国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

「舞姫」豊太郎の「恨み」と「憎しみ」に迫る1 豊太郎はなぜ日記を書くのか? 教科書定番教材シリーズ

教科書定番教材シリーズは、森鴎外『舞姫』に突入したいと思います。漱石の「こころ」と同時に鴎外の「舞姫」をすすめて、ふたつの違いから近代という時代を考えましょう。

この教科書定番教材シリーズですが、意外とアクセスを集めております。(といっても、このアクセスの少ないブログの中の話ですが)きっと、生徒達が予習をするために、あるいは先生から出された宿題を何とかするために、あるいは、定期試験前に、なんとかしようとするために、意外とニーズがあるようです。

個人的には、こうした教科書教材を読んできた大人のみなさんに、「もう一度読んでみようかな」と思ってもらうための意味合いもあるのですが、まあ、それは私の思いとして、いまだ生き残っている生徒にとってははた迷惑な「舞姫」です。なにしろ擬古文ですからね。

でもね、現代語訳を求めて、このサイトに来た人たちがいるなら、いつか暇になったときに、直訳風舞姫を書いてあげてもよいけど(すぐはやりませんよ)、あなたが大学入試考えているなら、このぐらい読まないとだめだよ。

センターの古文は長いし、こういうのは現代文で出す大学があるんだからね。

まあ、大学受験も考えてませんて言われちゃうと、じゃあしょうがないか…なんて気にもなるけど…。

ちなみに教科書定番教材シリーズは、 

manebikokugo.hatenadiary.comwww.kokugo-manebi.tokyo

 と進めてまいりました。

そして、現在、夏目漱石「こころ」と森鴎外「舞姫」を同時に進めようと考えております。

まずは本文をこちらからどうぞ。

森鴎外 舞姫

手記としての物語

漱石の「こころ」とやってみるとなかなかおもしろいんですが、こちらも、「手記」、そして一人称で語られるわけですね。

物語の冒頭、名前さえ語られず、まずは現在の状況が語られていく。

「五年前いつとせまへの事なりしが、平生ひごろの望足りて、洋行の官命をかうむり、このセイゴンの港までし頃」と彼は書きます。そして、「げにひんがしかへる今の我は、西に航せし昔の我ならず」と書き綴ります。

どうも、彼は、5年間、国のお仕事で海外=ドイツにいたらしい。そして、今、日本に帰ろうとしているらしい。その船上、セイゴンの港に今、彼はいる。そして、なぜか、筆を執っている。

 石炭をばや積み果てつ。中等室のつくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈しねつとうの光の晴れがましきもいたづらなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。

と「舞姫」は始まっているわけですね。「こころ
」もそうですが、登場人物が自己分析をしていく、というこのスタイル自体が、近代という時代における人のありようを考えるというテーマと、もう関連しているような気がします。

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舞姫の自筆原稿。もちろん、複写です。きっちりしてますよね。

どうして日記を今、書くのか?

冒頭、彼が向き合うのは、「こたびは途に上りしとき、日記にきものせむとて買ひし冊子さつしもまだ白紙のまゝなる」ということの理由です。

もちろん、これは、「日記」を書かなければいけない理由です。そうです。書こうとしても書けない理由。

わざわざ、船室に残って、今、日記を書けない理由が語られるわけです。

「あらず、これには別に故あり。」という形で、ドイツにいたときにあったであろう、さまざまなことが想起されながら、そのことが語られていきます。

1 ニル・アドミラリィの気象

 五年前いつとせまへの事なりしが、平生ひごろの望足りて、洋行の官命をかうむり、このセイゴンの港までし頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとしてあらたならぬはなく、筆に任せて書きしるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、当時の新聞に載せられて、世の人にもてはやされしかど、今日けふになりておもへば、をさなき思想、身のほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねの動植金石、さては風俗などをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。こたびは途に上りしとき、日記にきものせむとて買ひし冊子さつしもまだ白紙のまゝなるは、独逸ドイツにて物学びせしに、一種の「ニル、アドミラリイ」の気象をや養ひ得たりけむ、あらず、これには別に故あり。

ドイツに行くときには、すべてが目新しいものばかり…。それは何から何まで文章にした。当時は、みんなからもてはやされたけれど、今から考えると、幼稚な考え、身の程知らずな発言、そこら中にあるような動物、植物、宝石、石ころ、普通のことを珍しいことのように書いていた。物のわかる人はそんな自分をどう見ていたのか。いつの間にか、自分は、そんなことを書いても仕方がないと思うようになった。

と、こんな感じですかね。

「こころ」の私ではありませんが、やっぱり、「変わった」んですね。何かによって、「私」は、いちいち目にするものを書くことがよくないことだと思った。そして、自分の心が動かなくなっていることを感じているわけです。

そんなことが書かれていますが、日記を書けない理由ではない、と。それはもちろん、日記を書く理由でもない。これが理由なら、「書きたい」と思わなくなったわけですから、そもそも日記なんて買ってこなければよいわけですね。

2 変わりやすい自分の心

さらに、豊太郎は書き進めます。

 げにひんがしかへる今の我は、西に航せし昔の我ならず、学問こそなほ心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ変り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感触を、筆に写してたれにか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。

今の自分は昔の自分ではない。勉学については、不満なところもあるとはいえ、さまざまなことを学んだ。人の心が信頼できないことも、自分の心さえ信頼できないことも、学んだ。昨日と今日で180度変わってしまう心など、書き記したところで、何か意味があるだろうか。

こんなところでしょうか。

これも、何かがあったことを暗示していますよね。きっと、人に裏切られたんでしょうか、自分も裏切ったんでしょうか。

でも、それさえも日記が書けない理由ではないわけですね。

3 人知らぬ恨み

そして、出て来るのが「人知らぬ恨み」です。

 嗚呼あゝ、ブリンヂイシイの港をでゝより、早や二十日はつかあまりを経ぬ。世の常ならば生面せいめんの客にさへまじはりを結びて、旅の憂さを慰めあふが航海のならひなるに、微恙びやうにことよせてへやうちにのみこもりて、同行の人々にも物言ふことの少きは、人知らぬ恨にかしらのみ悩ましたればなり。この恨は初め一抹の雲の如くわが心をかすめて、瑞西スヰスの山色をも見せず、伊太利イタリアの古蹟にも心を留めさせず、中頃は世をいとひ、身をはかなみて、はらわた日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点のかげとのみなりたれど、ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度いくたびとなく我心を苦む。嗚呼、いかにしてか此恨をせうせむ。ほかの恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地こゝちすが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心にりつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴ばうどの来て電気線の鍵をひねるには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。

他人が知らない、人知れぬ恨み…。これが日記の書けない理由です。「恨み」という言葉は、他者や出来事を「恨む」ということ。

この「恨み」ゆえに、心が沈んだ状態でいるわけです。

この恨みのおかげで、部屋にこもり、同行の友人ともしゃべらず、ましてや初対面の旅行客ともしゃべらず、途中途中で観光をしても、心は晴れず…

そして彼は書きます。

嗚呼、いかにしてか此恨をせうせむ。ほかの恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地こゝちすが/\しくもなりなむ。これのみは余りに深く我心にりつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴ばうどの来て電気線の鍵をひねるには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む」 

恨みは消せない。きっとどうすることもできない。でも、それでも日記に書かなければいけない、と。

日本に戻る物語

こうして、この物語は、日本へ戻る、という前提で始まります。

日記をなぜ書くのか?

もうひとつの物理的な理由を考えておきましょう。

「石炭をば早積み果てつ。」

つまり、出航の準備は整ったということ。場所はセイゴン。おそらく、もう日本に到着をします。

寄港したからこそ、みんなは町へ繰り出していった。ボーイがやってきて、電気自体を止めてしまうにはまだしばらくの時間がある…。

そう、一人になってじっくりと書くための時間はここしかないのです。明日になれば、また、旅行客がトランプに興じる。

だから、今、ということでしょう。

もちろん、最初もこういう時間はあったかもしれない。でも、彼の言葉を借りれば、最初はそれほどのことだとは思わなかった。でも、それがだんだんと彼の心に重くのしかかってきた、ということ。

この恨は初め一抹の雲の如くわが心をかすめて、瑞西スヰスの山色をも見せず、伊太利イタリアの古蹟にも心を留めさせず、中頃は世をいとひ、身をはかなみて、はらわた日ごとに九廻すともいふべき惨痛をわれに負はせ、今は心の奥に凝り固まりて、一点のかげとのみなりたれど、ふみ読むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、声に応ずる響の如く、限なき懐旧の情を喚び起して、幾度いくたびとなく我心を苦む。

「懐旧の情」を呼び起こし、自分の心を苦しめる。このままではいけない。この「恨み」に向き合わなければ。消せないかもしれないこの「恨み」をなんとかしたい。

日本に着くまでに、彼は何と向き合い、どんな決着をのぞんでいるのでしょうか。

舞姫がこの『恨み』からはじまっていることは、授業をする際にもっともっと意識されなければいけないことなんですね。

というわけで、次回に続きます。