久しぶりの漢文句法です。ここまで、基本的な句法で1周してきました。ここで2周目。やや応用的なまちがいやすいところを確認していきます。
漢文句法を全部終わらせたわけではないので、入試間近ではありますが、最終的な確認に入ってみたいと思います。
今日の話は、基本事項がある程度入っている前提です。もし、不安だったり、はじめてこのサイトを訪れたという方は、ここまでの漢文の講義全部、どうしても簡易で済ませたい方は、最低限、次のものを読んでおいてください。
それでははじめていきましょう。
否定の句法を補強する~「無~不~」と「無~無~」。
句法というのは、
「ある漢字を見たら、どう読むか、どういう意味になるかのパターンを覚える」
ということです。
実際、送り仮名をひとつ間違うだけで、平気で×をつける感覚です。だから、「暗記」であることは間違いないんです。
ただ、こうなると、「ある漢字を見たら、絶対に意味や読みが決まる!」と思ってしまうんですが、意外とそうでないケースがあるんですね。
その典型例が、
無~不~
と
無~無~
のパターンになります。
これらのさまざまな可能性を見ていきましょう。
単純接続 「~無くんば~ず」
まず、一つ目の可能性は、二つの文が単純につながっている、という可能性です。
無本、不読。
のような形であれば、前半が「本無し」。後半が「読まず」ですね。これをつなぐと、「本無くて読まず」のような形になりますが、漢文は、この時「~ば」を送って、
「本無くんば読まず」
のような形にすることが多いんです。
「~ずんば」「~くんば」というのを呟いて、覚えてもらうといいというのは、前回の否定形の時に書きましたね。
「不(〇)不読む」のようなときに、
「読まずんばあらず」みたいに読むんだよ、という話です。
無人、無会。
みたいなことになれば、
人無くんば、会無し。
人がいないので、会は無いです。
というような感じです。
「~として~ざるは無し」
つづいて、「無」のあとにSVがくるようなイメージがこれ。
無人不助。
のような形。この場合は、無(人不助)と見た方がいいですよね。(念のため書きますが、これは意味が適切なようにとる、としかいえません。もちろん中国語ができれば、「ありえない」などの説明があるのかもしれませんが、そういう知識を使わないとすれば、可能性を探って、文中の意味としてありうべきものを選ぶしかないと思います。)
「無」は下が主語ですから、
(人不助)がない
ということです。
この時、( )の中を(人助けざる)としてもいいのですが、意味を考えると、「人はみな」というようなニュアンスではないかと気づきます。
したがって、この時、
人として助けざるは無し。
というように送るんですね。ポイントは「として」と送ること。そして、その「人」の部分は、一般的な名詞になります。
たとえば、私が適当に作ると、
無先生不教。
先生として教えざるは無し=先生で教えない者はいない=先生はみな教える。
無花不咲。
花として咲かざるは無し=花で咲かないものはない。=花はみな咲く。
というような感じです。
これは、「無~無~」にしても成立します。
無花無実。
花として実無きは無し。=花で実がないものはない=花にはみな実がある。
というような感じです。
じゃあ、これを、「無花、無実」と解して「花無くんば、実無し」と読んではいけないのか?いや、意味が成立すればありですね。
ただ、意味はふたつで変わります。こちらは「花がなければ実がない」です。どちらが本文に合うのか考えて、解釈する必要があるわけです。
「~と~の区別無く」
これで終わればいいのですが、もうひとつまったく同じパターンが存在します。このパターンは、
「無~無~」
だけではありますが、次のようなもの。
無貴、無賤。
という形です。
この句法のポイントは、
無貴、無賤。
という「貴」「賤」のところが対義語になる、ということです。
貴と無く、賤と無く
高貴な身分の人と、身分の低い人との区別なく
という読み、訳になります。
これは、まとめて、
無貴賤、
貴賤と無く
貴賤の区別なく
というように使われることもあります。
少長=若い人と年長の人
とか、かぎられたパターンではありますが、覚えておいてくださいね。
反語句形と詠嘆形
部分否定と全否定の話は覚えていますか?
A 不必歌。
B 必不歌。
という語順で、意味が変わるという話です。
Aは 不(必歌) ですから、(必ず歌う)ということが違う。つまり、毎回必ずは歌いませんよ。
Bは 必(不歌) ですから、(歌わない)ということが必ず。つまり、毎回必ず絶対に歌わない。
でしたね。
今回は、この例外パターンから始めます。
「敢不歌」と「不敢歌」
この「敢」だけはまったく、意味が違う形になります。「あへて~ず」というのは、古文でも出てきますが、「決して~ない」、または「あえて(意図的に)~しない」というような意味でとりますね。
その意味になるのは、
不敢歌。
敢えて歌はず。
決して歌わない。
です。
では、語順が変わった「敢不歌。」はどういう意味かというと、
敢不歌。
敢えて歌はざらんや。
どうして歌うだろうか、いや歌わない。
という反語句形になります。反語は、「~ん(や)」ですから、これは大事なところです。だめな人復習ね。
これ、覚えにくいですよね。私が教えているときにあげているポイントは、
- まず、「敢不歌」「不敢歌」が例外であることを意識する。
- 反語と「決してない」という訳だけ覚える。どっちがどっちかはまず忘れる。
- 「敢不歌」を思い出して、反語といえば出て来る「豈」を思い出す。「豈」は文頭にあるから、「敢」も文頭にあるのが反語。
という形で教えています。いかがですか?
ところが「豈不~」のパターンは詠嘆形。
となるんですが、じゃあ「豈」は全部「豈に~んや」という反語形かというと違うんですね。
豈不大丈夫乎
のような感じで「豈不~」となった時には、詠嘆形ですね。
豈に大丈夫ならずや
と読んで、
なんと立派な男ではないか
というような訳になります。
これは、簡単にいえば、反語形と同じですよね?
仮に反語ととった場合、
豈に大丈夫ならざらんや
となり、
どうして大丈夫といえないか、いやいえる。
となりますから。
でも、これを詠嘆形として、最後を「んや」にしない決まりになっている以上、詠嘆形でとる必要があるわけです。
これを理解するのに、大切な句形は、
亦不楽乎
亦た楽しからずや
なんと楽しいことではないか
ですね。さきにこっちの句法を頭にいれておけば、「亦」と「豈」が変わるだけですから、そんなに問題がありません。
ここで、前提となっている古文の知識は、
疑問は反語で、そして詠嘆であるということ
です。
というわけで、もうひとつ詠嘆句形を出しておくと、
何(其)多能也。
何ぞ(其れ)多能なるや。
なんと多くの才能があることよ。
という形ですね。さっきまでのものは、全部「不」が入っていて、それを文末で「~ではないか」というようにやっていたわけですが、肯定文でも、当然詠嘆できるわけですね。
「何不~」と「蓋~」は「んや」でないけど反語形
今、「何」を扱ったところで、もうひとつ注意が必要なのが、「何不~」「蓋~」の形です。
反語の文末は「ん(や)」と教えてきましたが、唯一の例外がこれ。細かい理由はわかりませんが、慣習としてこうなっているとしか言いようがないかもしれません。
蓋歌
は再読文字で、
蓋ぞ(なんぞ)歌はざる。
でしたよね。私は語呂合わせで、「去る」とか「皿」とか見つけて、「見ざる・言わざる・聞かざる」連想しろと教えます。だから「~ざる。」
これと同じなのが「何不~」と覚えるのがいいと思います。で、反語です。
最後に残って、試験で得点するのは、「漢字」。次回以降の予告。
以上で、だいたい試験に出やすい句法はカバーできたと思います。ここから先は漢字の問題が入ります。
私は漢字を、
- A覚える
- B日常
のふたつにわけて説明していますが、少なくともAは覚えなければいけません。で、Aを分解すると
- 違う漢字を覚える。=句法の( )の中に書かれている、それ以外の漢字を覚える。
- 旧字を覚える。=覚えるといっても、眺める程度。国公立二次などでは特に重要です。
- 同訓異字を覚える。=同じ読みだけど、漢字によって意味が異なるケースがあります。こういうものを覚える。
- 句法に関わる頻出漢字を覚える=「与」とか「如」「若」とか「自」のようにいろいろな使われ方をする漢字を覚える
という形になっていきます。この漢字の説明は下手をすると、ただリストを作るだけのようになりますから、どのように進めるか考慮中です。リストだけなら、書店で参考書を買ってもらった方がいいでしょうし。
でも、これが一番得点になる部分で、大事だということを理解して学習を進めましょう。