国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

センター試験(共通テスト)国語 小説の解き方・学習方法。小説で得点を落とさないために。

センター試験までのカウントダウンが始まっています。

今日はセンター試験国語の中でも小説について、どのように取り組むべきかを考えてみたいと思います。

 小説は難しいです。

小説が簡単という人は、国語のできない人です。

たとえば、古文や漢文は覚えればある程度の得点がとれます。古文や漢文が苦手な人はそもそもやっていない人、定期試験前に訳や品詞分解の結果を暗記している人が多い。

評論は言いたいことがあります。多少、こむずかしい話をしていても、言いたいことを伝えるための文章ですから、本来筆者はわかるように書いています。むずかしい人は、やはり基礎知識が欠けていて、難しく感じているだけ。

それに対して、小説は、小学生でも読める。だってエンターテイメントですから。だから「勉強しなくても読める!」という意味では一番簡単。ありとあらゆる科目、分野の中で、もっとも小学生が勉強しないで挑める試験が小説です。

ただし、小説は、言いたいことが「直接わからないように」書く。だって、最初から〇〇です、って書いたら、話がつまらないですから。展開もひっくりかえったりする。だって予想できるのなら、おもしろくないですから。

つまり、情景とか行動とか、比喩とか、象徴とか、そういうめんどうくさいいろいろなものにメッセージを託して、話をすすめる。だから、逆にその言いたいことを、読み取る「変換」作業が必要になるんです。そして、その変換の結果が書いてないから、勝手に変換するしかない。出題者と解答者の変換した言葉が違うのが当たり前で、その微妙な関係の中「ここまでは言っていない、言い過ぎ。」だとか「これじゃあ、この要素が足りない、もっと深く読んでほしい」とか始まるわけですから、これが難しくないはずがない。

だから、国語を勉強して、最後まで課題になるのが、小説のはずなんです。にも関わらず、小説が簡単だとすれば、それは「古文や漢文」そして「評論」を勉強していない、そして「難しい」だから、相対的に小説が簡単なんじゃないか、と思うんです。

さて、それでは、小説のセンター対策。

評論はこちら。

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 「わかること」と「問いに答えること」

ずっと説明してきていることですが、国語の入試問題は

  • 「わかること」内容の把握。全体を読んで、自分の頭で理解して答えること。
  • 「問いに答えること」問題となっている傍線部そのもの、傍線部をふくむ一文、根拠となっている箇所と、選択肢そのものを照合して答えること。

という二つの重なったところで正解が選べるようになります。

一応、こちらで復習を。
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小説の場合、これがどの分野より、両方とも大きな問題となります。片方でもできなくなると、とたんにとれなくなる。しかも現代語で書かれているので、無意識でやっている部分が多く、無意識であるがゆえに、どうしてこの間できたのか、どうして今回できないのか、がわからない。で、どうしようもなくなります。

小説のケースをもう少し、詳しく書きましょう。

  • 「わかること」テーマや主題について、考えること。物語を物語として楽しんで、こんなことを言いたい物語なんじゃないかな、と考えること。
  • 「問いに答えること」自分の頭の中でイメージせずに、傍線部や根拠の表現を拾い、前後を含めず、その部分の表現そのものに、どんな意味が込められているかを考えること。

ということになります。前者は、問題を解くときにやっていないこと。つまり、本文のテーマなんて考えていないことが多い。後者は、選択肢を選ぶときこそ、まずは表現にこだわらなければいけないのに、全体的な理解にたよって「なんとなく」答えを選ぶような作業です。

つまり、両方ともやっていない。でも、日本語だし、読めるから、なんとか半分ぐらいは、勉強しなくても得点できる。だから、「小説は大丈夫」みたいなことになるわけです。

でもね、そこそこの大学行くだけでもセンター80%必要ですよ。一問7点ですよ。50点中、二問落としたら、もう70%という試験ですよ。まして、「古文、漢文はだめだけど小説でなんとかできるから」なんて、何考えてるんだ、って話です。ちなみに、小説をミスって50%になった場合、もうここで25点落としていますから、ほかが満点でも175点、85%がマックスで、あと3問落としたら、80%を下回ります。

 

 「わかること」~「テーマ」「主題」を考える。物語を物語として読む。

小説の「わかること」はテーマを意識して、物語として読むことです。

私はよく授業で、「小学生的授業」といいます。小学校の授業って、お話を読むと、いきなり先生が「この作品の主題は何かな?」みたいな発表させられませんでした?あれが必要なんです。

「親子の葛藤」とか「生への意欲をとりもどす」とか「戦争でつかれていく心」とか「大人への階段・自立」とかです。

こういうテーマというのは、登場人物に与えられた状況設定や、それによる登場人物の心情の変化、というような形で、与えられますよね。

これをきちんと読むこと。

もっというと、まず、最後まで読むこと

そうすると、この作品の言いたいことが見えてきます。これが意識できるようになれば、小説の第一関門はクリアです。

わかりました?もっと具体的に書きますよ。

センター小説については、まず、最後まで読み切る。最後まで読まないで、途中で問題を解いてはいけない

ということです。

最近(ここ10数年でしょうか)、この傾向ははっきりしています。問2とか問3に、その場所だけでは答えられないテーマ的問題が多く出ている気がします。つまり、

その部分だけでは表現に込められた意図が読み取れないが、最後まで読めば、どうしてその問題があるか、そこの部分の意図が問われるかわかる

というような作りになっているんです。

問2ぐらいで、テーマ的な表現がきたり、ラストシーンからの逆算で問われたりすると、混乱します。

2004年森鴎外「護持院河原の敵討」

たとえば、2004年の森鴎外の「護持院河原の敵討」の場合、

問三で、「〇〇に思う」「九郎衛門は~」というような問題が出ています。かなり前半ですので、この段階で、「どう思っているか」はわからない。ところが最後まで読むと、この話のテーマは「宇平」の自立であることは誰の目にも明らかです。保護者にもあたるところの九郎衛門から宇平が自立する、ということは、前半は九郎衛門が宇平をコントロールできると思っていることにならないとまずい。これが正解に行きつく大きなポイントになります。この発想がないと、正解を見ても「根拠がうすい」と批判したり、ほかの選択肢の揚げ足をとって「ここがまずい」的な説明にならない説明になります。

これ以降(正確には間違っているものを選ばせた2002年の太宰あたりから)、毎年、こういう問題になっていて、共通テストの試行調査もこの色がはっきりしたと思います。

2014年岡本かの子「快走」

もう一問、違う例を。

2014年岡本かの子「快走」です。この問題の場合、そもそもかなりタイトルにメッセージがある。まさに戦時中、「意味もなく走る」ということに娘がよろこびを見出し、親たちも「走る」ことによろこびを感じていく、というそんな話です。これも、問題さえついていなければ、テーマ読み取りは難しくありません。

この問三の正解選択肢に「社会や家族の一員としての役割から逃れた別の世界」という表現があるんですが、生徒はここにひっかかります。本文のどこにそれがあるのかと。「戦争のつらさから逃れる」ならわかる。でも、「役割」となると納得できない。消去法型で解くやつは、ここで×をつけたりします。

なぜ、こんなことが起こるかというと、この時点では、主人公が明らかに娘、であるからです。ところが、後半、主人公は親たちに移る。ここを導くように出題もコントロールされていますが、問題をぶつ切りにとらえてその場だけやっていると気がつかない。というか、この場所で解く限り、「なぜ役割から逃れるの?」となるしかない。

でも、後半の親たちは、娘を心配していたはずなのに、自分が走ることに喜びを感じることになる。だからテーマは、「自分」になるわけで、むしろテーマ的には完璧な選択肢なんですね。こういう出題のパターンもあります。

すごくシンプルにまとめます。

まとめ

1 最後までまずは物語として読む。

2 問いのことは考えずに、何がテーマかを意識する練習をしよう。

 

「問いに答えること」~傍線部や根拠のコトバの言い換えや主述の関係を照合する。

さて、次の話は、問いに答えることです。これは、むしろ昔はこれだけで解けたんじゃないか、ぐらい、これを徹底する必要がありました。

なぜかというと、小説はだいたい読めたら、なんとなく選ぶからです。これで正解になったら、簡単すぎます。だから、こういう作業を厳密にやらないと正解にならないように作ってあるんですね。

そして、繰り返しになりますが、この作業を意外と生徒はやらない。苦手な生徒=当たり外れのはげしい生徒の特徴は、

1 なんとなく読む

2 なんとなくの印象で答えを選ぶ

 ずいぶん最初のころの記事ですが、復習お願いします。

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というわけで、テクニカルなことでいうと、本文から拾うわけですが、 テストは

「本文にあるかどうか」を聞いているわけではなく、

「傍線部とはどういうことか」を聞いているわけですね。

もう一回こちら。 

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それでは練習してみましょう。平成7年「典子の生き方」からです。古い問題ほど、これで簡単に対応できます。

問2 傍線部A「私が来ないうちに、私が来なかったものだから、というような言葉が胸の芯のあたりからこみ上げて来て」の表現の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 ① 「こんなにも……」「ほんとうに……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の後悔と恨みが表されている。
 ② 「こんなにも……」「そのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみと自責が表されている。
 ③ 「かえって……」「そのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめと自責が表されている。
 ④ 「ほんとうに……」「こんなにも……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみと恨みが表されている。
 ⑤ 「ほんとうに……」「かえって……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめと後悔が表されている。

本文はありません。なぜなら、「傍線部自体や傍線部を含む一文」が「どういうことか」考えることに本文は関係ないからです。選択肢をよく読むと「それぞれ読点の前で省略されて」とついています。つまり、これを補え、ということですね。

では、補ってみましょう。

問2 傍線部A「私が来ないうちに私が来なかったものだから、というような言葉が胸の芯のあたりからこみ上げて来て」の表現の説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 ① 「私が来ないうちにこんなにも……」「私が来なかったものだからほんとうに……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の後悔と恨みが表されている。
 ② 「私が来ないうちにこんなにも……」「私が来なかったものだからそのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみと自責が表されている。
 ③ 「私が来ないうちにかえって……」「私が来なかったものだからそのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめと自責が表されている。
 ④ 「私が来ないうちにほんとうに……」「私が来なかったものだからこんなにも……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみと恨みが表されている。
 ⑤ 「私が来ないうちにほんとうに……」「私が来なかったものだからかえって……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめと後悔が表されている。

なんとなくつながるように見えますが、たとえば①の選択肢「私が来ないうちにこんなにも……」のあとに続くのは「やせてしまった」みたいな言葉です。その気持ちをなんというのか…。ああ、選択肢の最後に気持ちがあるのはこれかというところです。

じゃあ、①をやってみましょう。

① 「私が来ないうちにこんなにも……」「私が来なかったものだからほんとうに……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の後悔恨みが表されている。

前半は、まあ、いいでしょう。来ないうちにやせた=来ればよかった=後悔。うん。じゃあ、後半は?私がこなかったものだからやせた=恨み?てめえやせやがって…みたいなこと?おかしいですね。

じゃあ、選択肢を色塗ります。

① 「私が来ないうちにこんなにも……」「私が来なかったものだからほんとうに……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の後悔恨みが表されている。
 ② 「私が来ないうちにこんなにも……」「私が来なかったものだからそのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみ自責が表されている。
 ③ 「私が来ないうちにかえって……」「私が来なかったものだからそのせいで……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめ自責が表されている。
 ④ 「私が来ないうちにほんとうに……」「私が来なかったものだからこんなにも……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子の悲しみ恨みが表されている。
 ⑤ 「私が来ないうちにほんとうに……」「私が来なかったものだからかえって……」といった意味合いの言葉がそれぞれ読点の前で省略されて、典子のあきらめ後悔が表されている。

こんな風に選択肢はできているんですね。本文の他の箇所はまったく関係ないことがわかりましたか?答えは②ですね。①と④は後半の恨みがおかしい。③・⑤は前半のあきらめがおかしい。⑤は後半も変かな。

 

では、もう一問続けてやりましょう。

問3 傍線部B「速雄に隠さねばならないことがあって、その内側からの圧迫に耐えられない」は、具体的にはどのようなことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。
 ① 速雄の衰弱ぶりを見て典子は、自分の胸の内の不安を分け持ってもらいたいという願いを、速雄に隠さねばならないと思うが、それができないでいる。
 ② 典子は、隣の寝台にいた病人が死んだのではないかと気にしていることを、速雄に隠さねばならないと思うが、どうしても気にせざるを得ないでいる。
 ③ 典子は、速雄の衰弱を目のあたりにして、家を出て働くということを隠さねばならないと思うが、どうしても話してしまいそうになる自分を抑えられないでいる。
 ④ 速雄が一週間のうちに急に衰弱してしまったので、そのことを典子は隠さねばならないと思うが、どうしても話してしまいそうになっている。
 ⑤ 速雄の衰弱ぶりが急激なため、典子は自分の内部にある重苦しさをどんなことがあっても隠さねばならないと、一生懸命になっている。

傍線部は「速雄に隠さねばならないこと」があって、「その内側からの圧迫に耐えられない」です。じゃあ、これに対応しているかどうか選択肢に色をつけてみます。

 ① 速雄の衰弱ぶりを見て典子は、自分の胸の内の不安を分け持ってもらいたいという願いを、速雄に隠さねばならないと思うが、それができないでいる
 ② 典子は、隣の寝台にいた病人が死んだのではないかと気にしていることを、速雄に隠さねばならないと思うが、どうしても気にせざるを得ないでいる
 ③ 典子は、速雄の衰弱を目のあたりにして、家を出て働くということを隠さねばならないと思うが、どうしても話してしまいそうになる自分を抑えられないでいる
 ④ 速雄が一週間のうちに急に衰弱してしまったので、そのことを典子は隠さねばならないと思うが、どうしても話してしまいそうになっている
 ⑤ 速雄の衰弱ぶりが急激なため、典子は自分の内部にある重苦しさをどんなことがあっても隠さねばならないと、一生懸命になっている

こんな感じです。

まず、後半の核心について考えましょう。前半は多少本文の内容が影響してますし、日本語は、後半=文末の方が重いから。

さて、まず、ぱっと気づくのが⑤ですね。これ、明らかに逆です。「内からの圧迫に耐えられない」ですから、話しそうになる感じがほしい。もちろん、がまんはしてるけど、「がまんしきれない」がポイント。だから、⑤が×です。でも、この⑤が実は、一番それっぽい選択肢。つまり、「内容はあってるけど、形がバツだね」ということです。

次にはずすのが②。「気にする」では、言い換えとして不十分。

だから、形としては、①・③・④です。でもね、②もそうなんですけど、選択肢読むだけで、人としてどうなの?っていう選択肢、ありますよね?②と④。死を間近にした病人に「君、衰弱したね」って話したくてしょうがないとか、「隣の人が死んだかどうか気になってしょうがない」とか。②・④は内容的に簡単にバツがつく。

となると、答えは①か③。もちろん、本来は、このあと、「がまんできない」以上、言葉になるわけで、それを見れば一発。

「わたしね、おじさんの家を出て働くの」といきますから、③です。

でもね、これだって、本文見なくても簡単。だって、「胸の内の不安をうけもってもらいたいという願い」を「がまんできない」って、なんだかまどろっこしいですよ。「病人」に「私の胸の中の不安」をいうんじゃなくて、「それを受け持ってほしいという願い」をいうんですよね?しかも青も「それができない」だから、「不安を受け持ってほしいという願いを隠せない」って、映像になります?

というようなのが、昔のセンター。

整理すると、ぱっと読んで、②と④が×。内容的に①・③・⑤で同じようなこと書いて迷わせる。ちゃんとした形になっている③だけが正解…みたいな感じなんですね。

 

一応、さっきの「快走」で、最近の傾向でもやっておきます。

傍線部B「わくわくして肌を強くこすった」とありますが、この様子からうかがえる道子の内面の動きはどのようなものか。その説明として適当なものを選びなさい。

①月光に照らされて厳かな雰囲気の中を「走る」うちに、身が引き締まるような思いを抱くとともに自分の行為の正しさを再認識し、その自信を得たことで胸の高鳴りを抑えきれずにいる。

②月光に照らされた堤防を人目につかないように「走る」うちに、非常時では世間から非難されるかもしれないことに密かな喜びを感じ始め、その興奮を自分一人のものとしてかみしめようとしている。

③月光に照らされて「走る」という行為によって、まるで女学校時代に戻ったような気持ちになり、窮屈に感じていた生活が変わるかもしれないという明るい予感を繰り返し味わっている。

④月光の下を一人で「走る」という行為によって、社会や家族の一員としての役割意識から逃れた別の世界を見つけられたことに胸を躍らせ、その発見をあらためて実感しようとしている。

⑤月光の下を一人で「走る」という行為によって、他者とのかかわりを持てないことの寂しさを強く実感しつつも、社会や家庭の中での役割を持つ自分の存在を感覚的に確かめようとしている。

やってみましたか?これ、さっきの「わかる」の話で使ったところの問題です。だから、実際の問題は、「わかる」と「問いに答える」のクロスしたところに正解がありますし、どんどん「わかる」側に軸足がうつってきている気はしますが、だからといって、形=問いに答えるがなくなるわけでもないんです。色分けをします。

傍線部B「わくわくして肌を強くこすった」とありますが、この様子からうかがえる道子の内面の動きはどのようなものか。その説明として適当なものを選びなさい。

短いですが、これも2要素。はっきりわかれば、答えは簡単です。

①月光に照らされて厳かな雰囲気の中を「走る」うちに、身が引き締まるような思いを抱くとともに自分の行為の正しさを再認識し、その自信を得たことで胸の高鳴りを抑えきれずにいる

②月光に照らされた堤防を人目につかないように「走る」うちに、非常時では世間から非難されるかもしれないことに密かな喜びを感じ始め、その興奮自分一人のものとしてかみしめようとしている

③月光に照らされて「走る」という行為によって、まるで女学校時代に戻ったような気持ちになり、窮屈に感じていた生活が変わるかもしれないという明るい予感繰り返し味わっている

④月光の下を一人で「走る」という行為によって、社会や家族の一員としての役割意識から逃れた別の世界を見つけられたことに胸を躍らせ、その発見をあらためて実感しようとしている

⑤月光の下を一人で「走る」という行為によって、他者とのかかわりを持てないことの寂しさを強く実感しつつも、社会や家庭の中での役割を持つ自分の存在を感覚的に確かめようとしている

 というわけで、この段階で前半しかない①と後半しかない⑤は候補からはずれます。次に気になるのは②の後半。肌をおふろでこすることを「かみしめる」というなんとも言えない違和感。次に③の「わくわく」を「明るい予感」という微妙な違和感。で、「予感」を「肌をこすって」「味わう」というまたなんだかわからない感じ。そもそも、その他にも「女学校時代に戻る」は、本文から絶対にバツと気付くんですが、それ以上に正解の④の正確な呼応に着目してください。

「わくわくして」→「胸を踊らせ」

「強く肌をこすった」→「あらためて実感しようとしている」

センターはだから、簡単なんですね。もちろん、例の「役割意識」に感じた違和感は、最後まで読んでテーマがわからないとなぞはとけませんから、ここにつまずいてはずす人も一定数いることは予想できますね。

共通テストの試行調査を見ると、こうした厳格な対応が消えていますから、こういうやり方がどこまで通じるかわかりませんが、国語の問題である以上、ある程度の対応をはずれるわけにはいかない、というのもひとつに真実なんです。

 

意味の問題は「本文に入れない」がコツ

さて、センター小説は、問一に三問、意味を問う問題が出ています。

この問題のコツは「本文に入れない」というものです。本文に入れないで、「辞書に載っている意味」で判断すること。そのためには、「本文を離れて自分でいくつか例文を作って判断すること」です。

なぜかというと、この問題も「傍線部とはどういうことか」のタイプである以上、傍線部だけを見るということです。

この問題を間違いで、かつひっかけるためには

  • 「辞書にない」けど「本文に入る」
  • 「本文に入らない」けど「辞書にある」

のどちらか。正解はもちろん、「辞書にある」「本文に入る」です。

でも、「辞書にあるけど本文に入らない」って可能?たとえば、「鳥肌が立つ」なら「寒い」か「怖い」かで、辞書にふたつありますが、こういう言葉が都合よく問題文にあるでしょうか。

だから、間違い選択肢はほぼほぼ、「本文に入る」選択肢です。だから、本文に入れれば入れるほどひっかかる。だから、いったん本文を離れて例文を作り、答えを選んで本文に入れる。入ったらOK、入らなければもういっかい検討してみる…という感じです。

やってみましょう。これは何年の問題でも変わらないので、さっきの二〇一四年で。

刻々に

①突然に

②あっという間に

③順番通りに

④ときどき

⑤次第次第に

日々、刻々と状況が変わる、みたいな例文がうかべば、どれ?

そうです。⑤ですね。

もう一問やりますか?

われ知らず

①自分では意識しないで

②あれこれと迷うことなく

③人には気づかれないように

④本当の思いとは逆に

⑤他人の視線を意識して

我知らず、ですから、自分ではわからない、ですよね。「我知らず体が動いた」とか、「そんなことは我知らず」みたいな感じ。

答えは①ですね。知らず、ですから②の「迷う」とかおかしいし、③とか⑤とかだと、どこに他人が想定できるか、って感じ。④がたぶんひっかけなんですけど「知らず」って書いてあるのに「知ってて逆」みたいなのは変ですね。

大丈夫でしょうか?

二問目のやつに近いので、「比喩」の時もあります。主語述語の関係とかを同じように意識するといいですね。

表現の問題は①表現そのもの、②テーマ・主題、③表現と本文、表現とテーマの関係

 さて、最後に表現の問題について、触れたいと思います。表現の問題はみなさんの苦手意識が強いですね。

実は、この問題、表現の問題ではあるんですが、半分はテーマの問題なんです。ちょっと解説します。これは、どちらかでなく両方ともチェックしてはじめて正解にいきます。なぜなら間違いの選択肢のパターンは、

  • 表現の説明はあっているが、テーマが間違っている。
  • テーマそのものはあっているが、表現の説明が間違っている。
  • 両方ともあっているが、その説明の因果関係などが間違っている。
  • どれも間違っている。

のどれかだから。

たとえば、「表現のコトバって難しいから見ないことにしよう」と決めると、「テーマがあっているから〇」ということになりますが、当然、「表現が間違っていれば、残りは全部あっていても×」ですよね。だから両方やるしかないんです。

ではひとつずつ説明します。

 

表現そのもの

まずは、表現そのものと向き合うことが大事です。象徴的、客観的、幻想的などのコトバから逃げないことです。そういうだけでも非常に薄情ですので、ちょっと説明をしましょう。大きくわけて次の3つの観点で整理します。

「浪漫的作品」

ロマンチックな作品、というライン。実はセンターではあまり出ません。ロマンチックというのは、ラインとしては「恋愛」か「夢の世界」です。みなさんの好きな作品です。「パラレルワールド」を「タイムリープ」して「あこがれのあの人」に出会っちゃう感じ。「君の名は」的なやつです。

こういう作品、センターでは出ないでしょ?

でも、言葉でいうと、

「象徴的」「比喩(的)」「幻想的」

というような言葉使われます。また、こういう作品は多くの場合、「心情」が中心になることがありますね。神様的に作者が俯瞰して眺めているというよりは、主人公の一人称語りのように、心情を中心に語っていくことが多い。だから、心情が比喩にたくされてしまう。主人公には「そのように見える」というのが比喩ですから。だから、一人称の作品は主観的で、こっちのタイプが多くなります。

この説明で使われている言葉がわかれば十分ですよ。

「写実的作品」

それに対して、あまり比喩とか、幻想とかを多くせず、ありのままを淡々と描く、というのが写実的作品。

コトバで言うと

「客観的」「ありのまま」「事実を淡々と」

などという感じです。さっきが比喩だとすれば、こちらは「情景」が描かれることが多い。心情が情景と重なりながら描かれるわけ。ここで比喩になると、「目の前の風景」が「頭の中の世界」に置き換えられるわけですから、「写実的」にはなりにくいですよね。

書き手は、作者から三人称で書かれることが多いです。一人称で客観的にするのって難しいですよね?事実を書く以上、誰かができるだけ感情を排して、書くわけで、三人称の確率があがります。

「書き手の立場」

説明の中で書き手の立場に触れました。

一人称の小説=「わたし」

三人称の小説=「〇〇は」名前ですね

という違い。たとえば、「多面的に」とか「立体的に」なんて書くんだとすれば、書き手が、さっきまでの「わたし」は彼氏で、今の「わたし」は「彼女」みたいに、主語が変わってほしい。三人称であったとしても、肩入れするところが、ブロックごとに変わったり、「そのとき実は…」みたいな感じでもう一台カメラを入れるようなイメージの小説でないと、なかなかそういうとらえ方はできません。だから、こういうのは、たいてい間違い選択肢に入ります。

多くの小説は、

一人称=主観 三人称=客観、の図式の中にいて、ある程度この中で、たまに、三人称だけど結構肩入れして、主人公の心情とかさなっちゃっているなんてこともありますよね。

太宰なんてのは、基本、一人称、語り型です。登場人物が語らなくても、作者が語っちゃったり…。

このあたりのコトバをおさえれば、大丈夫だと思います。

テーマ・主題

それに対して、主題・テーマというのは、この記事の最初の話です。

何を言おうとしているのか、です。

「社会に対する批判」とか「親への反抗」とか「自立する様子」とか「好きな人に認められないもどかしさ」とか…バリエーションは無限です。

でも、これは意識さえすれば簡単。だって、テーマなんて、そんなに難しいものではないからです。

これが難しいのは、表面上「表現の問題」のように感じているから。テーマの問題だとさえ、思えば、結構ひどい選択肢が多いですよ。だから、そういう問題だと思えば、気がつけるはずです。

 

表現と本文、表現とテーマ

最後は、その関連みたいな問題。

たとえば、こういう選択肢、どう思いますか?

「春の嵐のように」「ダイヤモンドの唇」などの直喩を用いて、登場人物の特徴を印象づけている。

どうですか?

これ、バツですね。なぜなら「直喩」だからです。直喩って「~のように」ですよね。だから2番目が直喩じゃない。

じゃあ、これは?

「海が白くけむって見える」「緑の畑の中で赤いトマトをとった」のように、色彩を使った表現で、主人公の心情を表している。

まず 「色彩を使った」は使ってるんだからいいですよね。これが比喩とすれば、主人公の心情でいいです。だから、前はいい。でも、あとは?緑の畑に赤いトマトのどこが心情ですか?

だからこういうバツもあります。

じゃあ次。

バスが彼女だけを乗せ、彼を取り残したように、現代社会の非情な現実を描いている。

もちろん、テーマ(後半)だけ見てバツつけることもできるかもしれませんが、「バスに片方乗れて片方乗れない」のが「社会の非情な現実」ってどんな小説だって思いません?これが〇ならおそろしい小説ですよ。

というようなのが、表現問題のポイントです。

では、実際にやってみましょう!ついでなので、2014年の問題の問6を使います!ちょっとうつすの面倒なので、省略させてもらいつつ。

①第一場面では、母親の心情が…のように外部の視点から説明されているが、道子の心情は…のように心内のつぶやきのみで説明されている。

②第二場面では、母親の問いかけに対し、道子が倒置法の返答をしている。この不自然な返答とその直後の兄の誇張した言い回しが母親の不審を呼び、第三場面以降の話が急展開する。

③第三場面後半の父親と母親の会話には「まあ」という言葉が3回出て来る。この3つの「まあ」は読点の位置に違いがあり、読点のあるものは驚きの気持ちを表し、読点のないものはあきれた気持ちを示している。

④第一場面終わりと第四場面半ばの道子が堤防を走るシーンは、勢いよく走りだす様子を描くのに直喩を用いたり、情景を描くのに色彩表現を用いたりしてイメージ豊かに表現されている。

⑤5行目までの兄との会話にみられるように、道子の台詞は四つの場面を通じて、家族からの問いへの応答から始まっている。これは家族とかかわり合いを持つことについて、道子が消極的であることを示している。

⑥第一場面から道子に焦点を当てて描かれていた話が、第三場面途中から夫婦に焦点を当てて描かれ始める。このことは、第四場面終わりで、両親を示す表現が「父親」「母親」から「夫」「妻」へと変化することではっきり示されている。

正解二つ選ぶ問題ですが、本文を読まないでできるわけはありませんが、分析をしてみることは十分できます。というか、こういう練習が必要なんです。正解を選ぶだけでなく、選択肢を見て、色分けし、考える練習です。

①第一場面では、母親の心情が…のように外部の視点から説明されているが、道子の心情は…のように心内のつぶやきのみで説明されている。

②第二場面では、母親の問いかけに対し、道子が倒置法の返答をしている。この不自然な返答とその直後の兄の誇張した言い回し母親の不審を呼び、第三場面以降の話が急展開する。

③第三場面後半の父親と母親の会話には「まあ」という言葉が3回出て来る。この3つの「まあ」は読点の位置に違いがあり、読点のあるものは驚きの気持ちを表し、読点のないものはあきれた気持ちを示している

④第一場面終わりと第四場面半ばの道子が堤防を走るシーンは、勢いよく走りだす様子を描くのに直喩を用いたり、情景を描くのに色彩表現を用いたりしてイメージ豊かに表現されている。

⑤5行目までの兄との会話にみられるように、道子の台詞は四つの場面を通じて、家族からの問いへの応答から始まっている。これは家族とかかわり合いを持つことについて、道子が消極的であることを示している。

⑥第一場面から道子に焦点を当てて描かれていた話が、第三場面途中から夫婦に焦点を当てて描かれ始める。このことは、第四場面終わりで、両親を示す表現が「父親」「母親」から「夫」「妻」へと変化することではっきり示されている。

 さて、わかりましたか?

赤が表現を示す言葉、青がテーマを示す言葉です。一部、どっちにも使える部分もあるんですが、まず、こういう分析をします。

次に、実際に検討してみましょう。赤の表現は、本文を見て、本当にそうか検討するだけです。なので、ここでは省略。やってみてくださいね。

ここでやりたいのは青です。まとめてみましょう。

①母親と道子を分ける、ということは、この二人の違い、あるいは心の行き違いがテーマ。特に道子が「心内のつぶやき」だけだとするなら、本音をいえない、的なことがこの作品のテーマとなる。つまり、親子の葛藤がテーマという選択肢。

②母親の不審、ということは、親が子を信じていないことになる。やはり、親子の葛藤やこどもの自立、ということがテーマの選択肢。

③青なし

④勢いよく走り出す、ということが焦点を当てられているので、これがテーマにつながる大事なポイントと見ている、ということ。

⑤一番ストレートなテーマを示している。家族と関わりたくないという道子の気持ちがテーマ。やはり、①とか③とかに通じる。

⑥一転して、登場人物の変化がテーマに関わると。つまり、主人公は道子でなく、家族の全員であると。逆に言えば、道子の自立がテーマじゃないよ、とこの選択肢は示している。

 いかがですか?「なるほど。やっぱり①③⑤から考えると、道子の自立がテーマか」ではないですよ。正解は2つですから、そんなわけがない。正解はわからなくていいんですけど、④と⑥です。じゃあ、こういうテーマってどう理解するの?っていうことになりますよね?

 

テーマ・主題はラストシーンを重視!

 そうです。

テーマをつかみたいなら、最初にラストシーンをカンニングすればいい。最後にどうなるかわかっていれば、伏線が読み取れます。

映画や小説を楽しくよみたいなら、絶対にやっちゃだめです。だって、先にオチがわかったら、台無しじゃないですか。最後まで読んで、最後まで見て、「なるほど!」と思い、「じゃあ、あのシーンてああいう意味だったのか?もう一回見てみよう。うわあ、本当にこうなってる!」みたいなことです。昔だと「シックスセンス」今なら「君の名は」でわかってもらえます?

でもね、入試は時間がない。だから、先にオチを見て、こういうことか、とわかったうえで、最初から伏線拾ってけば、よくないですか?

この2014年は「おほほほほほ」「あはははは」でヒットするやつで、インパクト強いんですが、それこそ、この二人の笑い声の象徴されるように、両親それぞれの生のありようが焦点だからこそ、笑うわけですよ。

私からすれば、この笑い声に惑わされて、①③⑤を選んだ人は、ありえない。笑い声に気付いたなら、気になったなら、⑥だし、両親が笑った理由が「快走」なら、次は④です。

なぜ、ネットであれだけこの問題が話題になりながら、皆間違うのか?それこそ、テーマを読もう、言いたいことを読み取ろう、小説を小説として味わおう、という意識が欠落して、本文との照合作業に汲々としていることの証明だと思います。

 

こういう形を意識すると、小説はじょじょにとれるようになります。センターまであとわずか。問題を解くときにぜひ、「テーマ」と「問に答える」、このふたつ意識してみてください。解説の適当な〇×だけ、消去法的な説明をうのみにせずに、ぜひとも自分でこのふたつの観点で考えてみてください。