古典の読解実践を教科書に合わせて展開するシリーズです。高校2年生の源氏物語「藤壺の入内」を読解したいと思います。
ある程度古典の文法や単語説明などが終わってきましたので、授業の振り返りができるように、授業内容をまとめていくシリーズを展開しています。実際に、どのように読んでいけばいいのか、練習ができるといいですね。
前回はこちら。
結局、試験に間に合わなくなってしまったので、今回は早めに展開します。
まずは、最後まで読んでわかるところをおさえよう!
私の授業の最初は、まずは続けて全部読むことです。あまりに長編である場合は、そうでないやり方を使うこともありますが、それにしてもある程度のひとまとまりを最後まで辞書などを使わずに読んで、わかるところをつなぐ練習が必要です。
では、本文。
源氏の君は、御あたり去り給はぬを、ましてしげく渡らせ給ふ御方は、え恥ぢあへ給はず。いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人び給へるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れ給へど、おのづから漏り見奉る。
母御息所も、影だにおぼえ給はぬを、「いとよう似給へり。」と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひ聞こえ給ひて、常に参らまほしく、なづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ。
上も、限りなき御思ひどちにて、「な疎み給ひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくし給へ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見え給ふも、似げなからずなむ。」など聞こえつけ給へれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見え奉る。こよなう心寄せ聞こえ給へれば、弘徽殿女御、また、この宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。
世にたぐひなしと見奉り給ひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、光る君と聞こゆ。藤壺ならび給ひて、御覚えもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
いかがでしょうか。まず、主客がつかみにくいんですよね。で、単語もまた微妙に難しい。なんだか似たような単語がならんでいるような気もするし…。
というわけで、一行目からきれいに訳すことを諦めて(なんて書くと怒られそうですが、)どんどん先に進むように読んで、絶対わかるところにしるしをつけていきましょう。
どうですか。
では、こんな感じでいかがでしょう?
源氏の君は、御あたり去り給はぬを、ましてしげく渡らせ給ふ御方は、え恥ぢあへ給はず。いづれの御方も、我人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人び給へるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れ給へど、おのづから漏り見奉る。
母御息所も、影だにおぼえ給はぬを、「いとよう似給へり。」と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひ聞こえ給ひて、常に参らまほしく、なづさひ見奉らばやとおぼえ給ふ。
上も、限りなき御思ひどちにて、「な疎み給ひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくし給へ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見え給ふも、似げなからずなむ。」など聞こえつけ給へれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見え奉る。こよなう心寄せ聞こえ給へれば、弘徽殿女御、また、この宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。
世にたぐひなしと見奉り給ひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、光る君と聞こゆ。藤壺ならび給ひて、御覚えもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
もちろん、人によっては「もっとわかる!」ということもあるでしょうが、とりあえず、こんなところに赤をつけてみました。
序盤戦、結構複雑なところですね。でも、はっきりわかるのは、「源氏の君が誰かのあたりを去らない」というあたりではないでしょうか。そうやってみると「え恥ぢ合へ給はず」とか「せちに隠れ給へど」とかが気になってきます。
そのあとは、「おのづから漏り見奉る」で、訳が難しいかもしれません。でもね、「~ど」がbutだとすれば、「隠れられない」であることは間違いない。
なんとなくですが、「源氏が誰かにくっついていて、で恥ずかしいから隠れようとするけど隠れられない」という感じでしょうか。
続いて中盤戦。
典侍が、「よう似給へり」と言っているのは、絶対ですね。で、次に「上も限りなき御思ひ」とくる。「~どち」とつなげると「何?」と気になりますけど、とっちゃうと、「上も同じ思い」となりますから、たぶん、上も「似ている」ということですね。
だから、そのあとに、「つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ」とあるわけで、典侍も帝も「似ている」ということですね。
たぶん、これ、藤壺が源氏のお母さんの桐壺に似ているってことですよね?
もし、「らうたし」の意味がわかるなら、「らうたくし給へ」は「かわいがってあげてください」みたいな感じだとわかりますから、感覚的にこれ、帝から藤壺への台詞。
ということはここまで、
源氏が誰かのそばにいて、離れない。結果、藤壺は恥ずかしいから隠れたいけど隠れられない。
源氏は典侍から藤壺がお母さんに似ていると聞く。帝も似ていると思っていて、藤壺に「あなたが桐壺に似ている。源氏をかわいがってあげて」という。
そんな感じでしょうか。
そうなると、「桐壺」同様、弘徽殿の女御はおもしろくないみたいで「この宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて」なんて書かれている。そのあとの「ものし」が難しいかもしれないけど、ここまでで十分読めますよね?
これでだいたい意味はとれました。でも、結局、文法的知識がないとなかなか先には進めませんね。
ちょっと、基本的なところだけでもおさえておきましょう。
敬語で主客を把握する~帝と源氏、藤壺の違い。典侍は、「敬意なし」
源氏物語は、作者であるところの紫式部が登場人物の視点に結構かさなってくるために、意外と敬語を落とす場面が出てきます。(と私は思っています。)
だから、あんまり敬語を絶対視して解釈していくと間違いのもとになりやすい作品なんですが、でもだからといって、敬語を無視して主客をとるわけにもいきます。
主客、わかります?主語、つまり「誰が」ですね。客語、つまり「誰を」「誰に」ということですね。これが敬意の対象にもなります。尊敬語なら主語が敬意の対象だし、謙譲語なら客語が敬意の対象ですね。
というわけで、まずは身分から考えてみましょう。
まず、帝ですが、これは簡単で、二重尊敬系ですね。で、次に出て来るはずの、光源氏、藤壺、あとは弘徽殿の女御あたりは、普通の敬意系。偉い人です。で、最後に典侍はお仕えする人ですから、「偉くない人」のはず。
こんなのがベースになります。
たとえば、一行目を見ていくと、
源氏の君は、御あたり去り給はぬを、ましてしげく渡らせ給ふ御方は、え恥ぢあへ給はず。
こんな風に、途中に「せ給ふ」があることに気が付きます。そう考えると、ここには帝が登場している。だけど、ラストは「給ふ」だから、帝ではない。源氏がいて、帝がいて、そして藤壺がいる。
こんな中で、主客を決めていきたいですよね。
そうなると、この前半のラストの、
いと若ううつくしげにて、せちに隠れ給へど、おのづから漏り見奉る。
というのも、同じ「給ふ」ですし、「恥ずかしがることができない」との共通性を考えてみても、藤壺の説明だということが言えそうですね。
次回は、こんな感じで、もう少し、細かく読解していきましょう。