国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

古文読解は、「二度読む」。最後まで読んで「わかる」ところだけにこだわる。読解練習「大鏡・花山院の出家」

古文読解の練習をしていくシリーズは、実践練習をしてみたいと思います。

今日は教科書にもある「大鏡」の花山院の出家を使って練習します。

古文読解は、単語・文法とは別のスキルであるというのが私のポリシー。もちろん、無関係なわけはなく、切っても切り離せませんが、単語や文法をやれば、読解できるようになるわけではない、というのが、私が口を酸っぱく生徒にいうことです。

もちろん、これから書くことは、語弊があるかもしれませんが「頭のいい子」は説明しなくても無意識にやっていることです。「当たり前」のこと。国語の先生も自明にしてしまっていることです。

でも、とにかく苦手な子にとっては、これがわかっていないから、解けなくなってしまうという部分なんです。とにかく今日はここを実践練習してみましょう。

 

古文読解の基本~読解力は読んでつける!そして最後まで読んで全体から理解する。

古文読解については、何回か説明してきました。まず、大事なことは次のこと。

読解力は文法ではない=読む練習をして読解力がつく

あなたが本文をわかるようになりたいと思っているなら、ある程度の文法や圧倒的な単語力は必要であるにせよ、とにかく大事なことは「読む練習」をすること。もっといえば読むことです。

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とにかくたくさん古文を読めば、得点があがるかどうかはともかく、古文は読めるようになります。まず、このことが大事です。

絶対に忘れないでください。

「読めない。きっと単語や文法が足りないんだ。まず、文法をやろう。しばらく読まなくていいや」

ではない。

「読めない。じゃあ、とにかく読もう」

ということです。

本当に苦手な場合は、

「先に訳をカンニングして頭にいれて、それから音読する」

というのがおすすめ。これを1日に何本か×毎日、繰り返す。

大変なように見えますが、入試問題程度のものを訳を読んで音読するぐらい、慣れてくれば5分です。

まず、読むこと。読めないからこそ読むこと。

がんばってください。

作品を最後まで読む~わかることだけをつかまえる

では、実際にどうやって読解していくのか?

すでに以下にまとめました。 

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つまり、間違ってはいけないのは、読解というのは、

「わかる」ところを中心に「わからない」ところをどう埋めるか

ということ。

決して、古文の力がついてくると、冒頭からドミノ倒しのようにパタパタと訳せるようになるわけではないということ。もちろん、そういう領域に行けることもあるんだと思いますが、私はまだ無理です。

単語ひとつ、どう訳すか考えても、前後の文脈で訳を変えています。

下手すれば、わからないところも出てきて、あとで「あ、こういうことか」って気づくことも多いです。

だから、言いたいのは、まず、

最後まで読む

ということ。学校の授業であれ、模試であれ、まずは最後まで読んで、わかったことを確実におさえることが大事なんです。

ポイントを書きます。

  1. とにかくまず最後まで読む。
  2. 読解練習の最初では、辞書や文法書は使わない。わからなくても聞いたり、調べたりしないで自分でやる。
  3. 「わからない」ところはまずは立ち止まらず、ぽんぽんとばす。
  4. 逆に確実に「わかる」ところをしっかり見つけて話の軸にする。
  5. 二度読む。一度目は今、書いたように、二度目はわからないところをわかるところで埋める。また、品詞分解などを厳密にやっていく。

ということ。 

入試問題でいうなら、そのために使えるものはしっかり使います。

  1. 前注は本文要約。読みとばさず、イメージをしっかり作る。
  2. 最後の問いは、ヒント満載。選択肢ならしっかり読んで、確実なことを探していく。
  3. 選択肢ばかりの入試問題なら、後ろから戻って、傍線部と選択肢を読んでいくと話がわかりやすい。
  4. 記述問題だとしても、傍線部が話の展開。そこをしっかり理解するようにする。
  5. オチ=話のラストは重要。わからなければ、まずラストシーンを読む。

というようなところでしょうか。

それでは、実際に練習してみましょう。

 

「大鏡」花山帝の出家~本文のみで理解する。

前回は、入試問題を使って読解練習をしました。前注と設問から本文読解をするパターンです。

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 今日は教科書にもよくある本文を使って、国立大学の記述問題のイメージで読解練習をしましょう。

題材は大鏡の花山院の出家です。

 次の帝、花山院天皇と申しき。永観二年八月二十八日、位につかせ給ふ。御年十七。寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく候ひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ。御年十九。世を保たせ給ふこと二年。そののち二十二年おはしましき。

 あはれなることは、下りおはしましける夜は、藤壺の上の御局の小戸より出でさせ給ひけるに、有明けの月のいみじく明かかりければ、「顕証にこそありけれ。いかがすべからむ。」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣渡り給ひぬるには。」と、粟田殿の騒がし申し給ひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりける先に、手づから取りて、春宮の御方に渡し奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。

 さやけき影を、まばゆく思し召しつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿女御の御文の、日ごろ破り残して、御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きし給ひけるは。

 さて、土御門より東ざまに率て出だし参らせ給ふに、晴明が家の前を渡らせ給へば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、「帝下りさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。参りて奏せむ。車に装束疾うせよ。」と言ふ声聞かせ給ひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。「かつがつ、式神一人内裏に参れ。」と申しければ、目には見えぬものの、戸を押し開けて、御後ろをや見参らせけむ、「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり。」と答へけりとかや。その家、土御門町口なれば、御道なりけり。

 花山寺におはしまし着きて、御髪下ろさせ給ひてのちにぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣にも、変はらぬ姿、いま一度見え、かくと案内申して、必ず参り侍らむ。」と申し給ひければ、「我をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせ給ひけれ。あはれに悲しきことなりな。日ごろ、よく、「御弟子にて候はむ。」と契りて、すかし申し給ひけむが恐ろしさよ。東三条殿は、もしさることやし給ふと危ふさに、さるべくおとなしき人々、なにがしかがしといふいみじき源氏の武者たちをこそ、御送りに添へられたりけれ。京のほどは隠れて、堤の辺りよりぞうち出で参りける。寺などにては、もし、おして人などやなし奉るとて、一尺ばかりの刀どもを抜きかけてぞ守り申しける。

 これが本文です。ブログだとページ数や行がなくて、説明しにくいですね。

ともかくもさっきの方針にたって読んでみてください。

さて、私なりに生徒がつまずくところを考えてみます。

まずは序盤。意外と訳しにくいというか、なんだかよくわからないのではないでしょうか?「有明の月」だの「顕証」だの「神璽・宝剣」だの…。粟田殿も何したいのかよくわからないし…

それからラストも難しそうですね。いきなり東三条殿というお父さんがでてきて、「おとなしき人」だの「源氏の武者」だの「堤の辺り」だの、いきなり刀抜いて守るって…

みたいなところですね。

こんなのに加えて、中盤、突然阿倍清明が出て来るわけですから、混乱に拍車がかかります。

これいったい何の話でしょう?

裏を返せば、今のところは一回目では捨てます。わかるなら、使うけど、わからないなら、忘れる。訳がきちんと作れて自信あるなら使うけど、直訳しただけで、何が言いたいかわからないなら捨てる。

これが一回目の作業です。

1回目は捨てることが重要なんですけど、それは手元に「絶対」のものを残すためです。

そうすると、最終段落の冒頭が自信を持てそうです。

花山寺におはしまし着きて、御髪下ろさせ給ひてのちにぞ、粟田殿は、「まかり出でて、大臣にも、変はらぬ姿、いま一度見え、かくと案内申して、必ず参り侍らむ。」と申し給ひければ、「我をば謀るなりけり。」とてこそ泣かせ給ひけれ。あはれに悲しきことなりな。

 どうですか?全部訳せるかどうかは別にして、ちょっとわかりません?

  1. ここで出家した。花山寺について髪をおろしたと書いている。きっと、花山帝はここで出家している。
  2. 「我をば謀るなりけり」ってあるから、帝はだまされた。ということは粟田殿はだました?

というぐらいが読み取れるとうれしいんですがいかがでしょうか?

そうなんです。これぐらい、読み取れると、だいぶ見えるものが変わってくるんです。

  • ということは、ここまで花山帝は出家していない。だから、ここまでの話は帝が出家するまでの話だ。
  • 粟田殿がだましたと気付くということは、ここまで粟田殿がだましてきたということだ。
  • つまり、粟田殿は帝をだまして出家させようとしているんだ。
  • 清明の話は、「帝下りさせ給ふ」とかあるから、これを予見したっていう話か。

というようなことになりません?

そう思って読んでみるといいですね。これが2回目の読み。こういう常識を持って、2回目にチャレンジするんです。

こうやってみても、最後の部分は、なかなか読解力では補えないかもしれません。もちろん、東三条殿が粟田殿のお父さんだっていうのは、もらえるでしょうから、お父さんが守るのはどっちだ!という常識的推測力からがんばるという手もないはないですが、普通に考えれば、「もしさることやし給ふ」というのが、二重尊敬ではないから帝でなく、粟田殿であり、なおかつ、粟田殿が出家させたあとに帝を守ることはできないから、おそらく粟田殿をなんとか守るとすると…そうか、粟田殿が戻ったら、こうなるのか…というような予測力まで必要となるラインですね。

 

実際に前半を読解してみよう!

では、今つかんだこと、つまり、「粟田殿は帝をだましてなんとか出家させようとする」という方針にそって読み直してみます。

「出家してください」「オッケー」では、だましていることにもなりませんし、一瞬で終わってしまいますから、長い以上、苦戦しているはずです。つまり、「出家したがらない帝を粟田殿がなんとか出家させる」です。

では、帝主体を青に、粟田殿を赤に塗ってみます。

 

あはれなることは、下りおはしましける夜は、藤壺の上の御局の小戸より出でさせ給ひけるに、有明けの月のいみじく明かかりければ、「顕証にこそありけれ。いかがすべからむ。」と仰せられけるを、「さりとて、とまらせ給ふべきやう侍らず。神璽・宝剣渡り給ひぬるには。」と、粟田殿の騒がし申し給ひけるは、まだ帝出でさせおはしまさざりける先に、手づから取りて、春宮の御方に渡し奉り給ひてければ、帰り入らせ給はむことはあるまじく思して、しか申させ給ひけるとぞ。

 さやけき影を、まばゆく思し召しつるほどに、月の顔にむら雲のかかりて、少し暗がりゆきければ、「わが出家は成就するなりけり。」と仰せられて、歩み出でさせ給ふほどに、弘徽殿女御の御文の、日ごろ破り残して、御身も放たず御覧じけるを思し召し出でて、「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きし給ひけるは。

 そんなに難しいことではないと思います。特に粟田殿が主体の時には、だいたい「粟田殿」と書いてあるので。

でも、本当は、敬語の知識はほしいところ。帝には二重尊敬、粟田殿はただの敬意、ですね。

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 とりあえず、色分けができたとします。

そうすると、

  • 青の帝は、出家をしたくないと渋っている
  • 赤の粟田殿は、出家させようとだましている

ということになります。

そうやって読むと、まず問題になるのは、

「月の明るさ」のようです。だから帝がいやがる。

それを粟田殿が出家させようとして言います。

そうですね。「三種の神器がすでに渡ったんだよ」ということです。だから、東宮=皇太子=次期帝が出て来るわけです。

そうなると、月に村雲がかかります。これでOK。だから、帝は「わが出家は成就するなり」です。

ところが、弘徽殿の女御の手紙を思い出す。「しばし」「取りに入る」わけです。

だから、次の粟田殿の台詞も、「今じゃなきゃだめだよ」っていう台詞ですよね。「そら泣き」というのも「うそ泣き」だし。

粟田殿の立場になれば、今、せっかく月に雲がかかってチャンスなんだから、戻ってる間に月が出てきたら、またうだうだ言うに決まってる。だから、さっさと片付けたいんですね。

どうでしょう?あえて、文法とか、単語とかを説明せず、つまり、かなりいい加減に話を進めているんですが、意味がとれますよね?これが読解の方法です。

もちろん、入試で合格をするためには、文法や単語が必須になるので、実際はここに正確な訳を組み合わせないとだめなんですが、話をつかむだけなら、この程度でうまくいくんです。

これ、学校の授業なんかだと、頭から訳したりしません?そうするから難しくなるし、逆にそういうことばかりやってると、入試問題で気が利かなくなるんです。

これが「センス」っていうものの実体。

じゃあ、この「センス」ってどういうことかっていうと、わからなくても粘ってなんとかしようという意欲と経験ですね。

これが頭のいい人の正体。こういう人は、「センス」って言葉で表されるように、「国語なんて本文に答えあるじゃん」的なことになり、学校や予備校や塾の先生は、「でもな、単語と文法やらないと結局つまずくんだぞ」的な発言をして、単語と文法説明します。

で、センスのない人は、そもそも覚えたらできるっていう方が好きですから、単語と文法の説明聞いて、必死に覚えるわけですね。

それさえも、入試では、覚えるんじゃなくて、自分でやらないといけないので、実は意外と効果がなかったり…

ね。自分で読む練習、足してみましょう!