「舞姫」の6回目です。怒涛の不幸から束の間の安らぎ。エリスとの生活が始まります。それではエリスと豊太郎の生活を見ていきましょう。
前回は、免官、母の死…と、豊太郎に次々と不幸が訪れました。ここに必然性を見出したのが、前回ですが、いずれにせよ、今、豊太郎はものすごくつらい状況に追い込まれているわけですね。
そんな中始まるエリスとの生活を考えていきます。
本文はこちら。
エリスとの交際
さて、いずれにせよ、ここからエリスとの交際が始まります。
余とエリスとの交際は、この時までは
余所目 に見るより清白なりき。彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに応じて、この恥づかしき業 を教へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリア」座に出でゝ、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが当世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繋がれ、昼の温習、夜の舞台と緊 しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、親腹からを養ふものはその辛苦奈何 ぞや。されば彼等の仲間にて、賤 しき限りなる業に堕 ちぬは稀 なりとぞいふなる。エリスがこれをれしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。彼は幼き時より物読むことをば 流石 に好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識 る頃より、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛 をも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字 少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。こは母の余が学資を失ひしを知りて余を疎 んぜんを恐れてなり。
嗚呼、委 くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛 づる心の俄 に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横 りて、洵 に危急存亡の秋 なるに、この行 ありしをあやしみ、又た誹 る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇 を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢 の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何 にせむ。
エリスとの交際について「この時までは余所目に見るより清白なりき。」と豊太郎は書きます。これは、まさに「冤罪」であったといいたいわけですね。豊太郎が免官になったのは、「色を舞姫の中に漁するもの」とされたからですから、実際はそんなことはなかったと言いたい。前回までのところでは、「
で、もうひとつ読めるのは、「この時までは」という表現です。「は」ということから、ここから先はそうではない、ということでもありますね。
もう少し読みましょう。
エリスと豊太郎の関係は、まずは「師弟の交はり」としてスタートします。
彼は幼き時より物読むことをば
流石 に好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識 る頃より、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛 をも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字 少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。
豊太郎君の天才モードが発動しています。エリスは十分な教育を受けていないと豊太郎は書きます。だから、ちゃんとした教養~ここでは「趣味」と書かれていますが~もなく、また、言葉に訛りもある。おそらく、俗語、若者言葉のようなものを使っていて、きちんとした正しいコトバが使えないということでしょう。「ちょーやばくね?」みたいな言葉が正しいとは言えないですよね。で、字も書けない。要するに、教育を受けていないんです。学校に通っていないといってもいい。だから、豊太郎がそれを教える。豊太郎、日本人ですけど、エリスより正しいドイツ語を知っていて、エリスよりドイツ語を書けて、エリスより教養があるんですね。だから師弟の交わりです。
だったら、このままでいい。いくら誤解されて免官になったとはいえ、豊太郎の母が誤解して、激烈な手紙を書いたとはいえ、いえ、誤解されているからこそ、その一線は踏み越えるべきではないですね。
じゃあ、なんで?ことになるんですが、豊太郎の言い訳は次。
嗚呼、
委 くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛 づる心の俄 に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横 りて、洵 に危急存亡の秋 なるに、この行 ありしをあやしみ、又た誹 る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇 を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢 の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何 にせむ。
免官になって、お母さんが死んで、悲しんでいる時に、豊太郎の運命を憐れんで一緒に悲しんでくれるその表情がとっても美しくていじらしいんだもの、と豊太郎は書く。もっというと、髪の毛が解けてかかっている感じ。これにやられたわけですね。
「悲痛感慨の刺戟」によって、いつもとは違う感じになっていた、その「恍惚」となっているときに、こんなにもかわいらしいエリスが目の前にいたら、どうしろっていうんだ?とでも書いています。
でも、気が付きません?これ、実は同じパターンですよね?エリスと出会った時と。
凹字 の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
今この処を過ぎんとするとき、鎖 したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女 あるを見たり。年は十六七なるべし。被 りし巾 を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面 、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁 を含める目 の、半ば露を宿せる長き睫毛 に掩 はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
彼は料 らぬ深き歎きに遭 ひて、前後を顧みる遑 なく、こゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫 の情に打ち勝たれて、余は覚えず側 に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累 なき外人 は、却 りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆 れたり。
どうして、勇気のない豊太郎君が大胆に女の子に声をかけられるのか?そこにはやっぱり、「心の恍惚」があるんですね。そもそも「恍惚」としているときに、美しい女性が現れる。そうなると、ともかくも豊太郎君は先に進んでしまうんですね。
日本へ帰国するのか、それとも残るのか?
豊太郎の状況を示すのは次の部分です。
公使に約せし日も近づき、我
命 はせまりぬ。このまゝにて郷にかへらば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、学資を得べき手だてなし。
そのまま日本に帰る。そうすれば帰りの旅費は出す。
ここままドイツにいる。その場合はもう知らない。
というのが豊太郎に示された選択肢。豊太郎は明らかに、後者を選択したいんです。このまま帰ったら汚名返上の機会がない。このままとどまるには金がない。
要するに、「金があるならとどまりたい」ということです。このあたりが、母の死を推測する際にも使った部分。彼は、残って汚名返上したいのです。彼自身のやりたいことは、政治家になることではない。でも、母が死んだ今、彼は「汚名返上」したいんです。
しかし、こうなってくると現実的には「金」という明確な問題があがってきます。
ここで助け船を出すのが二人。一人は、ここで初めて登場し、のちに大きな役割を果たす相沢謙吉です。
此時余を助けしは今我同行の一人なる相沢謙吉なり。彼は東京に在りて、既に天方伯の秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の
編輯長 に説きて、余を社の通信員となし、伯林 に留まりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。
生活の手段となる再就職先を与えてくれたわけですね。
そしてもう一人はエリス。
社の報酬はいふに足らぬほどなれど、
棲家 をもうつし、午餐 に往く食店 をもかへたらんには、微 なる暮しは立つべし。兎角 思案する程に、心の誠を顕 はして、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等親子の家に寄寓することゝなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。
いくら生活の術ができたといっても、それではだめです。彼に必要なのは「学資」ですから。つまり、大学に通わないといけない。もういちどはっきりさせたいところですが、彼は「政治家」が目標で「法律」を学んでいる。そこまでの資金が必要だし、そうしなければ、汚名返上できない。
そこで、エリスが、あのお母さんを説得して、同棲することになっていくわけです。これを、「憂きが中にも楽しき月日」と書くわけですね。
朝の
果つれば、彼は温習に往き、さらぬ日には家に留まりて、余はキヨオニヒ街の間口せまく奥行のみいと長き休息所に 赴 き、あらゆる新聞を読み、鉛筆取り出でゝ彼此と材料を集む。この截 り開きたる引より光を取れる室にて、定りたる業 なき若人 、多くもあらぬ金を人に借して己れは遊び暮す老人、取引所の業の隙を偸 みて足を休むる商人 などと臂 を並べ、冷なる石卓 の上にて、忙はしげに筆を走らせ、小をんなが持て来る一盞 のの冷 むるをも顧みず、明きたる新聞の細長き板ぎれにみたるを、幾種 となく掛け聯 ねたるかたへの壁に、いく度となく往来 する日本人を、知らぬ人は何とか見けん。又一時近くなるほどに、温習に往きたる日には返り路 によぎりて、余と倶 に店を立出づるこの常ならず軽き、掌上 の舞をもなしえつべき少女を、怪み見送る人もありしなるべし。
やっていることは、町のカフェに行き、並べてある新聞をとってきて読むこと。これで、新聞社の通信員の仕事としていいのか、というちょっとした疑問はありますが、実際に書いてあるのは、そういうこと。つまり、ドイツの新聞を読んで、ネタにして日本に送るっていうことですね。まあ、もちろんそれだけが情報収集の手段だったかはわかりませんが、朝、エリスとともに町に行き、エリスは練習に、そして豊太郎は新聞を読み漁る。練習終わりのエリスとともに店を出る…。そんな生活が描かれています。
「わが学問は荒みぬ。」~どんな生活だったのか?
こうして、新しい生活が始まります。
豊太郎自身は、名誉回復のチャンスをうかがいます。だから、ある意味では「まことの我」に目覚めた豊太郎とは、また一味違います。なぜなら、自分のやりたいことも踏まえた上で、彼は、「名誉回復」を狙っているからです。ある意味では、やりたくないことをやる覚悟を決めたともいえるかもしれません。
だからこそ、
「我が学問は荒みぬ。」とくるわけです。
我学問は
荒 みぬ。屋根裏の一燈微に燃えて、エリスが劇場よりかへりて、椅 に寄りて縫ものなどする側の机にて、余は新聞の原稿を書けり。昔しの法令条目の枯葉を紙上に掻寄 せしとは殊にて、今は活溌々たる政界の運動、文学美術に係る新現象の批評など、彼此と結びあはせて、力の及ばん限り、ビヨルネよりは寧ろハイネを学びて思を構へ、様々の文 を作りし中にも、引続きて維廉 一世と仏得力 三世との崩 ありて、新帝の即位、ビスマルク侯の進退如何 などの事に就ては、故 らに詳 かなる報告をなしき。さればこの頃よりは思ひしよりも忙はしくして、多くもあらぬ蔵書を繙 き、旧業をたづぬることも難く、大学の籍はまだ刪 られねど、謝金を収むることの難ければ、唯だ一つにしたる講筵だに往きて聴くことは稀なりき。
何が荒んだのか?最後にもありますが、結局大学の講義には通えない。お金がかかるから、講座はひとつしかとっていない。その講座さえ、忙しくて行けない。
これでは、何のためにドイツに残ったかわかりません。名誉挽回どころではないんですね。でも、なんとなく、言葉尻に自信が漂います。エリスが縫物をしている横で、仕事をする、そんな充実感も感じ取れます。
もう一度、このフレーズは繰り返されます。
我学問は荒みぬ。されど余は別に一種の見識を長じき。そをいかにといふに、
凡 そ民間学の流布 したることは、欧洲諸国の間にて独逸に若 くはなからん。幾百種の新聞雑誌に散見する議論には頗 る高尚なるもの多きを、余は通信員となりし日より、曾 て大学に繁く通ひし折、養ひ得たる一隻の眼孔もて、読みては又読み、写しては又写す程に、今まで一筋の道をのみ走りし知識は、自 ら綜括的になりて、同郷の留学生などの大かたは、夢にも知らぬ境地に到りぬ。彼等の仲間には独逸新聞の社説をだに善くはえ読まぬがあるに。
ここでは、はっきりとそれが書かれます。「されど」と彼は書く。
でも、その代わりに、私は一種の見識を得ることができた、と。
お役人として、官僚として、エリートとして生きてきた豊太郎ですが、こうして民間人として身をうずめてみて、民間の視点、大衆の考えることが見えてきた。こういうことにより、もともと持っていた知識は総括的になってきた、と自覚します。
政治家になるという目標からは外れながらも、エリスとの充実した生活、それとともに、自分自身の知識が使えるものになっていく感覚。そういう類の充実感を得ながら、新しい生活がすすんでいくのです。
でも、これも長くは続かないのでした。