国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

共通テスト「国語・記述問題」をどう対策していくか?2021年度入試

今年が最後のセンター試験で、来年からは共通テストとなります。その共通テストの国語・記述問題に対して、どう対策していくかを考えてみたいと思います。

共通テストが次の次になったということは、高校2年生が残り時間でこの準備をしていく、ということだと思います。今日は、共通テストの記述部分にスポットを当てて、どう対策していくかを考えてみたいと思います。

 

共通テストのレイアウト:科目、配点、時間など

まずは、共通テスト全体のレイアウトですが、ほとんど変わりがありません。もちろん、時間割が発表されていませんから、これから時間割が変わる可能性はありますが、選択できる科目とか、1科目の長さとかは変わらないようです。

で、その中で変わることが3つ。

  1. 英語が、筆記200点、リスニング50点から、筆記100点、リスニング100点に。時間は今まで通り。
  2. 国語の成績提供が原則として国語として行われる。「漢文をのぞく」というような設定が、原則的にできなくなる。
  3. 国語に記述部分が200点80分の外に追加。この部分は段階評価で出され、大学がどう扱うか決める。

といったところです。

国語の記述をどう扱うか、まとめたのは、こちら。

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国大協は、基本的に記述部分を使うという基本方針を決めているわけですね。私もそうですけど、「英語4技能外部検定を原則的に課す」というのばかりをとりあげていますから、他のがかすむんですけど、この記述部分、国大協は「原則として使う」なんですね。今のところ、主要大学では東北大が「使わない」ぐらいですね。ただし、「ボーダーでは使う」です。まあ、国立は使う方向で決めたんですからね。

こういう方針ですから、とりあえず、国立志望者は、この記述、200点にプラスアルファされる部分をやるしかない、ということになります。

では、国語の記述対策について、考えていきましょう。

国語の記述問題の基本方針

さて、直近の共通テストの試行調査について、まとめたのがこちら。

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平均点がだいたい50%ぐらいなんですが、どうもこれは狙っているらしい。大学入試センターの文で気でも狙い通りとなっておりました。

 で、上にも書いていますが、ここまでずっと実用的文章を出してきたのが、直近は評論でやってくれまして、くぎをさされた形となっております。

「どっちだかわかんないからね」ってことでしょう。

私としては、この記述部分はどっちでもいいんですけど、むしろ200点の評論部分が代償として、実用的な文章になったりするなら、大変なことですね。

こちらのほうが大事になるような気がします。

いずれにせよ、記述にどういう対策をとるかということですが、これは自己採点のマニュアルがありまして、まず、これで、どんな採点をするかがわかります。記述の採点のブレの怖さを指摘する声も当然あります。でも、「だから記述は実施できない」と考える人は、代わりに「答えをひとつにせよ」と言っているわけで、そんなことのために記述を課せないなんてことはないし、この形式を見ている限り、正しく行われるかどうかは別として、十分可能なはず。

まあね。「公正さ」とか錦の御旗のように掲げたくなる気持ちはわからなくないんですけど、そんなこといったら、小論文とか東大の現代文なんてどうすんじゃ!って感じ。確かに公正さは大事ですから、きっと反論のしようがないんですけど、だから記述は出すなとか、できるかぎり公正にせよ、といって、記述問題そのものを否定するような議論は建設的ではないですよね。

ということで、そのあたりはこちら。

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私からすると、字数オーバーしても、足らなくても許容するよ、っていうのはどうだろうと。普通、基準を満たさなければ採点しませんからね。まあ、でもそれ以外は、そんなに難しいことではないですよ。

もちろん、記述を出して、しかも40万人規模でやれば、予想していないイレギュラーな解答も出るでしょうね。だから「課題がある」っていうのはわかりますが、それを「記述は採点できない」と拡大するのはね…。

こればっかりは好みというか、「試験観」とでもいうべきもので、私はこの記述がいいかではなく、記述出さないとダメだとは思っているので。

「誤字・脱字」は意味の影響あるかどうか

さて、そういう中で、結構衝撃が走ったのは、「誤字・脱字」は許容する、とでもいうべき方針です。誤解を恐れずに書けば、意味が通じれば減点しない。書こうとした内容があっていれば、誤字脱字は気にしない、という方針。

本当にこれでいいのか、ということではありますが、こうなりました。こうなった以上、ちゃんとやってくれれば「公正」なわけで、文句はありますが、仕方ないですね。

ただし、意味が変わってしまうような間違いはダメ。たとえば「雨が降らない」を「雨が降る」と書いちゃった場合は、内容が変わりますからバツ。そう考えると、順接と逆接を間違えるようなこともダメ。また、レアケースだとは思いますが、字を間違った結果、違う熟語を書いてしまい、意味が変わった場合もバツの可能性が高いですね。たとえば、「現行」と書こうとして「原稿」になったらバツでしょうね。

基本方針は、「条件」に合うかどうか

というわけで、採点は、字数と、要素。これがそれぞれ「条件を満たす・満たさない」とチェックされていき、結果として解答の評価が決まるわけです。

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国語の解答例のPDFをみてもらえば、自己採点ができるように解答の要素が発表されています。ですから、要素をしっかり拾ってくればいいわけですね。こういうある意味で非常に簡単な問題になっています。

これらは、文理を問わず、大学に入ってからの「書く力」を見るための試験だと考えられます。

そこで問われているのは、与えられたものを「理解し」「条件にしたがって書く力」というこれだけ。

私立大学や国立大の二次試験がこれだけでいいはずもなく、したがって、対策は必要だとしても、こんなことばかりを国語でやるということではないのだと思うんですね。

 

どんな対策が考えられるか?実用的な文章の対策はいるのか?

というわけで、「対策」はどうすればいいのか、考えましょう。私は問われているのは、次のことだと思います。

  1. 与えられた文章や資料を読み取ること。
  2. 読み取ったら理解すること。つまり、自分の言葉で説明すること
  3. 説明というのは、例をあげたり(具体化)、まとめたり(抽象化)すること。
  4. それを条件にしたがって指示通り書くこと

ではないでしょうか。

こうやって考えてみると、1のところで、「資料」と入るのが、国語っぽくないですが、それ以外は、すべて国語ですよね。

仮に、資料が出たとして、会話文中の討論のようなものであったとして、私からすれば、小論文指導で、たとえば理系の小論文やSFC、環境情報や総合政策ではもっと難しい内容でやっているわけですから、やっぱりまったくやっていないというようなことは、ないと思います。

まあ、先生によりますし、それ以上に授業の受け方によりますね。

国語は「演習型」だと思います。やってみる、書いてみるということですね。それを、先生の説明を聞いて覚えるという「まとめ型」にしていると厳しいですよね。

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でも、ちゃんとやっているとするなら、おそらく高3になってから、模試とかに合わせて、実用的な文章(とはかぎりませんが)で、練習すれば十分だというのが感触です。

逆にいえば、日頃の授業から、次のようなことを意識していないといけないということをまとめておきます。

対策1:要約は「写す」から、「自分の言葉で書く」へ。

これはいつも書くことですが、「写す」という要約はまったく意味がありません。

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つまり、教科書、テキストを開いて、重要なところに線を引いて、その表現をとってきて、きりとってつなぐ、という作業を、今すぐやめましょう

これでは、わかっていないんです。

要約とは、大事なポイントを頭の中に入れること、それを自分の言葉で説明することです。

いつも書く例ですが、映画を観に行って、「どんな話だった?」って聞かれて、DVD再生しながらじゃないと説明できない…なんてことないですよね?授業聞いて、「どんなことやったの?」って聞かれて、先生の台詞を再生しないと説明できないとしたら、要は「わかってない」っていうことですよね?

だから、これは自分の頭の中に入れて、自分の言葉でアウトプットする練習が必要になります。それが、このあとに説明する具体化、抽象化の話とセットになってくるわけです。

対策2:「段落分け」は必須。でも、構成がわからなければ、分けたとは言わない。

見ないで、要約をするためには、文章のポイントが頭の中に整理されていなければいけません。

これはマインドマップ的思考方法です。マインドマップを使うかはともかく、これができなければ要約はできません。

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段落分け、といいますが、たとえば意味段落で句切ることができたとして、その意味段落に番号をつけて「第一段落、第二段落、第三段落…」としたところで、それはマインドマップではないし、整理されているわけでもないし、つまり読めているとはいえないんです。

たとえば、そこは「例」なのか「まとめ」なのか。あるいは「「まとめ」をまとめた」要約段落なのか。逆のことを書いているのか、同じことを書いているのか。

こういうことを説明できて、はじめて段落分けをした意味があるんですね。

これができれば、要約を自分の言葉ですることができるはず。

段落相互の関係と役割がわかっている状態になるからです。

理由を示す部分がわかったり、具体例を示す部分がわかったり、反証している部分がわかったり…ということですね。

こうした関係が読めてくれば、今回の共通テスト記述部分は、ほぼ怖くないと思います。なぜなら、こうしたことをひたすら条件として示しているだけだからです。

対策3:「わかりやすくする」に、「具体的にする」こと、と、「もっと抽象化する」こと~要は「自分の言葉」

さて、条件と書きましたが、共通テストの記述部分が要求しているのはおそらく他人に伝わるように「わかりやすく」書くことです。

このわかりやすくするというのは要は「自分の頭で考え、自分の言葉で書く」ということです。この力をひたすらみているともいえます。

わかりやすく書くためには、異なる2種類の方法があります。

ひとつは、まとまった一言の表現を、具体例などを使ってわからせること。

もうひとつは、本文の表現を、もっと本質的な簡単な一言にすることです。

上は、具体化であって、「たとえば」というわからせ方。

下は、抽象化であって、「つまり」「要するに」というわからせ方。

どっちもできないとだめですよね。

これ、試行調査あたりでも大事なやるべきことになっていますよ。本文そのままは抜き出せない。ここを書けばいいんだ、ということはわかるけど、具体例をわかりやすい言葉にまとめないと入らない。正解例には、具体例をそのまま使うのも入っていましたが、少なくとも本文をそのまま抜き出すわけではないですね。

これが、自分の言葉で、わかって書くということです。

普段の国語の授業でいえば、ここまで書いてきたように、本文を見ないで、本文を頭にいれた状態で、自分の言葉を書く問題を作ることが大事でしょう。

対策4:小論文対策は、きちんとやるならこれに重なってくる!

これって、要は小論文対策と同じです。

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ここまでも書いてきましたが、現在の小論文指導で一番感じるのは、どこで身につけたか、教わってきたか知りませんが、次のふたつのパターンの多いこと!

  1. どんな問題でも「筆者の意見に賛成(反対)です」 「それは~だからです」「反対の人は~だと言いますが、それは次の理由で間違っています」「以上のように賛成です」のパターンで押し切る=問題の指示とか指定が守れない。
  2. 「本文をふまえて」「あなたの意見を書け」と言われると1以外では、まず、「本文の要約」を書き、「それに対して…」と「自分の意見を好き勝手に書く」

もう、この2パターンばっかり。

あきれるぐらい、このふたつ。

前者、1が、本文をとにかくなぞって、なんとか書ききるケース。これ、指示がなければいいけど、指示があったら、完全に×ですよね。指示にしたがわないと。

後者、2が、用意してきたことをとにかく書くケース。ふまえろって言ってるんだから、筆者が用意したテーマや視点や意見について、書かないと…。

まあ、こんなことばっかり受験生がやるから、国立が業を煮やしてこういう記述問題作るんですよね…。

やることはシンプル。

まずは、筆者の言いたいこと、資料から読み取れることをできるだけ正確に読み取ること。

そして、それは言葉を写すことでなく、自分の言葉で説明すること。

その提示された問題、テーマ、意見について、しっかりとした自分の意見について展開すること。当然、それは問題文の指示通りに。

これだけですね。

これって、ここまで書いてきたことがまず基礎になっていますから、実は小論文対策の基本とここまでは変わらないわけです。

 

受験生の君たちへ!国語は演習科目。頭を使って手を動かそう!

もし、これを読んでいるあなたが受験生なら、授業の受け方を変えてください、というのが一番のお願いです。

国語は演習科目。

ノートの話を結構してきました。

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授業には、「まとめ」と「演習」があるんですね。

先生が説明して、身につけるべきものを解説し、教えてくれるのが「まとめ」。

それを身につけるために問題を解いたり練習したりするのが「演習」。

数学は演習科目で間違いない。歴史とかはまとめ系の科目。では、国語とか英語とかは?

現代文は、圧倒的に演習科目。古典とかだって、長文を読むのはやっぱり演習。単語や文法がまとめだとしても。

だとすると、授業で、先生が誰かを当てて、当たらなかったから、ほっとするようではだめなんです。

「考えろ」と言われたらさされなくても考えるんです。考えられないなら、書くんです。書くことは考えることだから。

「どうせ、あとで先生が黒板に正解を書いてくれるよ。それを写せばいいんでしょ?それが定期試験に出るんだから、それ覚えればいいんでしょ?」みたいなことをやると、今回の改革にはまったくついていけなくなります。

手を動かす。頭を動かす。授業の受け方を変えて、主体的に読まないと大変なことになりますよ。

 

若い国語の先生方へ!「わかること」「自分の言葉で書く」ことを重視して、「本文の語が入っていれば〇、ここを抜けば〇」という問題を減らそう!

というわけで、もし、あなたが国語の教員で、「どうしよう」と思っているなら、私からは決して、共通テストの国語の記述の対策をしてすませるな、ということです。

そういう対処療法的なやり方は、本質を間違うし、もしかしたら、小論文対策にも、難関大の国語対策にもならないかもしれません。

そして、小論文対策や難関大の記述ができないということは、もしかしたら、戻ってみたときに、共通テストの記述に取り組むときも大事な根っこみたいな部分が抜け落ちていて、やってもやっても新しい問題になるとできない…なんてことになるんじゃないでしょうか。

最近、学校の国語にも、塾的な、予備校的な、受験的な流れがだいぶ入り込んでいます。私自身は、そういう流れの走りみたいなものだと自負しているので、そのことを否定したりはしません。

でも、最近とても気になるのは、文章の内容とか、筆者の言いたいこととかでなく、テクニカルにワードを拾って整理して、で、それをグループ分けして、選択肢と照合して…で、終わり!はい、答え選べるね、みたいなことが、今回の改革ではないということです。

ある時期、「国語は文学ではない。表現とか構成とか読み取りの技法なんだ」ということが叫ばれました。私もそう思いましたし。要するに、内容でなく、技法、方法、テクニックだと…タイミング的にも予備校がどんどん勢いを増して、こうしたテクニックが当たり前のものとして広がった感じがします。

でも、それは今回の試験と一致しているのか?もうちょっというと、行き過ぎたんじゃないのか?内容ではなく、方法を教えるということ自体はいいとしても、それが「内容は関係ない」ということになっていないか?試験が本文にあるかないかばかりをチェックして、本文の言いたいことを読み取れないことにつながっていないか、今回の共通テストへの動きの中で、国語の先生は反省することが求められているんじゃないかと思います。

やっぱり、本文をちゃんと読む、つまり、言いたいことをちゃんと読み取る、そしてそれは「わかる」っていうことだよねってところに、少し戻らないといけないんじゃないかと思うんです。

ていうか、私は戻りません。だって、今の入試だって、東大とか、早稲田とか、慶応とか、全部そうだと思ってやっているからです。でも、若い先生で、ちょっとこれを読んで思い当たるところのある人は、是非、内容重視に戻ってほしいと思います。「わかる、そして自分の言葉で書く」。これだけですよ。

というところで、「うるさいなあ」と思ったらごめんなさい。年寄りがうるさいこと言ってるで許してくださいね。