「こころ」はようやく佳境に入ってまいりました。先生が最後の決断をするところになります。先生はどういう決断をするのでしょうか。
いよいよ「先生の遺書」も終わりに近づいてきました。前回のところで、先生は「最後の決断」が必要だと考えます。
「黒い影法師のようなK」を見た瞬間、もしかしたら、彼に例外はないのかもしれない。ひたすら、恋に突き進むのかもしれない。覚悟とはそういう覚悟なのかもしれない、と思い至ります。だとすれば、先生にも最後の決断が必要になるのです。
ではいつものように青空文庫から本文をどうぞ。
で、今日の扱う部分です。
「Kの果断に富んだ性格は
私 によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔 な訳も私にはちゃんと呑 み込めていたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の場合をしっかり攫 まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍 も咀嚼 しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺 き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶 、懊悩 、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳 み込んでいるのではなかろうかと疑 り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺 め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返 彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻 したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼 でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図 に思い込んでしまったのです。
私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間 に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極 めました。私は黙って機会を覘 っていました。しかし二日経 っても三日経っても、私はそれを捕 まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風 の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
一週間の後 私はとうとう堪え切れなくなって仮病 を遣 いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事 をしただけで、十時頃 まで蒲団 を被 って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内 がひっそり静まった頃を見計 らって寝床を出ました。私の顔を見た奥さんは、すぐどこが悪いかと尋ねました。食物 は枕元 へ運んでやるから、もっと寝ていたらよかろうと忠告してもくれました。身体 に異状のない私は、とても寝る気にはなれません。顔を洗っていつもの通り茶の間で飯 を食いました。その時奥さんは長火鉢 の向側 から給仕をしてくれたのです。私は朝飯 とも午飯 とも片付かない茶椀 を手に持ったまま、どんな風に問題を切り出したものだろうかと、そればかりに屈托 していたから、外観からは実際気分の好 くない病人らしく見えただろうと思います。
私は飯を終 って烟草 を吹かし出しました。私が立たないので奥さんも火鉢の傍 を離れる訳にゆきません。下女 を呼んで膳 を下げさせた上、鉄瓶 に水を注 したり、火鉢の縁 を拭 いたりして、私に調子を合わせています。私は奥さんに特別な用事でもあるのかと問いました。奥さんはいいえと答えましたが、今度は向うでなぜですと聞き返して来ました。私は実は少し話したい事があるのだといいました。奥さんは何ですかといって、私の顔を見ました。奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
私は仕方なしに言葉の上で、好 い加減にうろつき廻 った末、Kが近頃 何かいいはしなかったかと奥さんに聞いてみました。奥さんは思いも寄らないという風をして、「何を?」とまた反問して来ました。そうして私の答える前に、「あなたには何かおっしゃったんですか」とかえって向うで聞くのです。
「Kから聞かされた打ち明け話を、奥さんに伝える気のなかった私は、「いいえ」といってしまった後で、すぐ自分の嘘 を快 からず感じました。仕方がないから、別段何も頼まれた覚えはないのだから、Kに関する用件ではないのだといい直しました。奥さんは「そうですか」といって、後 を待っています。私はどうしても切り出さなければならなくなりました。私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それでも少時 返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺 めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着 などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰 いたいのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然でないという訳を強い言葉で説明しました。
それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。男のように判然 したところのある奥さんは、普通の女と違ってこんな場合には大変心持よく話のできる人でした。「宜 ござんす、差し上げましょう」といいました。「差し上げるなんて威張 った口の利 ける境遇ではありません。どうぞ貰って下さい。ご存じの通り父親のない憐 れな子です」と後 では向うから頼みました。
話は簡単でかつ明瞭 に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛 らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮 さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥 するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得 るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
自分の室 へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。はたして大丈夫なのだろうかという疑念さえ、どこからか頭の底に這 い込んで来たくらいです。けれども大体の上において、私の未来の運命は、これで定められたのだという観念が私のすべてを新たにしました。
私は午頃 また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝 の話をお嬢さんに何時 通じてくれるつもりかと尋ねました。奥さんは、自分さえ承知していれば、いつ話しても構わなかろうというような事をいうのです。こうなると何だか私よりも相手の方が男みたようなので、私はそれぎり引き込もうとしました。すると奥さんが私を引き留めて、もし早い方が希望ならば、今日でもいい、稽古 から帰って来たら、すぐ話そうというのです。私はそうしてもらう方が都合が好 いと答えてまた自分の室に帰りました。しかし黙って自分の机の前に坐 って、二人のこそこそ話を遠くから聞いている私を想像してみると、何だか落ち付いていられないような気もするのです。私はとうとう帽子を被 って表へ出ました。そうしてまた坂の下でお嬢さんに行き合いました。何にも知らないお嬢さんは私を見て驚いたらしかったのです。私が帽子を脱 って「今お帰り」と尋ねると、向うではもう病気は癒 ったのかと不思議そうに聞くのです。私は「ええ癒りました、癒りました」と答えて、ずんずん水道橋 の方へ曲ってしまいました。
「私は猿楽町 から神保町 の通りへ出て、小川町 の方へ曲りました。私がこの界隈 を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺 れのした書物などを眺 める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅 の事を考えていました。私には先刻 の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或 る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
私はとうとう万世橋 を渡って、明神 の坂を上がって、本郷台 へ来て、それからまた菊坂 を下りて、しまいに小石川 の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨 がって、いびつな円を描 いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向 分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得 るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子 を開けて、玄関から坐敷 へ通る時、すなわち例のごとく彼の室 を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒 いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那 に、彼の前に手を突いて、詫 まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野 の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
夕飯 の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉 しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今 と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方 極 りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮 しに掛 かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付 で、事の成行 をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉 く話されては堪 らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生 より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱 いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息 して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵 えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯 な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭 になったのです。
先生の最後の決断
問題となっているのは「覚悟」の意味です。先生は、これをKの恋の道へと進む覚悟だと思い直しました。
したがって、Kより早くことを進める必要が生じてきます。
私は私にも最後の決断が必要だという声を心の耳で聞きました。私はすぐその声に応じて勇気を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない
間 に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極 めました。私は黙って機会を覘 っていました。しかし二日経 っても三日経っても、私はそれを捕 まえる事ができません。私はKのいない時、またお嬢さんの留守な折を待って、奥さんに談判を開こうと考えたのです。しかし片方がいなければ、片方が邪魔をするといった風 の日ばかり続いて、どうしても「今だ」と思う好都合が出て来てくれないのです。私はいらいらしました。
一週間の後 私はとうとう堪え切れなくなって仮病 を遣 いました。奥さんからもお嬢さんからも、K自身からも、起きろという催促を受けた私は、生返事 をしただけで、十時頃 まで蒲団 を被 って寝ていました。私はKもお嬢さんもいなくなって、家の内 がひっそり静まった頃を見計 らって寝床を出ました。
Kより早く、Kの知らない間に事を進める。本文では、「奥さんに談判を開く」と書かれていますね。そのタイミングがこないものだから、先生はついに仮病を使って、なんとか、お嬢さんもKもいない、奥さんと二人きりになるタイミングを作り出すわけです。
もちろん、この談判の内容は、プロポーズ。お嬢さんにプロポーズするのでなく、奥さんにそれを申し込むあたりが、非常に明治時代的ではありますが、要は、覚悟を決めて結婚を申し込むわけです。
前回の最後で柄谷行人さんの評論を使って、欲望の遅れの話をしました。
先生自身は、まさにKという他者、そしてこれがお嬢さんを評価するモデルになるわけですが、お嬢さんが欲しがられたオモチャのようになったからこそ、欲しいものとなり、モデルがいるからこそ、Kは蹴落とされるライバルになっていくわけです。
この段階において、まさに、先生は、Kが欲しがったお嬢さんをいつの間にか自分の欲しいものとして欲求し、そしてそのモデルであったKを排除すべき存在として、意識するわけです。
プロポーズの結果からわかること
さて、その結果は思った以上に拍子抜けするものでした。
それこそ、あっけなく、OKをもらう。特に印象的なのは以下の部分でしょう。
話は簡単でかつ
明瞭 に片付いてしまいました。最初からしまいまでにおそらく十五分とは掛 らなかったでしょう。奥さんは何の条件も持ち出さなかったのです。親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。本人の意嚮 さえたしかめるに及ばないと明言しました。そんな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥 するくらいに思われたのです。親類はとにかく、当人にはあらかじめ話して承諾を得 るのが順序らしいと私が注意した時、奥さんは「大丈夫です。本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」といいました。
「本人の意向さえたしかめるに及ばない」と奥さんは言います。「本人が不承知の所へ、私があの子をやるはずがありませんから」と奥さんは言います。
そうです。最初から、お嬢さんは先生が好きだったんですね。奥さんにはそれがはっきりわかっている。
わかっていない先生は、Kの出現で、慌ててプロポーズにこぎつけるわけですが、実は相手であるところのお嬢さんの気持ちは、最初から決まっていたわけです。
いや、むしろ、お嬢さんが、自分から、欲しがられている「オモチャ」になろうとした雰囲気さえあります。Kが告白をする前のところを引用します。
私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。
真砂町 で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中 ててみろとしまいにいうのです。その頃 の私はまだ癇癪 持 ちでしたから、そう不真面目 に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気 にやるのか、そこの区別がちょっと判然 しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方 でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬 に帰 していいものか、または私に対するお嬢さんの技巧と見傚 してしかるべきものか、ちょっと分別に迷いました。
先生自身がお嬢さんの「技巧」なんていうふうに書いています。奥さんは、当然知っています。
そもそもKを連れてくる以前の段階で、先生は奥さんが自分とお嬢さんを結婚させようとしていると疑っていました。疑っているというのは、まさに先生のおじさんと同様に、金のために結婚させる、という疑惑です。
でも、間違いなく奥さんは先生とお嬢さんの結婚を考えていたわけです。
そう考えてみれば、この結論はなんら不思議のないこと。
余計なことは、ただひとつだけ。先生がKを連れてきたこと。このことによって、先生は苦しんでいるわけですが、逆に言えば、先生はお嬢さんと結婚することに踏み切れないからこそ、Kを連れてきたわけです。
まさに、モデル=ライバル理論です。Kが来てお嬢さんに恋することによって、先生はお嬢さんと結婚する意志を固める。Kは必要でありながら排除されなければいけない存在として、あるともいえますね。
散歩の最中からの「こころ」の変化を追う
奥さんが経済的なことを考えていたかどうかは別として、ともかくも予定通り、お嬢さんと先生の結婚が決まります。
これを少しでも早く伝えてほしい先生は、下宿をあとにします。すぐにお嬢さんとすれ違う。つまり、今、まさに奥さんと御嬢さんは二人きりとなり、結婚の話がすすめられていきます。
では、この散歩の間、先生の「こころ」はどのように動いていったでしょうか。
「私は
猿楽町 から神保町 の通りへ出て、小川町 の方へ曲りました。私がこの界隈 を歩くのは、いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺 れのした書物などを眺 める気が、どうしても起らないのです。私は歩きながら絶えず宅 の事を考えていました。私には先刻 の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或 る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
私はとうとう万世橋 を渡って、明神 の坂を上がって、本郷台 へ来て、それからまた菊坂 を下りて、しまいに小石川 の谷へ下りたのです。私の歩いた距離はこの三区に跨 がって、いびつな円を描 いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向 分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得 るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子 を開けて、玄関から坐敷 へ通る時、すなわち例のごとく彼の室 を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒 いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那 に、彼の前に手を突いて、詫 まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野 の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
夕飯 の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉 しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今 と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方 極 りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮 しに掛 かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付 で、事の成行 をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉 く話されては堪 らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生 より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱 いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息 して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵 えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯 な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭 になったのです。
最初に先生が考えていたことは
私は歩きながら絶えず
宅 の事を考えていました。私には先刻 の奥さんの記憶がありました。それからお嬢さんが宅へ帰ってからの想像がありました。私はつまりこの二つのもので歩かせられていたようなものです。その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。そうして今頃は奥さんがお嬢さんにもうあの話をしている時分だろうなどと考えました。また或 る時は、もうあの話が済んだ頃だとも思いました。
というようなこと。
当たり前と言えば当たり前です。先生にとって、お嬢さん本人の意思が重要であって、それがどんな結果になるのか、どのように受け止められているかなどが、気にならないはずがないんですね。
ところが、先生はこれを次のように書きます。
私の歩いた距離はこの三区に
跨 がって、いびつな円を描 いたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。今その時の私を回顧して、なぜだと自分に聞いてみても一向 分りません。ただ不思議に思うだけです。私の心がKを忘れ得 るくらい、一方に緊張していたとみればそれまでですが、私の良心がまたそれを許すべきはずはなかったのですから。
すごく不思議なことだと思いませんか?
先生はこの散歩の間、お嬢さんが今あの話を聞いているころだと考えるべきではなく、Kに対して申し訳ないと思うべきだと書いているのです。
いえ、「思うべきだ」ならまだいいのですが、先生は「私の良心がまたそれを許すべきはずはなかった」と書きます。だから、「不思議に思う」と。
このこと自体が不思議だと思いませんか?実際に想像して。
なかなか、恋人の親に結婚を申し込んで、それを本人に伝えてもらうというシチュエーションは、現代では想像しにくいですが、なんとかがんばって想像してみると、そのとき、ライバルであった友人に罪悪感を感じているだろうか?
直接告白することを考えてもいいです。
友人が好きな女の子に、先手を打って告白をして、返事を待つ一瞬に、罪悪感を感じる人がどれほどいるだろうか?そもそもそこで罪悪感を感じるぐらいなら、告白なんかしないのではないか?
どうですか?
罪悪感を感じるとするなら、私は、すべてがうまくいって、付き合うことになって、そしてそのあと、一人になって冷静になってから…なんていうのが「ふつう」だと思うんです。だから、先生が、「今あの話をしているころだ…」と居ても立ってもいられなくるのはごくごく「普通」だと思うんです。
でも、先生は「不思議」だというんです。「良心が許すはずがない」んだと。先生は、こうしたことにまず自分の事情よりも、友に対する罪悪感を持つのが「普通」だと考えているようですね。
すすめます。
帰ってきた先生は、良心が復活します。
Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の
格子 を開けて、玄関から坐敷 へ通る時、すなわち例のごとく彼の室 を抜けようとした瞬間でした。彼はいつもの通り机に向って書見をしていました。彼はいつもの通り書物から眼を放して、私を見ました。しかし彼はいつもの通り今帰ったのかとはいいませんでした。彼は「病気はもう癒 いのか、医者へでも行ったのか」と聞きました。私はその刹那 に、彼の前に手を突いて、詫 まりたくなったのです。しかも私の受けたその時の衝動は決して弱いものではなかったのです。もしKと私がたった二人曠野 の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
でも、人がいます。奥さんとお嬢さんです。ここで謝罪すれば、当然、ばれてしまうわけです。自分が何をしたか、ということが。
謝る、というのは、罪悪感ですね。
順番でいうなら、第一に自分の恋の行方が気になる。そして、裏切った友へ申し訳ないという気持ちが出て来る。
しかし、この気持ちが落ち着いてくれば、問題は、この事態をどうするか?という話にうつってきます。
先生と御嬢さんは結婚するわけです。謝る以前に、伝えなければいけないし、伝わってしまうかもしれない。伝わってしまったら…。
夕飯 の時Kと私はまた顔を合せました。何にも知らないKはただ沈んでいただけで、少しも疑い深い眼を私に向けません。何にも知らない奥さんはいつもより嬉 しそうでした。私だけがすべてを知っていたのです。私は鉛のような飯を食いました。その時お嬢さんはいつものようにみんなと同じ食卓に並びませんでした。奥さんが催促すると、次の室で只今 と答えるだけでした。それをKは不思議そうに聞いていました。しまいにどうしたのかと奥さんに尋ねました。奥さんは大方 極 りが悪いのだろうといって、ちょっと私の顔を見ました。Kはなお不思議そうに、なんで極りが悪いのかと追窮 しに掛 かりました。奥さんは微笑しながらまた私の顔を見るのです。
私は食卓に着いた初めから、奥さんの顔付 で、事の成行 をほぼ推察していました。しかしKに説明を与えるために、私のいる前で、それを悉 く話されては堪 らないと考えました。奥さんはまたそのくらいの事を平気でする女なのですから、私はひやひやしたのです。幸いにKはまた元の沈黙に帰りました。平生 より多少機嫌のよかった奥さんも、とうとう私の恐れを抱 いている点までは話を進めずにしまいました。私はほっと一息 して室へ帰りました。しかし私がこれから先Kに対して取るべき態度は、どうしたものだろうか、私はそれを考えずにはいられませんでした。私は色々の弁護を自分の胸で拵 えてみました。けれどもどの弁護もKに対して面と向うには足りませんでした、卑怯 な私はついに自分で自分をKに説明するのが厭 になったのです。
先生の気持ちとしては、ここで罪悪感から、Kにどうやって説明するかにうつっていきます。そもそも、「謝りたい」という気持ちでさえ、人がいるというそのことで、できなくなっていたわけです。だから、「謝りたい」という気持ちそのものに嘘はないにしても、どうやって奥さんやお嬢さんに知られずにそれを伝えるか、ということが問題になってしまうんです。
というわけで、今回はここまで。だいぶ物語は進んできましたね。