分制度自体を仮構している感じになるので、そもそもはっきりしなかったり。
  3. 気分。現代の敬語はまさにこれ。その人の身分ではなく、「その人が尊敬できるかどうか」で使うか使わないか、が決まるわけです。その最たるものが、「会話文」になります。会話は、身分を越えて、気分ではなす敬語ですね。
この3つが行き来して、実際の本文の敬語が決まっています。でも、なぜみなさんが敬語が苦手かというと、みなさんの敬語意識が3の「気分」になっているのに、古文の敬語意識は1の「身分」だからです。みなさんは、自由・平等な現代を生きていますから、「先生だから偉い」なんて感覚、ないですよね?「先生だって同じ人間じゃん。先生が偉いなんて、時代錯誤だよ」って感じでしょ?結構な大人だって、ちゃんとした人だって「上司が偉い」「先生が偉い」「先輩が偉い」なんてこと否定しますよね?そうであるにも関わらず、古文の敬語意識を説明してもらえないから、わからなくなるわけです。 このずれがあることと、敬語ができないことは密接にからみあっています。
敬語を理解して、文章読解に役立てる!地の文の敬語「身分」と会話文中の敬語「気分」の違い 敬語1 古文文法 - 国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

 というわけで、今回は「枕草子」を使います。私が学習してきた中では、一番こういうことを緻密に厳密にやってくれる作者だからです。

上の2番目と、3番目は、ある意味で同じようなことではあるんですが、すでに平安時代から、特に謙譲語あたりはかなりいい加減になりつつある印象です。

また、物語はどうしても、作者の感情移入の問題が入ってきて、敬語をどう使うかが最後の3番目のような印象になっていくところがあります。

なので、練習に「枕草子」はもってこいです。逆に言うと、今日練習したことがどの作品でも「絶対」にはならなくて、忘れられてみたり、おそらく間違いだと思われることもあったり、あるいはつくべきところにつかないことで、書き手の意識が読み取れたりするわけですが、とりあえずは理解してみてください。

 

尊敬語と謙譲語のあるなしで理解する

 さて、それでは練習していきましょう。要は、敬語によって、次の中のどれかがわかります。

  • 尊敬語なし・謙譲語なし=偉くない人が、偉くない人に
  • 尊敬語・謙譲語なし=偉い人が、偉くない人に
  • 尊敬語なし・謙譲語=偉くない人が、偉い人に
  • 尊敬語・謙譲語=偉い人が、偉い人に

という4つです。

さらに、この中の尊敬語は、

  • 尊敬語=偉い人
  • 二重尊敬=すごく偉い人=帝・中宮・東宮

というように分けられるわけですから、厳密にいえば、6つになるわけですね。

 

先ほどのものを色分けして主客を考えてみよう!

さて、これをもとに動詞部分を色分けしてみたいと思います。

尊敬語=主語が偉い人=青

二重尊敬語=主語がすごく偉い人=紫

謙譲語=客語が偉い人(すごく偉い人)=赤

黒=尊敬語・謙譲語問わず偉くない人

 中納言まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、もとめ侍るなり」と申し給ふ。「いかやうにかある」と問ひ聞えさせ給ヘば、「すベていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となん人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ」と、言たかくのたまヘば、「さては、扇のにはあらで、海月のななり」ときこゆれば、「これ隆家が言にしてん」とて、わらひ給ふ。
 かやうの事こそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つなおとしそ」といヘば、いかがはせん。 

 こんな感じになりますね。

ぱっとみてわかることは、最初のうちは、赤と青がまじっています。つまり、偉い人が偉い人に、というやりとりです。

ところが途中で、青だけ、赤だけ、ということになります。青だけだとすると、「偉い人が偉くないひとに」、赤だけだとすると「偉くない人が、偉い人に」です。

どうもやりとりの人が変わっています。

最後は、黒です。だとすると、「偉くない人が偉くない人に」です。偉い人がいなくなりました。

ちょっと色分けするだけでも、だいぶ状況が見えてきます。

おそらく、

  • 最初は偉い人同士のやりとり
  • 次は、偉い人と偉くない人のやりとり
  • 最後は、偉くない人同士のやりとり

です。

では、枕草子の登場人物を考えてみます。

まず、当然、作者がいます。偉くない人ですね。ただの女房ですから。

次に、書かれているものとして、「中納言」が出て来ます。とすると、これは、偉い人ですね。

それから、自明のものとして、中宮定子がいるはずです。こういうのは古文常識の一環で、入試だとこのぐらいは知っていて当たり前になってしまいます。作者はこの人にお仕えする女房です。だから宮中にいるんですね。中宮ですから、二重尊敬系、すごく偉い人、です。

最後に、同僚の女房がいるはず。おつきの女房はひとりではありませんので。偉くない人です。

そう考えて見ると、もうほぼ見えてしまっていますね。

解釈をきちんとしていこう!

さて、ではもう少し「古文」的に詳しく解釈していきましょう。

まず、「中納言まゐり給ひて、御扇たてまつらせ給ふに」ですね。

最初の主語は、中納言と書かれていますから、中納言は「~給ひて」と偉い人であることがわかります。「まゐり」は謙譲語ですから、「誰か偉い人のところに」ということです。

次は、「~て」を受けるところですから、主語は変わりません。

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とすると,

「~せ給ふ」と解釈してしまうと、ここが「すごく偉い人」になってしまいます。主語は中納言と明示されていますから、「たてまつらせ」「給ふ」ととるのがいいでしょう。ところが「奉らす」という単語はありません。「参らす」はあるんですけどね。とすると「奉ら」「せ」「給ふ」でしょう。「奉る」は「さしあげる」という謙譲語ですから、「誰か偉い人に」「誰かを使って」さしあげ「させ」るわけです。二重尊敬は苦しいですからね。

ちなみにですが、この「偉い人」は中宮ですね。

中納言が誰か偉い人のところに行って、扇を誰か偉い人にさしあげなさる。

わけですが、この場合、当然、本来は作者のところです。だから、「参る」「来」の謙譲語を使うわけですね。でも、作者は偉くないですから、作者と同じ所にいる偉い人、ということになります。となると、これは中宮定子です。これが古文常識ですね。

次は、「申し給ふ。「いかやうにかある」と問ひ聞えさせ給ヘば、」と続きます。

最初は、誰か偉い人に、誰か偉い人が、です。尊敬語で二重尊敬じゃないですから、中納言でしょう。だから、これ、「隆家」って自分でいってるんですね。そのあとは、誰か偉い人に、誰か偉い人が、ですが、「させ給へば」と二重尊敬を使っていますから、主語が、中宮定子になります。ここで主客が逆転するわけ。

ここ「~ば」となっていますが、客語が自明のときは、次の主語はその客語ですね。わからない人は、さっきの「読解のコツ」を読み直してください。

「いへば笑ふ」の「笑ふ」人は、「言われた人」だということですね。

この場合、中宮定子が中納言にいっていたわけですから、次の主語は中納言です。だから、次の尊敬語は「給ふ」系。

 ところが、そこは「言たかくのたまヘば」となっています。尊敬語はあるけど、謙譲語がない。というわけで、中納言が「偉くない人に」言ったことになります。しかも、「~ば」ですから、その言われた人が次の主語。やっぱり「きこゆれば」と謙譲語が消えています。

こういうところに、誰かを書かないとすれば、自明である、つまり、新たな登場人物ではない、偉くない人。もちろん、これが作者です。「きこゆれば」は、謙譲語ですから「偉い人に」申し上げている。

可能性は、中納言か中宮定子ですね。さっきの流れからすれば、中納言の方が可能性が高いですが、それよりも論理でやると、

「きこゆれば」ということは、「偉い人に」申し上げていて、そこが「~ば」ですから、次の主語ですね。で、その最後は「わらひ給ふ。」と尊敬語はひとつ。だからここの主語が中納言ですから、逆に戻れば、前は中納言に言っていたことになります。

さて、最後です。敬語が消えました。これは偉くない人同士の会話。

つまり、作者と同僚の女房のやりとり、ということになります。同僚の女房が「ひとつな落としそ」と「いへば」、ですから、最後の「いかがはせむ」は、作者。

最後は「かは」ですから、「反語の可能性が高い」ですね。「どうしようもない」となるわけです。

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いかがですか?

訳は一切触れずに、敬語から主客をとりました。こういう練習は枕草子が一番いいですよ。

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では。