国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

おもしろい古文の世界~古文常識を知ることの意味、数字のお話

入試が近づいてきたところで、入試でも必要とされながら、入試からもしかしたら遠いかもしれない、古文の世界を解説していきたいと思います。

授業をしていると、どうしても説明しなければいけないのが古文の世界の説明です。具体的に入試で出題されたり、そのことを知っているかどうかをベースに設問が作られているケースもあります。そして、当然、作者は自分の「常識」に基づいて、説明する必要のないものは説明せずにいるわけで、私たちは教科書や問題で作品を読む時、「注」という形でそれを理解していくことになるわけです。

これ、「入試問題で問われる」という感覚で覚えていくと、というか覚えないといけないんですけど、すごくつまらない部分で、「なんでこんなことやらないといけないわけ?」みたいな感じになるんですけど、「入試」という要素をとりのぞいたときに、読んでいて、知って、一番おもしろいのがこういう部分です。

個人的に古文がおもしろいのは、やっぱり、「昔なのに今と同じようにこんなこと思うんだ」とか、「今と違ってこんなふうになるんだ」とかで、前者だっておもしろく感じるのは、「今と違うのに同じなんだ」ってやっぱり「違う」部分が出て来るんですよね。

というわけで、新たなシリーズを展開してみたいと思います。

 

入試に必要な「知識」と「常識」~古文のおもしろさは…

とはいいながら、入試が近づいてくると、どうしてもまずは「知識」のようなものを入れたくなります。

たとえば、月の異名であるとか、方位や時刻であるとか。官位もそうだし、衣服や調度品などの名前であったり、読みであったり…

それ自体もそうですが、そこからたとえば、行事とか節句とかといった生活に基づくものが、問題に関わってくるようになりますが、さらにはたとえば通い婚とか恋愛のありようとか、そういった古文の常識が入試の突破に必要となることもあります。

これはある意味で間違いのないことで、その古文常識そのものが知識問題のように入試入試で問われることもあれば、直接問われているわけでなくても、ある程度の古文常識があるから本文や設問が理解できるようなこともあります。

かくして、世の中には、「古文常識」の参考書ができるわけです。で、古文のためにまたやることが増えていくわけですね。で、そうなっていくと、また古文の嫌いなポイントが増えていくことにもなるし、「そんなこと知らなくてもいいよ」みたいなことにもなっていくわけです。

でも、本当は、古文が面白いのは、こういう今とは違う何かがそこにあるからで、古文の常識を知っていなくちゃいけない、という感覚より、「へえ~、昔はこうだったんだ」ぐらいの感覚がより大事なんだと思います。

だから、できれば、これから書いていく古文常識は、「入試のために覚えるもの」というよりは、「昔とは違う古文のおもしろいところ」という感じで、展開できればいいなあ、と思っていたりはします。

そうはいいながら、入試に出たり、必須であったりする以上、きっとつまらない話もしだすと思うんですけどね。

必要な知識の背景も、ただの暗記にしなければ、おもしろいことが多い!

というわけで、このブログでの古文常識は、できるだけ「おもしろい話」を見つけて紹介する形で展開したいと思います。

まあ、どこまでおもしろいと思ってもらえるかは私の腕しだいですから、少々不安ではありますが…

でも、いつも学校の授業で扱っている教材や、学校では時間の関係で、「こんな話もあるんだ」としか紹介できないものを少しでも紹介していければなと思ってはおります。

で、いわゆる暗記系と思われがちな古文常識に関しても、少しでも意外な面に気が付いてもらえたらいいなあと思っております。

というわけで、今日は「数」のお話です。

 

「七」は何て読むのが正解?

まずは「七」って何て読みます?

一、二、三、四、五、六、七、八、九、十…って続くときの、「七」です。

「なな」ですか?

「しち」ですか?

それとも両方正解ですか?

正解は、

いち、に、さん、し…と読むなら、「しち」です。「なな」は間違いになります。

何でかって?

それは、数を和語で数えるとわかります。

ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ…

ですよね?

つまり、これが和語、訓読みだということです。

いち、に、さん、し、ご、ろく…というのは音読み。中国語の音に近い読み方です。

日本人は、日本語をしゃべり、中国人は中国語をしゃべる。私たちは中国語を理解できないように、日本語と中国語は似ていないし、文法的にもまったく別の言語です。

でも、ぼくらの祖先は、日本語を書く文字を持っていなかったために、「中国語を使って日本語を書く」ことにしました。

www.kokugo-manebi.tokyo

つまり、中国人の発音に近いのが、「いち、に、さん、し…」の方で、もともと日本人が使っていた、言い換えれば中国人がわからないのが「ひい、ふう、みい…」という数え方。となると、「ななつ」というような「なな」は訓読み、和語だということになります。

「…ご、ろく、なな…」と読むのは、おそらく「いち」と「しち」をはっきり区別するためのテクニックなんだろうと思います。

たぶん、こっちは大丈夫だと思いますが、「四」は「し」が音読みで、「よん」が訓読みですね。

さて、そうやっていくと、「じゅう」が「とう」になるまでは大丈夫ですね。問題はそのあとです。

あんまり意識していないから、どうしてもそのあとは「じゅういち」という読み方しかないし、つまり、ここから先は音読みしか存在していないわけですね。これ、意外と大事な話で、もしかしたら日本人は大きい数を数えていなかったんじゃないかっていう話でもあります。

でも、そうはいっても、30までは、日にちがありますから、どうも言えたんじゃないかっていう話でもあります。

というわけで、どうも「とう」「あまり」「ひとひ」みたいな感じで数えていたんじゃないかっていうのが有力です。「あまり」をつけて、あとは「ひとつ、ふたつ、みっつ…」みたいな感じで足していくわけです。

そうなると、気になるのは、「二十」ですね。これ、なんて言うんでしょうか?

知ってますよ、きっと。

そうです。「二十日」は「はつか」ですよね。「~か」というのは「~日」ですよね。そうすると、「はつ~」というのが、どうも「二十」ではないかと気がつきます。となると、もう少し私たちが知っている日本語がありますよね?「二十」といえば、「はたち」。というわけで、「はたち」とか「はた」とかが「二十」です。

と気がつけば「三十」は「みそぢ」で、「三十日」が「みそか」ですから「みそ」とか「みそぢ」とかですね。四十は「よそぢ」か「よそ」、五十は「いそぢ」とか「いそ」だろうなと。

じゃあ、百は?

そうですね。これの他の読み方を考えればいい。そうです。「もも」ですね。

じゃあ、千は?別の読みです。

そうです。「ち」です。

じゃあ、万は?別の読みですよ。

そうなると「よろず」ですね。

こんな感じ。

八百屋は、「やももや」で「やおや」、八百万は、「やおよろず」ですね。

「君が代は千代に八千代に」は「ちよにやちよに」ですね。

でも、考えてみると、これ、必ず、「八」なんですよね。末広がりで縁起がいいんですけど、そこに「百」つけると「八百=やお」、「千」で「八千」で、さらに「八百万」ですね。

なので、どうもちゃんと数を数えているわけではなく、とにかく数が多いことを指しているだけのようなんですね。

たぶん、一ヶ月が30日ですから、なんとかここまでは数えたっぽいんですけど、そのあとはかなりいい加減に「多い」という意味で、さまざまな単位を使っていたんじゃないかというのが有力であったりはします。

というわけで、今日は数の話でした。最初は、おもしろい話よりは、まずは覚えなきゃっていうあたりからはじめます。