古文の読解シリーズは前回のものを受けて、和歌を使った読解実践練習をしてみたいと思います。本文から和歌を理解し、和歌から本文を理解しましょう!
前回がこちら。
では、まず、本文を読みましょう。
今回もってきたのは、伊勢物語の「つくも髪」と呼ばれる章段です。古文ておもしろいかも?と思ってもらうために、私は導入で使う教材です。
このあたりの伊勢物語のおもしろさを知るには、俵万智さんの「恋する伊勢物語」がおすすめ。若い先生は読んで、授業に生かしてください。
伊勢物語で和歌を練習!
伊勢物語は歌物語ですから、必ず和歌があります。
そして、恋愛ものということになります。歌物語ですから。
さて、読解練習をする以上、細かいことはさておき、とにかく読むことです。
ということをやったんですが、覚えてますか?
とにかく読む。だから「二度読む」。
一回目はざっと。わかるところだけを気にして、わからないところは気にしない。
二回目はそれをふまえて細かく。わからないところを、文法的にしっかりとおさえる。そして、場合によって、わかるところをもとに推測する。
こんな感じです。
和歌の話とはいえ、まずはこのことをきちんとやりましょうね。
むかし、世ごころづける女、いかで心なさけあらむ男にあひえてしがなとおもヘど、いひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人を呼びて語りけり。二人の子は、情なくいらヘてやみぬ。三郎なりける子なむ、よき御をとこぞいでこむとあはするに、この女気色いとよし。こと人はいと情なし。いかでこの在五中将にあはせてしがなと思ふ心あり。狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、かうゝゝなむ思ふといひければ、あはれがりてきて寝にけり。さてのち、男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつけしきを見て、茨からたちにかゝりて、家にきてうちふせり。男、かの女のせしやうに、しのびて立てりてみれば、女なげきて寝とて、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む
とよみけるを、男あはれと思ひて、その夜はねにけり。世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける。
さあ、二度読んで読解してみましょう!
和歌の解釈の前に~わかるところはどこか?登場人物をイメージできたか?
一回目の読みでわかるところだけを探します。
まず、常識として「恋愛もの」であろうということ。この上で、先ほどのテキストにわかるところだけチェックしてみましょう。
というわけで、かなりレベルが低かったと仮定して、わかるところです。
むかし、世ごころづける女、いかで心なさけあらむ男にあひえてしがなとおもヘど、いひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人を呼びて語りけり。二人の子は、情なくいらヘてやみぬ。三郎なりける子なむ、よき御をとこぞいでこむとあはするに、この女気色いとよし。こと人はいと情なし。いかでこの在五中将にあはせてしがなと思ふ心あり。狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、かうゝゝなむ思ふといひければ、あはれがりてきて寝にけり。さてのち、男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつけしきを見て、茨からたちにかゝりて、家にきてうちふせり。男、かの女のせしやうに、しのびて立てりてみれば、女なげきて寝とて、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む
とよみけるを、男あはれと思ひて、その夜はねにけり。世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける。
青でチェックしたところが、わかるのではないかと思うことです。
女が「本当でない夢」を語ります。なんでそんなことしたかは前に書いてあるのでしょうが、まったくわからないとするなら、「〇〇と思ったけど」ですね。
そうすると、それは「子三人(みたり)」を呼んで語られるわけです。
つまり、この女は「母」。母が何かを思う。思うけど、なんか理由があって「本当でない夢」を「子三人」に語るわけです。
ここで、「子三人」はふたつにわかれる。「二人の子」と「三郎」です。その「本当でない夢」を聞いて、「二人の子」は「情けなし」です。本当は単語がわかってほしいですけど、わからないとしてすすめます。三郎は「よき男ぞいでこむ」です。そうすると、女の「気色いとよし」。
つなげましょう。
三郎はどうも「いい男が出て来る」といっているっぽい。
女はその満足のいく答えを聞いて、機嫌がよくなった。
ということは…
- 女は、男がほしかったのではないか?
- 女は、いい男と会えるっぽい夢の話=嘘を語ったのではないか?
- 二人の子はそれを流したのではないか?
そんな感じになりません?
そう思って読んでみましょう。
むかし、世ごころづける女、いかで心なさけあらむ男にあひえてしがなとおもヘど、
これが、いい男がほしい、という部分ではないでしょうか。「~ど」とありますから、「いい男がほしいけど」ですね。
いひ出でむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。
前につづけてみれば、「いい男はほしいけど」「言い出でむもたよりなさに」「本当でない夢=嘘=いい男がでてくるっぽい夢を語った」。
真ん中何でしょう?
たぶん、言い出しにくい、ですよね?だって、お母さんが息子に男ほしいっていえます?
子三人を呼びて語りけり。二人の子は、情なくいらヘてやみぬ。三郎なりける子なむ、よき御をとこぞいでこむとあはするに、この女気色いとよし。こと人はいと情なし。
二人の子は「情けなし」ですね。「はいはいいい加減にしようよ、お母さん」みたいなことでしょう。
だとすれば、「やさしくない」みたいな感じでいいんじゃないでしょうか。
さあ、続きます。
いかでこの在五中将にあはせてしがなと思ふ心あり。狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、かうゝゝなむ思ふといひければ、あはれがりてきて寝にけり。
青のチェックを見てもらうと「あはせて」とか「ありきけるにいきあひて」に青がついています。わかりますよね?
「会わせて」「~に行き会う」でしょう。
この流れがわかると「会わせる」のは誰ですか?
そうです。順番に考えましょう。
会う、のはお母さんです。お母さんが誰に?
そうです。いい男に、です。だから、在五中将はいい男なんでしょう。
さあ、お母さんをいい男に「会わせる」のは?
一人しかいません。三郎です。二人の子は冷たいですし、お母さんなら「会いたい」「会う」ですし、在五中将は巻き込まれるだけですから、違います。
では、三郎が会わせたいと思う気持ちがあった。
誰を?誰に?
お母さんを、在五中将に、ですよね?
で、三郎が「行き会う」。「狩りをし」「歩いているの」「に」。
誰に?お母さんに会う必然性がありません。二人のお兄ちゃんに会ってもしかたがありません。会わせたい以上、会ったのは、在五中将。
だから、道で馬の口をとって「かくかくしかじか」というんですね。
というわけで言われた在五中将は「あはれがりてきて寝にけり」。
みもふたもない感じですが、すごいです。
さてのち、男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、
その後、ですね。
「男が見えない」。女は男の家に行き、と続きます。
女は一人しか出ていませんし、明らかにおかあちゃんです。お母ちゃんがいく男の家は?そりゃ在五中将。だから、見えない男は、在五中将。
そりゃ、来ませんよね。三郎に頼まれてしただけですから。みもふたもない。
じゃあ、なんでお母ちゃんは男の家に行くの?
だって事情知らないですから。いとしいあの人が来ないのは何か事情でもあるのかな、病気かな、心配だわ、って感じです。
わかりましたか?
青字以外のわからないところを埋めるのは、単語力でも文法力でも、空想でもなく、わかるところで、しっかりと話をイメージする、その力なんですね。
読解練習が必要ってわかりましたか?
これからも定期的にいれていきますが、とにかく読むことが大事なんです。
和歌の解釈をしてみよう!
さあ、ようやく本題です。
和歌は
- 歌はメッセージ。言いたいことが大事で訳なんて捨ててもいい。
- 歌は直前の内容を詠む。直前に書いてあることを詠む。
- だから、直前の内容が歌の言いたいこと。
- 直後の心情と歌の内容は一緒
こんなところですよ。やってみましょう。
男見えざりければ、女、男の家にいきてかいまみけるを、男ほのかに見て、
百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつけしきを…
この歌を詠んでいるのは、男です。直前が「男ほのかに見て、」と書いてありますから、男以外はありえない。
だとすれば、歌の内容は男の動作に関わります。
「男が見る」 。何を?「女、男の家にいきえてかいまみけるを」です。
だから、この歌はこれだけ。
女がぼくの家に来て僕を見ているのが見える。
あれ?歌に女出てます?そうです。「百年に一年たらぬつくも髪」です。つくも=九十九、でしょうから、100から1ひいて、99歳のおばあちゃんだったんですね。この女、お母ちゃん。
なんで「つくも髪」かって?「100から1ひく」じゃなくて「百から一ひく」にしてください。
そうです。「白」ですね。「百ー一=白」。
歌直後、「いでたつ」。誰が?男です。それを見ておばあちゃん帰りますから。何をしにいく?そうです。おばあちゃんに会いにいく。
あれ、そんなところ歌にありましたっけ?
こればかりは、古典常識としておさえないといけないところです。
歌の最後は、
「おもかげに見ゆ」ですね。「かげ」というのは古文では「光」といいますが、光というと、光線で目に見えない感じがしますけど、実際は、姿形です。
これ、その姿がまぼろしで見える、ということです。
古文では、思うと、魂が体からすっと離れてあいにいく。
あくがる魂ですね。
現代語で言えば「あこがれる」と、「あくがる=離れる」のが古文。
だから、思いが強ければ、会いにいってしまう。
源氏の六条御息所の話、葵のところです。
夢であれば、恋しい人が会いに来てくれる。伊勢物語の東下りですね。
そして、伝えたいことがあるなら、死者であれ、神であれ、仏であれ、あるいは生きている人であれ、夢の中で伝えにきてくれる。だから、夢は神聖なものであり、お告げなんですね。
そういえば、最初、この女は夢にして伝えました。夢はお告げだからです。自意識になるのは近代。
近代では、夢の中のあの子は「おれ、あの子好きなのかな」ですが、
古典では、夢の中のあの子は「あの子、おれのこと好きなんだ」です。
これ、大事。
だから、わけのわからない夢は「夢解き」や「夢合はせ」をして、お告げの内容を知ろうとするんです。そういえば「合はするに」ってあったでしょ?
戻りましょう。
ここにいるのは現実のおばあちゃん。でも、歌では「おもかげ」のおばあちゃん。
そうです。夢、まぼろしとなって、私に会いに来た、それだけ思いが強いのか…と詠んだんですね。
となると、大変なのはおばあちゃんです。だって、ここにいるんだから。せっかくあの人があいにきてくれるのに、本物はここにいる。あの人はまぼろしっていったけど。
というわけで、茨やからたちにひっかかりながら、ダッシュで帰るわけです。
男、かの女のせしやうに、しのびて立てりてみれば、女なげきて寝とて、
さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人にあはでのみ寝む
とよみけるを、男あはれと思ひて、その夜はねにけり。
また、歌のテクニックを使いましょう。
これは女の歌です。だから、男はあはれと思うんですね。直前は、「なげきて寝」です。
歌の内容は、
- 嘆いて寝ている
- それによって男があわれに思って寝る
これで十分。
嘆いているのは?
そうです。恋しい人に会わないで寝るから。さびしい。
それでいい。衣かたしき、もそうやってみれば、片敷き、みたいな感じで一人分みたいなことではないでしょうか。
読み取れましたね。
さあ、読解練習やりたくなってきたでしょ?
歌なんて簡単ですよ。