古文単語の8回目は「恋愛」に関わる語です。恋愛は物語の中心ですから、関連する語句はきちんとまとめておきましょう。
今日の単語は「恋愛」に関わる語句です。物語の大半に恋愛はつきもの。となれば、どうしても、「恋愛」に関わる単語は知っておかなければいけませんね。
というわけで、今日の表です。
- 「関係」を持つことと結婚すること
- あふ・あはす・よばふ・かたらふ・契り
- 「断る」のは「いなぶ」「つらし」。「あだ」も忘れない。
- 「こころざし」は気持ちで贈り物。
- 姿かたちをあらわす言葉
- 「情け」と「すきずきし」
「関係」を持つことと結婚すること
古文の恋愛を理解するためには、そもそも古典の常識も理解しなければいけませんね。
まずは「通い婚」。あくまでも平安時代の、しかも貴族ベースになりますが、要は男の人が女性の家に通う、ということですね。
これが続くと結婚とみなされていきます。平安時代ですから、婚姻届とか、そういう類の様子はないわけで、関係が続くと婚姻関係とみなされていくわけですね。一応、3日通うと…と言われています。
もちろん、法律はできていますが、現代のような厳密なものでないことは想像できます。民法があるわけでも、弁護士がいるわけでも、家庭裁判所があるわけでもありません。
要は、関係を持って継続すれば結婚。それが破たんしていけば、関係は終了…というようなことです。そもそも結婚自体が、関係を持つことと同義でしょうから。
じゃあ、関係を持つっていうことはどういうことか、と言われれば、それは女性の家や部屋の中に招き入れることと一緒。
これは考えてみれば現代でもそうですよね?芸能人の不倫スキャンダルのときに、一晩ホテルで一緒に過ごしましたが、一線は越えてないんですっていう言い訳はなかなか通らないです。
まあ、大勢で飲み会してました…ならいいんですが。
というわけで、真ん中のグループを見てください。
あふ・あはす・よばふ・かたらふ・契り
結婚とか求婚とか関係を持つとか、そのあたりは古文の世界では大きな差がないことがわかります。
「あふ・あはす」というように男女が会えば、それは「関係を持つこと」と一緒。
「夜這ひ」は当然関係を持つことですが、それは結婚する・求婚することと一緒。
二人が夜通し「語らへ」ば、周りの人には、もう説明がつかなくなりますね。
「契り」は「約束」ですが、ありとあらゆる約束、たとえば、前世からの宿縁のようなものから、今回のように、「関係を持つこと」「結婚の約束をすること」「結婚すること」というあたりまで、全部関わってきます。
「きぬぎぬ」を入れておきました。漢字で書くと「後朝」です。関係を持った二人ですが、夜が明ける前に、男は家をあとにします。その気持ちを歌にして届ける。「きぬぎぬの文」ですね。女がそして返事をする。
こんな感じです。
後の朝、というのも生々しいですが、衣衣というのも生々しいですよね。脱いだ服がふたつあるから衣衣。ひとつになっていた二人が、それぞれの衣を着ていくわけで、衣だってひとつになっていたのが、ふたつになっていくわけですね。
「世」といっていうのは、「関係」のこと。いろいろな関係が「世」なわけで、世間とか社会とかの意味もありますが、男女間の関係に限定して使うことも当然あるわけですね。
「断る」のは「いなぶ」「つらし」。「あだ」も忘れない。
うまくいかないグループは、
「いなぶ」「すまふ」でしょうね。断る感じ。
「つらし」「つれなし」は、すでに説明しましたが、「薄情」グループ。
「うるさし・むつかし・うし・うたてし」などは「不快」グループで、だいたい全部「いやだ・つらい」と訳せばいいんですが、「つらし」だけはここに入れてはダメで、「薄情」で訳します。
「うつらふ」は、気持ちがうつろう、ですから、心変わりですね。
「あだ=徒」は恋愛で使うなら、浮気心。不誠実なことです。反対語は「まめ=実」。実用的、誠実、で覚えておくと、「あだ」は無駄なものか、不誠実なことになりますね。
「こころざし」は気持ちで贈り物。
気持ちのグループで意外とテストに出るのは「心ざし」。「心」が「指す」という、相手に向かうイメージです。気持ちであることは間違いないのですが、「志」となると、お金とか贈り物、ないとだめじゃないですか?気持ちとはいえ、形にしないといけなくなります。だから、プレゼントとかお礼とかで訳すことが出て来るんですね。
「せち」は「切」と漢字変換できれば、思いつめた感じがイメージできるでしょう。
「妹背」は恋人で使うことが多いですね。
姿かたちをあらわす言葉
「かたち」とくると、スタイルと思ってしまいますが、漢字で書くと「貌」をあてる。つまり「容貌」ですから、ルックスの方が近い単語です。
「けしき」は「気色」で、機嫌ですね。漢字で書くときに「気嫌」にしないようにしてくださいね。
「かげ」は光で覚えているかもしれませんが、光線のようなものではなく、映像そのものです。人影がみえた、という場合、当然、黒いものが見えたり、光線が見えたりしたのでなく、人が見えたんですよね。というわけで、月影といえば、もちろん、月光の可能性もありますが、そもそも「月そのもの」であったりもするんです。水影は水にうつった姿のことです。
というわけで、人ベースで考えると「かげ」は「おもかげ」だったりするわけですね。
ちなみに「かげ」が暗いかげを表すときは「陰」です。「影」が光、映像ですね。
となると似ているシリーズで、
「まがふ」「おぼゆ」「かよふ」なんかが似ているシリーズ。
「まがふ」は「紛う」と書けば、わかりますね。
「おぼゆ」は受身動詞で、「思われる」なんですが、それを自発系で訳すと「自然と思ってしまう」。それはなんでかというと、似ていて思わず偲んでしまうからですね。
「かよふ」は「似通う」とイメージできれば問題ないです。
「物思ふ」は好きな人のことを考えている様子を指します。
「情け」と「すきずきし」
「情け」は「なさけなし」とセットですが、ひとつは「思いやり」、もうひとつは「風情」です。
風情とくると、なんだかおじいちゃんがお茶すすって俳句詠むみたいな世界観になりますが、これは「おしゃれ」ということ。このイメージをもたないとだめです。
色男ってことなんですが、ファッショナブルで、おしゃれで、流行に敏感。当然、思いやりもあってやさしい。
それがないのが、「なさけなし」です。
「すき」というのも「好き」と書いて「好色」のイメージです。
当然、女好き、ちょっとエッチな感じではあるんですが、「情け」と一緒で、おしゃれな感じも入りますので、意味が通じないときは、こっちに意味をずらしてください。
風流の反対になると「すさまじ」とか「すごし」とかですね。