文学史は中古(平安時代)が終わり、中世に入ります。文学にとってはかなり厳しい時代ともいえますが、どんな時代なのか考えてみましょう。
文学史は古典分野が頻出、と書きましたが、必ずしも中古ばかりの知識が必要なわけではありません。中世以降の文章が出れば、当然、その時代に関わる文学史の知識が必要になりますし、中古の文章であったとしても、間違い選択肢として入れられた作品を知っているかどうかで、消去法的に問題を解くことも可能になるでしょう。
というわけで中世に入っていきたいと思います。なんとか、私立大学の入試までに、近世=江戸時代まで終わっておきたいと思います。本当は近代文学の文学史もやらなくちゃいけないし…
中世は「庶民」の時代と「仏教」の時代
中世の時代の特徴は、武士の時代、ひいては庶民の時代になったということです。平安時代は、貴族の時代。これはごくごく限られた富裕層の話であり、文学もごくごく限られた層に共有されているだけだったわけです。
権力が貴族から武士へと移ることにより、よくいえば、文学は庶民のものになるわけですし、広がりを見せるわけですが、悪く言うと、頭のいい人たちがわかるものから頭の悪い人たちに受けるものへと変化していってしまうわけです。
そのあたりは一度、まとめました。
字の読めない庶民にとって、文学に必要なエッセンスは、エンターテイメントや娯楽であり、あるいはもともと存在していたそういうものが文学として価値を見出されていく、という言い方が適切なのかもしれません。
もうひとつは、仏教の話。仏教も文学と同じく、ありがたいお言葉をしっかりと勉強して理解して生き方を律していくというようなものから、とにかく大衆に受け入れられるように、わかりやすく、理解しやすいものにならなければいけません。
ひとつは、お経を唱えれば極楽浄土に行ける、というような手軽さであり、もうひとつは、説話などを使ったわかりやすさ。わかりやすく、おもしろい、物語で教えを広めていく、という形です。
こうした傾向が中世の文学に当然影響を与えていくわけです。
庶民の時代~エンターテイメントとしての「文学」「劇」「連歌」
中世が庶民の時代であるというのは、エンターテイメント、娯楽でなければ、大衆は理解できないということです。庶民は字も読めません。こうした庶民にまで、手を広げていくのが中世ですから、字も読めない庶民にわかるようにしていく、というのが大きなテーマになるのです。
平家物語
典型例はなんといっても、平家物語でしょう。物語の内容も、「戦い」を描いています。ちょうど大衆がスターウォーズとかスーパーマンとかゴジラとかそういう映画を好むように、まずは戦いというのはエンターテイメントの要素が強いわけです。
もちろん、恋愛要素も必要ですが、フランス映画のような心の機微だけ描かれると、ちょっとむずかしくてついていけない的な人も出て来るわけですね。
しかも、この平家物語でよく出て来る単語が「琵琶法師」。人名ではないですよね。つまり、これを読み聞かせした人たちが職業として存在して、それがこうして文学史の知識として積み重なるわけです。
要するに、字が読めない大衆にとって、読み聞かせは大きな意味を持つわけです。
太平記や義経記、曾我物語、保元物語、平治物語、承久記など、こうした軍記物はほとんどこの時代の作品です。
説話文学
エンターテイメントとしてのもうひとつの流れは、説話です。
今昔物語が、平安末期、中世に入ると宇治拾遺物語ができあがります。
すでに説話については、上でまとめていますが、要は、「昔話」の類が、今昔物語、宇治拾遺物語です。
さらに、「御伽草紙」が近世にはいってまとめられるんですが、このあたりも中世以降の、庶民の文学の流れです。
能・狂言~「風姿花伝」観阿弥・世阿弥
こうした流れで、エンターテイメントになりうるものは演劇です。当然、このようなものは大衆の中では存在していたはずで、大衆にスポットがあたったからこそ、文学の中心に、エンターテイメントを入れてもらえたからこそ、こうしたものがきちんとした形になるということでしょうね。
現代だと、映画や演劇だって、あるいはアニメや漫画だって、場合によってはお笑い芸人だって、かなり「文化」としての地位を築いているし、「文学」と同等の価値を持っているかのようになりましたよね。でも、そうなるためには、みんながそれを認める必要があるわけですね。
中世では、それが能・狂言という形で、磨かれていきます。ある種の演目が共有され、型が共有され、「能」というひとつの形になる。もともとは大衆にとって、舞踊や歌謡もふくめていろいろなものがあったと思うし、当時でもあったはずですが、そこにひとつのスタイルができていく。申楽とか田楽とかいう名前で、あるいは白拍子の舞とか、そういう類のものが、ひとつの形をなしていきます。
この「能・狂言」が形になっていくのは、観阿弥・世阿弥親子の力によります。しかも、それを「風姿花伝」という本にして、演劇論をまとめる。こうなれば、当然、形になりますね。ちなみに書いたのは、子の世阿弥。父の言葉を息子がまとめる、というようなことでしょうか。
いずれにせよ、こうした演劇論ができあがることで、演劇は文学として形をつくります。時代は南北朝から室町時代にかけてです。
「風姿花伝」は、演者の心構えや題目の取り入れ方、演じる型について、あるいは、観客との関係にいたるまで論じていて、なかなか読んでいてもおもしろいものですし、試験でもだしやすいものです。ぜひ、現代語訳でもいいので、一度目を通すといいと思います。
連歌~座の文学としての歌「つくば」
もうひとつ、劇的な変化をとげるのが、歌です。高度な知識を必要とする歌は、庶民からむしろ遠ざかります。というか、後で歌については論じますが、中世に入ると、中古の歌の時代にあこがれるあまり、「勉強」を要求するんですね。そうなれば、庶民が遠ざかるのは当たり前。
そんな中、演劇同様、もともとありながら、ひとつの文学的な形となっていくのが、「連歌」です。細かくは次のやつね。
座の文学ともいえる連歌は、要は遊び。歌に歌をつけていく、というそういう形です。中古の終わり、金葉和歌集には連歌の部がすでにあるんですが、中世に入るとさまざまな形で広がりを見せていきます。もともとは、古事記とかにも歌の問答がありますから、むしろこっちの方が本家なのかもしれません。その歌の問答の舞台は、男体山と女体山の筑波山ですから、「筑波の道」なんていう風に呼ばれます。それが庶民レベルではもともとあったんでしょうが、庶民の時代の中世になっていよいよ盛んになり、南北朝から室町時代にかけて、形になっていく。
このころになると、まあ、ある意味では庶民のものから、文学としての形になってしまう、という逆転現象もおこるんですけど、まあしょうがないと思います。
まずは、二条良基。「菟玖波集」なんてのを編むんですが、「つくば集」ですから、つくばとくると「連歌」、「中世」ですね。菟玖波集が問題文で出ることはないでしょう。あるとするなら、連歌論の「連理秘抄」「筑波問答」の方でしょうか。でもほとんどみたことないので、名前だけで平気だと思います。これが南北朝時代です。
次に出てくるのが心敬の「ささめごと」「ひとりごと」「老のくりごと」といった連歌論。
その後、室町時代になると、宗祇の「新撰菟玖波集」がくられて、で、宗祇の連歌論が、「吾妻問答」「老のすさみ」です。
「新撰犬菟玖波集」は、宗鑑。俳諧連歌という、後の俳句につながっていく流れです。この俳諧連歌だと、荒木田守武の「守武千句」があります。
おそらく、細かいことは聞かれないので、「連歌の人」として、挙げた名前を覚えておくぐらいで、なんとかなるんじゃないかと。あとは「つくば」と来たら連歌、ですね。
仏教の時代~説話と「諸行無常」
もうひとつの流れは、仏教の流れでしょう。
平家物語の諸行無常はあまりにも有名ですが、続く戦乱とともに、仏教が庶民に拡大していく中で、仏教説話などが必要とされました。
すでにまとめましたが、仏教説話の名前ぐらいをながめておけば、「仏教」「中世」ぐらいの連動で、試験問題は解けるような気がします。
限られた知識層による文学と歌・歌論
中世という時代は、間違いなく、庶民に文学が拡大していく時代なんですが、とはいえ、字が読めている層が消えるわけではありません。こうした層が今まで通りの文学サロンのようなものをもっているといえば、もっているわけです。
で、これらがどういう問題をはらんでいるかというと、私は次のふたつの理解でいいと思います。
ひとつは権力を失ったこと。平安時代とは違って、大きなうねりにはならず、ほそぼそとやっていくしかない。お金や人の問題だと思いますが、いくらがんばっても、人とお金がなければ、目立ったものは生まれません。
もうひとつは「失った時代への憧れ」を抱いていること。つまり、時は流れているのに、貴族の時代であるところの平安時代へのあこがれをもっている。それは、平安文学の知識・常識を要求します。そうなれば、庶民にはついていけないし、また、新しいものが生まれなくなります。となれば衰退していくことは仕方のない事実ですね。
歌・歌論~新古今と定家
新古今集と定家の話はすでにしました。
本歌取り、体言止め、幽玄という形で、目の前の景色を見ないで、平安時代の景色をそこに重ね合わせる。定家の歌論を読んでも、詞は昔のものを借りるんだともいうような文章になっていきます。そういう昔の歌の勉強を要求するんですね。
指示は意外と細かくて、詞をふたつ本歌から借りて、上下にわけて置けとか、題は一字題なら下だ、二字以上は上下にわけろ、とか非常に具体的。
定家だと、歌論は「近代秀歌」とか「毎月抄」ですね。日記には「明月記」があります。
この時代に活躍した歌人となると、定家のお父さんの藤原俊成。「古来風体抄」とかです。このあたりは、平安末期から鎌倉初期です。新古今ですから。後鳥羽上皇が勅宣だしてます。
有名人でいえば、西行。「山家集」を覚えておきましょう。
あとは源実朝。「金槐和歌集」が出ると思います。いずれも鎌倉前期。まずは歌が有名なのは、平安の名残ですから。
歌集について
中世は、新古今和歌集以降、新勅撰和歌集、続後撰和歌集、続古今和歌集、続拾遺集、新後撰集など、「続」と「新」を八代集につける名前が延々と続きます。極みは、「新続古今和歌集」。もうこうなってくると、タイトルに「新」とか「続」とか「2」とかつけて、最後最後といいながら延々と続いていくドラマ、映画、アニメを思い起こさせます。ぼくらのころだと、「さらば宇宙戦艦ヤマト」のあとに、堂々と「ヤマトよ永遠に」そして「完結編」と続いたあの話を思い起こさせます。
まあ、ほとんど出ないと思いますが、八代集をしっかり覚えておけば問題ないはず。
物語~源氏物語への憧れ・擬古文
物語は、さっき書いたようにサロン自体が縮小していくわけで、不遇です。
が、試験にはよく出る。中古の文学に比べて、擬古文ですから、よみやすい感覚があるんでしょう。よくセンターなんかでも出ます。とはいえね、作品としてどの程度あらすじ覚えるかっていうと…難しいですよね。
作者が明らかだと言われているのは、「松浦宮物語」で定家だと言われています。遣唐使の設定で、中国と日本を舞台にして、唐の皇后などと恋をする物語です。
作品名だけ、その他、列挙します。だから、試験に出るとしたら、どの時代に成立したかを問う問題の選択肢に、正解か不正解かで出てくるレベルだと思います。
「浅茅が露」「海人の刈藻」「石清水物語」「苔の衣」などです。
日記~女流文学
むしろ、中世で文学史の試験、あるいは本文で出るのはこちらでしょう。これらの日記文学は本文としても、文学史としても、作者作品が一致することもあり、よく出る印象です。時代的には、歌と同様、平安時代の流れをくんでいるので、鎌倉中期から後期ぐらいまでです。
「十六夜日記」阿仏尼
こどもと異母兄弟との間の相続争いの訴訟で京都から鎌倉へ行く、紀行文的日記。他の作品としては「うたたね」。
「とはずがたり」後深草院二条
後深草院に愛されながら、他の男性とも関係を持つことになるというような話。他に好きな人がいるんですが、後深草院に囲われているというイメージでしょうか。その人とも関係を持つし、他の人とも関係を持つし…そういうことが描かれていきます。どっちかというと、迫られてどうしようもなくなる、という感じです。男たちの子どもも生みます。後深草院とは最終的に再会して…というあたりは試験でみたような気がします。
その他
これ以外になると、
「たまきはる(建春門院中納言日記)」「弁内侍日記」「建礼門院右京大夫集」などがあります。作者名が作品に入っていますね。文学史問題の選択肢の中では見たことがあると思います。
随想~鴨長明と吉田兼好
最後になりますが、随想です。このツートップは、高校入試レベルでも出ますから、さすがに間違えないでしょう。
方丈記~鴨長明
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」というあまりに有名な冒頭から始まり、災害についての言及もあるなど、無常観の文学としてあまりに有名です。和漢混淆文でできています。鎌倉前期の文学です。鴨長明は、発心集と無名抄も書いています。あとの方は歌論。こういう部分は文学史で出題しやすいので、注意してね。
徒然草~吉田兼好
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」で始まる徒然草も、中学校で結構やっていることもあって有名ですよね。
もともとは帝王学として書かれたという話がありまして、ただあっという間に育て上げたい人物が死んでしまったがために、続きは普通の随筆になった、なんていう話があります。鎌倉の後期の文学です。方丈記と合わせて覚えましょう。南北朝よりは前ですね。
というわけで中世の文学史でした。近世は、早稲田政経で結構出るので、入試までにはあげます。近代文学も、ですね。