国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

漢文 大学入試での漢詩に必要な知識 形式や修辞以上に、起承転結から解釈を考える。

漢文の中でも、漢詩というのは少し特殊です。漢詩が大学入試で扱われたら、どのようなことを考えるべきかまとめます。

さて、漢文の中でも「漢詩」というのが、入試問題に出てしまうと、どうしてもとまどうことになります。

実際に、授業で扱うのも、形式的なことが中心となっているようなことが多く、実際にどう教えるかを戸惑うこともあるでしょう。

というわけで、今日は、大学入試における漢詩を考えてみたいと思います。

正直言って、私にとっても漢文は苦手分野です。何しろ、中国語を大学でとりませんでしたから。これ、私の中での大失敗のひとつです。

その結果、特に漢詩の本質に迫れない。音がわからない。

でも、逆に言えば、大学受験生が中国語をわかるはずもない以上、そのレベルで物が見えるとすれば、それは自分の強みだ、と言い聞かせて、なんとかわかるような説明を考えてきたわけです。

それでも残ってしまうのが、「漢詩」。というわけで、今日は漢詩を考えていきましょう。

 

漢詩と言えば、形式と修辞

「漢詩」を授業でやると、まずは「形式」と「修辞」について、説明があって、どの詩を解説するにしても、まずは詩の形式と、修辞の確認がされるわけです。

修辞はわかりますか?レトリック。言葉の飾り。遊びともいってもいいかもしれない。

先生にとっては重要なことで、これで説明がいくつかできますからね。

では、まずはこの詩の形式と修辞をおさらいしておきましょう。

形式~絶句と律詩、起承転結と首頷頸尾

まず、必ず分けられるのが、以下の区分けです。

近体詩以降について

  • 一行の字数が5字なら、「五言詩」
  • 一行の字数が7字なら、「七言詩」
  • 句数が4なら「絶句」
  • 句数が8なら「律詩」

というものです。

ですから近体詩は、「五言絶句」「五言律詩」「七言絶句」「七言律詩」となります。

この形以外のものとして、「六句」あるいは「十句以上」のものとして「排律」があります。

そうでないものとして、「古詩」なんていうふうにわけるわけです。古詩は、一行が、「4」「5」「7」「その他」ですね。そして、句数については安定しません。それから、途中で「換韻」、つまり韻を踏む音が変わることがあるんですね。

4行詩である「絶句」の構成法として、

「起承転結」つまり、起句・承句・転句・結句

8行詩である「律詩」の構成法として、2行、2句ずつ、

「首頷頸尾」つまり、首聯・頷聯・頸聯・尾聯

ということを覚えさせられるわけです。

押韻

続いて、押韻です。

これはいわゆる「韻をふむ」というやつですね。これ、学校の先生がラップ系の曲をみつけてきて、説明したりするはずです。今だったらきっと「髭ダン」とかもってきそう。こういうの好きですからね。先生って。

いわゆる「脚韻」というやつで、要は文のラストが同じ母音になるということです。

基本的に偶数句末。

そして、七言詩は初句末もふみます。

細かいことは聞いてこないので、とりあえず、「偶数句末」と覚えておけば、最低4ヵ所ありますから、だいぶ見えるはず。

注意事項は「音読み」であること。中国語ですから。

なので、日本語の音読みと中国語としての読みがずれると、音がずれます。

たとえば、「城」って、「ジョウ」だから「~OU」って感じですよね?でも「ゼイ」という読みもあるはずです。だって、つくりは「成」で「セイ」ですもん。となると、「情」だって、「ジョウ」と「ゼイ」がありますよね?

このあたり、中国語と日本語がずれる以上、多少のずれがあるということは知っておいてほしいのと同時に、音読みわからなくなると終わる可能性があるということです。

ちなみに、これは漢字で言うと、「音記号」の話。

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これが一番、大学入試に出て、漢詩の空所補充問題は、ほとんど押韻の問題です。

対句

続いて、対句。詩として、やらなくちゃいけないことになっているのは、律詩の頷連と頸聯です。

つまり、「3句と4句」、「5句と6句」が同じ構成になってなければいけません。これは、この2句、つまり一聯で、「お互いが影響し合ってひとつの内容をあらわす」ということになります。これはあとで触れます。

対句については、いろんな説明が、参考書にありまして、一番極端な例だと、

「返り点の打ち方も全部一緒じゃないと対句とは言えない」

なんていうのもありますが、おそらく間違いです。

あくまでも、中国語としての構成が同じになるということなので、

「中国語では同じ構成になっているけれど、無理矢理日本語にしようとすると、違う返り点が打たれる」

ということは少ないとはいえ、あるはずです。

だから、あくまでも「中国語で読む時に同じ構成」ということです。

ざっくりと「実字=名詞」「虚字=動詞」「助字=その他」という形で分類し、配置が同じになる、ということで、当然それは、「返り点まで同じように読む」ということが多くなるということです。

形としては、「律詩では頷聯・頸聯が対句になる」ということが決まりとしてあるわけですが、当然、それ以外、つまり絶句で対句があったり、律詩で首聯で対句があったり…ということもありうるので、場所だけで決めてはいけません。

平仄

そして厄介なのが平仄です。これは中国語に関わるので、実際には大学入試で問われることはありませんが、本来は「詩」つまり「歌」なので、どう聞こえるかが大事なんですね。

そういう中で、近体詩では、「音の配置」が決まっているんです。中国語の「四声」というんですが、それぞれの文字には、「声調」、つまり、音の調子があって、それが4つに分類されます。あがるとか、さがるとか、平板とかそういうことです。

で、五言絶句なら、5×4行なんですが、その20字に、どこにどの声調を置くかが決まっているんです。

なので、実際はすごく制約があるし、読んでみるとリズムというか、音楽になるというか、そんな風に作られています。

日本語で読む私たちにはまったくわからない部分で、日本語としての漢文を問う大学入試では出題されない部分です。

ただし、この平仄があるがゆえに、ふつうとは異なる字の配置になることが許されているように感じることがあります。ここは不勉強で理屈がわかりませんが、いわゆる漢文の構文がずれても、「気にしない」という感覚が必要になることがあります。

 

実際にこれで入試問題は解けるのか?

以上が、よく学校で説明される漢文の形式と修辞です。

だから、学校の定期試験のためにここを訪れているなら、上記を理解することは重要です。下手をすれば、扱った試験範囲の全ての詩で、上の全てのことを聞きかねません。

逆に言えば、学校で詩を扱うと、どう教えていいかわからないということでもあるような気がします。

「鑑賞」という部分ですね。

実は、大学入試の漢詩が出てくると、実際にもっとも重要になっていくのは、

「この詩は、何を伝えようとしているのか」

「そのメッセージを何に託しているのか」

というこの二つだと思っています。もちろん、もっと違うアプローチもあるんですけど、とにかく、「自分で詩を鑑賞する」ということが求められるわけですね。

だから、実は学校の授業では、「とにかく読ませて、生徒が考えて言葉にする」ということをしないといけないんですね。

生徒の立場で言うと、

  • 先生が説明するタイプの授業なら、予習としてその詩が何を詠むことで、何を伝えようとしているか考える。
  • グループワークのような授業なら、しっかり上記を発言する。どうせ、誰か、あるいは先生がまとめてくれるはず…と期待しない。

ということが大事です。

でも、難しいですよね?だとすると、もうひとつの手は、入試問題を解くことです。

入試問題自体が、上記二つがわかっているかどうかを確認するような、出題をしてくれるし、勝手に考えるよりは、その考える手がかりを出題がくれるわけです。

だから、もしあなたが教員で、漢詩を授業でどう鑑賞していけばいいか迷うときは、大学入試問題を何題か解いて、どう聞くと何が確認できるかということを練習すると、漢詩を鑑賞する発問の手がかかりが見えてきますよね?

で、授業で扱った漢詩は、すでに鑑賞が終わります。そうすると、生徒にとってはただの暗記です。

しかし、「詩」が入試で問われるときには暗記ではなく、鑑賞。だから、私は少なくとも一つは、授業で扱っていないものを出題すべきだと思います。もちろん、全部でもいいけど。

つまり、鑑賞の方法と実践がテーマだとすれば、試験では新しい詩で確認すべきです。

なんて書いてみましたが、受験生のみなさんは、これ、とても重要。

つまり、大学入試で漢詩にかぎらず、「詩」という「文学的な」「抽象的な」「比喩的な」ものが出てくる以上、そこには「読み取り」が必要であり、それを読み取る練習をしないといけない、ということです。

ちなみに、大学入試では「押韻」、たまに詩の形式ぐらい。東大だと両方出ません。そんなもんです。

 

時代背景~唐詩=近体詩

さて、重要な詩の解釈の話に行く前に、時代背景を勉強しておきましょう。

というのも、センター試験と共通テストの試行調査の傾向からすると、「日本における漢文」という観点がすごく意識されていると思います。

賛否はありましたが、日本人が書いた漢文が出たり、そのまま「日本での漢文の位置づけ」が聞かれたり。

そういう意味では、漢詩は理解しておく必要がありますね。やっぱり、漢詩が一番影響があるからです。

春秋時代~戦国時代~秦=日本は縄文時代

日本は縄文時代のころ、中国では孔子あたりから思想的な分掌が残っていきます。諸子百家なんて言う風に呼ばれます。政治として安定しない時だからこそ、いろいろな思想が生まれたのかもしれませんね。

詩は「詩経」という最古の詩集が出ています。四言詩ですね。

戦国時代には「楚辞」という三言の詩が出ています。

漢=日本は弥生時代

漢の時代といえば、なんといっても、司馬遷の「史記」でしょう。

詩は、漢字台に五言詩が登場することになります。

三国(魏呉蜀)~南北朝=日本は古墳文化

いわゆる三国志の時代ですね。

詩では、五言詩や七言詩ができてきます。ざっくりいうとこのあたりが「古詩」ですね。

竹林の七賢、なんていうのが、三国時代以降にに登場しています。詩でいうと、陶潜(陶淵明)が有名です。

 

隋~唐=奈良時代から平安時代へ

さあ、いよいよ唐詩の時代がやってきました。

ここまで、ざっと説明しましたが、さすがに遣隋使とか遣唐使という言葉は知っていると思います。だから、ざっくりと奈良時代あたりに、中国では唐詩、近体詩ができてくるわけですね。で、そのあたりの作品が平安時代に、名作や常識として引用されていくわけです。

この時代に入って、「近体詩」ができあがってきます。盛唐、まさに日本が奈良時代に入っていくころ、「詩仙」李白、「詩聖」杜甫、「詩仏」王維などが出て来ます。その他で有名な詩人と言えば、孟浩然でしょうか。

中唐、日本が平安時代に入ってくると、日本でも有名な白居易が出て来ますね。このあたりが、遣唐使によって伝えられ、源氏物語とか枕草子とかにどんどん出てくるわけですね。長恨歌のあたりは、源氏の桐壺ですし、「香炉峰の雪は簾をかかげて見る」という枕草子の話も、白居易です。

あとは韓愈とかがこの時代。

こんな風に日本との関わりで問われてくる可能性があるわけですね。 

 

大学入試で問われる「詩」のメッセージと情景描写

さて、大学入試ということで考えると、「詩」としての読み取りです。

上記のような知識問題は、出題はされますが決して多くない。しかも、「五言」とか「七言」であるために、散文のような「句法」問題が出しにくい。「構文」つまり、返り点、書き下し問題も単純で、出しにくい。

というわけで、詩の観賞、解釈の問題がどうしても出てくるわけです。

では、こうした解釈にどのように向き合えばいいでしょうか。

構成から解釈を考える~絶句は「起承転結」

 まず、一番わかりやすいのは絶句です。残念ながら、大学入試で問題を作るとなると、短すぎて、前後に文章がついたり、その他の文や古文と組み合わさったりということが起こってしまいますが…

まあ、とりあえず、ここで考えてみましょう。

「起承転結」というのは、以下のようなことですね。

起…詩を起こす。

承…それを承けて展開する。

転…視点や出来事を変える。

結…まとめる。

つまり、ポイントは「転」です。

「起承」と何かを展開させていたものを、「転」にする。変えてしまう。

こうなると、どう変えるかといえば、

たとえば、

「起承」…自然の事物→「転」私は…

「起承」…うまく行っている友人→「転」それに対して

なんていう風になるはずなんですね。

冷静に考えると、漢詩が難しいのは、序盤戦で「自然の景物」を詠んでいるにも関わらず、どこかで突然、作者の状況に「転」じてしまうからなんです。

分量的にも長い前半が、実は何のためにあるかわからない。後半に来て、ある語句から、「ああ、これは〇〇についての詩なんだ…」とつかまないといけないわけです。

序盤で、「これは自然の美しさを詠んでいる詩だ…」と思ってしまうと、それ自体が間違いではないのに、「転」に値する、転回点を読み飛ばしてしまったりする。

だから、漢詩を読む時には、「これは何を詠んでいる詩か」ということを意識しなくちゃいけないし、それはタイトルと後半にあることが多いんです。

情景と心情の対比~律詩や排律の解釈は?

絶句が「起承転結」の「転」があるおかげで、後半にポイントがある、ということが言えるとして、では、律詩などはどうなるでしょうか。

律詩の場合、頷聯と頸聯が対句になるという決まりはあっても、それ以上の構成を表しているものではありませんから。

しかし、考えてみると、詩というものは、基本的に、

情景と心情

で出来ているといってもいいでしょう。

つまり、自分の心情を情景に託して詠んでいく、ということです。

律詩や排律などの場合は、長くなっていることもあり、対句を使って詩としてのリズムをより整えていきます。

たとえば、「流水対」なんていう言葉があるんですが、つまり、2句の対句ではじめて、ひとつの事を表している、ということなんですね。

そもそも対句というのは、セットです。だから、基本的には、違う物事を詠んでも同じ型にあてはめている以上、この2句は、同じような違う情景を詠んでいたり、同じ状況にある違うものを詠んでいたりするケースになってくる。

つまり、この対句の間では、状況は転じない。

だとすると、やはり、

「序盤戦で状況や情景→頸聯以降で自分の状況と心情」

「首聯、頷聯、頸聯まで情景→尾聯で自分の心情」

「序盤で自分の状況→そのあと情景に心情を仮託」

などというケースになるのではないでしょうか。

すごくシンプルにまとめると、

序盤に、情景描写をしておいて、「それと自分を重ね合わせる」「それと対比して自分を置く」というようなことです。

情景描写と書きましたが、「友人との対比」というのも漢詩ではよく見るパターンです。あるいは「現在と過去の対比」「都と今いる場所の対比」などもみますね。

あくまでも、私の経験則でしかありませんが、対句の中でこの対比が起こるケースは少なく、前半と後半とか、尾聯とその他というような形で、対比になることが多いと思います。

いずれにしても、漢詩を鑑賞する場合、その詩のメッセージのポイントがどこにあるかをつかまなければいけません。

情景描写からは「美しい」とか「さびしい」とか「荒廃して悲しい」とか、そのぐらいの心情を感じ取るのが限界で、そこに重なってくる作者の状況を読み解くのは難しいと思います。

むしろ、早く、後半まで行き、どれだけ主眼となる状況を表す語彙を見つけられるか。

ここに勝負があるんですね。

都と故郷「都を離れて故郷に行く」それが悲しいのか、うれしいのか。

昔と今「昔、栄華を極めて場所が、今はこんな風になってしまった」

「戦争に駆り出されるむなしさ」情景と状況の対比

友人と自分「君に比べてこんな風になっている自分」

などなど。

もちろん、排律のよに長くなってくると、詩が物語のように展開していくことになります。白居易の「長恨歌」なんて、そんなパターンですよね。まあ、こうなってしまうと、半分「物語」ですから、何があったかを物語のように読まなければいけなくなります。

こういうことも漢詩ではありがちではあります。

というわけで、漢詩自体の解釈は「絶句」の構成から理解するやり方をもとに、律詩や排律では、もう少し柔軟にとらえつつも、応用して理解するのがおすすめ。

つまり、「情景と心情」「状況と心情」というあたりを、できるだけ早く、後半から見つける、ということですね。

このテーマとなる語を見つける練習ができると、漢詩にはかなり強くなれると思います。

その意味では和歌の解釈にもやはり似ていて、「訳よりは言いたいこと・メッセージ」という心構えが必要だと思います。