おもしろい古文の話と題して、古文常識を追うシリーズは、入試前なので先に知識系のものを片付けたいと思います。今日は月の異名と、月の満ち欠けの話です。
古文常識シリーズの第二回は「月の異名」と「月の満ち欠け」を扱いたいと思います。それぞれどんな形で入試で問われるかも考えながら説明していきましょう。
月の異名と季節の関係
今日は月の異名と月の満ち欠けについてです。特に月の異名については、検索したら、たくさんのページが出てきましたから、ここにたどりつくまでに別のページに行っているかもしれませんね。
では、そうはいってもまずは覚えないと始まりませんから、覚えてしまいましょう。
覚え方はいろいろあります~「向きや、ウサミ、フッ、鼻が獅子!」
検索したら、いろいろな覚え方が載っていてびっくりしました。好きなもので覚えてもらえばいいのですが、私のような古い人間は、
「向きや、ウサミ。フッ、鼻が獅子!」
で教わりました。
たぶん、かなりいじめ的な覚え方になっているんですけど、「ウサミ」くんを、関西弁で「向きや」と呼びかけて、振り向かせたら「フッ」って笑って「鼻が獅子」、つまり、「豚みたいな鼻だ」といって笑うわけです。かなりいじめです。ウサミくんごめんなさい。
でも、昔はこうやって教わったんですよ。
というわけで、
- む…むつき 睦月
- き…きさらぎ 如月
- や…やよい 弥生
- う…うづき 卯月
- さ…さつき 皐月
- み…みなづき 水無月
- ふ…ふづき・ふみつき 文月
- は…はづき 葉月
- な…ながつき 長月
- し…霜月
- し…師走
となるわけです。
まあいいんです。覚えてくれればね。0655のダジャレde1年間はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=TzfDbTO16qo
でも、残念ながら、こういうのが試験で問われるのは、学校か、あるいはちょっと言葉は悪いけど、レベルが低めの大学であって、難関でこれらのことが直接問われることは見たことがないですね。
1・2・3月が春ってどういうこと?
さて、入試で意外と必要になってくるのは、これらが季節と密接な関係にあるということです。
実は、上から1月、2月、3月となるわけですが、これが3カ月ずつ、季節を示しているわけですね。
これ、どういうこと?ってなる人がいます。言われてみると、立春とかって、2月の頭なわけで、ここで春とか言われてもピンとこないなんていう人もいると思いますが、これは旧暦と新暦、太陰暦と太陽暦の違いであるということなんです。
シンプルにいうと今と季節がずれているというか、今の1月は昔の1月ではない、ということなんですね。
じゃあ、どのぐらいずれているのかというと、それは単純に春夏秋冬を三ヶ月ずつずらしてみるといいですね。
地方によっても違うでしょうが、感覚的には、
春…3・4・5月
夏…6・7・8月
秋…9・10・11月
冬…12・1・2月
という感じではないでしょうか。これをさっきの月の異名に当てはめると…
- むつき…3月
- きさらぎ…4月
- やよい…5月
- うづき…6月
- さつき…7月
- みなづき…8月
- ふみつき…9月
- はづき…10月
- ながつき…11月
- かんなづき…12月
- しもつき…1月
- しはす…2月
という感じになることがわかります。
たとえば、「旧正月」なんて言葉を聞いたことがあると思います。今だと、中国の方が大挙して買い物にやってきたりする、あの時期です。1月下旬から2月ぐらい。中国と日本では暦の運用が違うようですから、昔がそこだったのかは私はよくわかりませんが、感覚的には1ヶ月から2カ月ぐらいずれるというのはわかると思います。
で、2カ月ずれているとすると、名称が不思議なものは不思議ではなくなります。
たとえば、水無月は6月ですが、これは8月。となると、梅雨明けで水がないのは当たり前。「無」は「の」という意味で田んぼに水がある時期、という解釈が一般的なようですが、でも、感覚的にこれが8月か、というのはわかります。
葉月は8月ですが、10月。紅葉の時期ですから、葉っぱの月。
長月は9月ですが、11月。これなら、秋の夜長、というのもわかります。最近、日が暮れるのずいぶん早いし、朝も暗いよね、というのが11月です。
霜月は11月で、1月。11月に霜は降りないけれど、1月なら霜はありますよね?
逆に気をつけないといけないのは、皐月=五月あたりですね。これは梅雨の時期にあたります。だから、「五月雨=さみだれ」とくれば、梅雨の雨を指すことになるし、「五月晴れ」といえば、梅雨の合間の晴れ間を指すことになります。あくまでも古文の世界では、ですが。
ちなみに、ですが、「師走」は先生が走るのではなく、お坊さんが走るようですね。こういのは年末を示すわけで、だから、2カ月ずれることはなく、そのまま。
大学入試では、直接的にこうしたことが問われるというよりは、何気なく書いてある月の異名や「〇月」などというところから、季節を理解して、選択肢を選んだり、空所を埋めたりするような出題が多いような気がしますから、季節との対応をしっかりできるようにしましょう。
月の満ち欠けが名称になる~名称と月が出ている時間の関係
さて、それではもうひとつの「月」です。月というのは、月の満ち欠けのサイクルに合わせて、「月」というわけで、こちらの月の方も考えなければいけません。
太陰歴では15日はいつも満月で十五夜。
もともと、「月」という言い方じたいが、月の満ち欠けを1サイクルとするわけですから、必ず15日が十五夜で満月、というサイクルになるわけですね。
当然、これは1年のサイクルとは狂いがあります。覚えなくていいですけど、約354日になってしまいます。月の満ち欠け自体も厳密には、29.5日です。なので、29日のと30日の日が組み合わさるわけですね。
「そうなると、2カ月どころかどんどんずれていきません?」という方、その通り。なので、「閏月」というのが登場します。ずれてきたら、調節のために一カ月いれちゃえばいいわけです。たまに本文に「閏〇月」みたいに出ることがありますが、このこと。計算するとわかりますが、1年で11日ずれるわけですから、2~3年に1回やらないといけないんで、結構な確率でやっていたわけです。12月終わったあとに、13月を作るわけでなく、年によって、何月のあとに閏月を入れるかは変わります。
いずれにせよ、こうやって、1年というか、季節はずれないで済んでいるわけですね。賢いといえば賢い。
というわけで、旧暦で動く古文の世界では、29.5日ですから、多少のずれはあるにせよ、十五日は常に満月である、ということになるわけです。
じゃあ、一日は?
と聞けば、きっと、新月=月がない、と答えることができますね。
じゃあ、三十日は?
これが結構怖くて、「半分」「半月」なんて答えが出たりするんですが、そんなことが起こると、三十日から一日になった瞬間急に月が消えてしまいますから、正解はやっぱり新月で、月がなくなっていくわけです。
つまり、一五日かけて、だんだん月が丸くなっていき、残りの一五日でだんだん月はなくなっていく、というわけなんですね。
十六夜は「いざよひ」というのは、「ためらう」から。つまり出ていない。
ここまでは意外と理解できるんですけど、問題はここから。
実は、月はずっと出ているわけではなくて、見えたり、見えなかったりするわけです。
この見える、というのは二つの意味がありますね。
ひとつは、地球の陰にかくれて、どこにもないという様子。
そして、もうひとつは、空にはあるけれど、つまり、見えるはずだけど、昼間なので見えない、という状況です。
わかります?理科的な話になるんですけど、太陽の周りと月の周りは違いますから、だからこそ、太陽と月と地球の位置関係で満ち欠けが起こりますよね。
太陽と月が同じ方向にあると地球には月の影しか見えないから、新月。
太陽と月が逆にあると、地球からは太陽に照らされた月が見えるから、満月。
じゃあ、その間は、横にあるわけですね。
太陽と月が同じ方向にあるっていうことは、月は昼間に見えるってことですよね。逆に太陽と月が逆だってことは、月は夜にあるってことになります。
ということは、その間は、半分くらい昼間にあって半分くらい夜にあったり、半分くらい夜にあって半分くらい昼間にあったりすることになりますよね。
ふう。
このあたりは理科ですから、中学受験とか高校受験とかじゃなければ大丈夫です。わかんなくても。
大事なことは、次の話。
満月のときは、太陽と逆にあるから、つまり一晩中(昼と夜の長さで変わりますけど)、空に月が見える。
逆に新月のときには、太陽の方にあるから、ほとんど昼間に月がある。月は細いは、ほとんど昼間に見えるは…ということ。
そうなると気になるのは、一六日になると月がどう出て来るのか、ということですね。
これ、だんだん月が出て来るのが遅れてくるんですね。
どうやって覚えるかというと、
十六夜を「いざよひ」というんです。なんだか、アニメにそんなキャラクターが出てきそうですよね。この「いざよひ」、「ためらう、躊躇する」という意味なんですね。つまり、月がちょっとためらってから出て来る。なので、一六日はこんな名前がつくわけです。
さらに、ここから
- 立待月
- 居待月
- 臥待月、寝待月
と続きます。
立って待っていると出て来る月、立っていると疲れるから座ったころに出て来る月、座っているのも限界で横になったら出て来る月、です。
「居る」は古文では「座る」。「居ても立ってもいられない」といいますが、「ここにいることも立っていることもできない」って変でしょ?「座っていることも、立っていることもできない」ですね。
こうやって、月はだんだん遅く出てきて、(もちろん、朝になっても上空に月はあるわけですが)月末になると、ようやく明け方に月が出て来る。つまり、ずっと月はなくてようやく朝に出て来るわけです。
こういうのが「有明の月」です。まあ、朝にあれば有明の月ではありますので、一六日以降、月末まで月は朝に見られるわけです。
三日月はどうして同じ向きで書かれるのか?有明の月を理解しよう!
この意味、わかります?一日から一五日までは、朝に月がない、ということです。なぜかというと、そのままずらしていくと、今度は「夕方にようやく月が見えてすぐ沈む」状況になるからです。
そこから、徐々に月が空にある時間が長くなっていく。七日のころには、「夕方に月が天高くあり、そして夜中に月が消えていく…」という感じ。
そして、一五日は夜の間中、月がある。
これ、逆にいうと、「明け方には月がない」ということになりますよね?つまり、「有明の月」が見られるのは、月末(厳密にいえば、月の後半)であるということ。
これ、一回明治で出たことあります。入る月の名称選ばせるんですけど、何が根拠かっていったら、日付なんですね。
さて、これ、一方で三日月の話でもあります。
三日月ってどういう絵を描きます?これ、必ず、こうなんですよね。
不思議じゃないですか?
「いや、三日の月なんだから、向きは同じだよね」ということではなく、月は同じように今度は欠けていくわけですから、欠けるときは向きが逆になるはずですから、逆向きを「みかづき」と認識してもよくないですか?
つまり、あなたが古典を勉強して、「みかづき」は「三日の月」だから、逆向きになるはずかない!といっているならともかく、要するに月が欠けている状態で妖精かなんかが座るものだと思っているなら、逆向きの絵があってもいいと思いません?
これ、何でかというと、「有明の月」と関係があります。
三日月の反対は、たぶん二七日の月でしょうから、その時の月の位置です。十六夜から始まり、立待、居待、臥待、と来てしまいましたから、月は一向にあがらず、ようやく明け方に出て来る。この月が三日月の逆向き。
でも、三日月は、今度は「夜になったら見えるけどすぐ沈む」ですよね。
ぼくらが意識しているのは夕方。夜は寝ちゃうし、月なんか見ない。まして明け方に月なんか見ない。
かくして、ぼくらが目にするのは、月が満ちていく途中の「三日月」だけ。だから、絵にするとみんな同じ向きになるわけですね。
ちなみに半月は「弦月」、つまり、弓矢に弦を張ったような形だからです。
上弦の月、下弦の月という言葉がありますよね。上に弦があれば上弦、下に弦があれば下弦ですね。
そもそもなんで、弦の向きが変わるかというと、中心からの角度ですね。
なぜ、上弦かといえば、これは上旬の月だからですね。つまり、出ているのは、月が中心に向かっておりてくるイメージ。このときは三日月と同じで、左側に月がありますね。つまり、降りてくるときは円の中心に月の線があるわけですから、当然月は下側になります。
逆に下弦、下旬の月は、のぼってくるわけですね。右側に円の中心があるわけで、そうなると、左側にある月は上にあるイメージになります。
なんですけど、これ、上旬だから上弦、下旬だから下弦と覚えても何の問題もありません。
というわけで、今日は月の話でした。