前回でKの死を考えました。今日は一切先に進みません。ここまでのことをしっかりと分析して、Kの死の真相、つまり、書いている先生が知っていること、何を書いてきたかを振り返っていきます。
前回Kが死を選択しました。ここをちゃんと読むために実はここまで進めました。
そうなんです。今日の授業がやりたかったんです。
「こころ」には、まず、振り返って書く「私」、つまり先生の遺書を読んで何もかも知っている「私」と、何も知らない脳天気な「私」がいます。「私」は、本当は何もかも知っているのに、その当時の「私」は何も知らないわけです。
それと同じように、Kの死に直面した先生は、振り返って今までのことをつないで、ようやくKの死の真実にたどりつくことができるようになりました。それを踏まえて、これまで生きてきて、それを踏まえて遺書を書いているわけです。
でも、当時の先生は、その都度その都度Kが何を考えてきたかは知らない。
知らない先生と知っている先生。
でも、先生が「私」に何かを知らせようとするかのように、読者である私たちに対しても、何かをにおわせるだけで、きちんと教えてくれなかった。
まあ、最初に書いちゃうと小説としてつまらないっていう漱石の事情だと思うんですけど。
というわけで、「こころ」念願の種明かしの回です。
影法師のようなK
Kの死の瞬間の描写に気がつきましたか?もう一回その時のものを読み直してみましょう。
私が進もうか
止 そうかと考えて、ともかくも翌日 まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。私は今でもその光景を思い出すと慄然 とします。いつも東枕 で寝る私が、その晩に限って、偶然西枕に床 を敷いたのも、何かの因縁 かも知れません。私は枕元から吹き込む寒い風でふと眼を覚ましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の室 との仕切 の襖 が、この間の晩と同じくらい開 いています。けれどもこの間のように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱 を突いて起き上がりながら、屹 とKの室を覗 きました。洋燈 が暗く点 っているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団 は跳返 されたように裾 の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向うむきに突 ッ伏 しているのです。
まず、先生が気がついたのはなぜか?
先生は、枕元から吹き込む寒い風で、目が覚めます。
どうして、枕元から寒い風が吹き込むのかといえば、先生とKの部屋を仕切る襖が開いているからです。
それを先生は「この間と同じように」とわざわざ書いています。先生が寝るときには当然ここは閉まっていたでしょう。つまり、Kがあけたことになりますね。
では、Kはなぜここを開けたのか?もちろん、それはKしか知りえないわけですが、先生は、これを「この間と同じように」と書くわけです。
では、「この間」はどうだったのか?
私はほどなく穏やかな眠りに落ちました。しかし突然私の名を呼ぶ声で眼を覚ましました。見ると、間の
襖 が二尺 ばかり開 いて、そこにKの黒い影が立っています。そうして彼の室には宵 の通りまだ燈火 が点 いているのです。急に世界の変った私は、少しの間 口を利 く事もできずに、ぼうっとして、その光景を眺 めていました。
その時Kはもう寝たのかと聞きました。Kはいつでも遅くまで起きている男でした。私は黒い影法師 のようなKに向って、何か用かと聞き返しました。Kは大した用でもない、ただもう寝たか、まだ起きているかと思って、便所へ行ったついでに聞いてみただけだと答えました。Kは洋燈 の灯 を背中に受けているので、彼の顔色や眼つきは、全く私には分りませんでした。けれども彼の声は不断よりもかえって落ち付いていたくらいでした。
Kはやがて開けた襖をぴたりと立て切りました。私の室はすぐ元の暗闇 に帰りました。私はその暗闇より静かな夢を見るべくまた眼を閉じました。私はそれぎり何も知りません。しかし翌朝 になって、昨夕 の事を考えてみると、何だか不思議でした。私はことによると、すべてが夢ではないかと思いました。それで飯 を食う時、Kに聞きました。Kはたしかに襖を開けて私の名を呼んだといいます。なぜそんな事をしたのかと尋ねると、別に判然 した返事もしません。調子の抜けた頃になって、近頃は熟睡ができるのかとかえって向うから私に問うのです。私は何だか変に感じました。
その日ちょうど同じ時間に講義の始まる時間割になっていたので、二人はやがていっしょに宅 を出ました。今朝 から昨夕の事が気に掛 っている私は、途中でまたKを追窮 しました。けれどもKはやはり私を満足させるような答えをしません。私はあの事件について何か話すつもりではなかったのかと念を押してみました。Kはそうではないと強い調子でいい切りました。昨日 上野で「その話はもう止 めよう」といったではないかと注意するごとくにも聞こえました。Kはそういう点に掛けて鋭い自尊心をもった男なのです。ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を抑 え始めたのです。
Kは襖をあけて、先生の名前を呼ぶ。そして、聞く。「もう寝たのか?」。先生が目覚める。「何か用か」。「ただもう寝たかまだ起きているかと思って聞いた」とKが答える。翌日は、「近頃は熟睡ができるのか?」そして、「その話はもうやめようといったではないか」…です。
もし、この時が、今回と同じであったとするなら、先生は同じだと思っているわけですが、違いは、おそらく、先生が起きたか起きていないかです。
もう、勘のいい人はわかると思いますが、Kはあの時、実は死ぬ気であったのではないか、ということです。
でも、先生は目覚めた。だから、Kはその日、死を選ばなかった。でも、今日は目覚めなかった。
Kが先生に「近頃は熟睡ができるのか」と聞くのも、そんなことを確認しているのではないかと思います。
「覚悟」の意味は?
となると、その時にはすでにKが死を決めていたことになります。
この「黒い影法師のようなK」の事件は、勝ったと思った先生を、ふたたび考えさせ、Kが恋の道に進む覚悟だと思い込み、そして奥さんにお嬢さんをくださいと言うきっかけとなった事件です。
その直前、先生が勝ったと思ったのは、
「
止 めてくれって、僕がいい出した事じゃない、もともと君の方から持ち出した話じゃないか。しかし君が止めたければ、止めてもいいが、ただ口の先で止めたって仕方があるまい。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
私がこういった時、背 の高い彼は自然と私の前に萎縮 して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話す通り頗 る強情 な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられない質 だったのです。私は彼の様子を見てようやく安心しました。すると彼は卒然 「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は独言 のようでした。また夢の中の言葉のようでした。
「萎縮して小さくなるような感じ」と書いています。そして、この「覚悟ならないこともない」というのは、独り言のようで夢の中の言葉のようだと書いています。
平生の君の主張をどうするつもりなのか?(話を、そして恋を)やめる覚悟があるのか?と先生は問い詰めます。
Kは覚悟があると答えます。当時、先生は「恋をやめる覚悟」ととらえ、勝ったと思うわけです。
しかし、Kが、あの黒い影法師のように現れるときに死を選んでいるとすれば、これは、
「道に進むことができず、恋などにうつつを抜かしている以上、自ら命を絶つ覚悟がある」
という意味であったと考えられます。
しかし、実際は、先生はこの「黒い影法師のようなK」を見て、「覚悟」の意味を問い直し、「例外なく恋の道に進む覚悟」ととったがゆえに、奥さんに話をしにいくわけです。
ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで
何遍 も咀嚼 しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺 き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかも知れないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶 、懊悩 、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに畳 み込んでいるのではなかろうかと疑 り始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺 め返してみた私は、はっと驚きました。その時の私がもしこの驚きをもって、もう一返 彼の口にした覚悟の内容を公平に見廻 したらば、まだよかったかも知れません。悲しい事に私は片眼 でした。私はただKがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図 に思い込んでしまったのです。
Kの性格をよく知っているからこそ「すべての疑惑、
「その時の私がもしこの驚きをもって、もう
書いている先生は、知っているのです。このことを。だから、反省を書いているのです。先生は、「覚悟」の意味が違うことに気付いた。でも、正しい意味にはたどりつかなかった。だから「片眼」なんですね。
「果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
思い込んでしまった、という表現にも後悔が込められていますね。
Kが死を選ぶ理由は?
では、こうして考えてみたとき、Kはどうして死を選ぶことになるのでしょうか?
この時点で確かに、先生はKに対して裏切りにあたるようなことをしていることは間違いないです。自分の利益のために、Kを道に進めようとしているわけですし、先生のお嬢さんに対する気持ちはKに伝えていないわけですから。
しかし、もうわかると思いますが、Kはそのことを知りません。
先生が具体的な行動をとるのは、この「黒い影法師」のようなKの事件の後ですし、しかも、裏切りを知ったのは、死の3日前です。
つまり、「黒い影法師」のようなKという、この時に死を覚悟して、いえ、「覚悟ならないこともない」といったときに、死を「覚悟」していたとするなら、死の理由に「先生に裏切られたから」とか「失恋したから」などというものは入っていないんです。
時系列的に入りようがない。
自分は
薄志弱行 で到底行先 の望みがないから、自殺するというだけなのです。
まさに、この遺書に、うそはなく、これが死を選択する理由だと考えていい。
もちろん、「もっと早く死ぬべきだったのになぜ今まで生きていたのだろう」という最後の言葉は、「先生と御嬢さんの結婚を知りたくなかった」、もしくは発展させて「友の裏切りをみたくなかった」ととること「も」できるでしょう。
少なくとも、先生はそう読んだはずです。
もし、前回、死を選んでいたら、先生と御嬢さんの結婚を、友の裏切りを知らずに死ねた、と先生はとっているはずです。
でも、絶対にそうなのかといえば、必ずしもそうではない。仮に、先生とお嬢さんのことを言っているにしても、Kからすれば、「二人がそういう関係であるにも関わらず、馬鹿みたいにそこに相談にいって困らせた、おれは何をやっているんだ…」というような自責であるかもしれません。
そもそも、恋などにうつつを抜かした時点で自分は死ぬべきだとストレートに書いているのかもしれません。
けれど、一方で、先生にとっては、「先延ばししたことによって知りたくないことを知ってしまった」というように感じるということも間違いないでしょう。このあたりの心理は追えば追うほど、切なくなる部分です。
Kはいつ、死を頭の中にいれていたのか?
Kの立場をもう少し振り返ってみましょう。
このように読み返してみると、「覚悟ならないこともない」というときには、すでに「死」は彼の選択肢にあったことになりますね。
では、そこがスタートでしょうか。であるならば、やはり、先生がKに死を選ばせたことになりますから。
ひとつ前は、「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」でしたね。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました。
「馬鹿だ」とやがてKが答えました。「僕は馬鹿だ」
Kはぴたりとそこへ立ち留 まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那 に居直 り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいという事に気が付きました。私は彼の眼遣 いを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、徐々 とまた歩き出しました。
そもそも、先生が「覚悟」を要求したのは、ここが発端です。先生は「馬鹿だ。僕は馬鹿だ。」とつぶやいたKを「居直り強盗」と見たわけですね。だから、居直った、つまり、恋に進む。だからもっと攻撃が必要と。
先生が「居直った」と感じるためには、かなり、強い言葉、思いつめたような雰囲気が必要です。でも、それにしては声に力が乏しい。眼遣いを参考したいができないということはうつむいているということ。しかも、先生の顔を見ない…。
そうですね。実は、この段階で、すでにかなり思いつめて、しかも、自分で決めているような雰囲気があります。でも先生はそうは思いませんから、というか、むしろ逆だと思っているわけで、だからこそ、まだ攻撃をすることになります。
とはいえ、これだとしても、先生がやはり死を選ばせたと言えます。「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」というのは先生の言葉ですから。
…そうでしょうか。これは誰の言葉ですか?これは自分の言葉です。もう少しさかのぼってみます。
ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと
引 っ繰 り返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向う側から小さな声で私の名を呼ぶものがあります。私はふと眼を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近付けました。ご承知の通り図書館では他 の人の邪魔になるような大きな声で話をする訳にゆかないのですから、Kのこの所作 は誰でもやる普通の事なのですが、私はその時に限って、一種変な心持がしました。
Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をおろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物 があって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。
二人は別に行く所もなかったので、竜岡町 から池 の端 へ出て、上野 の公園の中へ入りました。その時彼は例の事件について、突然向うから口を切りました。前後の様子を綜合 して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引 っ張 り出 したらしいのです。けれども彼の態度はまだ実際的の方面へ向ってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵 に陥 った彼を、どんな眼で私が眺 めるかという質問なのです。一言 でいうと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は彼の平生 と異なる点を確かに認める事ができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他 の思わくを憚 かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んで行くだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家 事件でその特色を強く胸の裏 に彫 り付けられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
私がKに向って、この際何 んで私の批評が必要なのかと尋ねた時、彼はいつもにも似ない悄然 とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいといいました。そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外 に仕方がないといいました。私は隙 かさず迷うという意味を聞き糺 しました。彼は進んでいいか退 いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼に聞きました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。彼はただ苦しいといっただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。
そもそも、このきっかけは、Kが先生に批評を求めるところから始まります。「どう思う?」とKは聞きます。
「彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の
Kは、恋愛の淵に陥った自分を先生がどう思うか聞いている。「批判」という言葉を先生は使っています。
もちろん、ここから先は正確にはわかりません。でも、思い切って進めましょう。
「どうすればいい?」ならアドバイスがほしいことになります。これからどうすればいいか、です。
でも「どう思う」で、「恋愛の淵に陥った自分をどう思う」で、しかも「批判」を求めているとすれば、「しっかりしろ!」という叱咤がほしいことになりませんか?
大学受験目の前にして、好きな女の子のことで勉強に手がつかない。「どう思う?」みたいなことです。
たしかに、「大丈夫だよ」とか「仕方ないよ」とかいう慰めを求めている自分もいるかもしれませんが、たいていの場合は、活を入れてほしいんですよね。
とするなら、「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という先生の答えは、まさにKが欲していた答えなんではないでしょうか。
逆に、「人間はそういうものなのだ」という答えをしたらどうなるのか?それはまさに、そういう議論をしてきた二人だからこそ、「ほら、おれの言ったとおりだろ。お前の言っていることなんて理想にすぎないし、そんなことできるわけがないんだ。おれの勝ちだ」といっていることになりませんか?
どちらが正しい答えなのかはわかりません。
でも、ひとつだけわかることは、Kは実は自分で自分を許さなかったということ。そして、それは、お嬢さんに恋した最初から始まったことだということです。
Kの血潮の持つ意味
もちろん、Kの死んだ理由が、先生の裏切りでないということが、先生がKを裏切っていないという結論にはつながりません。
先生はKを裏切ったことは事実なのですから。
でも、この読み取りが先生の遺書によって、行われている以上、明らかに先生はKがなぜ死んだか知っています。先生は、Kがなぜ死んだかをある程度知りながら、それでもなお、自分がKを裏切った事実によって、苦しんでいくわけです。
Kの血潮は、先生の部屋の襖に向かって飛び散っています。まさに、Kの死は、Kの血は、先生に浴びせかけられたのです。
この血潮自体を、恨みととるのは適切ではありません。なぜなら、Kの死の理由はそこにないからです。でも、Kの死は、先生のこころに深く刻まれます。
現代的にいえば、罪悪感ということでしょう。
でも、もっと深く読むならば、
Kが生きようとした生き方は、結局挫折し、とげることができなかった。そういう理想とする生き方の挫折、というようなものを先生は背負った
といえるような気がします。
厳密にいえば、Kの生き方と先生の生き方は違います。Kが挫折したこと、つまり、恋などというものにうつつを抜かさず、自分の信じた道に向かって生きるということと、恋や自由や個人の生き方を尊重するような先生の生き方は、ある意味で同じではないし、でも、ある意味では同じ部分があるわけですね。
この浴びた血潮は、間違いなく、「先生の遺書」で、今、「私」に向かおうとしています。この作品に出て来る「血」のイメージは、遺書の最初と最後で特に明確にされています。
というわけで、教科書はたいていここで終わりますが、次回も、山場です。先生はなぜ死ぬのかをこの続きで考えてみたいと思います。